窓辺の王子様 王子様の一大事
もともとはお題で作った超短編の『眠りを醒ますモノ』。
そこから生まれたのが山崎信也&羽生若菜というカップルです。
『窓辺の王子様』を連載するにあたって、そのきっかけともなったエピソードを少し手直しして『窓辺の王子様シリーズ』用として加えました。
ある意味、山崎君の命を救ってくれた読者様へのサービスでござる(`・ω・´)b
中南米の某国家。
国軍と麻薬カルテルとの戦争状態が長く続き街中で双方の小競り合いが起こるのも日常茶飯事となっていたこの国でも早朝だけはつかの間の静けさを取り戻す。
大使館の在外公館警備対策官として勤務してもう直ぐ二年。今日も日課の大使館見回りを行った。警備全体は地元の警備会社に一任されてはいるものの、警備計画を立てた者としてはきちんと計画が運営されているか確認しないと落ち着かない。前任者が苦労していた地元の警備員達の応対も最近では慣れたもので、彼らも今では日本式のきちんとした警備運営を無理なくこなしてくれるようになった。任期切れまであと数ヶ月、この調子なら後任への引継ぎも問題なさそうだ。
そして今日も一通りの確認を終え公館の屋上に出ると、一週間ぶりに日本に残してきた妻への電話をかけた。
『もしもし?』
「俺だけど、おはよう」
遙か遠い日本で自分と同じようにベランダに出て電話に出る若菜の姿を思い浮かべる。地球の裏側という遠く離れた異国の地で、せめて同じ空で繋がっていると感じたくて電話で話す時は必ず外に出た。
『山崎君。そっか、おはよう、だね』
結婚して五年も経つのに相変わらず“俺の羽生ちゃん”は俺のことを山崎君と呼ぶ。
「もしかして夕飯食べてた?」
『ううん、今お義母さんのところから戻ったところ。お土産にちらし寿司もらっちゃった』
たぶん母親のことだから夕飯を食べていきなさいと誘った筈だ。それを断って自宅に戻っているのは俺との電話があるから。あちらで電話を取ればどうしても両親と変わらなくちゃいけないし、二人だけの時間を邪魔されたくないという若菜のちょっとした我が侭だってことは俺も知っている。ま、母親も承知しているから敢えて引き止めなかったんだろうけど。
「寿司かあ、食いたいなあ……」
最近ではこちらでも日本食の店はあるし大使館内での食事に関しては和食になることもある。けれどやはり日本で食べたいと思ってしまう。あー……若菜の作った里芋とイカの煮っ転がし食いたい。
『ところで身体は壊してない? こっちと違って病院とか安心できないから心配だよ』
食べ物も日本と違うしと呟く若菜の言葉に苦笑いをする。こっちは身重の若菜を案じて電話をかけているのに、彼女の口から出るのは自分を心配する言葉ばかりだ。
「うん、俺は大丈夫。それより若菜は? 俺達のチビ助は元気にしてるか?」
一ヶ月ほど前に写メで送られてきた若菜の膨らんだお腹を思い浮かべながら微笑んだ。服を着ているとお腹の大きさが分からないから、服を脱いだ写真が欲しいと言ったら呆れられた。そんな恥ずかしい写真を撮るのも送るのも断固拒否、山崎君のエッチっと言って。
『早く出たいのか私のお腹を蹴りまくってるの。さすが元サッカー部のお父さんを持つだけのことはあるわね。凄く強い蹴りでビックリしちゃう。お腹が蹴りのせいでポコポコ膨らむのよ』
「へえ、見たいなあ、それ」
次に帰国する時は既に子どもが産まれているだろう。仕事とは言え、妊娠中の様々ことを若菜と一緒に経験できなのは寂しかった。それから暫く他愛の無い話を続け、名残惜しいけどそれじゃあと言って電話を切る。
「はあ……なんで言えないかな、愛してるって」
出会った頃には頻繁に口にしていた言葉。若菜を思う気持ちは今の方がずっと深いのに、何故か大人になった今の方が口にしにくい。離れているせいもあるが、なかなかその思いを示す言葉が出ないのがもどかしかった。早く会いたいよ“羽生ちゃん”。
渇いた一発の銃声が静寂を破ったのは携帯電話をポケットに入れた直後のこと。一瞬なにが起こったか理解できないまま地面に倒れ込む。自分の体と地面との間に湿った感触が広がる中、目の前をアーミーブーツを履いた足がいくつも通り過ぎていくのを何処か他人事のように見詰めていた。
―― 早く連絡しないと…… ――
そんなことを考えつつ暗い闇の中に捕らわれ沈んでいく。意識が途切れる直前、若菜がこちらを見て微笑む姿が見えたような気がした。
++++
南米某国の日本大使館が武装集団による襲撃を受けたという報告が、アメリカより外務省と防衛省にもたらされたのは、それより一時間後のこと。
大丈夫。
ちゃんと生きて羽生ちゃんの元に戻ってくるのでご安心下さい。