縁側
ようやく動きだした…のかな?
古い民家ではあるが、手入れは行き届いている。板の廊下も、しっかり拭き掃除をしている風だ。二階建ての家屋。ざっと見ても築年数八十は越えていそうだ。
ユヅはタケルの後ろを歩きながら、物珍しげに細部を見回した。
「掃除が大変そうですね」
高い天井や階段の隅などを見上げても、蜘蛛の巣ひとつ見当たらない。
「寺より楽だよ」
タケルが笑いながら言う。
「春からはサトルもいるし、それほどじゃない」
「え!?自分たちで掃除してるんですか?」
「実家では物心ついた頃から毎朝やってたし、日課みたいなもんかな」
薄暗い廊下の一画に光が射し込んで見える。そこを曲がった瞬間、太陽に包まれた。
一瞬目があけられなかった。
徐々に色が戻ってきた。
「その辺、適当に座ってて」
言われて足元を見ると、硝子扉がすべて開け放たれた、縁側のような空間だった。顔を上げ眼球を動かす。四方に壁と窓があり、広い中庭のようだ。その中心には、ふたかかえでも足りない楠と井戸がある。
「歴史民俗館みたい」
呟き、磨きあげられた一枚板に胡座をかいた。
この町では至るところに井戸がある。それでも、家の所持物を見るのは初めてだった。
「死んだ祖母の実家なんだ」
トレーを手にしたタケルが、ゆっくりと腰を降ろした。
「管理する奴がいないって言うから、俺が住んでるわけ」
ワインクーラーから白ワインのボトルを取りだし、二客のグラスに注ぐ。ナイアガラ種
独特の甘さが香りたつ。
「では、この素晴らしい出会いに乾杯」
「か、乾杯」
ユヅは慌ててグラスを手にした。
タケルは喉を鳴らして一息で飲み干すと、すかさず手酌した。
「女装趣味なの?」
言いながら、タケルは楠からの木漏れ日にグラスをかざし見る。
「その制服で胡座はヤバいでしょ」
ユヅは捲れたスカートに気づき、膝を折った。
「髪はズラ?」
肩より長いストレートの黒髪が、木の葉を揺らすそよ風になびく。
「女装なんかしてません」
ユヅは頬にかかる髪を耳にかけ、グラスに口をつけた。に
馴染み深い香りと軽い口当たり。知っているのに、覚えていない味。
タケルは薄い笑みを艶めかせた。
「本名、何て言うの?」
「だから、枚方弦」
ヒラカタユヅ。
自分で口にした名前が、違和感を唱える。
「どうして公園にいたの?」
「なんとなく」
「いつから?なぜコスプレしてるの?」
矢継ぎ早に聞かれ、応えを探す唇が震えた。
「君はどこにいるの?」
「何言ってるんですか、もう酔っぱらいましたか?」
「陽が高い時間に飲むと、確かに酔いやすいね」
タケルは目を細め、また一息で飲み干した。
「自分ではわからないようだけど、君はこの世界に実在していない」
空のグラスが汗をかいていた。
「でも、ここにいる」
茫然とするユヅの手から、ワイングラスが取り上げる。
「稀な案件だ」
いたって真面目な口調のタケルは、グラスをトレーに返した。
「ありていに言うなら、生きてるのか死んでるのか不明な状態で存在している」
「叔父き、ぶっちゃけ過ぎだろ」
「早かったなサトル」
いつの間に戻ったのか、サトルはエコバックを担ぎ直し、手前の部屋に入っていった。
帰宅したサトルは、枝つきのレーズンと二種のチーズを盛り付けたプレートとグラスを持って、縁側に座った。
「もう半分空けてるし」
三つのグラスにワインを注ぎ、瓶を空にした。そして新しいボトルをワインクーラに入れた。
「結果は?」
巨峰のレーズンをつまみ、タケルはサトルのグラスに軽く合わせた。
「医学部に枚方はいた」
サトルは冷えたワインで喉を潤した。
「一年の保険学科に、枚方七海」
新しいボトルを開封しようとソムリエナイフを手にしたが、ため息まじりに置いた。
「二年の医学科には枚方弦」
そしてストレートの黒髪を、ひとふさ手にする。抵抗なくサラサラと指からこぼれた。
「枚方弦と七海の両親は、金沢で病院と老人施設を開業している」
「金沢か、いいとろこだな」
ひらかたゆづる…?
七海?
兄弟?
「そんなはずない!私は一人っ子で、ユヅだもん!」
ユヅは見開いた目に涙を浮かべ、置いてあったワインを煽った。
「弦は名簿にいても、ユヅはいなかった」
ユヅとタケルの間に座っていたサトルは、タケルの確信めいた横顔をじっと見つめる。
やがてタケルが、ユヅの前に居ずまいを正した。
「鞄には何が入ってるの?」
きちんと折り畳まれたハンカチをユヅの目尻へあてる。それでも涙は止まらない。
ユヅは私立高校の鞄を手繰り寄せ、ふたりに中を見せた。
「…カラ?」
「だな…」
ふたりの反応を確かめ、ゆずは自分で中身を物色した。
財布、スマートフォン、手帳、ペン、ミントタブレット、タオルハンカチ、ポケットティッシュ、それに、マウスウォッシュ、汗拭きシート、折りたたみ式のブラシ、シュシュ、リップクリームが入ったポーチ、パンの袋とペットボトル。
「ドラえもんのポケット?」
「ちゃっちぃドラえもんだな」
タケルとサトルは、板の間に並んだら品物を眺め、泣き止んでいるユヅを見た。
「オレらがみた時はカラだったぞ」
タケルが公園で渡したペットボトルには、少し液体が残っていた。
「ユヅちゃんはどこに住んでるの?」
タケルは、サトルが持ち帰った情報で、彼女が近くのワンルームマンションから通学していることを知った。
「……どこ、だろ…」
ユヅは眉間を寄せ、下唇を噛んだ。
「夏休みなのに、大学生なのに、私、何で制服なんか着てるの?」
呟きながら頭を抱え込む。
「もしかして」
タケルは、落ちたハンカチを拾い、涙の跡形がないことを確認した。
「思い出すまで、ここにいればいい」
「え?」
「でも、制服は困るな…。せめてワンピースとかだと、近所の目もうるさくないんだけど」
タケルの発言に、サトルは息を飲んだ。この叔父は何を言っているんだ、と。
2日くらいで更新できれば、と思っています




