1.彼女の今と昔と、これからと
第九章はじまります
それは今より昔の事―――。
差し込める陽気の中、一人の少女が木陰で本を読んでいた。
銀髪の長い髪に、紅い瞳。
一目見たらそのまま吸い込まれてしまいそうな程の美貌の少女だった。
周囲には誰もおらず、彼女もそれを気にしている様子は無い。
土が手につくことも、雑草が服に引っ付く事も気にせず、少女は夢中で読み耽っていた。
その光景だけで素晴らしい一枚絵になるだろう。
いや、そもそもその少女の美貌を表現できるほどの画家がいるかどうかすら怪しい。
それほどまでに少女の持つ美貌と雰囲気は神がかっていた。
『あっ、お嬢様。こんなところに居たんですか?駄目ですよ、こんな所で本なんか読んじゃ。領主様に叱られてしまいます』
不意に声を掛けられる。
少女が見上げると、そこには二十代ほどの黄色のローブに身を包んだ女性が居た。
人懐っこい猫の様な瞳が真っ直ぐに少女をとらえる。
『うーん、今日は天気がいいし、外で読みたいのよ』
『本を読むなら室内で読まなきゃ駄目ですよ』
『どうして?』
『本が駄目になってしまうからです。陽気に中てられて紙が傷んでしまうんですよ』
成程、それは不味い。
このご時世紙は貴重だし、本は大切なものだ。
自分に知識を授けてくれる宝物だ。
知識は重荷にならない何よりも代えがたい宝物だ。
それが傷んでしまうのであれば、それ以上に納得する理由などない。
『分かったわ。部屋に戻って読むことにする』
『ええ、そうしましょう。それではお茶を用意しますね。お菓子は紫イチゴのパイを用意しましょう』
そう提案する女性に対し、少女は首を横に振った。
『いい。読書中は間食をするなってお婆ちゃんに言われてるから』
そう言って少女は渋い顔をする。
頭に思い浮かべるのは地味な顔の女性。
いつも彼女に小言を言う平凡な顔をした女性だ。
『そうですか。分かりました。では―――』
にっこりと笑って女性は手を差し出す。
『一緒に読みましょう。良いですよね』
『……ん』
少女もその手を握る。
そして、「あ、そうだ」と口を開いた。
『そうだ、ねえねえ、また新しい魔術を教えてくれない?』
『えっ、またですか……?この間、“千群氷柱”を習得したばかりではないですか?』
『あんなのじゃ、習得した内に入らないわよ。私はもっともっとたくさんの魔術を覚えたいの。こんな世の中だもの。もっともっと人の役に立つ魔術を覚えたいわ』
『はぁ……、分かりました。それでは、読書が終わったら魔術の勉強をしましょう。今度は……そうですね風と水の複合魔術について学びましょうか?そろそろ応用に入っても良い頃でしょうし』
『やった。じゃあ、ここで……』
『駄目ですよ、お嬢様。複合属性は効果範囲が広いのです。広域干渉の魔術はその全景がきちんと見渡せる場所へ移動しないといけません』
『分かったわ、じゃあ早く移動しましょう』
教えると言った途端に少女は眩しいくらいの笑顔を浮かべる。
その笑顔に女性は思わず苦笑した。
なぜなら少女は紛れもない魔術の天才だったからだ。
一を聞けば、百も千も知ってしまう程に。
故に彼女が少女に教えてあげられる事も残り少ない。
レーベンヘルツ家最高顧問魔術師という肩書をもってしても、少女の才の渇きを満たすことは叶わない。
暖かな陽だまりに中、女性と少女は手を取り合って歩き出した。
『それじゃあお屋敷に戻りましょうか、エリベルお嬢様』
『うん、リアス―――』
それは今から二百以上前の事。
一人の少女と、一人の死人のお話―――。
ダンジョン深層エリベルの研究所にて―――。
「………嫌な夢を見たものね」
眼窩の炎を不機嫌に揺らしながらエリベルは頭を掻く。
そもそも、アンデッドであるエリベルにとって睡眠とは不要な物だ。
その為、夢を見るという事もない。
だが、時折体内の魔力や魔力回路を調節するために一時的に意識を遮断する時がある。
ある意味それがアンデッドにとっての睡眠と言えるのかもしれない。
尤も今回は憑代から本体へと意識を戻す際に生じる意図的な睡眠だ。
憑代から本体へ、本体から憑代へ、それぞれ意識を移す際にはわずかながらタイムラグが生じる。
