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TUNIC 企画参加作品

神殺しの『擬人』

 文献によると【擬人化】を擬人化して生まれたという《擬神ぎしん》は、『御使みつかい』と俗に呼ばれている使者を道具として、世に八百万やおよろずの存在と流布する『擬人ぎじん』を現在もなお生み続けているという。『御使い』が森羅万象を『擬人ぎじん』化する方法は『御使い』それぞれに依存していてとことん種々雑多であるが、対する《擬神》の『御使い』になすメソッドは唯一らしい。


 《擬神》は寝食を超越的に忘却して昼夜を問わず『御使い』のもとへと地上を渡り歩くのであった。紋付羽織袴もんつきはおりはかまで世界を闊歩かっぽする姿は威厳があるのにどことなく清々しい。横笛を吹きながら風のように通り過ぎてゆくからであろう。

 大陸は海に遮られることなく続いており、茫洋たる大海は寄り集まった大陸世界を取り囲むようにこちらもつながっている。ゆえに《擬神》の歩みはその足であらゆる目的地にもあまねくたどり着くことができた。かつてあまたに散在していた孤島に向かって《擬神》の神通力じんつうりきは大陸全体を動かしてしまったのだ。

 文献からしばらく目を移し見あげた《かみゴロー》は、たなびく雲の空色にすうっと溶けているような白をぼんやりと眺めた。


 どうして《擬神》は【船】を擬人化した《船舶せんぱくん》に乗せられ島へと行かなかったのだろう……


 こういった疑問は《擬神》に関してたびたび起こるものだった。《船舶ん》に乗って移動する手間のほうが、大陸を動かすより圧倒的に省けて合理的だ、というのは並みの感覚で健全だと思う。復路、【孤島】を擬人化して船のように移動するほうが簡単ではないのか? 大陸と孤島を連ねたいだけならば結果は同じに思えるのだ。

 しかしそうしてしまわないことこそが、並み、ならぬ《擬神》たる神の計り知れない摂理のスケールということか……《擬神》は大陸をダイナミックに操って夜空の星のように大海に浮かんだ島々を集めとうとう一つにしてしまったのだ。


 『御使い』は皆人間であった。しかし《神ゴロー》のもっともよく知る『御使い』は人間ではなかった、例外もあるのだ。

 人間である『御使い』により生み出された『擬人』は『御使い』ではない人間たちから見下されている。しかし当の『擬人』は特に人間への劣等感を持たずそもそも人間を高次の存在とは思っていない。確かに自身は『御使い』を生みの親であるという点で感謝しているが、人間に様々な人種があるように『擬人』もそのバリエーションの一つと捉えて、大まかに人間と『擬人』を一括りにしていた。つまり人種の差異ほどの認識で自らを同じ人間であると見なしていた。『擬人』だって人であることに変わりはないからだ。


 『御使い』とは不思議な存在である。《擬神》からの霊験れいげんに浴するまでは『御使い』ではない人間と何ら変わりはなかった。《擬神》が青天せいてん霹靂へきれきとて目の前に現れやがて一つの『擬人』を生んで以降は、即座に一切の霊力を失ってしまう、にもかかわらず同じ人間ではなく『御使い』として存在していくのだ。

 『御使い』は《擬神》の擬人化における手足以外の何物でもないというのに、その単なる巡り合わせを後生大事にしている人間が『擬人』たちからは滑稽に見えた。

 

 《擬神》が森羅万象を『擬人』化するため『御使い』に施すメソッドは至極しごく単純である。《擬神》が目当ての人間の耳もとに忍び寄り『なれたまかめトナレ、そそガレタめいあらなナルめいシ、トテ大地おおつちヘトながレタリ。なれ生住異滅しょうじゅういめつふうはんべレ!』という長たらしいまじないにて神託しんたくを下し『御使い』に『擬人』化のための異能を与えるのだった。



 《神ゴロー》は《擬神》を憎んでいた。どういう訳か【神殺し】の擬人化として生み出された《神ゴロー》には、生まれながらに《擬神》への憎悪が擦り込まれていた。理解の域を超えた《擬神》の御心みこころがふいによぎるたび、螺旋状に巻かれて心の深淵へと突き刺さる悍ましい因縁に内奥を鷲掴わしづかみにされゾッとしてしまう。

