侵攻
王城の塔頂には、もう何度も雷が落ちている。過去の遺物を流用した避雷針は、纏わり付く稲妻をものともせず、高圧電流を大地へと逃がし続けていた。
そんな危険に晒された城の屋上で、雷雲を見つめて佇む二人の魔導士がいた。一人は筋骨逞しい大柄の中年男、一人はまだあどけない面影を残した十代半ば頃の少女である。
雨に打たれるまま立ち尽くす少女が、濡れた瞼を開いて呟いた。
「嫌な雲ね。魔力の気配がぷんぷんしてるわ。…最悪」
隣に立つ大柄な男が苦り切った表情で頷く。
「とはいえ、魔族に出来る芸当でもなし…やはりドラゴンか…」
「まさか!二年前の報復…?」
「どうだろうな。今回は魔族も派手に動いている。まさかとは思うが、なんらかの繋がりがあるとしか…」
「…………それなら、直接訊いてみれば早いんじゃない?」
「そうだな…いい加減、出て来たらどうだ?」
魔導士達に応えるように、隣の尖塔の物陰から妖艶な美女が姿を現した。
「あら、気付いていたのね。誘き寄せられたのは私の方かしら?」
現れた女の右頬は火傷のように引き攣り、硬化していた。肩や腕にも同じような醜い甲殻が浮き上がり、その病状は現在も進行中だと一目で判った。
背中の黒翼が僅かに顔の右側を覆い、魔導士の無粋な視線を遮断した。
「上級魔族!!」
魔導士達の目の色が憎悪に染まる。
魔力だけでなく妖気までも発散して戦闘体勢をとった魔導士達は、復讐の悦びに震える陰惨な笑みを顔に貼り付かせていた。
女魔族が尖塔の屋根を蹴った。水平に滑空しながら、手から高速炎弾を解き放つ。
一瞬で飛来した炎弾を魔力障壁で防ぎ止めたのは、少女魔導士メルの方だった。
「うおおおおお!」
メルの肩を蹴って躍り上がった大柄魔導士ダルタンが、迫り来る女魔族に曲刀を投げつけた。
一羽ばたきでこれを回避した女魔族が、大柄魔導士との衝突コースへとその身をスライドさせた。
「かぁはっ!」
腹を女魔族の右手に貫かれ、魔導士が吐血する。
…が、ダルタンの腕は女魔族を掴んだまま離さない。二人が、一瞬で紅蓮の劫火に包まれた。
「上級魔族、貴様も道連れだ!」
「それは願い下げね」
女魔族は背後に魔力障壁を展開させ、弧を描いて返ってきた曲刀を弾き飛ばした。
「ちっ…!」
圧倒的な魔力の差か、メルの仕掛けた魔力妨害は不発に終わった。
女魔族がダルタンを貫いた腕を持ち上げる。
「まったく…邪魔臭いったら…」
「ぐ…が…」
鮮血に染まった掌に眩い輝きが生まれた。
「爆裂光弾!」
「…っ!」
メルの魔力障壁が光弾の一撃で容易く粉砕され、腹に埋まって爆発した。
胴から分断された肉塊が、辺りに撒き散らされた。
「メルーーッ!!」
瀕死のダルタンが炎の中で少女魔導士の名を叫んだ直後、女魔族の電撃が体内を暴れ回った。
ダルタンは絶望を顔に貼り付かせたまま、血液を沸騰させて絶命した。
炭化・崩れていく亡骸を振り捨て、イリジアはホッと一息吐いた。
身体に炎が纏わりついているが、この程度の魔力ならばどうということはない。
上空を見上げると、暗雲の中から四体のマンティコアが舞い降りて来るところだった。
「……人鬼…に堕…て……魔を挫…き…」
「…っ!」
イリジアが慌てて後ろを振り返った瞬間、小さな光弾が鼻先を掠めていった。
身体の半分を吹き飛ばされた少女が、悪鬼の形相で腕を伸ばしたまま尽き果てていた。
カアァァンン!ガァンッ!ガラガコォォン!ガカアアァァンン!
「!?」
吊り屋根を破壊された半鐘が、屋根を転がり落ちていく。
雷鳴鳴り響くとはいえ、これだけ派手な音がすれば警鐘として充分な効果を発揮するだろう。
「……しくじったわ。これだから魔導士ってのは…」
尋常ならざる執念というものは、実力以上の力を発揮する。部下達の実力は今の二人を有に上回っているが、洗脳が深いためどうしても適応力に欠けてしまう。ジテーヌがいれば…と思わずにいられない。
昨夜、ジテーヌを送り込んだ相手は、普通に考えるなら刺客を差し向ける必要もなかった。たとえ凶魔兵になったとしても、ドラゴンであるザンガーの脅威にはならない。
しかし、この地がレノシスであるために慎重になった。たかが人間がドラゴンを倒したという伝説の残り香漂う国。ましてや、あの男がどこの実験体かも判明していない。奇跡の芽は完全に摘み取らない限り、可能性は後々まで付きまとう。
階下から衛士の気配が濃くなっていた。
「少々面倒になったけど、城の態勢が整う前に突っ切るわ!まずは王様に謁見よ。敵に考える暇を与えるな!」
「はっ。イリジア様!我らが命に代えて」
揃えたように頭を垂れる部下達を見下ろし、イリジアは溜息を吐いた。
「あなた達…忠誠心だけは合格よ」
*
王都レノサリクの天候はますます酷くなり、日の出の時刻になっても空が白み始めることはなかった。
上空を覆った雷雲はまるで意思があるかのようにその場に留まり、無数の轟音を轟かせる。低空まで降りた雷雲が絶え間なく稲妻を放ち、幾度か建物に落ちては屋根を破壊し、家屋を炎上させる。
なんの能力もない人間が本能的に違和感を感じ取れるほど、不自然な現象。それは否応無く、昨日の不吉な異変を思い起こさせるに充分だった。
住民は寝床から出ることも出来ず震えるばかり、ただただこの災厄が過ぎ去る事を祈った。
そして…祈りなど無力だと知る事になる。
グルオオオオオオオオオオオオン!!
雷鳴を裂いて轟いたのは、ドラゴンの咆吼だった。
竜気を含んだ絶対上位者の雄叫びは、本能的に筋肉を震わせ、心理的に絶望を与える。容量の小さな子供が鼻血を噴いて倒れ、赤子がショック症状を起こして痙攣する。北門付近の住民は気力ごと、心を押し潰された。
王都の住民がパニックを起こしかけた時、咆哮に乗せて何者かの強靭な思念が王都全住民の頭に響き渡った。
《人間どもに告げる…》
落ち着いた思念は荒ぶる覇気を持ちながら、聡明な理性をも感じさせた。
《我が名はザンガー。竜の戦士でありながら魔族に屈した、愚かなる敗北者だ。この都は我が封じた。命が惜しくばその場を動かぬことだ。我が力のほどはこの雷鳴にて確かめよ》
《轟雷烈流!》
直後、これまでとは比べ物にならない雷鳴が、王都レノサリク全域を揺るがせた。




