13.トレスと千手
………難しい
最初は自分がどこにいるのか分からなかった。
ただ、深い、深い水の中に沈んでゆくような感覚。
その水は自分と絡み合い、少しずつ体が溶けていく。
――――ここは、どこ?
分からない。
混ざり合い、溶け合い、自分自身も水の一部となってゆく感覚。
その中で、“彼女”の色は異彩を放っていた。
透明な水の中に、一滴の絵の具が混ざり、色がつくように。
もともと希薄だった存在に人間の魂は色が強すぎた。
それが、熟練の魔術師であればなおさらの事。
ゆっくりと、だが確実にその色は水の中を変えてゆく。
それでも“彼女”の意識が表に出てくることはない。
次第にその存在は希薄になってゆく筈だった。
その魂を魔力へと還元し、動力源として利用されるだけ。
あと数日もあれば、その魂は完全に魔力に還元され、“彼女”が表に出てくることは無かっただろう。
―――――死にたくない。
その声を聴くまでは……彼女の姿を見るまでは。
そう、例えば取り込んだ魂の持ち主が、生前深い関係にあった人物が殺されそうになっている場面に出くわすなどしなければ。
――――――ダメ!
一瞬で、その色は水を支配した。
いや、正確に言えばその一瞬だけ、その色が全体を支配した。
その魂が、『銀の烏』の女魔術師レレの意志が、ゴーレムの、千手の自由意思を捻じ曲げ表面に出てきた。
そして、それと同時に、その器にビキリという鈍い音が走った。
ダンジョン中層にて―――――
「ダメ……ファーチャンハ……殺サセナイ」
その光景を目にしたトレスは動揺した。
千手が、どうして仲間が、自分に刃を向けているのか?
それが彼女にはわからなかった。
攻撃は敵対行動だ。敵に対して行うものだ。味方に対して行うものじゃない。
「んー?」
トレスは考えるのが苦手だ。
その思考は、三体のゴーレム・ホムンクルスの中でも飛びぬけて幼い。
彼女は千手に何が起こったのか知らない。
だから、彼女はこう結論づけた。
千手は、手が滑ったのだと。
偶然、自分の方に刃を向けたのだと。
だって、自分たちは眷属なのだから。
攻撃されることなど、裏切られることなど有ってはならない。
あり得る筈が無い。
だから、トレスは笑って言った。
「もー千手、駄目だよ手を滑らせたりしちゃー。あっち!敵はあっちだよ!」
なおもファーリーの方を指さすトレス。
だが、千手は尚もトレスへと攻撃した。
それをトレスは躱す。
「だ、だからこっちじゃないって!どうしたのさー千手!?」
流石に慌て始めるトレス。ようやく千手の様子が普通でないことに気付いたようだ。
それを見かねたベルクが、念話を掛ける。
『トレスよ、ヤツをよく見てみろ!』
声を出さないのは、トレスの正体を悟らせないためだ。
無論、ここにいる騎士や女の冒険者は皆殺しにする。
それでも万が一漏れがあってはならない。
なので、ベルクはトレスと念話で会話することにした。
『ヤツの中には、奇妙な魂が混ざり込んでおる。あのゴーレム、何か変なモノでも喰らったのか』
『んー……?』
そう言われて、トレスは思い出した。
確か、アンさんとウナお姉―ちゃんが千手に冒険者の魂を食わせたと言っていたことを。
そのおかげで、千手の性能は格段に良くなったと。
それをベルクに説明すると、彼は頭を抱えた。
『なんという事じゃ……。確かに魂は最も効率の良い魔力源となるが、まさかこんなことになるとは………』
ベルクは驚愕の表情を浮かべる。
『トレスよ、あのゴーレム、かなり変則的な形ではあるが“儂”と同じような状態になっておる!意志を持つゴーレムに!』
『どういう事?』
『昔、人型のゴーレムに人間の魂を入れ、自我を持たせようという魔術実験があった。儂もその一体じゃ。儂は成功したが、それ以外の魂はどうなったと思う?』
『………』
トレスは答えない。
難しかった。分からなかった。
『みな、その魂をゴーレムへと吸収され意志を持つことはなかった。そもそも人の肉以外に別の魂を人工的に定着させることなど出来なかったのじゃ』
『じゃあ、どうしておじさんは大丈夫だったの?』
『わしの素材には儂の生前の肉体がほぼそのままに使われておる。どちらかと言えば、肉体をそのままゴーレムにしたといった方が正しい。故に儂だけが成功した。そして、本来であれば取り込まれた魂は、自我として定着しなければ、緩やかに魔力へと還元され、ゴーレムのエネルギーとなる』
ベルクは襲い掛かる騎士を攻撃しながら念話での会話を続ける。