 胸にか黒くこだまする声、どろっと腐食した古池ふるいけのような粘り気が溜まっている。同時に鋭い光のように情景が伸びて脳内へ届くのが知覚されていた。

 《神ゴロー》が『擬人』として世に現れた生後間もない頃の情景に違いない、《擬神》への憎悪がどこからともなくふつふつ湧きあがる時決まって同じ情景が、まるで現実の景色のように鮮明に宿った。

 紋付羽織袴の老人は間違いなく《擬神》であろう、草木や地面の起伏から《神ゴロー》の暮らす野原一帯からさほど遠くない場所であると理解される。


「パパ……」


 すれ違った『御使い』らしき男が《擬神》に振り向き様にそう云った。声を聴いて老人が振り返る、まるで天狗みたいな紅い面を被っているがよく見ればそれは地肌であるらしい。グイッと高く隆起した鼻の代わりというべきか、二つのその眼孔には天狗の鼻ほどの長くて透明な筒が癒着していた。レンズだ。牛乳瓶の底どころではなく、牛乳瓶そのもの厚みとさえ云えるほど分厚いレンズだった。極度な弱視なのだ。

 奥の少し離れた場所では『御使い』による『擬人』誕生の瞬間が見えた。


「パパ……」

「ママ……」


 と、自分を生み出してくれたそれぞれの『御使い』に向かって発語する。それが『擬人』の習わしなのだ。


 誕生の暁に『擬人』が『御使い』に対して「パパ……」「ママ……」とメッセージを送ることは理にかなっていると《神ゴロー》は感じる。しかしどうして『御使い』が《擬神》にそう告げるのか不思議でならなかった。彼らは決して《擬神》から生み出されてはいないのだから。だが文献にもあるようにいかなる『御使い』も《擬神》の現われし徴候を捉えるや『擬人』が自身に向けると同じ反応を表わした。

 『擬人』は生後間もなく立ち上がることができた。世界の森羅万象に人間として命が注がれていく擬人化の対象は動植物以外の物体である場合も多かった。擬人化の幕開けは地面に寝そべった状態がほとんどである。野生動物みたいにか細く弱弱しい脚を震わせながらも生まれたての『擬人』はふらふら起き上って覚束ない二足歩行をはじめていき、数時間もすればすでに日常生活を送ることが可能な段階まで急成長していくのだった。


「父さん……」


 円錐台えんすいだいの体躯は【プリン】の『擬人』である《プリくん》に酷似するがこちらは硬質の素材で出来ている、背面には体長や体幅と同等の大きさである1メートルほどもある白鷺しらさぎのような純白の翼が常に広げたままで真後ろ向きに湛えられており、歩調に合わせ上下に弾んで揺蕩たゆたっている。切れ長の眼孔は真横に走って体躯とそのままつながる顔の幅の半分ほどもあった。万年筆のペン先は金色でなによりの特徴だった。しぎに劣らぬほどの立派なくちばしとなっていた。

 父は『擬人』だった。つまり《神ゴロー》は『擬人』かつ『御使い』に生み出された希少な『二世擬人にせいぎじん』なのだ。【執筆】の擬人化である父は《紙吾郎かみごろう》だ。


「かしこい息子だ」


 このパターンだ。彼の父はこれ以外滅多なことがなければ自ら発語することはなかった。これとて厳密には彼の言葉への反射に他ならなかった。

 忌々しい、と思う。《神ゴロー》は一介の『擬人』に違いないという証拠だった。『擬人』は『御使い』をしばらくぶりに確かめると産声の記憶をなぞったように「パパ……」と口走るのだ。無意識の反応であるために文献で知った「パブロフの犬」状態だ、と考えてしまう。しばらく会わなかったにせよ『擬人』の親子として暮らすがゆえこういった反射は日常茶飯事であった、パブロフの犬よりたちが悪い、そう思い空しくなる。

 《神ゴロー》は生まれながらに他の『擬人』よりも知能が高く月日を経た今やそれは更に顕然としていた。しかして並の『擬人』であれば「パパ……」と産声をあげる一齣ひとこまを「父さん……」と凌駕したのだ。《紙吾郎》は「かしこい息子だ」と合いの手を打つ。しかしそこに感嘆の念が籠ったようにはどうしても思われない、これまた「パブロフの犬」状態と呼ばざるを得ない極度にワンパターンな返しだったから。

