第一話「地下牢の少女」
「レント・ロー、ラルフ・クレイン・ローンシア……。魔王を討伐し、我がローンシアだけではなく人類すべてに恒久的平和をもたらした二名を称え、我が国最大の栄誉、ローンシア勲章を授ける」
王の言葉に、民衆が沸く。長年人類を脅かし続けた魔王とその配下、魔物達を討伐した二人の英雄に、誰もが惜しみない称賛を送った。
レント・ローと呼ばれた黒髪の青年は気恥ずかしそうに頭をかいており、青年と言うよりはどことなく少年のような雰囲気がある。対照的に、隣にいるラルフ・クレイン・ローンシアと呼ばれた金髪の青年は、誇らしげにローンシア勲章を掲げている。
「レント、もっと誇れ。あの魔王を討伐したのは僕達だ……いや、正確には君だ。君がそんなゆるい表情でどうする」
レントを肘でつつきながらラルフが微笑むと、レントは首を左右に振る。
「ンなことねえよ。みんなで旅して、みんなで倒したんだ。俺一人で戦ったわけじゃねえだろ」
謙遜しているわけではなく、これはレントの本心だろう。魔王討伐の旅に出たのは二人だけではなく、他にも数人の仲間がいた。誰もが魔王討伐のために努力し、苦しい旅と戦いを乗り切ったのだ。
しかし、それでも魔王を倒したのはレントだ。仲間が全員倒れても、最後まで諦めずに魔王に立ち向かい、見事その剣で魔王を切り裂いた。倒れ伏した状態でその光景を目の当たりにしたラルフにとって、真の英雄とはレントのことなのである。
「……君らしいな。僕ならもっとつけあがってしまっただろう」
蒼い瞳を少しだけ伏せてそう言ったラルフに、レントは歯を見せて笑った。
「ま、正直なところ恥ずかしいだけなんだけどな。でも、みんなで戦ったことに変わりはねえ。俺達の勝利だ」
そう言ってレントが拳を突き出すと、ラルフは小さく笑みをこぼしてからその拳に自分の拳を当てる。そんな二人の友情劇が壇上で繰り広げられると、再び民衆は大きく沸いた。
場所は大国、ローンシアの城下町。その中央の広場で、世界に平和を取り戻した二人の英雄に勲章を与える式典が開かれていた。
かつて、世界中には魔物が蔓延っており、その中でも最強最悪の魔物――魔王が存在した。魔物達は魔王を中心に結束し、人類を脅かし、喰らい、侵略を続けていた。それらを討伐するため、ローンシア王国から旅立ったのが第二王子のラルフ、そして数年前ふらりと町に現れたレントだった。
「それにしても、レントもすっかりここに馴染んだな。最初は家に帰るんだーとか言ってたのに」
勲章の授与式が終わった後、城の大広間が解放され、何百人もの人々が集まる大宴会が開かれていた。王宮のシェフ達が何日も前から仕込んで用意した料理がそこら中のテーブルに広がり、ワインのたっぷりと入った樽も至るところに並んでいる。王宮の人間だけでなく、ローンシア国内のあらゆる人々がこの大宴会に参加していた。勿論国民全員が大広間に入ることは出来ないため、よその町でも同じような宴会が開かれ、国民全員が何らかの形で宴会に参加出来るようになっている。
「まあな……でも、よく考えたら向こうの俺って死んでるわけだし」
レントとラルフ、二人の英雄はあまり目立たない片隅の席に座って二人で食事をとっていた。丸焼きにされた鶏肉の足を豪快にかじるレントと、ワインを口にしながら丁寧にステーキをナイフで切るラルフ。
「未だに信じられないな。君がこことは別の異世界から来ただなんて」
真っ赤なワインに舌鼓を打ちながらラルフがそう言うと、レントはわかる、と短く答えてからチキンを噛み千切った。
「トラックにぶっ飛ばされて死んだかと思ったら、いきなり知らねえ場所にいるんだもんな。俺だって未だに信じられねえよ。記憶が狂っただけで、最初からここにいたような気もしてくるぜ」
「僕は今でもそう思っているよ。”とらっく”というのもよくわからないしね」
