日照の村
「いやあ、今年は特に暑いなあ」
「本当になあ」
ジリジリ斜陽が進んでいく。
真っ赤にも思える縁側で、パチパチと将棋を打っている二人の男は、共に呟きあった。
「俺の野菜も、そろそろ限界かもしれねえ」
「いつ雨が降るのかなあ」
パチリ。
いつの間にか、最初の王手が指されていた。
ーーーーー
「てっちゃん。遊べるかしら」
「うんと、ちょっと難しいんでねえかなあ。俺はこれから向こうの畑に行かなきゃならないんだ」
「あら、そうなの」
「うん。急な話でさあ。母さんも意地が悪いよ」
哲夫は、花子に笑いかけた。
向こうの畑とは、山を越えた先にある、小さな土地のことである。
どういうわけか、哲夫の父が所有していることになっているらしい。
そこには、桃の木がいくつか散り散りと生えていて、毎年たわわに実っている。
とても美味いのだが、あんな人の手が加わらないところで、元気に育っているということが、いまいち信じられない。
「でも、いつもなら、も少し時期が遅いんじゃない?まだ熟れきってないかもよ」
「ああ。俺もそう言ったんだよ。でも、母さんは聞いてくれなかったんだ。今年は暑いから、早くにしとけ、ってさ」
哲夫は口を尖らせて花子の言葉に頷いた。
身が白いとまではいかないだろうが、もっと時間を隔てた方が甘みが増すと思う。しかし、母さんはそれを許してくれなかった。
その顔に真剣な物を見出したからと言うのもあるが、元より母さんの言うことに逆らうことはあり得ない。哲夫は渋々ながら、しっかり頷いたのだった。
「でも、本当に暑いわねえ。よし、分かった。そう言うことなら、私も一緒についていくわ」
「えっ」
「だって、今日は一日やることがないんだもの」
「嘘をつくなよ。編み物だとか、なんとかあるだろうに」
「ふふふ。夜にはわらじ作りね。それはてっちゃんも同じかな」
「いや、俺は、履き潰したら、その度に母さんがくれるのさ」
こう言うと、花子は太郎の耳元へ口を近づけ、声を小さくして「良いわねえ。羨ましい」と囁いた。
「そうかな。でも、花子は力仕事なんぞとは無縁だろう」
「そんなことないわよ。拭き掃除とか、てっちゃんが思っているより酷よ」
「ふうん。俺も掃除くらいならやっているけど、そうは思わないけどな」
「それはちょっとだけでしょ。冬にでも水汲みに行って」
花子は、また急に言葉を止め、きょろきょろと周りを見渡して、誰もいないのを確認すると「冷たい水を桶で運んで廊下を隅々まで綺麗にしてみなさいよ。そうすればきっと」
そこまで言い終えて、彼女は黙ってしまった。
哲夫だってそのくらいの苦労くらいは知っているのだ。いくら外の仕事が多いとは言え、冬の掃除くらいで泣き言を言われる筋合いはない。しかもそれ以前に、今は真夏なのだ。
「ごめんなさい。変なこと喋って」
「いや、いいけどさ」
哲夫のぶすっとした顔に気がついたようで、すぐに花子は謝った。
全く気にしていないように振る舞いつつも、哲夫は両手を握ったり開いたりして、そこにできている硬いタコを見せつけた。
「そうよね。てっちゃんの方が、遥かに辛いことをしていると思うわ」
「へへ。どうだろうね」
哲夫はそう言われると、今度は照れてしまって、右手の人差し指で鼻っ面の下を動かした。それだけで、汗の雫が感じられる。
「じゃ、すぐに支度を済ませてくるわ。待ってて」
「うん。ただ、あまり大人に見られないようにな」
「分かってる」
花子は手をちょっと挙げて、走り去っていった。
その後ろ首の、髪が左右に揺れる間から覗く、白い肌を見つめている自分に気がついて、哲夫は舌打ちをし、「なんでえ、もやし女め」と呟いた。
