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第二話 暁の護送、影走る山路

山あいの霧村では、ここ数日こどもが次々と姿を消している。原因と目されるのは村の中心に据えられた〈黒因の井戸〉――百年前に封じられた因力(負の感情エネルギー)の源だ。封がゆるめば霧は黒く染まり、怒りを糧とする〈妖〉が生まれる。


討伐・封印組織〈隠〉が派遣したのは三名。

  ●封釘を打つ若き封術士 凛夜

  ●動きを凍らせる白因刀〈静〉の使い手 霧花

  ●核を砕く黒爪の破砕係 迅牙(合流前)


そして凛夜が背負う杉箱には〈喰因刀くいいんとう〉が眠る。

 喰因刀――通称“黒刀”。持ち主の怒りや悔しさを“食う”ことで凄まじい力を引き出す禁断の刃だ。

 ・怒りを食わせれば封印の失敗を強引に立て直せる「最終兵器」

 ・しかし使うたび心が削れ、暴走すれば封印どころか周囲を因力まみれにしてしまう「歩く魔窟」


この〈必要だけれど最も危険〉という二面性のため、黒刀は組織内で“監視対象”に指定されている。凛夜自身も力を借りぬと誓っているが、井戸の封が落ちたとき最後に村を守れるのは黒刀しかない――それもまた事実だ。


任務は三つ。

 ① 井戸の封のゆるみを確認し、補強すること

 ② 行方不明の子どもを救い出すこと

 ③ 黒刀を決して抜かずに帰還すること


白で止め、釘で塞ぎ、爪で砕く。

 封印三段連携は成功するのか。

 飢えた黒刀は静かに笑い、霧村の白霧は最初の黒い影を孕み始めていた――

 夜明け前、社務所の畳に浅い息が揃う。

 救い出した四人の子らは布団に横並びに寝かされ、額へ当てた冷布がわずかに湿る程度の熱しか残していない。霧花が脈を測り終えて安堵の息を漏らすと、外の鶏が一声だけ鳴いた。白霧の空が、薄く紅を孕んでいる。