『だが、稀にああした拒絶反応が起こることがある。おそらく、吸収した魂の持ち主がよほど強い自我の持ち主だったのだろうな。魂の自我とゴーレムの本来の機能が融合せず軋轢を生んでおる…ぐっ!』
騎士の攻撃がベルクへ届く。
ベルクがうめき声をあげる。
やはり万全ではない状態では、さばき切る事は難しい。
だが、すかさずトレスがフォローに入る。
『……かつてエリベル様は、その実験のリスクの大きさと、倫理的な観点から、かの実験を行っていた魔術研究所を壊滅させ、その研究内容の全てを封印したのじゃ』
『おじさんはエリベルさんに作ってもらったんじゃないの?』
トレスは光球を操り、目の前の騎士たちを殲滅する。
だが、次から次へと通路の方から騎士たちが現れてくる。
『その後に儂は、改めてエリベル様に改造されたのじゃよ!そんな事よりも、目の前のゴーレムじゃ!さっき言った、実験のリスクとはあの状態の事を指す!何が原因かは分からぬが、魂の意志が無理やりゴーレムの行動に介入しておる!』
そこでベルクは目の前の千手を指さす。
『結論から言おう!ヤツは中に入ってる魂の過負荷で、いずれその肉体を崩壊させる!それも巨大な爆発を伴ってじゃ!そうなってはこのダンジョンは壊滅的な被害を受けるじゃろう!その前に破壊するしかない!』
ただでさえ今ダンジョンは脆く崩れやすい状態になっている。
その状態で爆発など起これば、それこそ今度こそこのダンジョンは終わりだ。
そうなる前に、千手の“魔核”を砕き、機能を停止させる。
それがベルクの出した結論だ。
だが、トレスは声を上げて反対した。
「だ、ダメだよ!千手はお父さんが造ったゴーレムで、私たちの仲間なんだよ!壊すなんて、絶対ダメ!」
「言うとる場合か!アレを見よ!」
そう言ってベルクは千手を指さす。
千手は暴れていた。
トレスたちが距離をとった後、今度は近くに居た騎士たちを襲い始めている。
騎士はその数を次々に減らしてゆく。
それを見てトレスは安心した。
「あ、やっぱり千手はおかしくなってなんてないよ!敵を倒してるもん!」
「よく見よ。アレは手当たり次第に暴れているだけじゃ。おそらく魂の情動だけが暴走しておる。中に入っておる人間の魂とゴーレム本来の防衛機能が矛盾を起こして暴走しておるんじゃ!実験の暴走したゴーレム達もみな同じ行動をした!そして、そいつらは全て暴走した後に、爆発したのじゃ」
そうしている間にも、千手は次々に騎士たちを葬ってゆく。
そして、最後の騎士が倒された。
『ダンジョン………敵ハ排除……ファーチャン……守ル』
その姿を、女の冒険者ファーリーも見ていた。
「なんでだよ……なんで、あのゴーレム……レレさんの声を……」
考えても分からない。
だが、チャンスだ。
あのゴーレムのおかげで、この場は混乱している。
レーザーによって貫かれた足を引きずりながら、ファーリーはその場を離れようとする。
だが、通路からまた魔物が現れた。
黒い巨大なサイの魔物だ。
「なっ……!?」
ファーリーは知る由もなかっただろう。
この中層には通常のゴーレムのほかに地龍によって作られた様々な動物型のゴーレム・ホムンクルスが徘徊していることを。
目の前に現れたのはその中でも最大級の巨体を誇るサイ型のゴーレム・ホムンクルス、ゴンゾーだった。
動物型の知能はそれこそ野生の獣並だ。それゆえにシンプル。
ゴンゾーは目の前の侵入者を排除しようと動く。
「ブフォオオオオオオオオオオオオオオ!!」
叫びながらサイの魔物はファーリーへと突っ込んでくる。
終わった。今度こそ終わった。
ファーリーはそう思ったが、またしても、それは妨げられる。
「ダメ………ファーチャンハ……死ナセナイ……守ル……ダンジョン……侵入者排除……違ウ……ゴンゾー……仲間……ダンジョン……フーチャン……仲間……」
再び、あの多腕のゴーレムがファーリーを守った。
その巨体を使い、サイの魔物の突進を食い止める。
いや、流石に最重量であるゴンゾーの突撃を受け止めるのは厳しかったのだろう。
あちこちにヒビが入り、いくつもの腕がもげている。
「ブフォォッ!?」
ゴンゾーも驚いたのだろう。なぜ止めたのかと。
「アンタ……なんで?いや、さっきも……。いや、そもそも、どうしてレレさんの声が……?」
その場にへたり込むファーリー。
その姿を見て千手が言う。
「……ファーチャン…仲間ダカラ……私……今度コソ……仲間ヲ……守ル」
そう言って千手は二本の腕をファーリーに差し出す。
「……え、これレレさんの使ってた……?」
一本の腕に握られていたのは、かつて自分が装備していた魔術の杖。