ーーーーー
「ふう。もっと朝早くに言ってくれればいいのにね。てっちゃんのお母様も」
「確かにそうだ。でも、文句ばかりだべっているわけにもいかないだろう」
「…うん……、そうだね。その通りだよ」
花子はぐったりと俯いてしまった。
汗が頰の辺りを照らしている。
哲夫はそれを横目で見つつ、「最近、また怒られたな」と言った。
「あ、分かっちゃった?」
へへへ、と花子は笑う。
「分かるよ。そんな格好されるとさ。花子が考え事する時ってのは、絶対に叱られたのを回想してるんだ」
「そう、なのかなあ」
「少なくとも、俺はそうだと思ってるな。ところで、その内容なんだが、どうせあれだろ、ぐちぐち過去のことを引きずるな、とか、面倒臭がるな、とか」
「よく知ってるね。私、時々てっちゃんのことが怖くなる」
「誰でも分かるって。ただ、あれだなあ。お前のその性格は生まれつきだってのに、花子んとこの母親はまだ懲りずに怒ってんのか」
そう言われると、花子は「もう。てっちゃんの意地悪」と返して、ツンとしてしまった。
ーーーーー
それからしばらく。
二人は、大木の下で座っている。
両者とも、笹の葉を広げて、おにぎりを屠る。
真っ赤な梅干しは、その顔を出す前に舌の上で転がされ、酸味を多く含んだ液体を放出した。
「んー、暑い時にはこういう味が沁みるな」
「ほんと」
ふー、と花子は着物の襟をパタパタと扇いだ。
哲夫は自然に目をそらす。
そして、少々ぶっきらぼうに「まだ中腹も行ってないんだ。急がなきゃな」と吐き捨て、梅干しの種をガリリと噛んだ。
しかし、そんな哲夫の反応に花子が気づくはずもなく、「私、そこで水汲んでくるよ。てっちゃんのもついでに」と言うので、哲夫はいよいよ血が頭に昇ってしまって、「そのくらい自分でやる!」と怒鳴った。全く、馬鹿馬鹿しい。
花子は一瞬肩を跳ね上げ、驚いたようだったが、すぐに不思議そうな表情になり、それから何を思ったか、カラカラと明るく笑いながら「じゃあ、私行ってくるね」と言い残して、草をガサガサかき分けて行った。
哲夫は、依然としてしかめ面である。
また、彼女が戻ってくると、素早く入れ替わりで水を汲みに行った。
草と草の間を注意深く見ながら進む。油断してマムシに噛まれると、ただでは済まないからだ。医者も、いや、村自体がここから遠く下にあるわけなので、行き着く前に毒が全身に回るだろう。
「や、やっとだ」
せせらぐ音はずっと前から聞こえていたが、ここに来るまでが長かった。
お終いに、バッタがぶうんと羽を広げてどこかへ行く。
哲夫は手にした竹筒を川に浸し、清流を入れる。
コポコポと泡が出るのが、耳に優しい。
しかし、それだけでは飽き足らず、哲夫はそこへ顔をつけた。
パシャ。
冷たい。
頰が勝手に緊張した。
気持ちの良いものである。
そのまま、水を飲み込んで、ぷはっと顔を上げた。
そして、花子のいる大木の休憩所へ帰る。
「あはっ、顔、びしょびしょ」
「そうだな」
「そろそろ行くの?」
「おう。もう出発しねえと」
哲夫は黒いジンベエを着ていた。
そこには、真っ白な塩が所々に浮き出ている。
二人は歩き始めた。
向こうの方が陽炎でゆっくり揺れている。
煮こごりで作ったレンズの眼鏡でもかけている気分だ。
真上から、太陽は容赦なく熱射を突き刺す。
「かんかん照りねえ」
花子が堪らない、という風に言って空をちょっと見上げた。
哲夫も、全くだ、と思う。
水がなかったら、向こうの畑に踏み入る前に倒れて、干からびてしまうような気がする。そこに黒ずんで横たわっているミミズのように。
