Ⅵ
この屋敷の食事は常にジェイミーが作ってくれている。 彼女の料理はいつも絶品なため、僕はいつものようにジェイミーの朝食を絶賛しながら堪能していた。 先日のことは忘れよう、そう思いながら朝食を味わう。
しかし、これが事件の始まりだったとは、今の僕は思いもしていなかった。
「やはりジェイミーの料理は絶品だ! 王宮の食事よりもうまいのではないか? 僕はこんなにも幸せ者でいいのか疑ってしまう」
「ありがとうございますストールおぼっちゃま。 ですが、毎度毎度そのようにお褒めいただなくても大丈夫なのですよ?」
「何を言うか! うまいものをうまいと言いながら食すのは、作った本人へ向ける最大限の敬意なのだ! 毎日食えるのはこの上ない喜びだぞ!」
真顔で褒め称える僕の言葉を、ジェイミーはそっぽを向いてこめかみを掻きながら聞き流している。 これでは喜んでくれているのか呆れているのかまったくわからん。
しかし、僕の隣で一緒に食事を食べていたリューズが突然机を叩きながら立ち上がったため、僕もジェイミーも驚いてリューズに視線を集めた。
「ジェイミー! わたくしにもお料理を教えてくださいませ!」
その一言に、僕とジェイミーはごくりと喉を鳴らす。
「お、落ち着けリューズ。 料理ならいつもジェイミーが作ってくれるんだ。 お前が無理することはない」
「その通りですお嬢様。 世の中の人間には向き不向きがございまして………」
「こらジェイミー! オブラートに包んでくれ!」
僕は慌ててジェイミーを黙らせようとするが、リューズは目頭に涙を溜めながらプルプルと震え出した。
リューズは悔しい思いをすると泣いてしまうのだ。 この予備動作はその前兆である。
「どうして二人揃ってそんなに必死ですの! ひどいですわ! この前の失敗はたまたまですもの!」
リューズが言うこの前の失敗とは、お菓子作りで作ってしまった伝説のことだろう。 この子はクッキーを作ろうとしてカップケーキだかスコーンだか区別のつけられない物体を作った。
しかもプレーン味なのに真っ黒なものを、だ。 もちろんプレーン味にしようとしたらチョコレート味になったとかそんなお茶目な理由ではない。 僕たちは渋々と言った形で一口味見したが、炭と砂糖の味がした、つまりそういうことだ。
「リューズお嬢様、今日はお料理を練習なさるのですね? でしたらわしは掃除と洗濯を———」
「待てファエット! リューズがせっかくやる気になったのだ、しっかり僕たちで見届けてあげようではないか!」
「しかしですねぇおぼっちゃま。 わしはもうお腹いっぱいでして………」
「嘘をつくな! 数分前にお腹を鳴らしていただろう! そんなにリューズの作ったご飯が食べたくないのかお前は!」
「いえいえそんなことは………って! リューズお嬢様! 泣かないでくださいませ! 分かりました、分かりましたのでお手伝いさせていただきます! いえ、お手伝いさせてくださいませ!」
ファエットが必死に逃げようとしたせいで、リューズは頬をぷっくりと膨らませながらぼろぼろと涙をこぼしている。 泣き出してしまったリューズを見て、ファエットは額から滝のように汗を流しながら必死にフォローをし始めた。
その姿を横目に見ながらジェイミーは必死に思考を巡らせている。 一体何を考えているのだろうか?
まさか、この状況でもリューズに料理をさせるのを阻止するつもりなのか? それとも失敗しようのない料理を考えているのか?
