Ⅸ
「なあファエット、ジェイミーは一体いつからメイドをやっているのだ?」
朝食を取るために食堂へと向かう僕たち。 廊下を二人並んで歩きながらジェイミーのことをさりげなく聞いてみた。
「うーむ、恥ずかしながら、彼女についてはわしも詳しく存じませんのです。 おぼっちゃまたちが離宮に移る際初めて顔を合わせたものでして、出自も育ちも不明でございますし、従者というものは厄介な事情を抱えているものが多いですからな。 そうやすやすとプライベートのことは伺えません」
ファエットは困ったような声音で僕の質問に答えてくれたが、すぐに真剣な顔で進行方向をじっと見つめた。
「ただ、一つだけ言えることがあります」
「ん? なんだ、そんなにかしこまって」
「少し深刻な話になりますので、心優しいぼっちゃまは心を痛めてしまうかと思いまして。 あまり気を落とさないでいただきたいのですが、お約束していただけますか?」
ファエットが気まずげな顔を向けながら足を止めたので、思わず身構えてしまう。
「お前が言いたくないのなら、無理に話すことはないんだぞ?」
「いえ、わしは全く気にしてはいません。 なんせこの年ですからね」
「そうか、わかった。 例え衝撃的な事実を耳に入れることになっても、出来うる限り気を落とさないよう覚悟を決めよう」
「ぼっちゃま、顔がこわばっておりますよ?」
ファエットは皮肉を言いながら小さく笑みをこぼす。 なんだか思考を見透かされているような気がして恥ずかしかった。 僕は口をへの字に曲げながら視線を逸らしたが、そんな僕の横顔を見ながらファエットはわざとらしく咳払いをする。
「では、お話しいたしますぞ? ここの従者になるためには、一つ条件があったのです」
「条件? それは初耳だな」
「ええ、なんせその条件というのは、『家族がいない、独り身に限る』というものでしたから」
その一言で、僕はギョッと目を見開く。 言い換えるのならそれは、一生この場所から出られなくなる覚悟を決めろということだろう。
家族がいたら、ちょくちょく帰って顔を出さないと心配されるから。 けれどその家族がいなければ、いつまでもこの離宮に閉じ込められてても誰にも心配されないと言うこと。
つまりここに支えている二人は………
「家族を何らかの理由で無くしています。 わしも、ジェイミーも含めて孤独だったのです。 わしの場合は随分前に妻がおりましたが、子供は生まれてすぐ命を落としましたし、妻は戦争に巻き込まれて命を落としていましてね。 その事実を忘れようと、当時のわしはレイダー様のために必死に従者の責務を真っ当してきましたからな。 家族がいないということは、帰る場所がないということにも等しい。 ですからわしらはこの離宮での従者募集の話を聞き、この場所に骨を埋める覚悟でお支えしているのです」
胸がズキリと痛んだ。 ひとりぼっちの辛さは、想像もつかないのだから。
なんなら僕は恵まれていた。 親に隔離されたとはいえ、僕には双子の妹が一緒にいる。 同い年だし僕はただ少し生まれるのが早かっただけだ。 それでも兄としてリューズを支え続け、誰かのために行動をするという喜びを知った。
リューズだって同じ気持ちだっただろう。 常に笑顔で接してくれて、僕はその笑顔に救われていたんだ。
その笑顔を見るために色々なことをしてきた。 今日までお互いに辛いことを考えないよう、楽しい思い出をたくさん作れるよう生きてきたのだ。
一人だったらこんな楽観的なことはできなかっただろう。 隣に信用できる人物がいるというだけで、何よりも安心できるのだ。
ファエットは最愛の奥さんも失い、子供も生まれたと同時に亡くしたと言った。 僕にはその辛さなんてこれっぽっちも知ることはできないだろう。 なんと声をかけていいのかわからない。
気休めの言葉なんて、ただ相手の傷口に塩を塗るようなものなのだろうから。
「ぼっちゃま。 約束が違いますぞ? そのお顔はなんですか?」
「す、すまん」
「お優しすぎるのも損をしますぞ? わしはぼっちゃまと生活するこの時間がとても楽しいのです。 なんだか息子を持った気分になってしまいましてな。 ですからそんなお顔はおやめください」
ファエットが屈み込んで僕の頭を優しく撫でる。 まるで本当の親のような優しさで。
そうだ、僕の心を支えてくれていたのはリューズだけではない。 ファエットも僕たちの世話をしてくれていた。
ジェイミーだってそうだ、何を考えているのかはわからないが、僕たちのために毎日美味しい料理を作って、汚してしまった部屋だっていつも綺麗にしてくれている。
母親とまでは行かないが、姉のように頼り甲斐のある振る舞いをしてくれていた。 だから僕たちは今日までずっと腐らずに生きてこれたんだ。
参ったな、こんなにも優しい笑顔を向けられてしまったら、離宮脱走など………したくなくなってしまうではないか。