レントは元々、この世界の人間ではない。元々は別の世界の、日本と呼ばれる国で生まれ育ったごく普通の少年だったのだが、死後突然ローンシア国近隣に飛ばされ、近くを警備していた兵士に捕まってローンシア国へと連れ込まれたのだ。
「でも今思えば、君がここに現れたのは何かの運命だったのかも知れない……。現に、君のおかげで世界は救われた」
「何言ってンだよ。お前だって一緒に戦ったんだ、俺ばっかり持ち上げンなって」
「人間は簡単に自分で自分を持ち上げられるようには出来ていないよ。だからみんな肩書や勲章が欲しいんだ」
「そういうモンかなぁ……? にしたって、運命は言い過ぎだろ、たまたまだって、たまたま」
そう言ってレントが食べ終わったチキンを皿の上に放ると、すかさずその皿が引っ込められ、横からステーキの乗った皿が置かれる。驚いてレントが目を丸くすると、隣で小柄なメイドの少女が微笑んだ。
「そうですよ! レントさんがここに来たのは運命で、私達を助けるために来てくださったんです!」
「マイラ……このステーキは?」
「おかわりです! どんどん食べてくださいね! 腕によりをかけました……お父さんが」
マイラ、と呼ばれた少女は、そう言って屈託のない笑みを浮かべる。
「よっしゃ、じゃあありがたくいただくとするか!」
言いつつ、レントはフォークをステーキに刺すと、切りもせずに口へ突っ込んで歯で食い千切る。マナーとしては最悪の部類だったが、マイラはそんなレントの姿をうっとりとした表情で見つめていた。
「マイラは本当にレントが好きだね……。久々に会えて嬉しいだろう?」
「はい! それはもう! こうして元気にお食事する姿をまた拝見出来るだなんて……! あ、いや、勿論ラルフ様にもお会いしたいと常々思っておりましたよ!?」
「気にしなくて良いよ。僕がマイラなら同じことを思ったかも知れない。僕よりも彼の方がかっこいい」
「ああいえ、そう言いたいわけでは……」
困ったようにはにかむマイラを見て、レントは頬張っていたステーキを飲み込みながら口を挟む。
「顔ならラルフの方が良いだろ! 俺なんか昔っから目つきわりーって言われてたし、背だってそんな伸びねえし」
さらりとした髪質で美しいブロンドの短髪、西欧風の整った顔立ち、顔だけなら間違いなくラルフの方が美しい。というのがレントの本心だ。実際のところレントとラルフを並べてアンケートを取れば、半分以上はラルフに票が入るだろう。
「仮にそうだとしても、レントは僕よりも強い。君のような人間離れした体力や能力はないし、君と違って僕は魔物の魔法を受ければすぐに死ぬさ」
「でも、組み手で何度か勝ったことあるじゃねえか」
「……君は魔物以外が相手だと結構手加減しているからな……もしかして無意識でやってたのか……。少し傷ついた」
「あ、いや……そーなの? ……ごめん……」
実際、レントは魔物との戦い以外では気持ちが乗らないのか、実力を出し切ることはない。ラルフが何度かレントを倒せたのは、その隙をつくことが出来た場合の話であり、普通は手加減したレントにもかなわない。
おまけにレントは特異体質なのか、魔物が扱う魔法が一切通用しない。どの魔法も、レントに当たった時点で消えてしまうのだ。その特異体質のおかげで、ラルフや他の仲間達は何度も窮地を救われている。
「レントさん、お強いですよねぇ……。最初に来た時も、憲兵を全員蹴散らしてませんでしたっけ?」
「そ、それについては悪かったって思ってるよ、後で謝って回ったしな」
「おーいマイラ! これ運んでくれ!」
「は、はいただいま!」
そんな話をしている間に、呼ばれたマイラがパタパタと仕事に戻っていく。そんなかわいらしい背中と揺れる栗色のポニーテールをしばらく見つめた後、レントとラルフは顔を見合わせて一息ついた。
「どうだろうレント。彼女は君のことを好いているらしい。玉の輿にしてあげる気はないか?」
