Ⅲ
「なあ、リューズ」
「どうされたのですかお兄様?」
「………前世って信じるか?」
「え? 突然どうされたんですの?」
小首を傾げ、呆気に取られているリューズを横目に、俺は取り繕ったような笑みを向ける。
朝食をとり終わった僕たちは、自由時間に日向ぼっこしながら取り止めのない会話に花を咲かせていた。
突然前世を信じるか? などと聞かれれば驚かれて当然だろう。 居心地悪くなってしまった俺はたまたま通りかかった黒い小鳥に「おいで」と一言かける。
いつも可愛がっている不気味な模様の鳥だ。 漆黒の羽には血液のように真っ赤な模様が右往左往しており、初めて見たときはそれはそれは怖かったのだが、こうして大人しく肩に止まってるところを見ると何だか頬が緩んでしまう。
肩に止まっていた小鳥の頭を指で撫でて気を紛らわせていると、リューズが話の続きを促すように僕の肘をきつつきのようにつっついてきた。
意を決して、言葉を慎重に選びながら問いを投げかけてみる。
「昨日、変な夢を見たからな。 こことは違う世界で、違う人間の目線になった夢だ。 そいつは溺れそうになっていてな、妙にリアルだったから」
恐る恐るリューズの反応を横目に伺ってみた。 するとリューズは納得がいったような顔で大きく頷きながら、
「そう言うことでしたの? 昨日は浴槽で溺れてしまっていたから不吉な夢を見てしまったのですね?」
「あ、まあそんなところだ。 前世の自分に僕の意識が乗っ取られるような気がして、何だか自分が自分でなくなってしまうのではないかと思ったら怖くなったというか、何と言えばいいんだろうな?」
「大丈夫ですわ! お兄様はお兄様以外の何者でもありません! 今日までずっと一緒に過ごしてきたわたくしが補償いたしますから、ご安心なさって下さい!」
そう言って平たい胸を張りながら、心強い笑顔を向けてくるリューズ。 なぜだか今日は、リューズと目を合わせると全身がむず痒くなってしまう。
僕は肩に止まっていた小鳥を空に返しながら、ぼーっと飛び立つ小鳥の姿を目で追った。 空を仰ぎながら、一人物思いに耽ってしまう。
リューズは僕にとって、たった一人の血がつながった家族だ。
正確に言えば、この国の皇帝である父上も、その皇后である母上も生きているし、兄上も二人、姉上も一人いる。 つい最近弟も増えたらしいが、顔は見たことがない。
なぜなら僕たちは死んだことになっているのだから。
双子は不吉の象徴とされ、生まれたと同時にどちらか一方が殺されるか、二人まとめて処分される。
僕たちは母上の御慈悲で命を繋いでおり、この広い離宮の中で誰にも見られないようこっそりと生きている。 いわゆる王族の隠し子というやつだ。
故に父上や母上との面会も一切許されず、王宮からいくらか離れた国のはずれ。 断崖絶壁に立てられたこの離宮で、妹と二人で誰にも見つからないよう、一生生活していかなければならない。
ここに支える従者はたった二人だ。 僕の世話をするファエット。
初老の執事で白髪を七三分けに固め、器用に手入れされた顎髭を生やしている。 いつも穏やかな笑みを浮かべる彼は、非常に話しやすく一緒にいると心が落ち着くのだ。
もう一人はリューズのメイドであるジェイミー。 この子はまだ年若く、紅茶色の癖毛を肩口につく程度に伸ばしていて、いつも無表情。
二人とも文句を言わずに僕たちの世話をしてくれているため、血はつながっていなくても家族同然の大切な従者たちだ。
僕は死ぬまでこの離宮を出ることを許されない。 用が無い人間は敷地に入ることも認められない。
忌み子である僕たち双子は、関係者以外の目に留まってはいけないのだ。
鬱蒼とした森の中に建てられた離宮は、森ごと高い壁と関所に分断されている。 ここから関所までは馬車でも一日くらいかかるほど離れていて、壁の内側に入れるのは僕たちと従者、食料や日用品を運ぶ商売人のみ。
この商売人たちも関所で精密な検査を受けなければ入れないし、僕たちは絶対に顔を合わせないようファエットたちは離宮の外で取引をしている。 商売人でも離宮の中には入れないのだ。
この先も僕たちはたった四人で、外界と隔絶されたこの離宮で過ごしていかなければならない。
王家の証である、エクリステインという家名は一生使うことはないだろう。
朝食を取った後はリューズと外で遊んだりお話をして時間を潰し、その後は勉強。
誰にも会わないから必要になるとは思わないが、一般常識などを従者の二人から教わっている。 生きるのに役に立つ程度の学は学んで損はない。 簡単な読み書きや算術を習ったり、王家に伝わる歴史や一般常識を学ぶ程度だ。
昼食の後、僕は剣の稽古。 リューズは弓の稽古をする。 これもまた必要なさそうだがこの稽古は軽い運動にもなって気を紛らわせるのにちょうどいい。
なぜだか知らないがファエットは剣を扱わせるとすごく様になっている。
木剣で岩を切ってしまったり、包丁を持てば一瞬にして野菜をみじん切りにしてしまったりと実に見事なお手前を披露することがままある。
リューズに弓を教えるジェイミーも似たようなもので、宙返りしながら投げたナイフを的のド真ん中に当てたりする。 弓でももちろんできるし的は外さない。
明らかに異常だが、さすがは王家に支える従者たち、と言ったところだろうか? 僕たちを喜ばせるために大道芸の修行でもしていたのだろうか?
まあ、リューズもリューズで運動神経がかなり良く、弓の稽古で的を外したことは一度もない。 僕が少し運動神経が悪いからより一層すごく見えるだけかもしれないけれど。 何だか僕だけ運動神経が悪いせいか肩身が狭い。
稽古が終わると夕食まで自由時間だ。
リューズと一緒に書斎で本を読んだり、チェスや囲碁などのテーブルゲームを嗜んだり、先ほどのように外を飛んでる鳥や、たまたま迷い込んだリスを可愛がったりして時間を潰している。 ちなみに小鳥もリスも同じような模様をしていて不気味だ。
なぜだか知らないが僕は動物に好かれるらしい。 おいでと一言かければ目についた動物たちは僕のそばへとやってきてくれるのだ。
変な才能だから自慢できるほどのことではないが、リューズは俺が呼んだ動物たちを可愛がっているため結果オーライといったところだろう。
寝る前は一緒に星空を見上げるのが日課だ。
離宮の背後にある断崖絶壁を叩く高波の音を聞き、潮風を全身に感じながら見上げる星空はどれだけ見てても飽きはしない。
『いつか外の世界を見てみたい』昔はよく二人でそう言っていたが、もう僕たちは十才になる。 不可能なことがわかると、諦めたように口にしなくなった。
昨日見た夢のせいで、今頃になって外の世界に出たいと本気で思っているだなんて、口が裂けても言えない。
けれど確かめたい。 あの娘はどこにいるのだろうか、目を覚ます前に光輝と呼ばれた男は言っていた。
『僕たちは来世でもきっと出会えるから』
なぜだろうか、はっきりとはわからないが確信を持って言える。 あの娘はこの世界のどこかに必ずいるんだと言うことを。
しかし同時に、怖くも思う。
外の世界に出たいと思っているのは、あの娘に会わないといけないと思っているのは自分の意思なのか、それとも前世の僕……光輝という男の意思が僕の意識を侵食しているからなのか?