第七話「英雄の果て」
「お、お前……!」
「僕を置き去りにした逃避行、随分と盛り上がっているようだね」
男は……ラルフ・クレイン・ローンシアはそう言って闇の中で笑みをこぼす。
「愛し合っていたなら教えてくれれば良いのにさ。化物同士お似合いだから国外追放で祝福してやれたのに。それとも冥府の方がお好みかい?」
「ラルフ……あなた何を……!」
様子のおかしいラルフへ歩み寄ろうとするユーカを、レントは右手で制止する。そしてしばらくラルフを見つめた後、ギロリと睨みつける。
「その血、どうした?」
暗闇のせいで見えにくいが、ラルフの顔や服は血で汚れ切っている。一目で返り血だとわかるその血痕に、レントは顔をしかめる。
「どうしたと思う?」
「質問に質問で返すんじゃねえ。聞いてンのは俺だ」
「それより僕の話を聞いてくれ。どうでも良いだろう血のことなんて」
「……誰だ、テメエ」
「重ねるね……質問を。英雄は知りたがりさんだねぇ」
ラルフがそう言い終わるか言い終わらない内に、レントは剣を抜いてラルフへ肉薄し、剣を振り下ろす。ラルフは事もなげにそれを剣で受けると、ベロリとわざとらしく下を出して笑った。
「相変わらず容赦がないねぇ! こいつはアンタの友達じゃなかったかい!?」
「やっぱりな……! ミザか、テメエッ!」
「正解ッ!」
そう叫んでレントの剣を弾き、ラルフは数歩退く。
「けどアンタと出会ったのは予想外でねぇ……! 僕はこのまま逃げてあたしはお前とユーカを追いかけてっ……僕はやってなッあたしに寄越せ! 僕はお前をあたしとォォォッ!」
突如、左手で頭を抱えながら、支離滅裂な言葉を吐き続けるラルフに、レントは困惑する。先程までは間違いなくミザに意識を奪われているようだったが、今はラルフともミザともつかない。
「ラルフお前……ミザに抵抗してンのか!?」
あの時レントは確実にミザを殺したつもりでいたが、どうやら逃げ延びていたらしい。恐らくラルフの身体の中には何らかの形でミザが入り込んでいる。身体のコントロールをほとんどミザに奪われているようではあったが、ラルフの精神力のおかげか、それともミザが弱っているせいか、まだ完全ではないようだった。
「レントォォォォォッ!」
もうどちらの人格なのかもわからないが、ラルフは声を張り上げると剣を振り上げてレントへ襲いかかってくる。どうするべきか躊躇っている余裕はなく、レントはラルフの剣を剣で受け止めた。
「おい! ラルフ! 目ェ覚ませ! まだ意識はあるんだろ!?」
「レント……僕はッ……!」
「ラルフッ!」
ギラついていたラルフの目が、真っ直ぐにレントへ向けられる。その懐かしい視線がミザではなくラルフのものだと気づき、レントは再びラルフの名を叫ぶ。
「ラルフ! ミザなんかに飲み込まれてんじゃねえぞ!」
「ああ……そうだな……すまない」
ラルフは落ち着いた口調でそう答えたが、剣に込められた力はより一層強くなる。
「ッ!?」
そして次の瞬間、剣を持つラルフの手をびっしりと鱗が覆う。ギョロリと動いた縦長の瞳孔がレントをとらえると同時に、ラルフが口角を釣り上げた。
「お前ッ……やっぱ飲み込まれて……ッ!」
「違うよレント、そうじゃない……飲み込んだのは僕だ」
ラルフの力が、レントの想定を遥かに上回る。一度弾こうとするレントだったが、逆に弾かれる形になってラルフから距離を取る。
「は、はは……どうだ……これなら……これならお前は本気でやってくれるか……!?」
「どういう意味だ……ッ!?」
ラルフの口元から鋭く長い牙が覗く。蛇と人の中間のような姿になったラルフは、剣を構えて恍惚とした表情でレントを見据えた。