これを使って魔術を使用すれば、その威力や効果を底上げしてくれる優れた魔道具だ。
「アンタ……もしかして……レレさんなのか?なんで……?」
ファーリーが杖を受け取るのを見て、千手はもう一本の手でファーリーを掴む。
そして、思いっきりブン投げた。
ダンジョンの裂け目へと通じる通路に向かって。
「うわあああああああああああああああああああああああああああ!?」
叫び声をあげながら次第に遠ざかってゆくファーリー。
それを見て千手は、いやレレは満足そうに見ていた。
出来る事なら出口まで連れて行きたかったが、自分に出来るのはここまでだ。
もう―――――限界だった。
「フーチャン……ドウカ生キ延ビテ……」
それが最後だった。
その瞬間、女魔術師レレの意識は完全に消えてなくなった。
そして――――――本格的な暴走が始まった。
「ア……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
千手は自分が抑えていたサイのゴンゾーを手当たり次第に攻撃する。
押さえつけていても、それ以上の腕が千手にはあるのだ。
その全てでゴンゾーを攻撃する。
「ブフォォォォォオオオオオッ!?」
その余りの手数の多さに、ゴンゾーは悲鳴を上げる。
「ぐっ……ぐうううううう!千手ううううう!」
トレスは千手へ向けて得意魔術『極日線』を放つ。
だが、その効果は薄い。
そんなことは分かってる。
今の一撃は、攻撃ではない。
こちらに注意を引くためのものだ。
そして、狙い通り千手はゴンゾーへの攻撃をやめ、トレスの方を向く。
そもそも、トレスの火の属性は、石で出来た千手には相性が悪い。
加えて千手は、彼の父である地龍が、その情熱のあらん限りを注ぎ込んで作り上げた傑作だ。ふんだんに魔石を使い、魔術抵抗力も高い。
総合的な戦闘力で言えば、その階級は将級。
その強さはダンジョンの中でも上位陣。
更に、その強さは白兵戦に特化している。
対してトレスは遠距離砲撃タイプだ。
劣化版聖剣レヴァーティンも、近接戦闘用ではなく、どちらかと言えば砲撃補助の意味合いが強い。
接近戦では、トレスの方が分が悪い。
それでも、トレスは叫んだ。
「ダメだよ!千手!私たちは眷属なんだよ!?ゴンゾーを傷つけちゃダメ!もとに……元に戻って!」
あらんかぎりの力でトレスは叫ぶ。
そして、千手へと突撃する。
「排除……敵……ダンジョン……防衛……」
千手はその手に持った武器を使いトレスへの攻撃を開始する。
百を超える手から繰り出される攻撃は、トレスの『極日線』とは違う、物理的な攻撃の雨だ。
もちろんトレスは躱す。
だが、接近戦が苦手なトレスに、捌き切れる筈が無い。
近づくにつれて、トレスの体には傷がつき、ボロボロになってゆく。
でも、トレスは歩みを止めない。止めるわけにはいかない。
そして、千手の猛攻を掻い潜り、トレスはその巨体に抱き着いた。
それを見てベルクが驚く。
「な、何をやっておる!そいつが今、どれほど危険な状態じゃと思っておるのじゃ!?」
だがトレスは聞かない。
「ダメだよ!だって……だって、どんなにおかしくなったって、千手は眷属だもん!みんなみんな、トレスにとっては大切な家族だもん!だから、傷つけるなんて出来ない!お願い千手!元に戻って!私たちは眷属なんだよ!」
「馬鹿もんが…っ!」
なんということだ。
ベルクはトレスと言う少女を見誤っていた。
かつて、彼は彼女とスライムと戦った時、ベルクは彼女を幼い、そして残酷な少女だと思っていた。
事実、彼女は先ほど、一切の躊躇もなく騎士たちや冒険者を殺しまわっていた。
しかし、それは彼女のほんの一面でしかなかったのだ。
トレスは子どもだ。故に幼く、残酷だ。
だが、それ以上に彼女は優しすぎるのだ。
敵に一切の躊躇が無い。
それは言い換えれば、味方と敵の線引きをこの上なくはっきりしているという事だ。
だから、彼女は身内には、眷属にはどこまでも甘く、優しい。
奔放に振る舞い、勝手気ままに我儘を言う。
だが、それは家族への絶対的な信頼の裏返しだ。
信じた者はどこまでも信じる。そして、諦めない。
それが、彼女の仲間への“絆”なのだろう。
ぎゅっとトレスは千手を抱きしめる力を強くする。
「………お願いだよ……元に戻ってよ…千手ぅ……」
「ダンジョン守…ル……仲間……敵……排除……トレス……眷属………敵……敵ハ排除………トレス……排除……ッッ!!!」
「千手ッッ!!!」
「くっ!」
千手の剣が振り下ろされる。
トレスは避けない。
ベルクが走るが、間に合わない!
