ホタル
ひとしきりカラオケで盛り上がった三人が店を出た時、街は今しも夕闇に包まれるところであった。
新宿通りをJR新宿方面に歩いていく女子高校生は、三人とも制服姿だった。普段なら地下を移動するのが普通の彼女達だったが、今日は立花彩の顔を立てて二人がつき合うかたちだ。
「マジでさ、なんか光ってたんだって、アルタんとこで。ホタルじゃないのかなぁ」
「ホタルって、今何月だと思ってんの。あれ、ホタルって何月だっけ」
反論した明日香も言葉に詰る。何しろ新宿でホタルなんて話は聞いたことない。
「でも小さな光がすぅっと流れて行ったんだよ。生き物みたいだった」
「光る生き物って他にいたっけ。ホタルイカとか」
「美咲ばーか、イカが飛ぶか」
「彩が見たのがイカだなんて言ってねーし」
中村屋のビルを通り過ぎたあたりで、彩が中空の一角を指差す。
「ホラ、やっぱりいた」
「え、見えないんですけど」
通りを渡ってアルタを目指すつもりで信号待ちのため足を止めた明日香と美咲だったが、
「ちょ、彩! 赤だって!」
中空に浮かぶ光に誘われるように歩を進める彩。
明日香の制止に気が付いた時、彩は既に道の中程まで出てしまっていた。
その時間帯にしては随分と道が空いていたのが災いした。こんなところでスピードを出すバカはあまりいないが、それでも咄嗟には避けきれない速度で右から突っ込んできた車両が、対向車二台を巻き込んで大破した。オカマを掘られた運転手の一人が運転席から出てきて何事か怒鳴っていた。駅の方からは野次馬が集まってきて、そこここで携帯をかざして写真を撮る人々の姿が見られた。電話を掛けている人の姿も見られたが、それが救急車を呼ぶものか友人に実況しているのかは分からなかった。
中元優二がその事故を知ったのは、彼が沖縄料理の店から出て靖国通りへ向おうとした時だった。
別に沖縄料理が特別好きというわけではない。その店が比較的安くて、何よりも一人でも入り易いという理由だ。ソーキソバだけ一杯食べてすぐに出てきたところ、駅の方から事故らしい音が聞こえてきたのだ。音もそれほど大きくなく、大した騒ぎにもなっていないようなので、わざわざ見に行こうとは思わなかった。そんなことよりも、早く帰って寝てしまいたい。
優二は大学を卒業後、すぐに大手の電機メーカーの営業として働き出した。五年ほどした頃に同僚の女性社員と結婚し、翌年子供にも恵まれた。この頃が彼の絶頂期だったのだろう。更に五年ほどすると会社の業績が急激に悪化し始めた。それまで現金商売を良しとしてきたワンマンの社長が死去し、当時専務だった新社長はそれまでの経営ノウハウとは違うカタチで事業を推し進めてきたのだが、結局“信用”は前社長にあったのであって会社にあったわけではないことを思い知らされるかたちとなった。それでも彼は、リストラは非正規社員までで食い止められると多寡を括っていたのだが、現実は厳しかった。
世間の景気の冷え込みも相まって、なかなか良い職にも恵まれなかった。職探しと言っては公園のベンチで日がな一日時間を潰すような日々の繰り返しの末、妻子は彼のもとから離れていった。もうこうなってしまうとお決まりのコースである。まだ不定期のパート仕事で糊口を凌いでいるような状態だが、いずれ生活保護受給者になるかも知れない。いや、いっそのことホームレスにでもなってしまおうか、などと考えてしまうようなところまできていた。
「ただいま」
アパートに戻っても誰が迎えてくれるわけでもない。そんなことはわかっている。その分かり切ったことが毎日のように彼の胸を刺し続ける。血は出ないが、傷は癒えない。
帰ったからといって何かやることがあるわけでもない。明りをつけてテレビをつけて、後は風呂に入って寝るだけ。明日は日曜日で仕事もなし。その休みも結局何もすることがなく過ぎる。“一日予定がない”という予定が既に決まっている。
テレビからニュースが流れてくる。と、先程の新宿の事故現場が映し出されていた。
「居合わせた友人の高校生二人、また事故を目撃していた通行人らの証言でも、確かに歩行者の女性が事故に巻き込まれたということですが、いまだにその姿を発見することは出来ません」
ただの交通事故だと思っていたが、どうやらおかしなことになってしまっているらしい。被害者と思われる女子高校生が蒸発してしまったという難解な事態に、マスコミも顔や姓名を発表するべきかどうか迷っているようだ。
「なんかフラフラっと道の真ん中に出てきて。友達らしいのが注意してたんだけど……うん、高校生。制服来てた」
目撃者の証言もみな似たり寄ったりで、なぜ消えてしまったかを解明するような参考意見はないようだった。一言“消えた”としか説明しようがないのである。画面には泣きじゃくる二人の友人、明日香と美咲のモザイクを掛けられた姿もあった。
「消えちゃったんじゃ葬式もあげられないよなぁ~」
優二は的外れな呟きを残してテレビを消し、風呂に入った。
「あれ、ホタル。まさかな。アレは夏のもんだ」
何か良くわからない小さな光が、風呂の窓から漆黒の闇に溶け込んでいった。