「すごいな、魔物の力は……! 今まで真面目に鍛錬していたのが馬鹿馬鹿しく思えてくるよ」
「何言ってンだよお前! その魔物を倒すために、一緒に鍛錬してきたんだろうが! お前が魔物になっちまってどうすんだよ!」
「それをお前が言うのか、レント! 魔物を生み出す女を守って、連れ出して……お前はいたずらに魔物を増やしたかったのか!?」
「そ、それは……ッ」
レントの脳裏に、魔物と化したラナの姿がよぎる。ユーカを助けたい、呪いを解きたい、しかし結果は犠牲者を増やしただけで、その挙げ句自分さえも魔物に変わりつつある始末だ。
「だからって、ユーカを殺すのが正解だとは思わねェ!」
「もうその点についてお前と議論する気はないよレント。平行線だからね。そんなことよりも……続きをやろうレントッ!」
そう言って一気にラルフはレントと距離を詰める。慌てて応戦するレントだったが、今までのラルフとは比べ物にならないスピードで繰り出される連撃に、レントは防戦一方になってしまう。
「どうした英雄! いつも通り手加減していると、お前もユーカも殺してしまうぞ!」
「ラルフお前ッ……本気で俺達を殺すつもりなのか……ッ!?」
「当たり前だろ! そのためにわざわざここまで来てやったんじゃないか!」
ラルフの言葉に動揺し、レントは勢いを削がれて弾き飛ばされ、仰向けに倒れる。そんなレントへラルフは容赦なく飛びかかり、剣を振り下ろした。
「ラルフゥゥゥゥッ!」
叫ぶことで己を鼓舞し、レントは倒れた体勢のままラルフの剣を受け止める。
「本気でやれよレント! 僕はもう、お前に加減してもらう必要はない!」
「さっきから何言ってンだよ! 俺はお前と本気で戦いたくねェ! 意識があるなら目ェ覚ましてくれよ!」
「そうやって馬鹿にして!」
「そうじゃねえ、俺はただ……!」
「お前は上から目線なんだ!」
「ンなわけねえだろ!」
「だったら本気でやれよ! 英雄の自分が本気でやれば僕が傷つくだなんて配慮、不愉快なんだよ!」
「そうッかよォォォォォオオオッ!」
成り立たない会話に苛立ちを覚え、レントは力任せに剣を振る。倒れた状態からは考えられない程力の込められた剣は、馬乗りになっているラルフの剣を弾く。そうして体勢を崩したラルフを、起き上がりながら突き飛ばし、レントはそのままラルフへ切りかかる。
「そうだ……! それで良い! 僕と本気で戦え、レントォッ!」
強引に体勢を立て直し、ラルフはレントの剣を受け止める。そこから始まるのは凄まじい速度で繰り出される剣戟だった。
「やっとお前が本気で相手してくれる! これ程嬉しいことはないよレント!」
「ンなことが目的だったってのかよ!」
「そんなこと? お前にとってはそうかも知れないな!」
互いに全く手は緩めない。一瞬でも隙を見せればそれが命取りになる。レントとラルフは正に今、互角の戦いを繰り広げていた。
「僕はずっと、お前と対等の勝負がしたかった! お前と同じ景色が見てみたかった!」
「何……ッ!?」
「僕はいつだって二番目以降だった! 王位は兄上で、英雄はお前だ! その上ユーカもお前のものになった!」
次々と吐露されるラルフの本音に、レントは言葉をうまく返せない。レントの後ろでは、驚いた様子でユーカがジッとラルフを見つめている。
「なんでも良い……誰でも良い……僕を一番に見てほしかった、認めてほしかった! レント、お前は……お前ならそうしてくれるかも知れないって僕はッ……!」
「ふざけんな! お前は俺の一番の親友だっただろうが! それは今でも変わってねえぞ!」
「白々しい! なら何で僕を置いていった!? お前は僕を置き去りにして行ったじゃないか!」
「テメエはユーカを殺すつもりだっただろうが!」