そして、千手の一撃は―――――自らの心臓部へと突き刺さった。
「え?」
トレスが間抜けな声を上げる。
千手の剣は、自分の“魔核”を正確に砕いていた。
魔力を失った千手は少しずつ崩壊していく。
最後の最後、レレと言う人格を失った千手観音ゴーレムは、暴走状態にありながら、本来の機能通りにその使命を全うした。
ダンジョンの脅威の排除。
すなわち、トレスを、眷属を傷つけてしまった、己自身の排除を。
「千手……千手っ!なんでっ!?どうしてっ!?」
トレスはゆっくりと倒れる千手を見る。
崩れながら、千手はそっと手をトレスへと差し出した。
ひんやりと、冷たい石の感触がした。
そして、ゆっくりと千手の口が動いた。
ご・め・ん・な・さ・い。
そう言った気がした。
その言葉を最後に千手観音ゴーレム千手は完全に機能を停止させた。
物言わぬゴーレムは、その存在をただの石塊へと姿を変える。
「うぁ……うああああああああああああんっっ!!」
物言わぬ石と成り果てた千手を見ながらトレスは泣き崩れた。
ベルクはそれを黙って見ていた。
その手が、千手だったモノへと触れる。
「暴走の心配は……なさそうじゃな。完全に機能を停止しておる。これならば、自爆もしないじゃろう」
泣き崩れるトレスを前にベルクは淡々と語る。
傍にいたサイのゴンゾーも黙ってそれを見ていた。
「………おじさん、トレスには分からないよ……」
「何がじゃ?」
「――――――――“人間”って、なんなの?千手をこんなにした……“人間”って何?」
おそらく、この時初めてトレスは、本当の意味で“人間”というものに関心を持ったのだろう。
ベルクは顎に手を当てて考える。
そして、ほんの小さな声で答えた。
「……“面倒臭い生き物”じゃよ。………多分、この世で一番、な」
「…………」
それがトレスの耳に届いたのかはわからない。
だが、石と血だまりの中、それでもトレスは泣き続けた。
「酷な事を言うようじゃが、急ぐぞ。早く深層へと向かわなければいかん」
「…………うん」
ずびっと鼻水をすすり、腫れた目を拭う。
トレスは千手の砕けた魔核を懐にしまった。
――――お休みなさい、千手。
心の中でそう呟いて。
そして、トレスとベルクは再び深層へ向けて走り出した。
そして、ダンジョン深層にて――――
『ハァ……ハァ……ハァ……』
「ふー……ふー……」
対峙する一人と一匹。
一匹はダンジョンの主、地龍。
そして、もう一人は龍殺しの大英雄ヴァレッド・ノアード。
その姿は互いにぼろぼろと言ってよかった。
地龍の鱗はあちこちが剥げ落ち、至る所から出血している。
対して、ヴァレッドも同じように疲労困憊だ。
息が荒く、その顔は青白くなっている。
「ふぅー……ほんとーに……化け物だねぇ……っ!」
『ハァ……ハァ……もう一回だ……』
強く爪を立て、地龍は大地を蹴る。
その爪が真っ直ぐにヴァレッドへと向かってゆく。
ダンジョンの戦いは佳境を迎えようとしていた。
馬鹿な……地龍さんが戦っている……だと……
詳細は次回で。
ごめんね、千手。




