ぷりんせす
王城の屋根は尖塔や急斜面の屋根ばかりで構築されている。
賊の侵入を防ぐためであるとともに、見張りをし易くするためでもある。 城全体を見渡せる見張り台には、魔導師団から派遣された魔導士が二人配され、空から襲来する魔族や魔物を察知する役目を負っている。魔導士とは、大変重宝される人材なのだ。
だが、今、その二人組…大柄な中年魔導士と赤毛の少女魔導士は本来の任務を忘れ、出歯亀行為を満喫している。
出歯亀相手はこの国の英雄だった。
急な斜面を走り抜け、壁を垂直に駆け上がる。
尖塔から尖塔への跳躍は何度見ても肝を冷やされる。強風を青いマントで包み込み、届かぬはずの距離を跳び、あり得ない軌道を舞う。決して人と触れ合わぬ彼も、風とは仲の良い友達のようだった。
大柄中年魔導士ダルタンが、呆けた顔で相棒に語りかけた。
「なあ、メル…知ってるか?始祖マシリルが魔族から盗んだ魔導の力を、ドラゴンは霊力とか顕現化霊導と呼ぶらしい。そして、伝説のエルフは術と呼ぶそうだ。特殊な体術と繊細な魔力を紡ぎ合わせ、幻想的な戦闘を得意とする旧文明の後継者。その姿はまさに妖精と謳われるに相応しいという…」
「…はっ!まさか…氷影の剣士様がエルフってこと!?」
夢心地だった少女魔導士が、驚愕の表情で振り返る。
ダルタンはごつい顔でもっともらしく頷き、
「………そう、あの方は…ま、まさしし…ぷっ、くくく…」
堪え切れず、吹き出していた。
「え…あ~っ、騙したの!?」
「はは…すまん、すまん。確かにエルフは絶世の美貌をもつというが、金髪にエメラルドの瞳、なにより尖った耳が特徴だそうだ」
「…そうなんだ。ちょっと残念…」
メルは、肩を落として溜息をついた。
ダルタンにはメルの期待もよく理解出来る。
氷影の剣士は過去何度もサデス皇国に赴いて、魔族率いる魔物の侵攻を防いでいる。下級魔族や中級魔族も幾人か斬っているらしい。魔族への憎しみで魔導士になった自分達にとっては、“魔導士の始祖”マシリルに次ぐ希望の星なのだ。
おまけに若いメルは未だに豊かな感情を残している。恋愛など望めぬ身体と知りながら、憧れを素直に表せる強さを持っている。磨り減って捻れた自分には、眩し過ぎるくらいに…。
「…ゆえに、無粋なことは言うまい」
相棒の少女はまるで人間の頃に戻ったように、熱い眼差しを我等が英雄に向けている。潤んだ瞳と紅潮した頬を見ていると、こっちが照れ臭くなってくる。
今が任務中だと彼女が思い出すのは、もう少し先になりそうだ。
*
氷影の剣士――ラティスは尖塔の避雷針に片足で立ち、風の中をたゆたうように、感じる流れを精妙に受け流している。
彼は悩んでいた。
ガッシュが“あの人”だと、確信がもてないのだ。
人伝に聞いた彼の名前は違う名前だった。自分の直感を信じていないわけではないが、顔を突き合わせても思い出さないというのが納得出来ない。少なくとも、ラティスは一時も忘れたことはなかった。
ぼろぼろになった黒い翼と…あの無力感を…。
********************
「う、嘘だ!隊長さんが…魔族だなんて…」
血溜りに沈む彼の背には、ズタズタに裂かれても明白な魔族の翼が生えていた。
僕は触れたくとも触れられず、半ばパニックになった。
人類の怨敵。先天性快楽殺人者。人類の生み出した最悪の生体兵器…。
そんな奴等と隊長さんが、僕の中でどうしても繋がらなかった。
それに、魔族は蒼い髪に蒼白い肌をしている。おじさんの砂漠灼けした肌とは違い過ぎる…。
『…ふん。まさか半魔族ごときに、計画を邪魔されるとはな…』
「え…」
僕は思わず声の聞こえた方を見上げ…凍り付いた。