「おいジェイミー。 お前が監督すれば料理くらい簡単に作れるだろう?」
「ストールおぼっちゃま。 もしやわたくしめに丸投げするおつもりですか?」
「ま、丸投げなんて人聞きの悪い。 何か、簡単な料理とかないのか? 初めて作る料理なら、難しいのはやめさせた方がいいだろう? と思って聞いただけだぞ?」
僕がおどおどしながらそんなふうに告げると、ジェイミーは無表情でリューズを一瞥した。
「お嬢様! ただ作るだけでは面白くありません。 ストールおぼっちゃまと一緒にお料理されてはいかがです? なんでも、外の世界では料理対決なるものがあるらしいので」
「料理対決ですの? 初めて伺いましたが、なんだか楽しそうですわ!」
さっきまでご機嫌斜めだったリューズは、ジェイミーの提案を聞いて瞳をキラキラと輝かせているが、僕としては非常に迷惑この上ない。
「おいジェイミー。 僕は料理するなんて一言も言っていないぞ?」
「おや? ストールおぼっちゃまはお嬢様の料理にさんざん文句を言おうとしていたので、てっきり料理が上手なのかと思っていましたが? もしやストールおぼっちゃま。 料理を作れもしないくせに、お嬢様の料理に文句を言おうとしていらしたのですか?」
あからさまに煽ってくるジェイミーを見て、僕はピキリとこめかみの血管を浮き上がらせる。
「ほう、上等じゃないか! やってやろうではないか! 僕だって毎日お前の料理をただ食べていただけではない。 この料理の味を僕の舌が覚えている! 度肝を抜いてやるから覚悟しておけよ!」
こうして料理対決は始まった。
お題は卵を使った料理ということで、僕はオムライスを作る事にした。
ジェイミーが用意してくれた食材の中から必要なものをキッチンに運ぶ。 チラリと隣のキッチンを使っているリューズを見てみたが、なんだかよくわからない食材を大量に抱えている。
「隠し味はコーヒーをいれてコクを出しましょう! それと、自然な甘みを出すためにりんごやバナナもいいかもしれません!」
「リューズ? お前は一体何を作るんだ?」
僕はさっきの独り言を聞いてカレーでも作るのかな? 卵料理なのに? なんて思いながら恐る恐る問いかけてみる。
「卵かけご飯ですわ!」
「た、卵かけ………え? それは料理というのか?」
「もちろんですわ! 卵かけご飯は奥が深いのですわよ!」
自慢げに鼻をふんすっ! と鳴らし、腕を組みながらドヤァといいたそうな顔をしている。 が、なぜ卵かけご飯にコーヒーや果物が必要なのかは聞かない事にする。
僕は手際よく料理に取り掛かったのだが、隣で奇行に走るリューズがどうしても目についてしまう。
リューズが典型的な料理下手だというのが動きを見ているだけでわかる。
料理下手とは大きく分けて二種類いる。 そもそも料理の原理がわかっていない無知タイプ。 こちらは教えれば意外とできるようになるからまだ可愛い方だ。
リューズの場合この無知タイプとは本質的に異なる。 過分タイプだ。 要約すると余計なことばかりしてしまうタイプ。
なんでこんなことを考えているのか、耳をすませば容易にわかることだ。
「まず、卵をトロトロにするために微塵切りにした玉ねぎを混ぜましょう! あとはとろとろチーズを入れて、酸味が強くなりすぎないようにイチゴも刻んで入れた方がいいですわね!」
ほらな、意味がわからない。 イチゴにも酸味があると思うのだが。 そもそも卵にチーズを入れるのはいいが、刻んだ玉ねぎとイチゴは意味がわからない。
「ご飯にも味が欲しいですわね。 醤油とケチャップで軽く炒めて、一口サイズに切ったハムと、肉肉とした感じを和らげるためにほうれん草を入れましょう! 彩りも豊かになりますしね!」
リューズは鼻歌混じりにほうれん草を一口サイズに切り始める。 後ろで様子を見ていたジェイミーとファエットは、これが料理対決なため口出しせずに見ているだけなのだが、すでに虚な瞳で天井を見上げていた。
一口サイズにほうれん草を切ってボウルに移すと、フライパンに火をつけ始めた。
「油の代わりにバターを伸ばして風味づけをすれば間違い無いですわ!」
リューズは冷蔵庫からバターを取り出し、フライパンに落とす。 今のところ美味しそうな香りが漂い始めている。
僕の方はというと、今は微塵切りにした玉ねぎを炒めているところだ。 狐色になる前にハムとご飯を投入して味付けすればほぼ終わる。