「語るに落ちたな! 君はずっと一緒に旅をした僕よりも、出会ったばかりの女を選んだってことだろう!」
それはどこまでも感情論だった。普段は冷静で理知的な様子のラルフだったが、心の中ではそんな思いばかりが渦巻いていたのだろう。それをレントは一度も察することが出来なかった。理路整然とした言葉を並べ、いつだって穏やかに隣りにいたラルフの思いに、全く気づいてやることが出来なかったのだろう。
それがたまらなく悔しかったが、今となってはもうどうすることも出来ない。レントもラルフも、もう変わり果ててしまった。けれどもまだ全てが手遅れだとも思えない。これからまだやり直せる。そう信じてレントは剣を振るった。
「ラルフゥゥゥゥゥゥウウッ!」
延々と続くかのような剣戟に、レントが終止符を打つ。隙を見せないラルフだったが、レントの動きがついにラルフを完全に上回り、その剣を弾き飛ばす。剣を失ったラルフを真っ直ぐに見据え、レントは左手で思い切りその顔面を殴りつけた。
「がッ……!」
殴り飛ばされ、ラルフは呻き声を上げながらその場に倒れ伏す。そんなラルフに、レントはゆっくりと歩み寄る。
「ラルフ……」
「どうしたレント! 本気なら殺せ! どの道今の僕は魔物だぞ、躊躇するなら僕がお前を殺す!」
よろめきながら立ち上がるラルフに、レントはもう剣を向けなかった。
「ラルフ……悪かった」
「……は?」
思いもよらないレントの言葉に、ラルフは眉をひそめる。
「俺はお前の気持ちなんか知りもしなかった、考えようともしなかった……。今もまだ、よくわかンねえ……」
でも、と言葉を付け足し、レントはそのまま語を次ぐ。
「もうお前を置いていったりはしねえよ……。だからさ、一緒に探そうぜ……ユーカを助ける方法、そして今度は、お前が人間に戻る方法を」
そう言ってレントは剣を足元に投げ捨てて、ラルフに右手を差し伸べる。ラルフはしばらくその手を見て困惑しているようだったが、やがて諦めたように笑みを浮かべると、ゆっくりとレントへ歩み寄り始めた。
「なんだよ……それ……。そうか僕は……」
そしてそっとレントの手を取り、ラルフは穏やかにはにかんで見せる。
「僕は最初から、そう言ってほしかったのかも知れないな……」
「ンだよ……それならそうと言ってくれりゃ良いじゃねえか」
「そうだな、そうだ……。すまない、また一緒に、旅をしてくれるか?」
「……当然だろ。さっきも言った通り、お前は俺の一番の親友なんだからよ」
一番の親友。その言葉を噛みしめるように咀嚼して、ラルフはそっとレントの手を引くと、そのまま抱き寄せる。
「ありがとう、レント」
「な、何してんだよ気持ちわりーな!」
そう言って茶化すようにレントが笑った次の瞬間、レントは身体が焼けるように熱くなるのを感じた。
「れ、レントぉっ!」
ユーカの悲鳴で、レントはやっと事態を理解する。ラルフの左手が、レントの腹部を貫いていた。
「テ、メ……エ……ッ」
「今更気持ち悪いんだよレント。思ってもないことを口にするな、反吐が出る」
尋常ならざる勢いで血が流れ、レントは次第に気が遠くなるのを感じる。ふらりと倒れながら見上げたラルフは、邪悪な程にドス黒い笑みを浮かべている。
蛇のような目が、ジッと倒れゆくレントを見つめていた。
「そんな……ラルフ! あなたどうして!」
「ユーカは話を聞いていなかったのか? あんな上っ面の言葉で僕が納得するわけないだろ」
泣き叫ぶユーカを嘲笑い、ラルフは倒れたレントを踏みつけて見下ろす。しかしすぐに、レントの身体に異常が起こっていることに気づいて顔をしかめた。
「あーあ、すっかり呪いにやられちゃってさ……魔物より魔物じゃないか、元英雄」