「もしかしたら、今年の収穫に影響が出るんじゃないかしら」
花子が真面目にそう言うので、哲夫は笑ってしまった。
すると、彼女は「なにがそんなに可笑しいのよう」と問い詰めながら、けれど自身も笑っている。
「世間知らずって物じゃないぞ。村のみんなが同じこと言ってるのに」
「どう言ってるの?」
「だから、このままじゃ稲もくたばっちまう、とか」
「へえ、そうなんだ」
ようやく理解したらしく、花子はまた口に手を当てて微笑んだ。
哲夫は呆れて大きく息を吐く。
「それで、俺んとこも近々もう一つ井戸を掘るらしい。何しろいきなりの日照りだからな。この先何があるか分からない。その予防をしなくちゃな」
哲夫は、自分が教鞭を振るっているようで気分が上がった。胸を張って花子に言ってやる。
「え、ってことは、てっちゃんとはもっと遊べなくなるわね」
「あっ」
哲夫ははっとした。しかし、今の今まで悠然としていたので、居心地が悪くなってこほんと空咳をする。
「残念ね」
「ふうん。でも、一度は距離を置いといた方が、返って楽かもしれない」
哲夫は目をつぶって語ったが、これは本当のことである。
狭い村のことだから、哲夫と花子がよく一緒になって遊んでいることくらいはみんなに知られている。それを陰でこそこそ話されているようだから、冷めた関係になるのも一策というものだ。
「いやよう、いやだわ」
しかし、花子は首を縦に振らない。
「馬鹿だな。遊ぶのはいつでもできるだろうに」
「今からできなくなるかもしれないわ」
「どうして」
「忙しくなるから」
哲夫は自分の髪を掻き上げた。忙しくなるから遊べなくなる、と俺は言ったのだ。なのに、これから忙しくなるから今のうちに遊ぶ、だって?
「でも、あれねえ。さっきの小川の水もだいぶん少なかったように見えたわ」
「ああ、それは思った」
哲夫は頷く。
一年前のことだから、それほど憶えてはいないけれど、それでも流れはもっともっと大きかった気がした。今年のは、いずれ枯れそうなくらいで、少し怖くなったほどだ。
「ああ、息をするのも苦しい。なんとかならないのかしらね」
「そういうことばかり言っているから母親に叱られるんだよ」
「分かってるけど、いけないことなのかな」
哲夫は開いた口が塞がらない思いで花子を見た。こういう考え方でよくよく今まで生きてきたものだ。
「あっ、あれが頂上じゃない?あそこより高い所はなさそうよ」
そう言うと、花子は駆けだして行った。
哲夫は口角を下げて苦笑いすると、ゆっくり歩いてついて行った。
ーーーーー
「そん、なあ」
花子は崩れ落ち、哲夫は黙って前方を見据えた。
小さな土地である。
が、そこにあるべき、桃の姿はなかった。
いつもなら、蔦を掻き分け掻き分けして、根元へ行き、もぎり取るのだが、その蔦も、例年より控えめのようだ。
そして、桃はない。一つも。
「じ、時期のせいじゃ、ない、わよね」
花子がすがるような目で見てくるが、哲夫はなんの反応も示さずに、ただ、ゆっくり歩いて、一番手前の桃の木に触れた。
古木であったが、それを踏まえても、痩せ過ぎている。
葉は黄色く色づき、ほとんど落ちてしまっていた。この黄色は、日焼けなのだろう。
「一個くらいないの?全部??」
花子が一人で弱々しく叫んでいる。
哲夫だって探した。
母さんには、「あるだけ取ってきなさい」と言われていたのだ。まだ小さい果実もありそうなのに、なぜこういうことを言ったのか計りかねていたが、そういう理由だったのか。
萎びた桃が落ちていた。
拾ってみるが、食べられそうにはない。