「ば、お前急に何言い出すんだよ!」
「彼女はとてもよく働いてくれている。孤児だった彼女には、僕は幸せになってもらいたいんだ」
「いや、でも、俺甲斐性とかねーし……まだよくわかんねーし……」
とは言え、既に魔王は死に、残っている魔物もわずかだ。統率の取れていない野生の魔物は人類を脅かすには力不足で、魔物によって平和を脅かされることはもうないだろう。戦いを終えた今、その先の生活のことを考えるのは重要なことだった。
「お、お前はどうなんだよ! 相手はいンのか!?」
「兄上と違って王位継承者ではないとは言え、結婚相手はいずれ父上がお決めになるだろう。王族に自由な恋は出来ないものさ」
「……なんか、嫌だなそれ。俺からも頼んでみるからさ、陛下に頼んでみようぜ。どうせ継がせてくれねえなら、せめて好きに結婚させてくれってさ」
「それは面白いな……。世界を救った英雄に頭を下げられて、父上がどんな顔をするのか、是非見てみたい」
そう言って笑いつつも、ラルフは既にこの先の人生における自由は諦めている。王族とはそういうものだ。魔王討伐の旅だって、無理に頼み込んで強引に参加したものだ。本来なら王族のするような旅ではない。ラルフは旅に出る時に父と、この旅が最後のわがままだと約束している。これでまだわがままを言うのは、父に対してあまりにも不誠実だとラルフは考えている。
「僕は父上に二度も怒鳴り散らされているからな。最初の旅と、君とした旅。よくもまあ二度も許してくれたよ父上も」
「……そっか、そういやお前、前にも旅に出てたんだってな」
ローンシアから魔王討伐のために誰かが旅立ったのは、レントとラルフで二度目だ。その時のことをレントは詳しく聞いていないが、その時もラルフが同行したということだけは本人から聞いている。
「酷い旅だったよ。全く歯が立たなかった。仲間もほとんどが魔王に殺された……」
「……悪い、嫌なこと聞いたな」
申し訳なさそうにレントが謝ると、ラルフは首を左右に振ってから気にするな、と呟いた。
「仇は討てたんだよ。君のおかげでな」
どんな奴と旅をしていたのか、純粋に気になって聞いてみようかと思っていたレントだったが、ラルフの様子を見てその質問は胸の内にしまうことにする。もうラルフの最初の旅からかなり時間が経っているとは言え、戦いの犠牲になった仲間のことを蒸し返すのはあまりにも無遠慮だ。ラルフが自分から話さないのなら、わざわざ聞くようなことをレントはしたくない。
「ま、その内君にも話すだろう。辛気臭い話になるだろうから、祝いの席ではやめておくけどね」
そんなレントの思いを見透かしてか、ラルフはそう言ってカラッと笑って見せると、ワインを飲み干した。
「それより、もう少し飲もうか。君もまだ食べ足りないだろ?」
「……そうだな。折角こんなに用意してくれたんだ、残さず食わなきゃ申し訳ねえや」
その後、アルコールに弱いレントは散々ラルフに付き合わされ、酔い潰れてテーブルにもたれかかって眠りこけることになるのだったが……。
レントが眠りこけている内に夜が近づき、昼過ぎに始まった宴会も終わり片付けが始まっていた。
「レントさん、レントさん、そろそろ片付けちゃうので起きてくださいよ」
マイラに身体を揺さぶられ、まだ若干頭痛の残る頭を起こしてレントは目を開ける。少し呆れ顔のマイラが、まだ寝ぼけたレントの顔を覗き込んでいる。
「ん、ああ……ごめん」
「駄目ですよぉ、ラルフ様と飲み比べなんて。あの人今日だけでも樽何個分飲んだんだかわからないくらいなんですから」
「いや……俺は別に飲み比べたかったわけじゃ……」
完全に酔っ払ったラルフにどんどんワインやビールを用意され、半ば強制的に飲み比べるような構図になっていただけで、レントはラルフ程酒を飲むわけではない。ラルフが酒好きだというのは一応聞いてはいたが、実際にこうして飲む姿をレントが見るのは初めてである。
