15挙動不審です
「最近、ゴミをよく見かけるんですけど」
アンネの言葉に、セレイアは首を傾げた。
「そう?綺麗にしてるつもりだったのだけど……見落としてたのかしら」
掃除はセレイアの担当だった。慣れないことなので行き届いていないのだろう。
「違います。そのゴミじゃなくて、辺境伯です」
「ああ……そっち。アンネ。ゴミとか言っては駄目よ」
「さっきも、食事取りに出たら、離れの周りをうろついてたんです。一応挨拶したんですけど、だんまりで。だんまりだったかと思えば、口をアワアワさせて。何か言うのかなって思ったから待ってたんですけど、結局、何も言わずに帰って行きました。辺境伯っていう立場じゃなかったら、不審者ですよ、あれ」
ディルクの股間を蹴り上げてから、十日ほど過ぎていた。
怒鳴り込んで来るかもしれないと身構えていたが、そんな心配は無用だったらしく、あの行為について咎められることはなかった。
けれどなぜか、あの日から、ディルクを頻繁に見かけるようになっていた。
――少し前、セレイアもディルクと遭遇し、アンネと同じような感想を持った。
『先日は、申し訳ありませんでした』
どのような事情があれ、セレイアが暴力をふるったのは事実である。一応、謝罪をするとディルクは、おどおどと視線を彷徨わせた。
『……それはもう、よいのだ……よいのだが……私は……』
言いたいことがあるのだろう、と待っていたが、口をぱくぱくさせた挙句、もうよい、と言い残し去って行った。
いったい何が言いたかったのか……謎な行動であった。
「そういや、セレイア様。つい叩いてしまったって、言ってましたよね」
セレイアは先日あったことを大まかに、アンネへ報告していた。
ただ、口づけされたことや股間を蹴ったことは、流石に言い出し難く黙っていた。手をあげてしまったとだけ、伝えている。
「ええ」
「それで、目覚めてしまったのでは?」
「めざめる?」
「あれですよ。女の人に叩かれたり殴られたりして、喜ぶ人なんですよ、きっと」
「叩かれて喜ぶの?そんな人いるの?変態じゃない」
「変態なんですよ、きっと」
アンネが力強い声で断言する。
股間を蹴ったとき、すごい形相をしていた。喜んでいる風には見えなかったが、実は興奮していたのだろうか。
「あんな変態とは早く離れた方がいいですって。ニコラス様に言われたんでしょう?酷い扱いされているなら、婚約を白紙に出来るって。証言が必要なら私がしますし、辺境伯の使用人の中にも、セレイア様へのなさりように不満を零してる人結構いるし、協力してくれる人もいますよ、きっと」
アンネを遠ざけようとしたり、先日のような不埒な真似をするというならば……ニコラスに頼んでもよいとは思っていた。
けれど――。
「アンネは辺境領の騎士と恋をしたいとか、言っていたでしょう?結婚してもメイドを続けたらいいじゃない。忙しくても、ときどき、この離れを覗いてくれたら嬉しいわ」
「……何を仰ってるんです」
アンネが顔を強張らせる。
「何って……ディルク様との婚約を白紙にしたって、また別の場所へ行って、別の人と婚約するようになるのよ。面倒じゃない。それよりは、ずっとこの離れで、多少は不自由だけれど、穏やかに暮らすのも悪くないなって」
「セレイア様はまだ二十一歳なんですよ!何でそんな人生、諦めたようなこと言うんです?」
「諦めたわけじゃないわよ……。次の人も、ディルク様以上に酷い人かもしれないじゃない」
「あんなゴミ、滅多にいません」
「人を、ゴミ扱いするのは、失礼よ……今のところは、そう困ってもいないのだし、別にいいでしょ。何かもっと酷いことをしだしたら、その時に考えるわ」
「……セレイア様、セレイア様は……」
「私が、なに?」
「…………もう、いいです」
静かにアンネを見返すと、アンネは声を詰まらせて、長い溜め息を吐いた。
◇
「お買い物に行きましょう!」
アンネが朝起こしに来るなり、弾けるような騒がしい声で言った。
「買い物?」
「そうです。こちらに来てから、ずっと離れに閉じ篭りっぱなしでしょう?街も、馬車の中から見ただけだし」
「でも、外出は禁じられているわ」
最初のときに、メイド長から言われていた。
「おととい、メイド長に、お願いしたんです。気晴らしに街を見て回りたいって。今日なら、護衛を回せるからいいですよって」
「勝手なことをしては駄目よ、アンネ。みんなに迷惑でしょう」
そう口にしながらも、こちらに到着した日、窓越しに眺めた風景を思い出す。
異民族らしき人たちが闊歩する活気のある街並みだった。そこを歩けるのだと思うと、期待で少しわくわくしてしまう。
「朝食後に行けるようにしますって。だから早く用意しましょう」
「ええ!」
セレイアは寝台から下り、慌てて支度を始めた。
朝食後、離れに現れた男を見た瞬間、アンネが舌打ちこそしなかったものの、顔を盛大に歪めた。
「あの、出掛けるのは禁止なのでしょうか?」
むっつり顔のディルクにおずおずと、セレイアは訊ねた。
「いや、そうではない。私が同行した方がよいのであろうが、残念ながら、仕事もある。それに私がいないほうが目立たぬからよいだろう。……羽目を外さぬよう、忠告に来たのだ」
期待をしていたので、今更駄目だと言われるのは堪える。
セレイアはほっとし、微笑む。
「もちろんです。ディルク様にご迷惑を掛けるような行為はいたしません。お約束します」
「う、うむ。ならば、よいのだ……」
ディルクは気まずそうに、セレイアから視線を逸らした。
「護衛の騎士を二人、それから馬車を門の前に用意してある」
「ありがとうございます」
セレイアが礼を言うと、ディルクは口を開いては閉じるを繰り返し始める。
「あの、まだ何か?」
「……いや、何でもない。気をつけて行きたまえ」
ディルクはそう言い、離れの屋敷から出て行った。
相変わらず挙動不審ではあったが、何にせよ、セレイアの外出を大目に見てくれ、それどころか馬車や護衛までつけてくれるのだ。
ありがたいことである。
アンネとともに離れを出て、門へと向かう。
馬車の前に、二人の男性が立っていた。
辺境領所属の騎士なのだろう。王都では見かけない深緑の騎士服を纏っていた。
一人は体つきのしっかりした厳つい顔の髭を生やした男性で、もう一人は、ひょろりとした優男であった。
「今日はよろしくお願いします……あなたがテリーさん?」
二人にゆっくりと視線を這わせたあと、セレイアは優男の方に向かって訊いた。
「さん付けしなくていいですよ。……よくわかりましたね」
「だって、そっくりですもの」
テリーは、ニコラスと双子といってよいほど、よく似ていた。
 




