表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

シンデレラの魔法

作者: 桜井陽

いつものように机に向かい、数学の問題と格闘していると、ふと窓の外が明るくなった。


もうそんな時間か。


時計を見ると、夜の23時だった。


勉強を続けるべきだ。そんな感情が沸き出す。


だけど、今やっている問題はすぐには解けそうにない。

そう自分を納得させ、ベッドの上に無造作に置かれた携帯電話を取った。


そして短く、「おかえり」とだけ打って送信する。


返事がきた。


「宗介」

2Mも離れていない隣の家のベランダから、抑揚のない声が自分を呼ぶ。


「よ、葵」

自分もベランダに出る。


月光が降ってきた。


町明かりで他の星はほとんど見えず、冬の大三角だけがぽつんと浮かんでいる。


葵は既に風呂上りなのかパジャマを着ていた。


「今帰り?」

ベランダ越しに分かりきった質問をする。


「そう」

葵は無感情に言う。





葵は自分の一つ年上で、お隣さんで幼馴染だった。


いつも僕が葵を連れ出し、町中を駆け巡った。


その頃の葵は泣き虫で、ジャングルジムを昇らせただけで恐がって泣いた。


だけど、葵と一緒に遊びたくて、そういう遊びを強要していた。


だから、いつも隆兄さんに怒られていた。


そんな葵が今ではアイドルになり、世間ではクールビューティとか言われている。


来年のことを言えば鬼が笑うのも頷ける。


結局、未来に何が起こるかなんて誰にも分からないのだ。


未来ってヤツはいつも僕らに唐突に現在を突き付けてくる。


僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかないのだ。


隆兄さんが死んだ。葵がアイドルになった。


僕はその現在を受け入れている。

受け入れるしかない。


葵は目立ちたいと思うタイプではないから、自ら進んでアイドルになりたいとは思わなかったと思う。


だけど、葵はアイドルにならざるを得なかった。


前を向いて笑っていなくてはならなかった。


運命だったんだ。

葵はアイドルになるべくしてなった。

他の選択肢なんて端から用意されていなかった。





葵が中学三年生のとき、吐く息が白くなるような、寒い二月の朝。


隆兄さんがいないことを除いていつもと変わらない通学路で、葵は唐突に切り出した。


「私ね、アイドルになろうと思うんだ」

何を言っているのか分からなかった。


「プリパパでも始めるの?」

「違う。ゲームの話じゃない。私がアイドルになるんだよ」


葵の言葉は力強かった。

もう泣き虫葵の面影なんてなかった。


それから葵はオーディションに受かり、あるアイドルグループに加入した。


生まれ持った演技の才能を評価され、その迫真の演技で一躍有名人になった。


女優、声優としても活躍の場を広げ、今ではアイドルユニット「シンデレラ」のセンターまで務めている。


明るいだけが取り柄だった僕は置いて行かれた気がした。


明るいという取り柄さえ隆兄さんの死で失われつつあった。

だから実質は何も取り柄なんてなかった。


幼馴染は日本のサブカルの頂点で、僕はただの高校生だ。


葵が遠くに行ってしまった気がした。


アイドルになろうが、葵は変わらず僕と仲良くしてくれる。


だけど、それは僕が幼馴染だからだ。


それがなければ、葵は僕のことなんて知りもしなかっただろう。


だから、目標を立てた。


とりあえず、東大の医学部に入ろう。


スポーツだと今から始めるには遅いし、運動神経もあまり良いほうではない。


残念ながら、アイドルになれるような顔でもない。


勉強だって得意なわけではないじゃない。


でも、「高1の冬からでも遅くはない」。

ネットでそんな風に言われていた。


そんな理由で東大だった。


東大に入っても葵に追いつけるなんて思わないけど、それでもやらないよりはマシだと思った。


それから、僕らは会うことがほとんどなくなった。


二週間に一度くらい、深夜のこの時間にベランダ越しで話す時間だけが、僕らの唯一の接点と言っても良い。