「ああ見えてアイツも、羽目外してたんだなァ……」
生真面目なラルフは、きっと今までずっと気を張っていたのだろう。旅の中でも、魔王を倒すために最短ルートを行こうとするラルフと、目の前で誰かが困っていればすぐに助けようとしたレントで大喧嘩になったことは何度もあった。そんなラルフがこうして安心して好きな酒を好きなだけ飲める世界になったのかと思うと、それだけでも魔王を倒して平和を取り戻したことが誇らしく思えてくる。
「すっごく外してましたよ! あんなにはしゃいでるラルフ様、久しぶりに見ましたから!」
「そっか……そりゃ良かった……本当に」
そう答えてから、とうのラルフ本人が近くにいないことに気がついてレントは辺りを見回す。寝ている間にどこかへ行ってしまったのだろう、もしかするともう部屋で休んでいるのかも知れない。
「そういやラルフはどうした? もう帰ったのか?」
「え、ああラルフ様なら地下牢の方に……」
「地下牢? 何でそんな場所に……」
レントが問い返すと、途端にマイラはハッとなって口元を抑える。
「……行ったような気がするんですけど、もうお休みになられてるんじゃないですかね……」
「……さてはお前、滑らせたな、口を」
「そんなことありませんよ! 滑らせてません! 全然! ほら!」
ほら、と顔を突き出されても全くわからないが、あんまりいじるのもかわいそうなのでレントは少しはにかんでから息を吐く。
「冗談だよ。じゃ、俺も今日は帰ろっかな」
「あう……はい、ありがとうございます……。また来てくださいね! ていうか、いっそのことここに住んじゃえば良いじゃないですか! 陛下はレントさんのために一部屋用意してくださってるんですよ!」
国王が城の中にレント用の部屋を用意してくれているのはレントも知っている。魔王を討伐し、ラルフと共に帰還したレントを称え、国王は食客として城に迎えたいと申し出てくれていた。
「気持ちは嬉しいんだけどさ、城の中って落ち着かねーんだよな……」
「むう……。でも、困った時はいつでも言ってくれって仰ってましたので、是非頼ってくださいね! 私が何か出来るわけじゃないですけど!」
「……ああ、飯に困ったらマイラ(のお父さん)の料理を食いに来るよ」
「はい! いつでもどうぞ! 腕によりをかけますね、お父さんが」
ちなみにマイラは料理下手で、現在父の元で修行中だがまだ成果は芳しくないとラルフは言っていた。
「……よし、折角だしなんか手伝おうか? このまま帰っても寝るだけだし」
「いえいえ滅相もない! レントさんはゆっくり休んでください! まだ少しお酒も残ってますよ!」
「……いや、酒はもうしばらくは良いかな……。後一週間くらいは飲みたくねえ……」
それからしばらくマイラと話しながら何度か片付けを手伝おうとしたが、結局断られて半ば追い返されるかのようにレントは大広間を後にした。
大広間を去った後、レントはコソコソと隠れるように城の離れにある地下牢へと向かう。マイラに対してはああ言ったものの、ラルフが地下牢に一体何の用があったのか気になって仕方がなかった。
ローンシアは治安が良く、大きな事件が起きることは少ない。地下牢は遥か昔に作られたもので、今となってはほとんどもぬけの殻で収容されているような罪人はいないとレントは聞いている。
明かりが最小限なせいか、石造りの階段を降りていくとどんどん薄暗くなっていく。ひんやりとした石の壁に触れながら、レントはやや早足に階段を降りって行った。
「おーい、ラルフ」
階段を降り切ってから、ぼんやりとした薄闇にそう声をかけてみたがラルフの声は返って来ない。もう立ち去ってしまっているのだろうか。
牢があるのは通路の左側だけで、右側はただの壁だ。牢の中には本当に誰もいない。こんな場所にラルフは何の用があったのかと首を傾げたが、不意に奥から小さな息遣いが聞こえてレントは足を止めた。