「まずは、ほうれん草の臭みをとるために、最初に炒めましょう!」
何を血迷ったのか、リューズはハムを切る前にほうれん草をフライパンに投入し始めた。 そして、菜箸でほうれん草を混ぜながらある事に気がつく。
「ハムを切り忘れましたわ! すぐに切りませんと!」
慌てたリューズは火を切らずにハムを一口サイズに切り始めた。 切る方を間違えていると指摘したいがぐっと我慢。
そう、料理下手の特徴として、容量が悪いという点もあるのだが、今まさにリューズがその典型のような行動をしてくれている。
そうして数分後、僕たちの料理は完成した。
僕のオムライスはいたって普通。 面白みのかけらもない、もちろんケチャップでハートを書いたりなどもしていない。
対してリューズの作品はというと………
「りゅ、リューズお嬢様? こちらはいったい———」
「卵かけご飯ですわ」
「えっと、わしが知ってる卵かけご飯はもっと黄色いかと———」
「卵かけご飯ですわ」
「あ、はい。 そうでございますね」
リューズの卵かけご飯は真っ黒なご飯にピンクの液体がかけられているというなんとも奇抜な料理だ。 卵になぜか入れたイチゴのせいで卵は黄色ではなくピンクに、しかも煮詰めてしまったからほぼジャムと言ってもいいのだろうか? 卵は若干固まっているから余計に嗚咽をもよおしそうな見た目になっている。
しかも問題なのはご飯だ。
ほうれん草を炒めている最中にハムを切り始めてしまったから、ほうれん草は黒焦げになり、あろうことかリューズのやつは「焦げてしまったから思ったより量が少なくなてしまったのですわ」と言ってほうれん草を追加投入したのだ。
おかげで、ご飯はほぼ焦げたほうれん草風味になっている。
料理名を僕が命名するならこうだ。 ほうれん草ご飯のドッキリ卵丼、歪な形のハムを添えて。
ファエットは目の前の物体を見て、頬をけいれんさせながらジェイミーに何度も視線を送っている。 『どうにかしろ、わしは絶対に食べられない』と、アイコンタクトでも送っているのだろう。
それを受けたジェイミーはなぜか余裕の表情で咳払いをした。
「ではお嬢様。 ストールおぼっちゃまのオムライスを味見してくださいませ」
「よろしいのですか! すごく美味しそうですわ! それにしても、お兄様はどうしてこんなに綺麗なオムライスができるのですか!」
リューズは嬉しそうに僕のオムライスにがっついた。 おかしい、一人分しか作ってないのにどうしてジェイミーたちは食べないのだろうか?
「何をしているのですストールおぼっちゃま。 あなたもお嬢様が作ってくれたこの卵かけご飯(笑)を食べて感想を言ってあげてくださいませ」
「……は?」
なんだろう。 ジェイミーが言っていることを理解したくない。
「何すっとぼけたお顔をしているのです? 料理対決とはいいましたが、これはお互いに作った料理を味見し合うという楽しい調理実習でございます」
「え、ジェイミー。 僕、キイテナイヨ?」
「当たり前でございます。 ドッキリの方が嬉しいでしょう?」
僕は錆びれた歯車が稼働するような動きでファエットの方に首を向けると、ファエットはわざとらしく口笛を吹きながら紅茶を取りに席を離れた。
え? ナニコレ。 僕もしかしてジェイミーにいいように使われたの?
混乱する僕の顔を見て、リューズは屈託のない笑顔で自分が作った自称卵かけご飯(という名の危険物)をスプーンで掬った。
「お兄様! 今回の卵かけご飯は力作ですの! ぜひ食べてくださいませ! はい、あーん!」
なぜ、リューズは自信満々の笑顔で僕にその危険物を差し出そうとしているのか。
なぜ、あーんをされているのにこんなにも嬉しくないのだろうか。
なぜ、玉ねぎの強烈な香りが鼻に刺さるのだろうか。
理由は考えなくてもわかる。 見た目がグロいからだ。 しかも玉ねぎは火がよく通ってないから本気で臭い。
僕は必死に言い訳を考える。
「リューズ、ごめんな僕今お腹がいっぱいで………」
「ほら! 食べてくださいませ!」
僕が口を開いたタイミングで、リューズは僕の口の中に無理やりスプーンをねじ込んできた。
その後、僕は泣きながらトイレに駆け込んだのだが、一日中玉ねぎの生臭さが鼻から抜けることはなかった。
結局リューズには、料理を作る前にジェイミーからしっかりと知識を学べと説教をするハメになった。