ⅢⅩⅠ
ドサリと音を立てながらジェイミーの足元に倒れ伏すストール。
「お兄様! あなた一体何を!」
リューズは突然倒れたストールを横目に見ながら叫ぶように問い詰める。
しかしジェイミーは虚な瞳のまま、マストの上から傍観していた黒外套を直視していた。
「申し訳ありませんお嬢様。 あなた方には幸せに生きていただきたいのです。 ですから、わたくしめの愚行をお許しください」
「え? ジェイミー? ちょっと?」
リューズの瞳がギョッと開く。
「ちょっと待ちなさいよジェイミー! あんた、まさか——」
サリウスが狼狽の声を上げるが、ジェイミーは構わず甲板を蹴った。
背中の裂傷が開き、血が噴き出すが顔色ひとつかえずに黒外套へまっすぐ突進する。
「そのガキに、命を賭ける価値があるのか?」
黒外套が初めてかけてきた問いを聞き、ジェイミーはうっすらと口角を上げた。
「おや、口が聞けたのですか。 てっきり言語障害でも患っているのかと思っておりましたが?」
ジェイミーは背中の怪我を忘れさせるような勢いで斬りかかるが、黒外套はジェイミーの斬撃を何食わぬ顔で弾く。
サリウスも一拍遅れて黒外套に突進しようとするが、ジェイミーは鬼気迫る表情でサリウスを睨みつけた。
「前に出てくるな! お二人をお守りしなさい!」
「くっ! この大バカが!」
サリウスがギリと歯を食いしばりながら踏み出した足を留めた。
「リューちゃん! スーくんのそばへ行って!」
「待ってください! お兄様はわたくし一人でお守りします! ですからあなたはジェイミーを!」
「こんな時にわがまま言うな! 早く行きなさい!」
サリウスが右腕を振り抜き、乾いた音が船上に響く。 頬を真っ赤にしたリューズが、目頭に大粒の涙を溜めながらジェイミーの後ろ姿を凝視した。
「そんな、嫌ですわ。 ジェイミーはわたくしの親友ですの」
「あたしだって、一人しかいないバディだし。 数少ない……心を許せる仲間だったわよ」
過去形に聞こえてきたサリウスの言葉を聞き、リューズは顔を真っ青にしながら震える手でナイフを握ろうとする。
「ったく!」
しかしサリウスはリューズの意志を無視し、彼女を小脇に抱えて倒れ伏すストールの元に駆け寄っていく。
ゆっくりと流れているように見える不思議な時間の中で、昨日よりも数倍動きが遅くなっていたジェイミーの首筋に、黒外套の青龍刀が振り下ろされる瞬間が、リューズの双眸に映る。
腕を必死に伸ばし、サリウスの拘束から逃れようと暴れながら、喉を潰しそうなほどの声量で叫ぶ。
振り下ろされた青龍刀を、バランスを崩しながら見上げたジェイミーが、うっすらと笑みを作りながら瞳を閉じた。 胸元に手を入れ、最愛の主人たちが無事に生き延びることを信じ。 胸に潜ませていた小型爆弾に指をかけようとした瞬間。
「殉職は認めませんぞ、ジェイミー」
ジェイミーの小型爆弾は突然現れた男にひったくられ、海の彼方に投げ捨てられる。
同時に響く甲高い金属音。 一拍置いて、遥か彼方で響く爆音。
バランスを崩して尻餅をついたジェイミーが驚愕の表情で顔を上げると、そこには見慣れた男が立っていた。
「ぼっちゃまの願いを踏み躙るとは。 メイド失格ですな。 また一から根性を叩き直せばならんかのう」
「なんでここに? ファエットさん!」
黒外套が振り下ろした青龍刀を、涼しい顔で受け止めていたのは執事であるファエットだった。
「なんでと言われましてもな。 この島を出るには港街から船を出すしかないじゃろうて」
黒外套は動揺を顔に縫い付けたまま大きく距離を取った。
「なぜお前がこんなところに」
「ですから先ほども申したでしょう? 港街からしか船は出港しませんからな。 いやはや三日前、朝起きてみればおぼっちゃまもリューズお嬢様も、ジェイミーまで姿をくらましているのですから肝を冷やしましたぞ。 年寄りの心臓には優しくないですな」
ファエットはにこやかな笑みを浮かべながら尻餅をついていたジェイミーに片手を差し出す。 ジェイミーは差し出された手は握らず、恐る恐る凝視することしかできない。
「まあ、生きていたのは幸いですな。 やはりおぬしは殺し屋だったか。 身のこなしを見た時からそんな気はしていたがのう? まあ、今はそんなことはいいじゃろう」
ファエットの手を取ろうとしないジェイミーを見下ろし、困り顔で無理やり腕を掴み、強引に立たせる。
「ジェイミーとそちらのお嬢さん。 リューズお嬢様とおぼっちゃまはお任せしますぞ?」
「ちょっと待って執事さん! あたしたちも力を貸すよ!」
「必要ありませぬ」
糸のように細めていた瞳をうっすらと開きながら振り返り、身の毛もよだつ殺気を振り撒くファエットを見て、サリウスは瞳孔を開きながら全身から汗を噴き出した。
「この程度の雑魚を相手に、手こずるほど老いぼれてはおりませんからな」
背筋を伸ばして顎をひき、サーベルを自分の正中線に沿ってまっすぐに立てながら、『死』そのものを具現化したような鋭い視線を黒外套に向ける。
ずっと余裕の表情を浮かべていた黒外套ですら、その視線を受けて表情をこわばらせた。 死刑宣告を告げるような鋭い視線を受け、慌てて青龍刀を構えようとした黒外套の右腕は、いつの間にか小さな血飛沫を上げながら船の隅まで飛んでいた。
困惑の吐息を漏らし、目を瞬かせながら肘から先を失った右腕を凝視する黒外套。 切断面は数秒遅れて痛みを察知し、血を噴射した。
瞬きしている間に背後に移動していたファエットに眼球を向け、黒外套は即座に舌を噛もうとした。
だがファエットがすかさず裏拳を放ち、口を閉じれなくなるよう顎の骨を粉砕する。
「勘がいい。 勝敗の見切りを一瞬で判断したようじゃな。 さすがはジェイミーたちを追い込むほどの殺し屋じゃ。 だが、きっちりと情報はいただくぞ? わしの主人の命を狙っていた貴様に、慈悲をかけてやると思うでない」
ファエットの背筋を凍り付かせるような声音を聞き、その場にいた全員が息を呑む。
黒外套はそれでも諦めようとせず、すぐに体制を整え船の外に逃げようとしたが、既に両足は宙を舞っていた。
ならば残っていた左腕で自分の心臓を突き刺そうとするが、それすらも許されない。 ファエットの無慈悲な剣が半円を描きながら黒外套の左腕すらも削ぎ落とす。
「安心せい。 すぐに止血はしてやるから命を落としたりはせんじゃろう」
早すぎる剣閃は目で追える領域ではない。 その上特殊な歩法で一気に距離を詰めるファエットの前では、黒外套ですら早さに追いつけない。
ファエットは先ほどまでの目にも止まらないスピードは嘘のように、ゆっくりと、大きな足音を甲板に響かせながら、四肢を失い必死に暴れ回る黒外套に近づいていく。
ゆっくりとかがんだファエットは黒街灯のフードを鷲掴みにし、恐怖に染まる顔を睥睨する。
「さて、おぬしは一体誰に雇われたのかのう?」