「……誰かいるのか? ラルフか?」
声は薄闇に吸い込まれていくようで、どこにも届いていないかのような錯覚を覚える。今聞こえた息遣いが聞き間違いなのかどうか、ひとまずそれだけでも確かめて帰ろうと思い、レントは歩を進める。
「来ないで」
レントが最奥の牢の手前まで来たところで、澄んだ声がレントを制する。
「やっぱ誰かいるのか?」
来ないで。その言葉の意味を、レントはそれ程深く考えなかった。それよりも、その澄んだ声の主が一体どんな人物なのかが気になって仕方がない。恐る恐る進んで行くと、最奥の牢の中、ベッドの上に座る一人の少女の姿が見えた。
「あ……」
思わず、レントは息を呑む。
闇に馴染まない絹糸のような長い白髪。あまりにも艶のあるその白髪は、彼女の着ている白いワンピースよりも明るい白だ。薄暗闇の中では、まるで発光しているかのようだった。
「……はやくどこかへ行って」
長い前髪から覗く赤い虹彩が、わずかにレントからそらされる。
「どうしたの? はやく出てってよ」
しばらく少女に見惚れていたレントは、彼女のその言葉でハッとなる。慌てて立ち去るべきかとも思ったが、少女から目が離せない。それに、理由もわからないままどこかへ行けと言われても納得出来なかったし、何より出て行けという彼女の声音がどこか寂しそうに聞こえたのが気にかかった。
「いや、あの、えっと……」
どう声をかければ良いのかわからない。少なくとも受け入れられてはない以上、下手なことを言えば余計拒否されるだろう。何故ここにいるのかとか、どうして出て行かなければならないのか、とか、聞きたいことはあったが結局レントの口から出た問いは――
「な、名前……は?」
レントの問いに、少女は一度首をかしげる。そして長い前髪をかき分けながら、赤い双眸でジッとレントの様子を伺った。
「あ、そうだよな。俺、俺はレント! レント・ロー! えっと……最近、この国に帰ったばっかで、君のこと知らなかったっつーか、ここが使われてること自体知らなかったっつーか……えっと……」
「ユーカ」
「……はい?」
「ユーカ・ライオネル」
それが少女の名前だと理解して、レントは小さく息を吐く。
ユーカ、ゆーか、ゆうか。どこか聞き馴染みのあるその響きを、レントは口にしてみたくなる。ひどく懐かしい、レントのいた世界で一般的だった響きの名前だ。
「そっか、あなたが英雄のレントなんだ」
「え、知ってんのか?」
「さっき聞いた」
「さっきって……」
となると、考えられるのはラルフだ。レントと入れ違いに地下牢を訪れたラルフが、ユーカにレントの話をしたのだろうか。
「ねえ教えて、本当に魔王を倒したの?」
ベッドから立ち上がり、鉄格子まで近づくと、ユーカは鉄格子越しのレントに顔を近づける。色白だが、ローンシア人としてはかなり肌色に近く、レントからすれば”日本人”に見える色合いだ。
急に距離を詰められて戸惑うレントだったが、彼女の問いには小さく頷いて見せる。
「一応、な……。いやでも俺一人で倒したわけじゃねえし……」
「……そっか、そうなんだ……ありがとう」
そう言って、ユーカは鉄格子の向こうから手を伸ばし、レントの右手を両手で掴んだ。
「……ありがとう……本当に」
小さな両手が、震えているのがわかる。うつむいたユーカの表情は前髪で隠れて伺えない。
しばらくそのまま時間はゆっくりと流れていく。ユーカのすすり泣きが聞こえてきて、レントはそっと左手でユーカの両手を包むように触れた。
「……ああ、終わったよ、終わったんだ。事情はわかんねえけど、魔王については、もう安心してくれよ……」
「うん……うん……、ありがとう。ありがとう、レント……」
そのままもうしばらくユーカはすすり泣いていたが、やがて目元を拭いてから顔を上げる。
「これでもうすぐ、ここから出られるのね……」