 《神ゴロー》はそういう父を愚かだと思う。悲しい心地だった。

 一度、【鏡】の『擬人』である《ちゃん》に自分を写したとき愕然がくぜんとしたことを覚えている。悲しさの根源である父と彼は驚くほど瓜二つだったから。円錐台のフォルムや翼に留まらず、すっとひと筆引かれたような細い眼孔もそっくりそのまま縮小されていたのだ。唯一の違いは鴫の嘴が【執筆】のペン先ではなくて【神殺し】の鋭い剣の剣先けんさきであったこと。逃れられない因果を感受して衝撃が走った《神ゴロー》はこの瞬間よりいよいよ《擬神》を心の底から憎悪するようになった。

 彼が『擬人』から生み出された『二世擬人』でなければこれほど瓜二つではなかっただろうか……、そもそも《紙吾郎》が愚かな父でなければこの宿命を極限的な不快とまでは受けなかったのかもしれない。しかし、何はともあれ悪意の総体は《擬神》に帰する、というのは紛れもないことだった。

 《神ゴロー》が父を疎み、《擬神》を憎しみ、『二世擬人』として生れついた自身を憂える理由は、父との酷似によるものだけではなかった。『擬人』の集う世界である『擬人界ぎじんかい』では、『二世擬人』を『孫擬人まごぎじん』と隠語スラングで呼び差別している。レストランや学校そして公共交通機関まで、至るところで『孫擬人』は他の『擬人』より隔離され生活せざるを得なかった。

 一度父《紙吾郎》と出かけたことがある。終始 棲家すみかに引きこもって小説ばかりを書いている父が扉外アウトドアへと一緒に共にしてくれたためしなどそれまでなくて《神ゴロー》はとても嬉しかった。だがバス停にて、『孫擬人車両』より先に到着した『一般擬人車両』へと息子《神ゴロー》を置き去りにそそくさとバスに乗りこみ、「じゃあ先に行ってるから待ってるぞ」と窓から顔を出して告げられた時、《神ゴロー》の父に対する黒い思いは一挙に加速してしまった。てっきり同じ車両に乗り合わせてくれるものと思っていたので、ショックは途轍とてつもなかったのである。普段から引きこもっているクセに、こういった因習には従うのか、と完全に見下げた思いだった。

 待ち合わせ場所で「おう」と右の翼を振り上げているのを見た瞬間、父にまったく悪気がなかった、ということを知って悲しみは止めどなくなってしまった。後に、父が知識人ゆえの行動を取っていたことを知る、『孫擬人車両』に誤って乗り合わせた『一般擬人』の、化石のように圧縮された『孫擬人』たちの鬱憤うっぷんによる悲惨な顛末てんまつを数々の書物によって《紙吾郎》は知悉していたのである。

 それでも、何も知らなかった幼い《神ゴロー》にとってトラウマとなるに十分な破壊力であり、たちの悪い黒歴史として刻まれてしまった。


 久しぶりに屋外へ出たようだな……。

 《紙吾郎》は野原の地面の土壌にうごめく虫を嘴によりついばむ鳥のような格好を続けていた。異様な姿勢ならずとも大きな翼や長く垂れた嘴からずんぐりした鳥を連想せざるを得ない。普段から部屋に引きこもることしかない彼の『息子』でもなければあれがまさか大まかには人間の一種とされている『擬人』とは気づかないだろう。

 だが《神ゴロー》には当然のように理解されていた。《紙吾郎》は紙を一枚も使うことなく嘴のペン先で丈の低い草木の青青と繁茂する地面へと直接小説を書いているのだ。

 なぜだろう……。幼い頃から抱え続けて消えることのない根本的な問いであった。父《紙吾郎》は【執筆】の『擬人』であるがゆえ始終小説を書き続けている。口元から伸びる万年筆を器用に使うのである、吐き出されたインクは紙でなくとも文字を写していくのだ。むしろ《神ゴロー》は父が紙に書いている姿を一度だって見たことがなかった。紙がないからではなかった、棲家には山と積まれた原稿用紙があるのだ、だが、ただただ積まれているだけだった。 

 部屋は《紙吾郎》の書き散らした小説に満たされていた、《神ゴロー》がある怪談を初めて読んだ時ここに書かれている部屋はウチのことではないのか、と考えてしまった。そういった想起が当然な反応であるほど部屋をぎっしり埋めつくした文字は部屋じゅうに貼られた呪符じゅふというそこへ描かれた情景と恐ろしく一致していたのである。同時に《神ゴロー》へ漠然と染みついていた部屋からもたらされる厭らしい感触の源流をようやく覚醒して、どうして自分が棲家に入ろうとせず徘徊へと向かいがちであったのかを心底理解できたのだった。


 ……どうして紙があるのに紙を使おうとしないのか、あんな草木ばかりの地面や部屋じゅうになど書きづらくはないのか、第一読みづらいではないか!