レントの腹部に空いた穴が、急速に塞がっていく。沸き立つマグマのような音を立てながら、レントの身体は一分とかからずに再生していく。
そして真っ赤に染まった双眸が、下からラルフを射抜いた。
「ラァルフゥゥゥゥゥゥッ!」
絶叫と共に立ち上がり、レントはその身体は変化させていく。
「何だよお前……そんな姿に成り下がってさァ!」
頭部には山羊に似た太い角が生え、手足の爪は鋭く太く変質していく。背中からは服を突き破って漆黒の翼が開き、レントは無数の牙をむき出しにして月光に吠えた。
「そんな……あれじゃ、まるで……」
魔王。
今のレントの姿から、思わずユーカはかつて戦った魔王の姿を連想してしまう。雄々しく、邪悪で、凶暴なその姿を誰が英雄などと呼べようか。
「堕ちたな、レント」
ラルフのその言葉をゴング代わりに、レントは高速でラルフに飛びかかった。
「化物同士……これで対等だッ!」
歓喜に打ち震えるかのような声音で、ラルフはそう叫ぶ。そんなラルフの喉元にレントの爪が伸びたが、ラルフは紙一重でかわして声を上げて笑う。
「これで同じだ……同じ化物の景色だッ!」
「何でだ!? 何でこうなる!? どうして俺とお前が!?」
「ならもう一度手を差し伸べてみなよ! 今度は切り落としてやる!」
もう、ラルフからは憎悪しか感じられない。ミザのせいで狂わされているだけだと信じたいレントだったが、結局ミザはきっかけに過ぎない。吐露した思いも、憎悪も、全て元々はラルフ自身のものだ。それを何となく肌で感じ取り、レントはたまらず異形の瞳で涙をこぼす。
「ふざけんなァァァァァァッ!」
咆哮と共に、レントの爪がラルフの身体を裂く。しかしそれにも構わずラルフは笑い続ける。そしてレントの身体に組み付くと、その首筋に勢いよく噛みつき、そのまま噛み千切った。
レントの絶叫と共にドス黒い鮮血が舞う。怯んだレントへそのままもう一度噛みつき、ラルフは喰らうように何度も噛み千切る。
そのあまりにも凄惨な原始の戦いを、ユーカは最早言葉も発せないまま見つめ続けていた。
悲鳴を上げても止まらない。割って入って止めるような力もない。もうユーカにはこの光景を最後まで見届けることしか出来ない。
「オオオオオオォォォォォォォォッ!」
「アアアアアアァァァァァァァァッ!」
レントもラルフも、もう言葉は発さない。互いの爪で、牙で、乱暴に傷つけ合うだけだ。お互いに汚れた血を流しながら、ただひたすらに傷つけ合う。
レントの一撃が、ラルフの左腕を切り裂き、ラルフの爪がレントの頬に突き刺さる。耐え難い激痛に襲われながらも、それでも二人は止まらない。
レントは自身の頬に刺さったラルフの右爪を強引にへし折ると、そのままラルフの右腕を両手で掴み、膝をぶち込んでそのまま滅茶苦茶にへし折る。激痛で悲鳴を上げるラルフの首筋に、今度はレントの牙が食い込んだ。
そうしている間にも、レントの身体はどんどん再生していく。ラルフの身体も徐々に再生はしているが、レントに比べると再生スピードが遅い上に傷が深過ぎて再生が全く追いついていない。
「レントォォォォォォォォッ!」
左腕を失い、右腕を折られたラルフに、レントを突き飛ばす術はない。そのまま首筋を噛み千切られ、更なる激痛に悲鳴を上げる。それでもラルフは何とかレントを蹴り飛ばし、一時的に距離を取る。
この状態で戦い続けるのは明らかに不可能だったが、ラルフはもう止まらない。どうせこの傷では助からないと判断したのか、蛇のように口からレントへ飛びかかった。
「ラァルフゥゥゥゥゥッ!」
そのラルフの顔面に、レントは渾身の右ストレートを叩き込む。頭蓋が割れるような音が聞こえると同時に、ラルフはそのまま背後の大木にその全身を叩き込まれる。