「……何か魔王と関係あることで閉じ込められてたのか?」
「……うん、私は魔王に呪われていたから……」
そんな会話をしていると、不意に向こうから階段を降りる足音が聞こえてくる。驚いてレントが振り向くと、階段の方からレントを呼ぶラルフの声が聞こえて来た。
「悪い、また来るよ。ラルフが呼んでる」
「え、あ……うん、じゃあ、また」
どこか気恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに、彼女ははにかんで見せると小さくレントに手を振る。そんな彼女の姿をもう少しだけ見ていたかったが、レントは諦めてラルフの方へ足早に向かった。
階段の方まで戻ると、降りてきたラルフが少し睨むような顔でレントを見つめる。
「捜したぞ、何だってこんな場所に」
「あ、いや……」
ラルフを捜しに来ていた、と言えばマイラが口を滑らせたことを話さなければならなくなる。理由はわからないが、この地下牢のことはあまり口外するべきことではないのだろう。
「酔っ払っててふらついてたら……いつの間にかな。お前があんなに飲ませるからだろ!」
そう言ってレントが小突くと、ラルフは強張っていた表情を崩して笑みをこぼす。
「それは悪かったな。まさか魔王を倒した英雄がアルコールに負けるとは思わなかったんだ」
「じゃあアルコールの方がつえーってことだろ。次の時代はアルコールによる支配だな」
「それは良い。つまるところそれは、アルコールに強い僕の天下だ」
「……じゃ、平和だ」
レントがそう答えると、ラルフは顔を見合わせて屈託のない笑みを浮かべる。先程一瞬見せた剣呑さは、もう少しも感じられない。
そんなラルフの様子にホッとすると同時に、レントは疑念を抱く。先程ラルフが見せた顔つきは普通じゃない。ユーカについて聞きたいことは色々あったが、少なくとも今は聞くべきではないのだろう。もう少しほとぼりが冷めてから、それこそお互いに完全に酒が抜けてからにした方が良いのかも知れない。
「今日、泊まって行くだろう?」
考え事をしながらラルフの後ろについて階段を上っていると、不意にラルフが振り返る。
「ああいや、今日は家に帰るよ」
「そうか。まあまた来てくれ。父上やマイラも喜ぶ」
「ああ、明日また来るよ」
それからもう少しだけラルフと話をした後、レントは城を後にした。
レントの家は、町外れの森の中にポツンと建っている。元々その家は木こりをやっていたバドン・ローという男の家だった。
レントは家に入る前に、家の裏に立ててある小さな墓標の前に屈み込み、手を合わせる。これはローンシアの作法ではなかったが、レントが元の世界で慣れ親しんだ墓参りの作法である。十字を切るのが、どうにもレントには慣れなかった。
「おじさん、俺、皆に感謝されたよ。どうも、世界を救っちまったらしい」
そう言って小さく笑みをこぼしてから、レントは墓標に向かって言葉を続ける。
「ラルフ達がいてくれたから、俺は魔物を、魔王を倒せたんだ……。そして何より、アンタが俺を助けてくれたから、こうしていられるんだぜ……」
この世界に突然現れ、行く宛もなかったレントはすぐに憲兵に捕まった。その憲兵達を薙ぎ倒して城を脱走した後、レントを匿ってくれたのが偏屈な木こりの男、バドン・ローだった。レントのローという名字も、バドンのものだ。
「もう、アンタみたいな犠牲者は出ねえからさ……。安心してくれよ……」
レントが魔物と戦うことを決意したのは、森に迷い込んだ魔物に襲われたレントを、バドンがかばって命を落としたからだ。あれからもう二年近く経つが、今でも鮮明に思い出せる。
恩人の死が。
初めて殺めた魔物の命が。
思い出すとまた、血の臭いがしてきそうだった。
「じゃ、もう行くよ。酔っ払ってて眠いんだ」
そう言って立ち上がって、レントは家に戻り、ベッドでぐっすりと眠った。




