Ⅶ
数日後、どうやら船の模型が届いたらしい。 離宮の入り口に馬車がついているのが二階の窓から見えた。
商人の対応を終えて離宮の中に戻ってきたファエットの元に、リューズが嬉しそうに走っていった光景を、肩に止めた黒い鳥と戯れながら眺めている。
正攻法で行くならあの入り口しか脱走する経路がないのは目に見えてわかる。 しかし四六時中背後についてまわるファエットだけではなく、いつの間にか現れるジェイミーをどう対応したらいいものか。
つい先日も意味のわからないことを言っていたし、ジェイミーに関しては要注意だ。 命を狙われているという話はおそらく脅しだとは思うのだが、なんか怖いから堂々と行動を起こせないでいるのだ。
とは言ってもこのまま怖がっていたら何も始まらない。 僕でもできそうな方法で脱走を計画して、行動を起こさなければ一生ここからは出られないだろう。
有力なのは廃棄物に混ざる手段。 少し抵抗あるけど一番安全そうだ。
離宮の中で出た廃棄物は廃棄用の大きな木箱に詰めているようで、その巨大すぎる二つの箱を軽々と運ぶファエットが見えている。 外で待機させている商人に廃棄物を処理してもらうために運んでいるのだ。 あの廃棄物に紛れて外に出るという方法なら割と容易なのではないか?
次商人が来た時、さりげなくファエットが廃棄物を持っていく過程を観察してみよう。 おそらく脱走するにはこの手段が最も効率的だ。
廃棄物は燃えるものと燃えないものを簡単に分けているようで、箱は二つある。 大きさ的に僕くらいの身長なら三人は入れそうだ。
入るとしたら、燃えないゴミの方がいいな。 燃えるごみは生ゴミも入っているから絶対に臭い。
しかしファエット。 あんな大きな箱を片手で、しかも二つ同時に運ぶなど………一体どんな筋肉をしているのだろうか?
そんなことを思考しながら顎をさすり、正門の影からかすかに目視できる商人の馬車をジッと睨みつける。
はて、外に出たとしてその後はどうしようか。 おそらく商人の馬車は違う街に向かうだろうから大森林越えや関所の問題はどうにかできるだろう。
問題はその後だ、典型的な箱入りだったから外の世界の常識も不明な上に、金もなければ住むところもない。
あの夢を見てから一週間以上経過している。 ここ最近は自由時間は書斎に浸りきりだが新聞などの世界情勢を読み取る資料がない。 徹底して外の情報を僕たちに学ばせない気なのだろう。
それに最近はずっと書斎にいるせいか、リューズが『お兄様! そろそろお外で遊びたいのですわ!』などと駄々をこねてしまう。
『僕のことはほっといて、外で遊びたいなら一人で遊べ!』 と言ってみたら、目の前でボロボロと泣き出されてしまい非常にいたたまれなくなった。
どうしたものかと悩んでいると、リューズが満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってくる。 その様子を見て思わず破面しながらリューズを迎え入れ、優しく頭を撫でていると頬をほんのりと赤くしながらもっと撫でろと言わんばかりにぴょこぴょこと背伸びをしてくる。 まったく、とんだ甘えん坊だ。
肩に乗っていた小鳥を空に返すと、リューズは目を輝かせながら後ろを歩いていたファエットに指先を向けた。
「お兄様! お船の模型が届きましたよ! 講義が終わったら一緒に観察しましょう!」
「そうだな。 お前が嬉しそうで、僕まで嬉しくなってしまったよ」
心癒される笑顔を向けられ、髪がボサボサにならないよう手櫛を入れるように優しくリューズの頭を撫でていると、船の模型が入っているであろう木箱を抱えてファエットが戻ってきた。
「さてぼっちゃま。 今日の講義は算術ですぞ? それが終わったらリューズお嬢様と一緒にこちらを観察するのですよね?」
「ああそのつもりだ」
「お兄様! お船の構造がわかったら、一緒に手作りいたしましょう!」
一番星のように輝かせた瞳を向けてくるリューズを見ていると、本当に嬉しくなる。
脱走するために成り行きで船のことをファエットに聞いたのだが、なんだか聞いてよかったと今になって思っていた。
そんな中、楽しそうに会話をする僕たちを離れた距離からじっと見ているジェイミーが横目に映る。 僕は思わずギョッとして全身に鳥肌を立ててしまった。
いつも無表情だから元々目つきだけは怖いのだが、今の彼女はいつも以上に鋭い視線を僕に向けてきていた。
どうやら脱走する以前に、ジェイミーの事をもっと知る必要がありそうだ。
*
その日の夜、自分のベットに横になりながら一日の振り返りをする。
算術の講義中もジェイミーから鋭い視線が向けられ続けていて、僕はチラチラと彼女の様子を伺っていたのだが特にこれといった問題もなく、ただずっとガン見されているだけだった。
心の奥を見透かされているような視線。 まるで僕が考えた策はことごとく筒抜けだと錯覚させられる。
その後もジェイミーからの視線を背中に受けながら、リューズと船の模型を隅から隅まで観察して時間を過ごした。
ご丁寧なことに届いた模型は中心で真っ二つにできるから、船の内装も隅から隅まで観察できた。
造船士は設計図を書いた後小さな模型を作成し、その後で実際に作業に入るらしいのだが、取り寄せた模型は設計図をもとに作られた本物らしい。
木造船で船内には大砲や船員の個室、火薬庫から何から詳細に作られている。 どうやらこの形の船はガレオン船と呼ばれているようで、帆柱は四本。 中心の帆柱は一番太くて長い、大きな帆を貼ることができるようで、オールも搭載されていた。 帆柱同士を結ぶロープは油断すれば絡まってしまいそうで怖かった。
しかしリアリティ溢れる造形は実に繊細だった。 見ているだけで感動してしまいそうな美しい装飾も相まってか、いつまで見ていても飽きない美しさ。
なんたって船首と船尾がわずかに反り上がっているのだが、そこがなんともまた魅力的だ。 リューズも煌々とした瞳で口をあんぐり開けたままずっと見入っていた。
あんな立派な船なら潮の流れが複雑なこの辺りの海域も渡れてしまいそうだが、そうもいかないようだ。 なんせファエットの話だと海は怖いものだという。 突然嵐が来てしまうこともあれば、危険な生き物もたくさん生息しているらしい。
城を丸呑みしてしまうほど強大な軟体生物や、一刺しであらゆる生き物を絶命させるほどの毒を持った刺胞動物。 鋭い歯で獲物を噛みちぎる凶暴な魚もいるらしい。
海に住む魔物も、森に住んでいる魔獣も血の匂いを嗅ぐと興奮状態になって、敵味方関係なしに襲いかかってくるらしい。
怖い、容易に海や森に近づくのは絶対にやめよう。 そう思いながらファエットのうんちくを聞いていた。
どうやらファエットは、簡単な模型を作ることができる手作りキットも取り寄せていたらしい。 明日から自由時間はリューズと一緒に船の模型作りに没頭することになりそうだ。
脱走計画を立てるのがまたしても滞ってしまいそうだが、リューズに泣かれたら僕も心が痛くなってしまう。 今後は脱走計画立案のため、夜中に寝室を抜け出すしかないだろう。
しばらくは睡眠不足に悩まされそうだ。
仕方がないことだ、なにせリューズが悲しい顔をするのは見ていて辛い。 書斎の件で泣かれてからトラウマになってしまったのだ。 だからあの子から楽しみを奪いたくはない。
リューズは昔から細かい作業が好きだったからきっと没頭するだろう。 そう思いながらもベットの中に意識を沈めていった。