やがて静寂と、レントの荒い吐息だけが残った。
ラルフはもうピクリとも動かず、レントもラルフを見つめたまま動かない。
それからどれくらい経っただろうか。レントはおもむろに歩き出し、ゆっくりとラルフへ歩み寄る。そしてジッと見つめた後、やがて月を見上げて静かに涙を流した。
レントはそのまま人の姿には戻らなかった。否、もう戻れないのかも知れない。人間らしさを残していた部分もほぼ完全に魔物の姿へと変化してしまっており、最早その姿はかつての魔王とほとんど変わらない。
そしてレントはゆっくりと、後ろで立ち尽くすユーカへ歩み寄る。血にまみれた悍ましい魔物の姿ではあったが、ユーカは不思議と恐怖を感じなかった。
今の彼が、レント・ローとしての意識を残したままだとわかっていたから。
「ユーカ……」
地の底から這い上がるような濁った声。それはレントのものとは似ても似つかなかったけれど、それでもその優しい声音はレントのものだった。
「……だから……言ったじゃない……あなた……こんなになって……」
これは、ユーカの呪いによるものだ。英雄レント・ローは、ユーカの呪いによって完全に魔物へと堕ちたのだ。意識が残っていようがいまいが、その事実に変わりはない。その悲惨な結末に、ユーカは耐え切れずに泣きじゃくる。
「ごめんなさいっ……ごめんなさい……全部……私がっ……」
泣きじゃくるユーカを、そっと太い腕が包み込む。鋭い爪で傷つけてしまわないよう、そっと、ゆっくりと。
ユーカが見上げた顔は、完全に化物のソレだ。山羊の頭骨のようなその顔からは、もう感情が一切読み取れない。全く別の生き物になってしまった証拠だ。
「ユーカは悪くない、全部俺が選んだことだから」
「選ばせたのは私じゃない……!」
「そうかも知れない。そのくらい、俺はお前に惹かれていた」
「……言い方、ズルいよ……」
そう言って胸に顔を埋めるユーカを、レントは強く抱きしめる。そのままずっと抱きしめて、離さない。
それからどれ程経っただろうか。異変に気がついたのはユーカだった。
「……え?」
少しずつ、ユーカの中から何かが抜き取られていくかのような感覚がある。不思議と感じるのは脱力感ではなく、今まで重くて仕方なかった自分の身体が少しずつ軽くなっていくような感覚だった。
魔王による呪いはユーカの身体能力をも奪っていた。そのせいでずっと身体が重いと感じていたのに、今はそれが急速に和らいでいく。
「ま、まさか……!?」
そしてソレとは対照的に、レントは更に魔物然とした姿へ変化しつつあった。翼は大きく広く、レント自身をも包み込める程に巨大化している。レント自身の身体も、心なしか先程より一回り大きくなっているようにも見えた。
皮膚は更に固くなり、肩や膝からは角に似た突起物が生えている。レントの魔物化は、先程よりも更に進行しているのだ。
魔物よりも、更に魔物へと。
「な、何しているの!? ねえ、レント! もしかしてっ……!」
「……さっき話した時から、ずっとこうするつもりだった」
「離して! ねえ! ダメ! レント! こんな方法……ダメよ! このままじゃ……っ!」
「どっちにしたって俺はもう戻れない。だから、こうするのが最善なんだ」
どれだけユーカがもがいても、レントは絶対に離さなかった。
ユーカの呪いは人を魔物へ変える。
そしてレントは、魔力を、呪いをも吸収する。
「俺が呪いを吸い尽くす。そうすれば、ユーカは……」
ユーカの呪いをレントが吸い尽くす。
これがユーカの呪いを解くために出したレントの答えだった。
「こんなの……こんなのってないわよ!」