もちろん、年に一度か二度のオフの日には、一緒に食事をしたり、雑談をすることもあるけど、一緒に出掛けたりは出来ない。


もし僕と一緒に葵が歩いている姿がスキャンダル誌にすっぱ抜かれたら、葵の努力が全て台無しになってしまう。


「勉強はどうなの?」


「まだまだだな」


「まだ初めて一年だしね」


「初めて一年でグループリーダーになったお前に言われると傷つく」


才能の差を感じる。


一年勉強しても東大医学部なんて雲の上だ。

理科一類すら合格圏内にない。


「そうでもない。いつもビリケツの宗介が国立大は確実に入れるくらいまで伸びたのはすごい進歩だと思う。勉強は積み重ねだから、そこまで急上昇する人はそんなにいないよ」


単調な言葉の中にも、葵の気遣いが感じられる。


胸が温かくなると同時に、少しみじめな気がした。


「あと一年でこの倍は伸びないといけない。しかも、上にいくほど成長速度は鈍る。ほんとやれんのかなって感じだ」


薄い雲が月の上を流れ、空が少し暗くなった。


「それは宗介次第だよ」

葵は長い黒髪を後ろに払う。


パジャマを着ていても、凛とした印象を与える仕草だった。


葵のシャンプーの匂いがふんわり立った。


「葵のほうはどう?って聞くまでもないか」


葵がメディアに出ない日はない。


そこではいつも新しい出演作やライブの報道がなされている。


「順風漫歩ってわけではないよ。演技のほうはそこそこ評価はされてるけど、私的にはまだまだ大根だし……。相変わらず歌がね……」

そこで葵は目を逸らした。


クールビューティで、シンデレラのセンターで、天才女優の葵だけど。

歌だけはあまり上手でなかった。


クールなのに歌が下手っていう茶目っ気も人気要素ではあったけど、本人は極めて不服そうだ。


「僕は好きだよ、葵の音痴な歌」


「おい、今、音痴って言ったな」


「ごめん、痴呆だから忘れた」


「去年の誕生日に、ケーキの前で撮ったツーショット写真ネットにばら撒いてやるかい? 私のファンに刺されるよ」


「そういう自爆攻撃やめろって」


去年、僕の誕生日に葵がケーキを作ってくれた。


そのケーキの前で二人一緒に映った写真が葵の携帯に入っている。

ことあるごとに葵はそれをネタにゆすってくる。


「アイドルにケーキ作ってもらうけしからんヤツはどこのどいつでしょう?」


「さあね。“アイドル”にケーキを作ってもらった記憶はないな。冬木葵に作ってもらったんだ」


「そっか。じゃあ許す」

葵が口の端を緩める。


「あ、でも、それとは別に文句言っておかないといけないことがあったんだ」


「今度は何だよ」


「この前、全国高校生クイズ大会に、立川鈴……犯罪女がゲストにいたでしょ」


立川鈴は葵と同い年のアイドルだ。アイドルユニット「クリミナル」のセンターをしている。


葵同様クール系で、女優としても評価が高い。


葵と違うところは、巨乳でセクシーさを売りにしているところだ。


胸のサイズが貧弱な葵は、クールながらもキュートさを売りにしている。


だから、少し路線が違う。


それでも、同年代で似た物同士、色々思うところはあるようで、お互いにライバル視しているようだ。


僕が立川鈴の出てる映画を録画しても、家に来るたびハードディスクをチェックしては削除していく。


「宗介、立川に好きなアイドルは誰か聞かれたとき、立川鈴って答えたよね。今日仕事で会ったとき散々自慢されたの。あれは一体どういうつもり?」


「てか、なんで立川鈴が僕のことなんて話したの」


「私が仲良いの知ってるから」


もしかすると、案外二人は仲が良いのかもしれない。

でなければ、わざわざ私生活のことなんて話さないはずだ。


「喧嘩するほど何とやら」


「あんな淫乱牛女と仲が良いもんか。それより、なんであそこで冬木葵と答えなかったの?」

葵は嗜虐的に微笑む。


「僕には好きなアイドルの自由とかないの?」


「ない。冬木葵ファンクラブの会員ナンバー1番は宗介だよ」

そんなものに入った記憶はなかった。


「立川鈴の前で葵のことなんて言えないだろ。社交辞令ってやつだ。それにさっきも言ったけど、僕にとってお前はアイドルではないんだ。こうして触れられるただの幼馴染なんだ」