「今のうちに運び出そう」

 凛夜が低く言う。

 封は繕った。だが黒因派が諦める保証はない。因研究局の写しも本所へ運ばれる最中だ。日が高くなるほど、村の外周路が閉じられる危険が増す。

 迅牙は疎開用の手車を蔵から引き出し、車輪に油を差す。「山上の関所までは一刻半。そこで隠の搬送班に託す手筈だ」


 子どもを毛布と藁でくるみ、霧花が胸紐を結び直す。凛夜は釘袋の重みを点検し、背負い箱へ掌を置いた。箱は静かだが、昨晩より金属の温度が濃い気がする。

「悪いが今日も大人しくしていろ」

 釘と爪と白因刀――三枚の札の順番は決まっている。黒刀の出番はない、はずだった。



 社務所を発つと霧は夜より薄い。だが風が通るたび、石畳の隙間から黒い埃が立つ。蓋を戻した井戸は沈黙しているが、村の地脈に入り込んだ因はまだ渦を巻くらしい。

 手車の前後を迅牙と凛夜が挟み、霧花は紐持ち子どもの脈を数え続けた。鳥居を抜け、山路へ入る。朝日がまだ低く、杉木立が長い影を伸ばす。


 半刻ほど歩いたところで、道端の立て札が落ちていた。墨で「通行止」と書かれ、板の裏に割符が貼られている。

「誰かが封陣を逆さに貼った跡」霧花が屈み込み目を凝らす。「黒因派の癖ね。進んで良し、の符を『進むな』に見せかける」

「関所側へ追い出して伏せるつもりか」迅牙は手車を止め、爪で割符を断った。


 凛夜は胸を掠める黒い風を感じた。喉が照りつける。半拍遅れの心臓が高鳴る。

──悔いを、怒りを、流せ。

 囁きが箱の板を指で弾くように響く。凛夜は奥歯を噛み、早足で車の横へ戻った。


 山路が峠へ差しかかるころ、霧が突然濃くなった。谷側の木陰に黒い綻びが浮かぶ。墨を垂らしたような斑点が、地面を這っている。

 迅牙が静かに手を挙げる。「潜みだ。数は……三」

 霧花が子どもを覆いかぶせるように屈む。

 次の瞬間、土砂が裂け、三体の妖が躍り出た。人形の胴を針金で繋いだような細長い影。胸部に黒珠が吊られ、珠の下へ小さな白札が縫いつけられている。

「黒因派の差し向けか」凛夜は釘を抜いた。札は恐らく霊路を固定する誘因符。封を傷めるための即席兵器だ。


「固定」

 霧花の白因刀が扇状に走り、左の妖の肩が凍る。凛夜は札と珠の間に釘を滑らせた。刻印が火花を散らし、妖が軸を崩す。

 迅牙が踏み込み、右の妖を両爪で掴む。ねじり込む音に続けて平打ち。珠が砕け、黒い体が霧へ戻る。


 中央の妖が手車へ伸びる。子どもの背に影の糸が絡み――霧花が刃を返し、動きを凍らせる。しかし糸は分岐して凛夜の足元へ潜り、影の輪を描いた。囁きが耳朶を震わせる。

──怒れ、流せ。

 世界が半歩遅れ、影輪の走路が白線で縁取られた。凛夜は網を編むように釘を投げ、木槌で叩く。刻印と刻印が火花をつなぎ、輪が閉ざされた。

「今!」

 迅牙が空を裂き、爪で珠を抜き取る。平打ち一閃。珠が弾け、霧が晴れた。


 山の空気が一度深く吸い込まれ、静けさが戻る。霧花は手車を覗き込み、子どもの額に手を当てる。熱は上がっていない。

「誘因符を用いた妖。黒因派が封の綻びから盗み出した因をここで実験している」

「なら追手はまだ来る」迅牙は爪を雪駄で軽く払う。「関所まで急ごう」



 峠の麓に古い石橋がある。谷をまたぐ細道で、人ひとり通れば満杯の幅しかない。橋上に旅装の男が待ち構えていた。薄鼠の袴に編笠を深く被り、袖から蝋のような白手が覗く。

 男はゆるりと笠を上げた。目がない。眼窩に黒い珠が埋め込まれ、口は縫い糸で閉じられている。皮膚は人だが意思は妖という、黒因派独特の“半刻み”。

 凛夜は胸の熱が跳ねるのを感じた。


「この先には行かせない、という宣告だな」迅牙が手車を守るように半歩前に出る。

 男は腕を広げ、指先から黒い霧を噴いた。霧は紙を燃やす煤のように空を覆い、無数の糸を孕んでいる。


「固定」霧花の刃が前方に弧を描き、噴霧の半分を凍りつかせた。残りが絡みつく前に凛夜は踏み込み、影の根を探る。半拍遅れの心音が影の脈動と重なり、一点だけ光る線が見えた。そこへ釘を打つ。刻印が火花となり、霧を縫い止める。

 男は糸を引くが動かない。迅牙が間合いを詰め、爪で胴を開く。胸中に黒珠が三つ。同時に白札――誘因符が重ね貼りされ、珠を護る。

 迅牙が一つ目を掴み、ねじる。亀裂音。しかし札が珠を締め付け、裂け目を塞ぐ。

「札を剥がさねば割れん」

「任せて」凛夜は釘をすべて投げ、珠の周を囲む六角形を組んだ。木槌で順に叩くたび札が刻印に吸い寄せられ、黒珠がむき出しになる。

 霧花が白刃を触れさせ、一瞬の凍結。迅牙が五爪を束ね、三珠まとめて平打ち。鈍い鐘のような音が谷を揺らし、男の体が白霧へ散った。


 石橋の下を風が抜け、匂いが軽くなる。凛夜は胸の箱を押さえた。囁きがずっと内側で焦れている。怒りも悔いも差し出さないまま、戦いを終え続けているからだ。


「橋を渡ろう」霧花が手車を押し始める。向こうに関所の柿渋の門が見え、大勢の影が走り回っている。隠の搬送班が到着していた。



 関所の詰所。子どもたちを担架へ移し、薬師が脈を診る。隠の士が井戸の状況を聞き取りに来た。迅牙は簡潔に報告し、霧花は眠そうな子の手を握ったまま目を閉じた。


 凛夜は奥の土間で手桶の水を浴びている。喉の熱が抜けない。掌の奥で黒刀が呼気のような震えを漏らす。

──怒りを、渡せ。血でもいい。

「借りない」爪を立てるほど拳を握った。鼻腔に血の匂い。夢の残像が一瞬揺れる。


 戸口で衣擦れ。霧花が水桶を持って立っていた。「追加です。熱、酷そうだから」

 凛夜は礼を言い、桶を受け取る。霧花はしばらく黙り、戸口の外を見た。峠道の向こう、山腹に薄桃の朝日が差している。

「さっきの橋、札の骨は人骨でした」

「人を珠へ刻む術か」

「ええ。半刻みは黒因派でも手の速い者しか扱えません。村の下にまだ工房があるはず」

 凛夜の心臓が鈍く跳ねる。黒刀が箱の内側で笑った気配がする。

「封を繕っただけでは終わらない、か」

「終わらせます」霧花は強く言い、だが声が震えた。「このままでは……また誰かが珠にされる」


 凛夜は桶を置き、霧花の肩を軽く叩いた。「抜け道を探ろう。あの井戸は表口にすぎない」

 迅牙が廊下から現れ、頷く。「搬送班の護衛を残し、我々三人で村へ戻る手筈を整えた。下に通じる祠が一つ、古地図にある」

 霧花が鞘を握る。「白で止め、釘で塞ぎ、爪で砕く」

「そして黒刀は使わない」凛夜は胸の箱を軽く叩いた。鎖の軋みが骨へ響く。


──ならば もっと深くへ

 囁きは霧の底で笑い、けれど鎖はまだ切れなかった。


 関所の門が開き、白霧をまとった朝風が吹き込む。三人は再び山路へ向かう。谷の影は夜より濃く、その奥に霧村の屋根が霞んでいた。


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