哲夫は茫然と立ち尽くした。
この時、彼は初めて身に迫る恐怖を感じたのだった。
ーーーーー
「そうかい。やはり一個もなかったかね」
「すみません。母上」
「いんや、お前のせいではないよ。それより、井戸掘りがもう始まっているから、手伝ってきなさい」
「はい。失礼します」
哲夫は頭を下げて、戸をガラガラと開けて外に出た。
「おぉ、哲坊、はよう来いやあ」
「はいっ、只今参ります」
一人の村人に言われて、哲夫は走り寄った。
そこに集まっていた三人は、もうびっしょりと汗をかいて、顔を泥で汚している。
「いや、いよいよマズいことになってきたぞ。掘っても掘っても水が湧き出でこないんじゃあなあ」
「水脈にそろそろぶち当たっても良いと思うんだが、気配すらしないな」
「ところで」と、哲夫に声をかけたのは、向かいの家に住んでいる八兵衛だ。
「哲坊は花子と桃取りに行ってたんだろう?どうじゃったか。何個あったんだ」
冷やかすつもりで、「花子と」の部分を強調して言う。
哲夫は、しかし一片も厳しい表情を変えずに、「一つもありませんでした」と返した。
「なに、一つも?」
「はい」
「見間違えじゃねえんだろうな。哲夫」
「はいっ」
やはり、父さんが最も声色に威厳がある。他の二人の村人まで、しゃんと姿勢を正していた。
ーーーーー
俺にできることは少ない。
哲夫は柱に寄りかかりながら、じっとその木目を見つめた。
結局、自分に課せられた仕事と言えば、下から送られる土砂を捨てることくらいのものだった。
井戸の口はそれほど大きいものではないので、掘る人数が多過ぎてもいけないのだ。
しかも、それでぐったり疲れてしまう自分を改めて確認してしまった。
「花子に、言えたもんじゃなかったな」
哲夫は喉の奥で言って、頭を、ごん、とぶつけた。
そしていくらか経ったのち、母さんの「哲夫、ご飯ができたから、早く来なさい」という声に引きずられて、ちゃぶ台の前に座った。
父さんと母さんと同時に手を合わせ、かちゃかちゃとお椀を手に持ち、黙って粟と稗と、少しの玄米の混じったのを頬張る。その時にようやく、米の保存を始めたことを知った。しばらくはこれでしのぐということだろう。
哲夫はその隣の、具材のない味噌汁を見つめた。豆腐のやり繰りも難しくなってきたようだ。
ずずっ、と啜る。
具がないとは言え、中身は味噌なのだ。しっかりと味がついているはずである。しかし。
哲夫は目の前が遠くなったように感じた。暖かい飯よりも、昼に食べたおにぎりの方が、よっぽど濃い印象を残していたのだ。
ーーーーー
腹が、空いた。
無論、そんなことを口に出すことはない。
みんなも分かりきっていることだ。
食料の量は減る一方で、村の畑はどこもカラカラに乾き切り、今日も、茄子が立ち枯れしたのを嘆く村人の姿を哲夫は見た。
田の水はとっくに空気に吸い取られ、白っぽさが増えた泥色の土は、痛々しいくらいの亀裂が刻み込まれている。
誰もから、笑顔が消えた。
足元もおぼつかなく、ふとした拍子に折れてしまいそうな、そんなか弱い心持ちがする。
川もなくなった。
求めていた水はいっこうに見当たらず、ようやく掘り当てた井戸は、見てみれば酷く濁った水がぼそぼそと溜まってたのみである。
哲夫は、外に行けなくなった。
畳の上で、じっと天井を見つめる。
そして、それを咎める人は誰もいない。
風呂も当然入れなくなっていた。
ーーーーー
また数日が経過すると、とうとう、決定的な出来事が起こる。
「弥七の婆さんが死んだんだと」玄関口を叩いてやってきた久しぶりの来客は、いきなりそんなことを言った。
「なに」