もう、レントは答えない。ギュッとユーカを抱きしめたまま、レントはただユーカの呪いを吸い続ける。
「正解にしてくれるって言ったじゃない! 間違ってなかったって、笑わせてくれるって言ったじゃない!」
「……ごめん」
「こんなのっ……こんなの……」
もがいてももがいてもレントの腕の中から逃れられない。身体はもう随分と軽くなったのに、どれだけ力を込めてもユーカは抱きしめられたままだった。
やがて力なく、ユーカはレントの腕の中で項垂れる。
「結局間違いだったじゃない……私はっ……私は……」
「生きて、欲しい」
穏やかにそう言って、レントは更に強くユーカを抱きしめる。
「全部諦めて、死んだように生きるんじゃなくてさ……生きて欲しい。そこに俺がいないとしても」
「嫌よ……こんな結末いらない……!」
「他の誰かと一緒になったって良い、この望みが俺のエゴでも構わない……。俺は、ユーカに生きて欲しい」
呪いはもう、ほとんど完全に吸い尽くされていた。ユーカにかけられていた呪いの全てを、レントが全て吸収していた。
生きて欲しい。自分の代わりでも良い、人として。そう願いを込めて。
それはきっとレントのエゴで、言葉通りユーカはそんな結末を望んでなどいない。けれど、無理矢理押し付けなければきっとユーカは受け取らない。
「レントはっ……レントはどうなるのよ……!」
「俺はもう英雄じゃないけど、まだやり残したことがある。もしどこかで生きているなら、魔王は俺が殺さなきゃならねえ」
そう言って、レントはやっとユーカから手を離す。ユーカの身体にはもう呪いは残っていない。身体の軽さもあいまって、感覚的にユーカはそう理解出来た。
レントはユーカに背を向けると、ラルフの死体をそっと抱き上げる。
「ま、待ってよ……! 私、一緒にいる! レントがどんな姿でも構わないから!」
「…………」
「どんな場所でも構わないから、一緒に暮しましょう? 魔王を探しに行くなら私も一緒に行く! 何だって良いから手伝わせてよ! 私、レントにしてもらうばっかりで何も返せてない! お願いだからっ……!」
ユーカはレントへ駆け寄り、後ろから抱きつこうとしてハッとなる。レントの背には、腰には、鋭い突起物が生え揃っている。触れたもの全てを傷つけるための、角だ。もう、まともに触れることすらかなわない。
それに気がついて、ユーカは立ち止まって泣きじゃくる。抱きしめられるばかりで、抱きしめることが出来ない。何もしてあげられない、もらうばかりで、何一つ返すことが出来ない。
「酷いわ! 勝手よ……っ! くれるばかりで何もさせてくれないなんてっ……!」
「……全部、俺のエゴだったのかもな」
ユーカを助けたい、守りたい、生きて欲しい。望んでいたのはユーカではなく、レント自身だった。今までもきっとそうで、レントは助けを求められたから助けたわけじゃない。レントが助けたかったから、守りたかったからそうしたのだ。そこに、相手の意思は関係なかった。
助けたい、そのエゴの終着点がきっと英雄で、その向こうが怪物なのかも知れない。
「ユーカ、俺さ」
ゆっくりと。レントが振り返る。
きっとこれが最後なんだって、なんとなくユーカは感じ取った。
「俺、ユーカのこと好きだ。だから、幸せになって欲しい」
もう、変わり果ててしまった異形の顔で、それでもレントは笑って見せた。そしてそのまま、空を見上げるとユーカの返事も待たずに漆黒の翼で飛び上がる。
黒い羽根を残して飛び去るレントを、ユーカは見上げて涙を流す。そして舞い降りた羽根を一つだけ手に取って、抱きしめるように握りしめた。
「だったら……幸せにしなさいよぅ……っ」
その声はもう、どこにも届かなかった。




