第3章:夜盗と血の洗礼 ②痕跡を消す理由、見えない敵
ベリスは膝を押さえながら、倒れた山賊たちのところへゆっくりと歩いた。
タカシに向かって、低い声で命じる。
「タカシ、こっちに来い」
タカシは震える足で、ベリスについていく。死体から目を逸らしたい。でも——逸らせない。
血の臭いが鼻を突く。生臭い。鉄の匂い。そして——何か、甘ったるい臭い。死の臭い。
月明かりの下で、血の海が黒く光っている。まるで墨を地面にこぼしたように。
タカシの足が、血を踏む。ぐちゃり、という音。靴底に、粘つくような感触。
吐き気が込み上げる。でも——堪える。歯を食いしばって、堪える。
ベリスが言った。
「死体の確認をする。まだ息があるやつがいないか、見ていくぞ」
タカシは頷く。声が出ない。
ベリスは一人ずつ、山賊たちを確認していく。
一人目——頸動脈を切られた男。ベリスが最初に鍋をぶつけた男だ。地面に倒れている。首から血が流れ出て、地面を黒く染めている。目は見開かれたまま。もう動かない。
ベリスは淡々と言った。
「死んでる」
二人目——喉を切られた男。タカシを追いかけていた男。この男も地面に倒れている。喉を押さえた手が、そのまま固まっている。血の海の中で。
「こいつも」
三人目——同じく喉を切られた男。焚き火を蹴り飛ばされてひるんだ男だ。顔を庇った腕が、そのまま地面に投げ出されている。
「こいつも」
ベリスの声は、感情がない。まるで在庫の確認をするように。淡々と、事実だけを述べている。
四人目——心臓を貫かれた男。ベリスが三人同時攻撃を捌いた時、左脇から刺された男だ。地面に倒れている。目は虚ろだ。もう息をしていない。
「こいつも」
そして——五人目。
膝を砕かれ、頭を蹴られた男。こん棒使いだ。
この男は——まだ息があった。
浅く、途切れ途切れの呼吸。胸がかすかに上下している。顔が腫れ上がっている。顎が——明らかにおかしな方向に曲がっている。ベリスの蹴りで砕けたのだ。
口から血が流れている。ポタポタと、地面に滴り落ちる。
意識は——朦朧としているが、まだある。
ベリスは膝を押さえながら、しゃがみ込んだ。
「っ……」
痛みで顔をしかめる。だがすぐに表情を消して、男の顔を覗き込む。
「タカシ、水を持ってこい」
タカシははっとして、頷いた。震える足で、荷物のところまで走る。水筒を掴んで、戻ってくる。
ベリスは水筒を受け取って、男の顔に水をかけた。
バシャッ——
冷たい水が顔にかかる。男が咳き込む。
「が……ごほっ……ごほっ……」
苦しそうに身体を捩る。目が開く。ぼんやりとベリスを見る。
その目には——恐怖の色があった。
「た、たす……けて……」
かすれた声。顎が砕けているため、言葉にならない。血と唾液が口から流れる。
ベリスは冷たい声で言った。
「助ける? お前らが俺たちを襲ったんだろ」
「質問に答えろ。そうすれば——楽にしてやる」
男の目が、さらに見開かれる。恐怖。絶望。
ベリスは質問を始めた。
「誰に雇われた?」
男は首を振ろうとする——が、顎が砕けているため、動かせない。痛みで顔が歪む。
「……しら……ない……」
言葉にならない声。
「嘘をつくな。誰だ?」
「ほん……とに……」
ベリスは舌打ちした。
「ちっ……顎をやりすぎたか」
顎が砕けているため、男はまともに喋れない。尋問には不向きだ。
ベリスは方針を変えた。
「首を振れ。雇われたのか? それとも偶然か?」
男は——首を動かそうとする。横か、縦か。
だが意識が朦朧としている。どちらに振っているのか、分からない。曖昧な動き。
ベリスは苛立ちを隠せない。だが——質問を続ける。
「お前らの親分は、何と言っていた?」
「なんでこの場所に来た?」
男は——かすかに口を動かす。
「……や……ま……」
聞き取れない。
ベリスは耳を近づけた。
「ヤマ? 山か?」
「ひと……しごと……」
ベリスの目が鋭くなった。
「一仕事? 『ヤマ』があるから、と言ったのか?」
男は——かすかに頷いた。
「おや……ぶん……が……」
「……いって、た……」
「こん……や……お……きな……ヤマが……ある……って……」
ベリスは立ち上がった。右膝が痛む。だが——それよりも。
「一仕事があるから行くぞ、か」
これは——依頼された襲撃だ。
偶然じゃない。誰かが、俺たちを襲うように、この盗賊団に依頼した。
タカシを狙ったのか。それとも——俺を狙ったのか。
男が——哀願するような声を出した。
「た……すけて……」
「もう……やら……ない……」
「たすけ……て……」
ベリスは剣を抜いた。