手を伸ばして、葵の髪に触れる。


一流の美容師が切った葵の髪は綺麗に整っている。


アイドルになる前は、髪はお互いに切り合っていた。僕が切るのとはやっぱり全然違う。


「恥ずかしいこと言うな」

雲間から漏れた淡い月光でもはっきり分かるくらい赤くなる葵。


落ち着きなくパジャマの襟を直す。


きっと慌てふためく葵の姿を見たことがあるのは僕だけだろう。

他の誰でもない僕だけのものだ。

そう思って、暗い独占欲を満たす。


心のどこかで、葵がアイドルとして有名になっていくのをイヤだと思っていた。


本当は葵を独占したい。

他の男に葵が見られるのも、ドラマで主演の男に葵が触られるのも、ファンにオナニーされるのもイヤだった。


ネットで葵の胸元が見える写真が流されているのも腹が立った。


葵に可愛いと言うのも、葵でオナニーするのも、襟の隙間から見える胸元にドキドキするのも、僕だけで良い。


それでも、葵がアイドルになった理由を知っているからこそ、葵のアイドル活動を応援せずにはいられない。


そういう背反する気持ちが摩擦して熱を生み出す。


だから、僕は大胆なことだって言えた。


「いつも言ってるけど、僕は葵が好きだよ」


決してこの言葉に返事が返ってこないことを知っている。

たぶん葵は今でも隆兄さんのことが好きなのだと思う。


本当の葵はクールでもなんでもなく、泣き虫な妹気質なんだ。


だから、葵が僕のことを頼れるように、せめて同じレベルまで昇りつめたい。


僕と葵から隆兄さんを奪った不治の病を根絶させたい。


「いつも言ってるけど、そういう恥ずかしいことを昼間っから言うな!」


「今は夜だぞ」


「うるさい。そんな細かいことはいいんだ」


「それより、この髪。今でも切ってるのは男?」


「宗介がうるさいから女のスタイリストに変えてもらったよ。ばか!」


「それならいいんだ」

少し胸が軽くなる。


空が暗くなった分、さっきまではよく見えなかったプレアデス星団がはっきりと見えた。


もう寝ないといけない時間だ。


あまり寝不足になると明日の勉強に差障る。

葵も疲れているだろう。


「そろそろ寝ようか」


「そうだね。もう12時だもんね」


「じゃあ、また」


葵の手を握る。

葵も手を握り返してくれる。

いつも別れ際にする二人だけの秘密の儀式。


葵の体温を感じる。

温かくて小さな手。

葵はこの小さな手で、いったいどれだけのものと戦っているのだろう。


「仕事中も宗介のこと応援してるから」


「仕事に集中しろよ」


「面倒くさい」


「なら、一刻も早く僕のことを好きだって言わせてやる。そしたら、電撃引退だ」


「それも悪くないかもね」

葵は小さく笑った。


部屋に戻る前に、思い出したように言ってやる。


「そういえば、さっきオナニーしてから手を洗ってなかった」


「はあ?」

葵はすごくイヤそうな顔をした。


葵はイヤそうな顔をすると本当に可愛い。

それが見たくていつも下らないことを言ってしまう。

この顔を知っているのはきっと僕だけだ。


「嘘だよ、嘘」

腹を抱えて笑ってやる。


「変態」

冷めた目でそう言うと、葵は指で拳銃の形を作り、僕に向けた。


「私以外をオカズにしたら許さないからね☆」

唐突なアイドル営業スマイルだった。ウインクしてるのが心憎い。

可愛すぎて気が遠くなった。


「あはは、宗介の顔おっかしー。私の勝ちだね」


強烈過ぎる反撃だって。

今の僕はすごく間抜けな顔をしていると思う。


いつしか雲は流れ、月光で空は明るくなっていた。








本当は私は宗介のことが好きなんだけどな。


部屋に戻った私は、一人想う。


確かに昔は隆兄さんのことが好きだった。


だけど、それは子供の好きっていうか……。


そういう好きじゃなかった。


今の私が好きなのは宗介だ。


隆兄さんの死に落ち込んでいた私は、テレビで流れたアイドルの歌に勇気づけられて、

私も前向きに生きよう、人を笑顔にできるアイドルになろうって思って、必死に努力してきた。


だけど、宗介は私よりももっと努力家で……。


気付いたら、一生懸命な宗介が好きになっていた。


私みたいに元から才能があったわけではないのに……。


それを克服していく姿がすごく格好良い。


私よりも年下なのに、ずっとたくましく見える。


今宗介に好きって言ってしまうと、私は一生宗介に頼りっぱなしになってしまうと思う。


だから私は…………。


宗介を笑顔にできるアイドルになるまでは、シンデレラの魔法は解かない。


普通の恋する女の子には戻らない。


隆兄さんの死を忘れて宗介が笑顔になれるくらいのアイドルになったそのときは……。


私は宗介に、好きだって言おう。


「それまでエッチなことは、妄想の私で我慢してね」

窓越しに下らないことを呟いてみた。


そしてさっき宗介が握ってくれた右手に、私はそっと口づけをした。(終わり)

お読み頂きありがとうございます。

3年前くらいから、普通の男の子とアイドルのヒロインっていう構図が書きたくて仕方なかったのでようやく書けて嬉しいです。

葵はとてもお気に入りの子なので、機会があったら宗介と葵の何かを書きたいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