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老科学者の空虚な日常

笛の音は夜に踊る

作者: 一飼 安美

 どこかから、歌声が聞こえてくる。おおよそ酔っ払いが騒いでいるのだろう。用事がなければ来ないような平野の向こうに、俺は使いに来た。ガキじゃあるまいし、と悪態をついていたがこの家の老科学者の前でそれを漏らすわけにもいかず、黙り込む。大昔に学会を追われたという老いぼれは、俺の訛りに興味を持った。育ちはこの国だが、生まれはヨーロッパだ、と伝えると、やはりか、と見当がついていたようだ。夜の歌声に興味を持つのだから、ふと頭によぎったのだという。科学者とは思えない、くだらない御伽噺だった。


「吹かねえよ、笛なんて」


 俺の地元では時折その話が蒸し返される。笛を吹いて子供を連れていく、大昔の誘拐犯。いい歳をした大人が仮装に使うこともしばしばだ。俺は……そういうものではないと思うから、あまりいい気がしない。すると老いぼれは、君は見どころがある、とおだててきた。そして真剣に聞くのだ。何があったと思う?と。そんなことは、あったわけがない。作り話。多少不気味で印象が強いから、言いたくなるだけだ。そう言ってやったのに、本当に思うか?と聞き返す老いぼれに、俺は一瞬言葉を選んだ。俺が答える前に、老いぼれは言った。やはり、見どころがある、と。老いぼれが言うには、さして難しくない。理屈だけなら、と後から付け足した。


 笛の音で蛇を操る者がいる。アラブに行けば珍しいものでもなく、笛の音かと思いきや指の動きで操っているのだ、と自慢げに語る者もいる。……真偽がどうあれ、人間の動きが異種生物の行動を誘起する。実例は知らぬ者の方が少ないのだから、実在する技術だ。……爬虫類を操れるならば、哺乳類なら。つまりネズミならもっと容易い。もっと近しい生き物……同種生物なら?人間は生まれてすぐに壊れ始め変質を繰り返し、いつからか感覚をなくす。だからわからないものが多い。子供は……少なくとも大人よりもよほど野生に近く、幼いほど生物としての機能を残している。蛇を操り、ネズミを操れるなら、子供など容易い。そんな技術の持ち主が、現れたのではないか。感心するような、呆れるような夢物語だ。いい歳してるのに。操れるのは、きっと蛇だけなんだよ。蛇だからできるだけ。たまたまそういう生き物なんだ。そうかもしれないね、と老いぼれは言っていた。堪えた様子がなさそうだから、言ってやった。ネズミや子供たちの皮を被った、蛇が相手ならできるかもな。でもそんなものいない。俺の口の中をどんなに探したって、コブラなんて出てこない。そしたら老いぼれは、俺に聞くのだ。


「本当に思うかい?」


 ……老いぼれは、君は見どころがある、と繰り返した。何を言ってやがる。俺はただ、少し驚いて言葉に詰まっただけだ。考えたわけじゃない。……考えたわけじゃない。君のような人が、もっといてくれればいいんだが……そう語る老いぼれをよそに、俺は研究資料を受け取り帰り道についた。気分が悪い。少し遊ぶとしよう。金をケチって女を抱かなければ、生きていないのと同じだ。俺はいつも、そう思っている。


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