タカシに向かって、静かに言う。
「タカシ、向こうを向いてろ」
タカシは——何が起きるか理解した。
この男を——殺す。
「ベリス……」
ベリスは冷たい目でタカシを見た。
「これも仕事だ。情報を得たら、口を封じる」
「でなければ、俺たちの情報が漏れる」
「向こうを向け」
タカシは——震える足で、向こうを向いた。
背後で——剣が振り下ろされる音。
ブッシュッ——
短い悲鳴。
「あ……」
そして——ドサッ、という音。身体が地面に倒れる音。
静寂。
タカシは目を閉じた。震えが止まらない。
ベリスの声が聞こえる。
「……終わった」
「これが、俺たちの世界だ」
タカシはゆっくりと振り返った。
男は——地面に倒れている。もう動かない。首が——半分切られている。血が流れ出している。
タカシは吐き気を催した。だが——堪える。歯を食いしばって、堪える。
ベリスは剣を振って、血を払った。シュッ、という音。血滴が地面に散る。
そして——倒れた山賊の服を掴んだ。血の付いていない部分を探す。肩のあたりだ。
その布で、剣の刃を丁寧に拭う。一度、二度、三度。刃の根元から切っ先まで。血糊を残さないように。
剣は鉄製だ。錆びやすい。脂をつけたままでは、切れ味が落ちる。血を付けたままにすれば、すぐに錆びる。
武器は命綱だ。手入れを怠れば、次の戦いで死ぬ。
ベリスは刃を確認した。月明かりに透かして見る。血が残っていないか。刃こぼれはないか。
問題ない——ように見える。だが、本当は研ぎたい。磨きたい。油を差したい。
それは後だ。今は——
ベリスは剣を鞘に納めた。
そしてタカシに向かって言った。
「タカシ、こいつらの持ち物を確認する」
「使えそうな武器や防具があるか見ろ」
タカシは——頷いた。
「……はい」
声が震えている。
* * *
タカシは山賊たちの武器を確認していく。
錆びた剣——刃こぼれだらけ。柄もボロボロだ。
刃の曲がった斧——柄も割れている。使ったら折れるだろう。
棍棒——ただの木の棒。血痕がこびりついている。
革鎧——穴だらけ。ボロボロで、とても防具として機能しない。
どれも——使い物にならない。
ベリスも自分で確認していた。山賊たちのポケットを探る。
銅貨が数枚。安い酒瓶。盗品らしき指輪——だが質が悪い。ほとんど価値がない。
ベリスは呟いた。
「全部ゴミだな」
タカシに向かって、落胆した声で言う。
「襲撃され損だ」
タカシは——申し訳なさそうに答えた。
「……すみません」
ベリスは首を振った。
「お前が謝ることじゃない」
そして——タカシに向かって、教えるように言った。
「いいか、タカシ」
「盗賊も商売だ。成功すれば金になる。失敗すれば何も残らない」
「こいつらは失敗した。だから——死んだ」
「俺たちも同じだ。失敗すれば死ぬ」
タカシは黙って頷いた。
冒険者という仕事の厳しさ。生きるか死ぬか。それが現実。
ベリスは膝を押さえながら、立ち上がった。
「っ……」
痛みで顔をしかめる。
「死体を運ぶ。河原まで」
「タカシ、手伝え」
タカシは——頷いた。
「……はい」
* * *
ベリスは重い死体も難なく引きずる。足首を掴んで、地面を引きずっていく。
タカシは——一番軽そうな死体を選んだ。若い男だ。喉を切られた男。
足を持って——引きずる。
重い。
そして——冷たい気がする。
いや、違う。自分の手が、熱いのだ。緊張で。恐怖で。汗ばんでいる。
だから、死体が冷たく感じる。
でも——本当は、それほど冷たくはないはずだ。死んでから、まだそれほど時間は経っていない。
それでも——タカシには、冷たく感じられた。
死体は、こんなにも重いのか。
タカシは必死で引きずった。地面に、血の跡が残る。引きずられた跡が、黒い線となって残る。
河原に到着した。
野営地から数十メートル。小川のほとりに開けた場所。石がゴロゴロしている。
ベリスが指示を出す。
「ここで燃やす」
タカシは——言葉を失った。
燃やす。死体を。
ベリスとタカシで、薪を集める。死体の下に薪を積む。
ベリスはランタン用の油をかけた。燃えやすくするためだ。
そしてタカシに向かって、説明するように言った。
「なぜ燃やすか分かるか?」
タカシは——考えて答えた。
「……臭いを消すため?」
ベリスは頷いた。
「それもある。だが一番は——追跡を避けるためだ」
「死体が見つかれば、誰かが調べに来る」
「仲間かもしれないし、別の盗賊かもしれない」
ベリスはタカシを見た。
「タカシ、こいつらの死体を見て、何が分かると思う?」
タカシは——考えた。死体。何が分かる?