 【執筆】の『擬人』であるがゆえのべつ幕なしに執筆ばかりしているのは同調できる。だが、どうして《紙吾郎》なのか! 紙はあるのに使った試しなどないじゃないか、紙要素ゼロじゃないかよ、お前などただの《ペン先野郎》だ! 否、もはやお前なんて《ペン太くん》じゃないか!


「このペン太くんがっ!」

 《神ゴロー》は漏れだした心の声にて吼え上げていた!


「ん……」

 ピタリと筆の運びを止めた《紙吾郎》は地面に伏した顔面をぐいっとしゃくりあげ、しずしずとしている中にも気迫を漲らせて《神ゴロー》を見やった。緊張が走った。

「ペン太くんはアレだよ」

「え……」

 《紙吾郎》はペン先でついと奥の草木の少ない平地のあたりを差していた。

 見れば砂埃すら舞っているその地面には真っ白い薄い板のようなものが敷かれていた。五角形ペンタゴン……あれは野球に使われるホームベースに違いない。

 蜃気楼と見まごうようなもやっとした気配がその五角形の辺から漂うのがわかる、するともやっとしたよどみからじわじわ伸びている、ナメクジかカタツムリのような触手みたいに少しずつ人間の手足がまっさらなホームベースから生み出されているのだ、『擬人』だ! 例え同胞であっても悍ましい光景だと思わざるを得なかった。


「わーーーー」


 『擬人』ではない。人間の少年だった、よちよち手足を生やし続けていたホームベースの『擬人』に向かって凄まじい速度で近づこうとしている……確実にアレを踏もうと接近しているのだ……じわじわ生長しかけていた同胞の肉体はびっくり恐縮したように瞬く間に白い薄板へと畳まれてしまった。


 どんっ!


 人種を違えるとはいえ人間たる『擬人』を無残に踏みつける、


「わーーーー」


 少年たちの歓喜。それに混じり不機嫌そうな顔もあった。きっと試合の勝敗がついたのだ。興奮した少年たちは無意味に用済みであるはずの『擬人』をガシガシと踏み続けて高笑いしている。その瞬間《神ゴロー》の中に弾けるものがあった。

 世界の意味など考えもせずひたすらに不遇な経験と父の有する膨大な書物からの知識を少しずつ積み重ねていき、心の内に組み上がって広がりつつあった彼なりの世界の情景が、ガラガラとブロック玩具の細かなパーツみたいに崩壊していくのだった……


 《擬神》…………


 この時芽吹いた氷の感情は【神殺し】の『擬人』である《神ゴロー》の本分だった。

 咄嗟とっさに彼は外界へと足を踏み出していた。父や棲家を振り返ることはなかった。



 《神ゴロー》は繁華街の路地裏に居た。小都市、しかし単なる小都市ではない、ここは人間たちの営む小都市だった。スナックや居酒屋の並ぶ横丁が連なっていて夕方である今人通りは少なかった。

 《神ゴロー》は落ち合う相手を待ちじっと動かずにいた。正しい場所なのか自信はなかったが下手に動いて大通りへ出ることは避けたかった。若い女や子供に遭遇すると「ゆるキャラだ!」と指差され騒がれてしまうからだ。どうやら人間たちは『擬人』を中に人が入っている生き物だと見なしているらしかった、『擬人』からすれば好意的に迫られる部分は悪い気分でなかったが、反面『見世物』としてぞんざいに扱われている感じもはっきり見受けられて総合するとあまり快いものではなかった。