その間にそれぞれの体での魔力や精神の微調整を行っているのだ。
だが、それにしても夢など見たのはアンデッドになって以来初めてだ。
わずかな睡眠から目覚めたエリベルは溜息をつく。
「ふぅー……」
横に目をやるとそこには今まで自分が使っていた憑代ゴーレムの姿があった。
尤も、今は役目を終えてただのデッサン型の姿に戻っているが。
「面倒臭い話になったわね、どうにも……」
そう言ってぼりぼりと髪の無いむき出しの頭を掻く。
内容は先ほどまでのレーナロイドとの会話だ。
つい先ほどまで、彼女はかつての自分の研究施設である第零魔道研究所で彼女と会っていた。
その内容は賢者と呼ばれる彼女であってもにわかには信じがたい内容だった。
「死龍ウロヌス……か……」
龍王種の最後の一種。
神災竜王ギブルのかつての眷属筆頭でありながら、彼女に反旗を翻し、逆に封印された邪龍。
そして―――その復活が彼女の宿敵リアスの最終的な目的であるとレーナロイドは語った。
エリベルは先ほどまでの会話の内容を思い出した―――。
数分前、第零魔道研究所にて―――。
「……世界が…崩壊する?」
「そ」
うさん臭そうな顔をするエリベルに対し、レーナロイドはあっさりと頷く。
「尤も、文字通りの崩壊って意味じゃないよ。どちらかと言えば、今の世界の常識が覆されるって言った方が正しいかな。……いや、やっぱ正しい意味での崩壊でもあってるかなぁ……」
顎に手を当て、要領を得ない感じにレーナロイドは呟く。
「うーん、どう言えばいいかなぁ?あ、エリちゃんは今アンデッドだよね?」
突然全く関係の無い方向に話を振られた。
「は?いきなり何よ?」
「いやほら、人が死んでその死体をほったらかしにしてくとアンデッド、すなわちゾンビやスケルトンになるのは知ってるよね?」
「当たり前でしょうが。馬鹿にしてんの?」
そんな事、この世界の人間ならば常識だ。
というかエリベル本人がそのアンデッドなのだからそんな事聞かれるまでもない。
うんうんと頷きながら、レーナロイドは続ける。
「じゃあ、どうして“死体を放っておけばアンデッドになる”かは知ってる?」
「は?」
一瞬、エリベルは呆けてしまう。
だが、直ぐに冷静になり質問に答える。
「そんなの体内に在る魔力と魂が変質するからでしょ?人間を含め生物は“肉体”、“魔力”、“魂”の三つから成り立っている。そして世界に満ちる魔素にはプラスとマイナスの二種類がある。この二種類の内、生者、すなわち生きてる者はプラスの魔素によって魔力を形成するわ」
そして、とエリベルは続ける。
「死ねば、逆にマイナスの魔素を肉体が吸収するようになる。それが“反転”。すなわちアンデッド化と呼ばれる現象よ―――これで良いかしら?」
魔素とはこの世界を流れる魔力を構成する最小の要素の事だ。
生者すなわち生きた者を構成する魔素がプラス、死者を構成する魔素がマイナスとされている。
ただし術式の構成において二種類の魔素による差異は存在しない。
例えば、エリベルが『千群氷柱』を行使したとして、それがプラスの魔素であってもマイナスの魔素であっても、それを魔力に変換すればそれによる差異は存在しないのだ。
例えるなら風力で電気を起こしてプロペラを回すか、火力で電気を起こしてプロペラを回すかの違いの様なものだろう。
これもこの世界においてはごく一般的な常識的事だ。
一体なぜこんな当たり前のことを聞くのかとエリベルは首をかしげた。
「その通り。じゃあ、その“マイナスの魔素”を造り出した存在は知ってる?」
「…………は?」
今度こそ、エリベルは本気で意味が分からなかった。
だが、次に続く言葉はエリベルを驚愕させるのに十分な意味を持っていた。
「マイナスの魔素、そしてこの世界にアンデッド化と呼ばれる現象をもたらした存在―――それが『死龍』ウロヌスだよ」
「何ですってっ……」
エリベルの双眸が見開かれる。
その表情には明らかに信じられないと書いてある。
だっていくら龍王種とはいえ、たかだか一匹の龍が、それこそ世界の理にまで干渉するなんてことがあり得るのか?