「……何人、いたか?」
「それだけか?」
タカシは死体を見た。倒れ方。傷の位置。
「……どう、やられたか?」
「そうだ。傷を見れば、使った武器が分かる。構えが分かる。クセも分かる」
ベリスは続けた。
「背の高さ。力の強さ。躊躇の有無」
「こいつらを殺したやつが——敵対していい相手か、避けるべき相手か」
「全部、死体が教えてくれる」
ベリスは立ち上がった。
「だから——痕跡を消すのは、自分を守るためだ」
タカシは——理解した。
これがプロの仕事。戦って、殺して、そして——痕跡を消す。
ベリスが火をつけた。
薪が燃え始める。油がついているため、すぐに火が広がる。
オレンジ色の炎が、死体を包み込んでいく。
ベリスはタカシに問いかけた。
「なあ、タカシ」
タカシは振り向く。
「死体が情報に繋がることを知って、貴重な油を使ってまでその痕跡を消そうとする相手は——」
ベリスの目が鋭くなる。
「素人の山賊か? 本職か?」
タカシは——はっとした。
そうだ。油は貴重だ。ランタンを灯すのにも使う。簡単には手に入らない。
それを使ってまで、痕跡を消す。
「……本職、ですか?」
ベリスは頷いた。
「ああ。俺がやってるのを見て、真似する奴もいる。でも——」
「本当に理由を理解してやってる奴は、少ない」
ベリスは炎を見つめた。
「つまり——もし誰かが、こいつらの死体を見つけて、燃やされてることに気づいたら」
「その誰かは、こう考える」
ベリスの声が低くなる。
「こいつらを殺したのは、本職だ。関わらない方がいい、と」
タカシは——理解した。
痕跡を消すことは、自分を守るだけじゃない。
相手に「近づくな」というメッセージを送ることでもある。
そして——臭いが立ち上った。
焼ける肉の臭い。
タカシは鼻を押さえた。吐き気がする。でも——堪える。
ベリスは無表情だった。
この臭いに慣れている。何度も経験している。それが、ベリスの人生。
火が勢いよく燃えている。煙が立ち上る。夜空に向かって、白い煙が昇っていく。
ベリスは言った。
「火をつけたら、すぐに移動する」
「煙が上がる。匂いも出る。誰かに見つかる前に離れる」
タカシは頷いた。
「はい」
二人は野営地に戻って、荷物をまとめた。
ベリスは膝を押さえながら、荷物を背負う。タカシも自分の荷物を持つ。
二人は河原を離れた。
背後で——煙が上がっている。月明かりの中で、白い煙が立ち上っている。
タカシは振り返らなかった。
前を向いて歩く。
* * *
森の中を歩きながら、ベリスが話し始めた。
「タカシ、さっきの尋問で分かったことがある」
タカシは——聞いた。
「一仕事、ですか?」
ベリスは頷いた。
「ああ。『ヤマ』というのは、この辺の裏家業の隠語だ」
「『仕事』『獲物』という意味だ」
タカシは——理解した。
「つまり……」
ベリスは続けた。
「親分が『今夜ヤマがある』と言ったということは——」
「誰かに依頼されて、俺たちを襲ったということだ」
タカシは驚いた。
「依頼……誰が?」
ベリスは首を振った。
「分からん。だが——」
ベリスは考えるように、言葉を選んだ。
「召喚された少年を探しているヤツもいる、という話を、俺の元におまえを連れてきた奴が話していただろう」
「お前を狙った可能性もある」
「あるいは——俺を狙った可能性もある」
タカシは——不安そうに聞いた。
「ベリスを?」
ベリスは苦笑した。
「ああ。俺にも恨みを持つ奴は何人もいる」
そして——舌打ちした。
「親分を逃がしたのは、失敗だった」
「あいつから話を聞けば、依頼主が分かったかもしれない」
ベリスは立ち止まって、タカシを見た。
「親分は今頃、失敗を報告に行っているかもしれない」
「そうなれば——次の襲撃がある」
タカシは——青ざめた。
「次の……」
ベリスは頷いた。
「ああ。だから警戒しろ」
そしてタカシに、厳しい口調で命じた。
「いいか、タカシ」
「これから、常に警戒する」
「誰かに見られている、と思え」
「音に注意しろ。気配に注意しろ」
タカシは周囲を見回した。
森は静かだ。木々が風に揺れている。月明かりが木々の間から差し込んでいる。
でも——誰かがいるかもしれない。
見えない敵。
恐怖が込み上げる。
ベリスが聞いた。
「怖いか?」
タカシは——正直に答えた。
「……はい」
ベリスは頷いた。
「怖くて当然だ。だが——」
「恐怖で動けなくなるな。恐怖を力に変えろ」
「警戒心は、生き延びるための武器だ」
タカシは——頷いた。
恐怖を力に変える。
それができるかどうか——分からない。
でも——やってみる。
やるしかない。
ベリスは歩き出した。膝を引きずりながら。
タカシもついていく。
周囲に気を配りながら。
音に。気配に。
森の中を——二人は進んでいった。
背後では——河原で煙が上がっている。
死体を燃やす煙が。
そして——どこかで。
親分が——逃げている。
次の襲撃のために。
タカシは——そう感じていた。
これは——終わりじゃない。
始まりだ。
何かが——動き出している。
自分たちを狙って。
タカシは拳を握った。
震えを止めるために。
恐怖を——力に変えるために。
ベリスの背中を見ながら——歩き続けた。