 棲家をあとにして数日かけて丘を降りきった。小さなバスターミナルがある。《神ゴロー》は大都市行きの『擬人車両』を待った。

 大都市への乗客は《神ゴロー》を除きたった一つ、荷物を抱えた『擬人』のみだった。『擬人』が遠出するとしてもせいぜい大都市の手前にある郊外の大型商業施設くらいのもので、そこへ向かうだけなら丘を降りずともバスは通っていたのだ。もう少し乗客がいて欲しくもあったが考えようによっては都合が良かったのかもしれない。衝動的に故郷を飛び出したため運賃は一切持っていなかった。大都市までの長距離を『無賃乗車』せねばならなかった。父の膨大な文献により様々な知識を得た《神ゴロー》は、大都市へ《擬神》に直結する情報があることを知っていたのである。人間たちの中には『擬人』を珍しがって友好的に招いてみたり、下手をすれば『擬人信仰ぎじんしんこう』を持つ者までいたりするらしかった。大都市までいけばその手の団体にたどり着いて、《擬神》の現在地は知れるという算段だった。

 計画が狂った、大都市で降りると予測していたもう一つの乗客が降りなかったのだ。《神ゴロー》は己の剣先で運転手を恐喝しようと考えていた。大都市を過ぎて寂れた辺りでもう一つは降りた。先の小都市を目指す以外無くなってしまう、そう判断した頃合い、ふいの停車だった。


「ちょいとお客さん」

 車内用マイクの声、バックミラーに写る鋭い視線。

「運賃はあるんだろうね……」


 立ち上がり《神ゴロー》はしずしずと運転席に近づく。無言だった、運転手の胸元へ突きつけられたギラリと光る刃。

 何も云わなくなった運転手は目的地へと車両を運ぶだけだった。途中、「もう了解したのでそれを向けずにいてください」。そう懇願するだけで。

 こうして《神ゴロー》は『擬人』にすら背いてしまった。


 待ち人が訪れた。

「おぉ、『擬人様ぎじんさま』が訪ねて来られたと聞き急いで駆けつけたがまさか『孫擬人』とは……こりゃますます御利益だ」

 『二世擬人』は毛並みの色素がやや薄く見慣れた者にはその差が判然とするらしい、だが《神ゴロー》はそれを意外に感じていた。丘を降り野宿をしたがゆえ、毛は『一般擬人』と変わりない濃い目の色彩に汚れ染まっていたからだ。『擬人車両』に乗り込む際も何も疑念を表されぬほどごまかせていたと思っていたのだ。勤め人風のスーツ姿の男の眼力は本物だと思った。

「お待たせしました『孫擬人様まごぎじんさま』。《擬神》の現在地をお知りになりたいとのことで、早速ですが本部へ向かいましょう、私、土田と申します。よろしくお願いします」

「お願いします……」

 『擬人』を裏切ってしまった《神ゴロー》は、しかしここで初めて人間と会話したのだ。大都市を過ぎて小都市へ訪れた偶然は幸運だった。剣先を凶器とて脅す相手は『擬人』のみに限定した。『擬人』はコミュニティを『擬人』のみで営み秩序はそこに委ねられている。バス恐喝の件がうまくいったのは『擬人』の緩さゆえか。同胞への裏切りさえ辞さなければ下手に人間へ手を出すより危険はなかった。

 それほど繁華街に『擬人』は点在していたし、何より『擬人信仰』の総本山と呼ぶに相応しい『八百万ヤオヨロズ企画』という団体の本部が偶然にもこの小都市にあるために、待ち人にたどり着くまでの話もとんとん拍子だったのである。


 案内された建物の入り口で土田は二礼二拍手一拝。するとガラスからギョロっと巨大な眼球が二つ。【自動ドア】の『擬人』《神童じどうどあ》の突然の顕現に《神ゴロー》は言葉を失うほどぎょっとしてしまう。

 中の『事務所』は金属や電灯が印象的で明るいと感じた。自然に少しだけ手を加えた暗く野性的な棲家とは大違いだった。

 事務所には沢山の『擬人』があった、それらを使う際人間たちは欠かさず二礼二拍手一拝をしている、面倒臭くないのだろうか、と思う。

 立ち並んだパソコン一つとってもいちいち『擬人名ぎじんな』が付けられていた。個体によりそれぞれ名前が与えられたのであれば『八百万』どころでは済まされないだろう……と考える。

 『擬人界』から来訪した『孫擬人』に構成員は皆敬意を表し丁寧に接してくれたのは同胞を捨てた《神ゴロー》にとって有り難いことであった。人間たちに救われると思いもしなかったのだ。