「葬儀は明日にでもするってんで、あっちの家族はドタバタしているらしい」
「葬儀だと」
「こんな大変な時に、気の毒なことだなあ」
ちょうどその日から、飯はわずかな稗のみになった。
翌日の早朝。
「もう燃やすのか」
「ああ。匂いがとても耐えられたものじゃなくってさ」
この暑さで、すっかり婆さんは腐敗してしまったらしい。
急な予定の変更ではあったが、それでも多くの人が駆けつけていた。
哲夫は、腹を押さえて、石のように経を聴きながら頭を垂れている。
その時、誰かが呼吸をしながら、「神は何をお望みなんじゃ」と呟いたのが、一瞬ではあるものの、はっきり耳に入った。
ーーーーー
その日を機に、ばたり、ばたり、と死人が出始めた。
作物はほぼ全滅し、わずかに生えている草を食べるしか飢えをしのぐ方法がない。
「八兵衛のお母様は、八兵衛に食われたそうだぞ」
「あいつ、とうとうやりやがったか」
「いくら死んじまったとは言え、生みの親を、なあ」
だが、それを責めることが誰にできようか。
父さんと勘太は、沈黙して、別れた。
哲夫は、それにも興味は湧かずに、呆けたように目をしばたかせる。
ーーーーー
雨はまだ降らない。
辺りには、蝉さえ声を出さなかった。もし、元気に喚いている奴がいたとしても、たちまち誰かに食われてしまうだろう。
しかし、その炎天下で、哲夫は走っていた。
それほど距離はないはずなのに、目的地までは天と地ほどの遠さがあるように感じられる。
「はあ、はあ」
これだけで、息が切れた。
数日のうちに一揆を起こすということらしいが、村の人々に、どれほどの力が残っているだろう。少なくとも、半分くらいの人数は死ぬ覚悟でいる、と長は言っていた。
やっと家が見えた。
視界はぼんやり霞んでいる。
だが、哲夫は力を振り絞ってたどり着き、戸を乱暴に叩いた。
随分間を空けて、それが開かれた。鍵はかかっていなかったらしいが、哲夫はその戸を放つことができなかったのだ。
彼は顔をくっつけるようにしな垂れかかっていたので、右に体ごと引っ張られるように動く。もう少しで、倒れるところだった。
「哲夫さん、来てくれたのですね」
ぼそぼそと声を絞り出すのは、花子の母親だ。心なしか、目が少し腫れている。
哲夫は頷く気力さえなかったが、どたどたと家に上がり込んだ。
「すみません。飲み物はお出しできなくて」
そんな声も聞こえない。
彼の目にはもう、ずっと先の蚊帳しか映っていなかった。
バサリ、とそれを広げると、真夏の昼近くだというのに、敷布団があった。水を少しかけたらしく、相当に湿気ていた。
そこへ少女が横になっている。
「花子、花子!」
哲夫は狂ったように大声で叫び、その肩へ手をかけた。
骸骨のような角ばった感触。
顔面は血の色を失い、一層白く見えた。
「てっ、哲夫、さん」
彼女は、ほんの少し笑ったようだった。だが、てっちゃん、とは、呼ばなかった。
「医者はっ!!」
哲夫はきょろきょろと周りを見ながら叫ぶ。
すると、後ろからついて来た花子の母親が、「ウチの人が呼びに行っておりますが、もしかしたら、いらっしゃらないかも」と口ごもった。
「叩き起こすんだ!おおっ!引きずり出すんだ!!」
哲夫はその女の服を掴んで前後に激しく揺らした。首が抵抗するすべもなくしてガクンガクンと揺れ動く。
「も、良いの。っ、哲夫、さん」
だが、その声で、ピタリと哲夫は動きを止めた。
急速に頭が冷えていき、ようやく手を離す。
「花子」
哲夫は呟いた。
けほけほ、と彼女が咳をする。
目の下は落ち込んでいて、それだのに、外は相変わらず燦々と光り輝いていた。