そのリアクションを見て気分を良くしたのか、レーナロイドの語りは続く。
「信じられないかい?でも、事実なんだよね。エリちゃんはどう認識してるか分からないけど、覚醒した龍王種ってのはそれ位に常識はずれな存在なんだよ。……いや、正確に言うなら『地龍』ギブルと『死龍』ウロヌスの二体。この二体は龍王種の中でも完全に別格なんだよね」
「別格と言うか、別枠?」とぴんと指を立ててレーナロイドは言う。
「ちなみにその“力”の方向性が内側、すなわち自分自身に向いているのが『地龍』ギブル、そんでもってその力の方向性が外側、すなわち世界に向いているのが『死龍』ウロヌスだ」
少しだけ、レーナロイドの声に真剣味が増す。
「千年前、ウロヌスはたった一度の力の解放でこの世界に新たな常識、アンデッド化をもたらした。もしまた“次”あるのならば、その時にはどんなことが起こるか、はっきり言って私でも分からないんだ。世界が崩壊するって言うのは、つまりはそう言う意味だよ。『死龍』の力の本質は私でも分からない……あれは額面通りの存在じゃないからね。だからこそ……“怖い”んだ」
改めてレーナロイドはエリベルを正面から見据える。
「だからエリちゃん、改めて言うけど、私に協力してほしい。君がリアスちゃんを恨んでいるのも知っている。その上でその気持ちを利用するようで悪いけど、私と手を組んでほしいんだ」
さし出されたその手をエリベルはじっと見つめていた――――。
そして現在、エリベルの研究所にて―――。
ぼりぼりと、頭を掻きながらエリベルはレーナロイドからもたらされた情報を整理する。
んーと伸びをしながら極彩色の球体から映し出される映像に目をやる。
ダンジョン内部、そして各表層ダンジョンの入口から見える景色が映し出されている。
そこには眩しい朝日が映し出されていた。
「もう朝なのね……」
思った以上に時間が経過していたらしい。
「お目覚めですかな、エリベル様」
声のした方を見ると、扉を開けて入ってくるベルクの姿があった。
どうやら自分が戻ってきたことに気付いたらしい。
「その様子を見るに、レーナロイド様との話し合いの内容は随分と面倒なものだったようですな」
そう言われてエリベルは思い出す。
そうだった。
昨日出掛けるときにベルクとギジーにだけは行先と目的を伝えておいたんだった。
「まあね、正直私でも半信半疑って言える内容だったわ……」
「―――!……なんとっ……」
はぁーとため息をつくエリベルを見てベルクは驚いた。
―――“あの”エリベルが本気で面倒臭がってる……と。
面倒事やイレギュラー、幼女とショタが大好きな超ド変態のエリベルが本気のため息。
その事実にベルクは内心戦慄した。
それだけでどれだけ事態が深刻なのかを察するには十分だった。
エリベルはとりあえず、思念通話と記憶送信でベルクとギジーに先ほどまでの話し合いの内容を伝える。
「……これは……確かににわかには信じられん話ですな……」
確かにこれはベルクをもってしても中々に信じられない話だった。
死龍の存在、マイナスの魔素の始まり、そしてその復活をリアスが企んでいる、と。
「でも……それでも、まだあのクソ婆は何か隠してる感じだったわね……」
それはレーナロイドと言う人間を知っているエリベルだからこそ言える事だ。
そう、あのクソ婆は決して嘘は言っていない。
だが、“全て”を言っていたとはとても思えない。
“何を”隠していたかは分からない。
だが、少なくともあのクソ婆の事だ。
絶対に碌でもない事だけは確かだ。
なにせあの口ぶりから察するにとっくにリアスの目的については気付いていた可能性が高い。
にもかかわらず放っておいたの事からも、それは明らかだ。
簡単に信用するわけにはいかない。
そう言った事情もあり、結局のところ、エリベルはレーナロイドからの申し出をいったん保留と言う形にした。
レーナロイドもそれは予想していたのだろう。
あっさりと、「うんいいよ」と言って了承してくれた。
だが、去り際に言った一言
『だけど、余り待てないよ。時間もないし……そうだな、ギリギリ明日の正午までだね。それまでに結論を出しておいてくれよ―――』
そう言っていた。
それはつまり、それを過ぎればリアスが動き出す可能性が高いという事。
それまでに対策を立て、ダンジョンの防衛をしなければいけないという事。
「……あのクソ婆が何を考えてるかは知らないけど、それでも私は私のやり方を貫くだけよ。リアスの馬鹿はぶっ飛ばす。私を裏切って私の研究成果を盗んだケジメは必ず付けさせるわ……」
とりあえずはアース達と話し合うべきだろう。
ウナ達の大陸会議と、昨日の天龍の後始末、それにこれからのアースの修業、ダンジョンの改良点。
話すべき内容は山の様にあるが、とりあえずはレーナロイドからもたらされた情報を皆にも伝えるべきだ。
レーナロイドが言っていた特に『死龍』とその『復活方法』はダンジョンの存亡にも関わってくるのだから。
灰色のローブを身に纏い、エリベルは席を立つ。
「行くわよ、ベルク。あのクソ婆の思惑は分からないけど、それでもリアスにこのダンジョンを好き勝手に利用されるわけにはいかないわ」
「はい、エリベル様」
二人は転移門を潜り移動する。
このダンジョンを守る為に。
その声音はいつにもまして真剣味を帯びていた。
そして、その数分後。
涎を垂らしながら呑気に寝こける恥龍を見つけて思わず蹴りを入れてしまったのは仕方のない事である。
大陸会議三日目―――その幕が上がる。
アース「解せぬ」
次回はドス達に視点が移ります。