 モニタに写された《擬神》の居場所に《神ゴロー》は云いようのない感慨と驚きを受けた。人間たちに『神』として拾われたという特別な心境が混淆こんこうしていたおかげもあっただろう。



 目的地までは高速を使い2時間かからなかっただろうか……

 一週間ほど、心理的には数ヶ月ほどかかったような旅路をさかのぼってしまった。

 その施設のゲートを料金を二人分払い一緒にくぐってくれ、それからすぐに土田は引き返した。「またお会いしてください、訪れてください」と何度も繰り返し名残惜しそうな心地をひとつも隠し立てすることなく。彼には感謝の気持ちで一杯である、しかし感傷などに浸る状況ではなかった、敵は間近だった!

 《神ゴロー》が唯一父と遠出した場所、『擬人』の集う郊外の大型商業施設。その向かい側、人間たちの集う大人気テーマパークがあった。『擬人』がそんな場所へ入場できる訳がなかったが当時の幼き《神ゴロー》は憧れもしていた。

 父との……そして羨望の……。この施設、宿敵《擬神》が居て、自分が立ち合っている、幾重にも絡み合った因縁が渦巻いていた。


 種々様々に彩られた建物やアトラクションには目もくれず一心に向かうは忌々しい《擬神》! 《神ゴロー》は紋付羽織袴の老人を目掛けていった。

 ワイワイガヤガヤと騒がしい園内で、ひときわ激しい歓声が生まれる一帯、それが段々と近づいた。そこに……居るのだろうか…………


 ギャラリー。生まれゆく声、立ち上がる興奮! 間違いない、中心には横笛を吹く紋付羽織袴の老人、《擬神》の姿が!

 割って入る……


 『……べレ!』。という響き、示し合わすように沸き上がる怒号、熱狂!

 『御使い』に『なれたまかめトナレ……』という信託が下されたに違いない、ギャラリーの先頭へ到着する直前、まじないの語尾だけが聞こえたのだ…………


「えっ!」


 《神ゴロー》は混乱した。短い……《擬神》の袴はたくしあげられあたかもミニスカートであった、否、赤いチェックのその衣装は、ミニスカートそのものではないのか! そして……横笛ではなく……バグパイプっ!


「い、イギリス人だったの!」


 想像とまるで違ったその男こそ《擬神》に違いない、唯一、紅い顔面と二つの飛び出した透明な筒だけが一致していた。大勢に取り囲まれた彼は次々に人間たちを『御使い』に変えていく……


『べレ!』『べレ!』『べレ!』『べレ!』『べレ!』『べレ!』『べレ!』『べレ!』『べレ!』『べレ!』『べレ!』『べレ!』


「ひっきりなしだな、ていうか『べレ!』だけで通じるのかよ!」


 次々に『御使い』を生んでいくイギリス人は声の主に気づいてじろっと睨みつける、そして堂々たる足取りで近づいた。


「まるで握手会だな! 一体何人に囲まれてるんだよ!」

 間近に対峙する彼は押し黙って動かない。


「擬神変人が!」

 もの云わぬイギリス人に《神ゴロー》は謎めいたののしりを与えた。

 見つめあった、とうとう無言になった《神ゴロー》と無言を続けていた《擬神》の運命の、言葉を超えた佳境だった!


『べレ!』


 《擬神》は《神ゴロー》に『御使い』としての信託を下した。

 喜悦だった……《神ゴロー》にもたらされたものは得も云われぬ情動エモーション

 《神ゴロー》の細長い眼孔から止めどなく涙が溢れていた、涙は体躯を濡らし地面を伝い世界の裏側へ届くほどどこまでも深く広がるようだった。


なる


 理由はわからない、しかしその言葉だけ放たれて。涙は自身を『擬人』化する道具、《神ゴロー》はすでに【神殺し】の『擬人』ではなくなっていた。彼はもはや《神吾郎かみごろう》であり、その精神は目の前の、イギリス人のいでたちをした『権現ごんげん』へと帰依しているのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 参拝に参りました。 与えられたお題をここまで見事に作品として昇華させている事に驚かされました。 普通に小説として面白かったです。
[良い点] 独特な世界観、すごいです。日本神話的でありながら、それとも違う何か。不思議。 [気になる点] 世界観が独特だと、どうしても説明が長くなってしまうんですよね(^^;かといって書かなければ伝わ…
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