闇と邪悪の象徴が宙に浮かんでいた。死んだドラゴンの半分くらいの体躯しかないのに、桁違いの魔力と邪気を全身から放つ、黒いドラゴン…。
上を見あげたまま、僕の腰はぺたんと砕けていた。
『ククク…あわよくば古代兵器の一つでも拝見できるかと期待していたのだが、とんだイレギュラーがあったものだ』
翼を一切動かすことなく、黒き竜が舞い降りる。
「始祖竜…ゼーガ…」
霊子生体兵器群の生き残りにして、あらゆるドラゴンの始祖。
真にして究極の万能兵装竜種。世界を暗雲に包む最強最古…最悪のドラゴン。
絶滅竜種を含めた竜の末裔には、人間の虐殺を禁じる命令が霊核レベルで刻まれている。強力な精神拘束に逆らってまで、どうしてあの狂竜は人間を襲ったのか…今、はっきりと理解した。
そして、否応なく絶望した。
『クク…ちっぽけな魂が揺らいでおるわ。それほど我が恐ろしいか?貴様等の国を襲わせ、多くの血を流させた仇がここにいるというのにな』
「…………」
それでも僕は何の反応も出来なかった。ただ、怖くて怖くて…現実から逃避しようとするばかりだった。
ゼーガは精神拘束の裏をかいて、過去幾つもの人間の国を滅ぼしている。魔族繁栄のきっかけも、直接関与出来ぬ人間を抑制するためにゼーガが裏で糸を引いたと云われている。
ゆらりと背後で何かが蠢いた。
「ま…まさか…」
背後には“あの人”が立ち上がっていた。それは、恐怖さえ忘れるほどの驚愕だった。
彼はあの邪竜を凄まじい眼光で睨んでいた。
耳が聞こえなくても、このゼーガが全ての黒幕だと気付いたのだろう。
彼はふらふらの足を引きずり、少しずつゼーガへと歩を進める。
せめて、死ぬ前にゼーガへ一矢報いなければ、仲間が浮かばれないと思っているのかもしれない。
「な、なん…で……」
僕は涙が止まらなくなっていた。
どうして立てるの!?もういいじゃないか!竜気咆哮の直撃を浴びて、鼓膜も破れ、翼も身体もズタズタで、左腕が折れて、武器もなくて…それなのに、それなのに……なんで心が折れないの?
僕にとって…黒竜よりこの人の方が、よっぽど理不尽な存在だった。
「………戦友…立てよ。こんな糞野郎をいい気にさせるなんて癪じゃねえか…」
「え…」
思ってもみない言葉を聞いた。
大した役にも立てず、今、黒竜を前に腰を抜かしている情けない僕を…仲間の果てない勇気に恐れさえ抱いた卑小な僕を……彼は戦友と呼んでくれている。あの黒竜と目を合わせるだけで、一体どれだけの命を削るのか…そんな状態で彼は僕を気遣っているのだ。
「くっ…」
力の入らない体を奮い立たせ、僕は震える膝を地面から離した。
僕は彼の広い背中だけを見つめた。
もし、生き残ることが出来たら…僕はこの背中を守れるくらいに強くなりたい。彼と一緒ならどこへだって行ける。そして…きっと愉しい。
現実逃避かも知れないけど、そう思うだけで恐怖が薄れたような気がした。
『…ふん、半魔族の分際で生意気な』
ゼーガは彼の言葉に不快感を感じたようだった。これも一矢と呼べるだろうか。
でも、何故だろう…蔑む声の中に、好奇心らしきものを感じた気がする。
ゼーガはとても邪悪な笑みを浮かべていた。
『ククク…断末魔を浴びた故か…面白い変化を起こしている。それにその飽くなき闘志……いい実験素体になりそうだ』
「え…」
ゼーガが右手を伸ばす。掌から緑輝光が溢れ出し、彼を包み込んだ。
「隊長さん!」
飛び出そうとした僕に、ぎろりとゼーガの視線が重なった。
「…う…あ…ああ…」
僕は眼力だけで射竦められていた。
彼は立ち向かったのに…僕はなんて弱虫なんだ…。
彼は念動力の光の中で、意識を失っていた。
黒竜ゼーガは彼を右手に掴むと、もう僕など一瞥もせずに大空へと羽ばたいた。
