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第5話 欠片の白輪、鎖の釘

 七割しか戻らなかった封は、夜が更けるほどに軋みを増した。

 井戸蓋の下で竜脈が息を吐き、子どもたちの泣き声が霧に溶ける。銀鍵は折れ、残る封具は凛夜の釘と白因刀、黒鋼因爪、そして箱の中で燻る黒刀だけだった。


◇ 準備


 社務所の土間に即席の机。凛夜は銀鍵の欠片を釘で板へ留め、銀と鉄の小さな輪を作った。

「欠片は二片。これを輪結界の芯に繋げば、折れた鍵の代わりを果たす」

 霧花は図面に朱を入れながら問う。

「釘頭だけで竜脈を受け切れる?」

「釘頭を鎖で束ねる。鎖は……」

 迅牙が黙って黒鋼因爪を外し、革紐をごそっと寄こした。

「爪の重ね紐だ。真鋼と麻を撚ってある。切れない」


 三人は夜明け前まで黙々と作業した。白い息が揺れるたび、箱の中の黒刀が金属とも脈拍ともつかぬ震えを漏らす。

 凛夜が最後の釘を打った瞬間、囁きが耳裏を焦がした。──いずれ怒りは溢れる。それでも借りぬのか。

「借りない」凛夜は内心で答え、鎖を締めた。


◇ 監察官ふたたび


 夜の四つ時、篠月が再来した。今回は十名の測衛を連れ、さらに黒因派の男を従える。能面を外し首に数珠を掛けた刻み師、その生き残りらしい。

 篠月は柵を広げ、井戸を指で示す。

「封を開かぬなら、井戸ごと灰にする。因は降り灰は残る」

 霧花が遮った。

「灰どころか村が死にます」

「死者は数に入らぬ。資源を守る算盤には」

 言葉の温度に、夜気より冷たいものが混じる。


◇ 戦端


 黒因派の刻み師が袖を払うと、測衛の面に追加術式が走る。白布面が赤い筋で裂け、核が黒珠へ置き換わった。「半測衛」――測定と破封を兼ねる新型だ。

 迅牙が舌打ちした。「白で三体、釘で四体、爪で残り。刻み師は俺が行く」

 凛夜は首を横に振る。「珠が黒因寄り。まず釘で核を引き抜き、白で凍らせ、爪で割る。順は守れ」


 嵐のような足音。霧花の白因刀が三体の動きを凍らせる。凛夜が釘で核へ鎖を打ち込み、迅牙が一撃ずつ平打ち――珠が砕け白霧に還る。

 だが核の残りが井戸へ跳ね、竜脈と融合しようとする。凛夜は鎖釘を投げ、銀鍵欠片を芯にした輪結界へ叩き込んだ。欠片が白く輝き、黒炎を一息吸い取る。


◇ 封・最終段


 井戸蓋の結界は七割からじりじりと八割へ。だが九割に届く前に欠片が軋み、銀白から煤色へ変わった。霧花が唇を噛む。

「もう持たない!」

 篠月が短笛を高く掲げる。「灰に還せ!」


 刻み師が胸の奥から珠を引き抜き、短笛の音に合わせて割った。珠に籠もる因が黒風となり、一気に井戸へ落ちる。輪結界が裂け、竜脈の背骨が最後の呼気を上げた。


 凛夜の胸で鎖が爆ぜた。喰因刀の鞘が半寸上がる。

──借りろ。今こそ怒りを喰い、封を閉じよ。

 刹那、霧花が白因刀で鞘口を打った。甲高い金属音。鞘は閉じ、黒靄は止まる。

 霧花の声が震える。「怒りまで渡したら、凛夜じゃなくなる!」

 迅牙が爪を構え、盾のように前へ出る。「それでも抜くか? 選べ!」


 凛夜は拳を固めた。

「抜かない。けど――喰わせる」

 箱を開き、銀鍵の欠片を刃へ押し当てる。黒刀は刃身を出さず、欠片を通して竜炎の残滓だけを吸い取った。鍵は白く蘇り、釘鎖の輪が最後の欠けを埋める。


 霧花が震える息で低く囁く。「今!」

 白因刀が竜脈を凍らせる。凛夜は再生した鍵をひと捻り。最後の刻印が剝がれ、欠片と釘が白輪に変わった。

 迅牙が竜背へ跳び、珠を掴み砕く。澄んだ破裂音――黒霧が白い息へ形を変えてはじけ、井戸の奥へ吸い込まれて消えた。


 結界が九割九分で閉じ、井戸蓋は静かに鎮まった。刻印の縁だけが青白く脈を打ち、やがて石の色へ溶け込む。


◇ 後


 篠月は笛を折られたまま、呻くように言った。

「封殺の術ごと因を喰わせるとは……完成しきらぬ化け物だ。いずれ制御を失う」

 凛夜は箱を抱え、低く返す。

「借りなければ化け物にはならない。怒りは俺のものだ」

 監察官は何も言い返さず、測衛の残骸を回収すると霧へ消えた。


 井戸は沈黙し、白霧は夜明けの風に薄まる。

 霧花が胸の前で白鞘を合わせ、深く息を吐いた。

「終わった……ね?」

 凛夜は首を振る。「封は戻ったが、黒刀が欠片を喰った。まだ腹を空かせてる」

 迅牙が空を見上げ、東の雲が朱に染まるのを見た。

「腹を満たさせずに鎖に繋ぐ。それが次の戦いだろう」


 朝陽が鳥居の影を長く引き、社務所の屋根瓦を金に染めた。

 白い霧の底で、喰因刀の金属音がひとつ、短く鳴った。

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