「……た…隊長さああああああん!!」
叫んだのは、ゼーガが遠く離れてからだ。
僕は最後まで、無力なただの子供だったんだ…。
********************
「…さまーっ!氷影の剣士さまーっ!!」
ハッ…と我に返った。
王都の街並みが眼下に拡がり、纏いつく風が絶えず身を揺らしている。こんな場所で物思いに耽るなんて、まだまだ修行が足りない。
風を掴んで半回転する。
自分より幼く見える魔導士のメルが、力一杯に手を振っていた。
「王様がお呼びですよーーっ!!」
*
王宮の最深部。
ラティスは国王の私室前で立ち止まり、扉をノックした。
「ラティスです」
「よく来てくれたね。入ってくれ」
国王の声が応え、侍従の青年アルファが感情の欠落したような顔でラティスを迎え入れる。変わり者の国王に気に入られてるだけあって、どうにも表情の読めない人である。
私室に入ってすぐ、ラティスは広い室内にアルファ以外三人の気配を感じ取った。
一人はレノシス王エリック、残りの二人は気配からしておそらく武人だ。和やかな雰囲気から察するに、衝立の向こうでお茶でも飲んでいるのだろう。
氷影の剣士は人前に顔を晒すのを好まない。
織物仕立ての衝立の前で立ち止まり、温度のない声で問い掛けた。
「国王様、御用件は?」
「…………」
客人の戸惑う気配が伝わった。
世間で氷影の剣士は、近衛騎士団親衛隊の忠実な騎士となっている。どうやら、先客は城外の人間のようだ。加えて、微かな香水の匂いから一人は女性だと判断した。
「実は、さる御仁が君に護衛を頼みたいと所望されてね。いや、君にも都合があるし、暇な時だけでいいと思うんだけどね…」
王が乗り気でないことは誰にでも分かる。
これだけで大体の予想はついた。難物のレノシス王に直接要求をねじ込んでくる強引な人達など、一つしか思いつかない。
「もしや、サデス皇家の方ですか?」
「察しがいいね。そう、こちらのサデス第三皇女殿下が、どうしても…と」
「………」
声を出さずに笑う――客人からはそんな気配を感じた。
サデス皇家は、代々勇猛な女皇を輩出する戦巫女の家系である。その歴史は古く、一説には旧文明時代より続いていると云われている。魔族の支配に甘んじていた時代も、各地に拠点を移しながら反抗運動の中心を担っていた。代々のサデス女皇は周辺諸国を束ねる盟主であり、“魔導士の始祖”マシリルと並ぶ人類守りの要である。
ちなみに、レノシス王家はサデス皇家とは深い縁戚関係にある。
プライベートで頼まれると、切れ者のレノシス王も無下には断り難いものらしい。
「…わかりました。暇な時で良いというのであれば」
「すまない。良かったね、従妹殿…」
「ええ、憧れの氷影の剣士様に守って戴けるなんて幸せですわ」
皇女が初めて声を発した。
若く健康的な声の伸び、上品な言葉遣い、台詞こそ月並みだが充分に気持ちが伝わってくる。
しかし、ラティスは声を聞いた途端、何故か背筋を冷たくしていた。
「あれ、そう言えば…君達は初対面なのかい?」
「サデスの皇宮でお見かけしたことは…。あと、つい先日偶然に…」
「………まさか…」
そんなことあるわけがない。
悪い予感とは、余計な想像をするから当たってしまうのだ。運命の女神様がいくら悪戯好きでも、限度くらい弁えているはずだ。
椅子が絨毯の上で小さな音をたて、ドレスであろう衣擦れの音が続く。緩やかなウェーブを描く栗色の髪が見え、衝立の上に白い手袋をはめた左手が乗った。
顔を現した皇女様がニタリと笑う。
「やっほ~。よろしくね、ラティス」
「…ぁ…ああああぁ…」
運命の女神なんて大っ嫌いだ。
ラティスは氷の自分を保つ事が出来ず、がくりと項垂れた。




