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ⅡⅩⅤ

 関所は現在、阿鼻叫喚に襲われていた。 なぜなら百を超えるヘルガルムの群れが、突然関所を襲って来たからだ。

 

 きっかけは密入した無法者が森の中でカリュードンや数体のヘルガルムを殺傷したことで、強烈な血の匂いに誘われたヘルガルムの群れがその地点に集合し、獲物を巡って仲間割れを始めたことだった。

 

 やがて強大になったヘルガルムの群れは、新たな獲物を探して森の中を縦横無尽に駆け回り、それに刺激された他の魔獣たちも暴れ出す大惨事。 関所で門番をしていた騎士たちは、森の中から駆けてくるヘルガルムを切り伏せながら関所に備え付けられていた鐘を鳴らす。

 

「ヘルガルムの動乱発生だ! 手が空いているやつはすぐに来い!」

 

 見張りに駆り出されていた騎士たちが次々と応援に駆けつける。 それでもヘルガルムの群れは減ろうとしない。

 

 血の匂いが上がるたびにまた新たな場所からやつらは湧いてでる。 魔獣たちは血の匂いに敏感だ。

 

 ここまでの騒ぎになってしまえば、恐らく森中のヘルガルムを討伐しない限り騒ぎは治らないだろう。 騎士たちは憂鬱そうな顔をしながらひたすらに剣を振る。

 

 ヘルガルムは個体ごとの強さは大した脅威にはならないのだが、何より恐ろしいのは並外れた嗅覚だ。 数キロ先の血の匂いを嗅ぎつけ、餌を求めて群れを成して集まってくる。

 

 ヘルガルムの群れに追いかけられないよう、森の中の魔獣はできる限り打撃か絞殺しなければ森の中では生きていけない。 もし斬殺したとしても、死体は即座に焼かなければすぐさまヘルガルムの群れに襲われる。

 

 この場所は国から侵入を禁止されている危険区域、ヴェルブ大樹海。 危険な魔獣が放し飼いされていると言われているため、国の許可が出ていない者はどんな実力者だろうと入場すら認められないのである。

 

 二十四時間体制で厳重な監視をされているため、一般の冒険者は近づくことすら許されない。

 

 そんなヴェルブ大樹海を囲っている壁から、四体のヘルガルムが飛び降りてきた。 周囲には騎士の姿は一人も見当たらない。

 

 関所付近で猛威を振るうヘルガルムの群れに対応するため、壁の上で監視任務についていた騎士たちは一人残らず出払っているのだ。

 

「ちょろかったな」

 

「まだ油断は禁物です、ストールぼっちゃま」

 

 四体のヘルガルムは血に汚れた黒い外套を背負っており、外套の中身は外からは見ることができないが、外套の中からは何者かの声が響いている。

 

「まあでも、あの騒ぎではさっきの殺し屋も追ってこれないっしょー?」

 

「そうだとよろしいのですが、相当の手練れだと言っておりましたよね?」

 

「あそこには大量の騎士も駆けつけてたし、魔獣に襲われずに済むのはスーくんの近くにいたあたしらだけだろうから、流石に一対一ではかなり強くても数の暴力にはどうすることもできないっしょ?」

 

 背負った外套の中から、風に吹かれたら飛んでしまいそうなほど軽い声音が響く。

 

 一心不乱に駆け続けるヘルガルムたちは、壁の外に出てすぐ目前に迫った海の方へ向かっている。

 

 背後に立ち塞がる壁がようやく小さくなって来た頃、外套が捲られて中から紅茶色の癖毛を肩口まで伸ばした少女が姿を現し、注意深く周囲を見渡す。

 

 ハウスメイドの制服は、肩が擦り切れ真っ赤な血が滲んでいたが、彼女の表情には一切の曇りもない。

 

「誰もいません、出て来て構わないでしょう。 ここからは歩きで街に近づきます」

 

「ヘルガルム、森に戻るまでは誰も襲うなよ? 行け!」

 

 外套の中から瑠璃色の髪を短く切り揃えた少年が姿を現し、申し訳なさそうな顔でヘルガルムの頭を撫でてから元来た道の方を指差した。

 

「お兄様、そのようなお顔はなさらないで下さい。 お兄様の機転のおかげでわたくしたちは無事に逃げおおせたのですから」

 

「そーだよー。 スーくん少し気負いすぎだってー」

 

「そうは言ってもな。 僕のせいでなんの関係もないヘルガルムを大量に死なせてしまっている事実は変わらないし、騎士たちも少なからず怪我人も出てしまうだろう」

 

 瑠璃色の短髪を夜風に靡かせながら、肩を落として壁の方に視線を向ける少年。

 

「ストールおぼっちゃまはバカがつくほどお人好しでございますからね。 たかが魔獣相手でも慈悲を感じてしまうのでしょうか? 放っておけば人を襲うかもしれないというのに」

 

「たかがとはなんだジェイミー。 僕たちが逃げられたのはヘルガルムたちのおかげなのだぞ。 魔獣だからと言って存外に扱っていいわけないだろう」

 

「確かに、おっしゃる通りです。 失言でしたね、申し訳ありません」

 

 ジェイミーと呼ばれた少女は、居心地悪そうな顔で視線を逸らす。

 

「ちょっとースーくん? G7……じゃない、ジェイミーちゃんはね、あなたが気負いすぎないように気を使ってたんだよー? そんなに怒ることないじゃない!」

 

「そうですわ! 確かに、お兄様も間違っていません! だからこそジェイミーは、遠回しではありますが、そんなお兄様を元気づけようとしたのです! そんなにきつく叱るのは、可哀想ではありませんか!」

 

 八の字に眉を垂れ下げたストールという少年に、頬を膨らませた二人の少女が詰め寄っていく。

 

「す、すまない。 確かに、これではまるで八つ当たりだな。 僕は本当に最低な男だ。 ジェイミー、本当にすまない。 いや、誤って許されることではないな、結果で挽回しなければ。 何か、してほしいことはあるか?」

 

「え? なんだか素直に謝られるとこしょばゆくなるのでやめていただけます? お願いですからそんなにしんみりしないで下さいませ。 ……とは言っても、ストールおぼっちゃまのことですから口先だけでは納得しませんよね? はぁ、どうしてくれるんですお嬢様」

 

 ジェイミーは困顔で肩を落としたのだが、数秒の間を置いてからストールの横顔をチラチラと見始めた。

 

「で、では。 ストールおぼっちゃまのご好意、せっかくなので甘えてしまいましょう。 なので、そのですね。 街に到着するまではその、腕を。 腕を組んで歩いていただきましょうか? ほら、その。 わたくしめは肩を負傷していますので」

 

「そ、そんなことでよければ……」

 

 ストールは頬を赤くしながらジェイミーの方に腕を差し出したのだが、差し出した腕にはジェイミーではなく薄瑠璃色の髪を腰のあたりまで伸ばした少女がしがみついた。

 

 ストールの腕にしがみついた長髪の少女は、威嚇するような目つきでジェイミーを睥睨する。

 

「その願いはお断りですわ!」

 

「は? 断る権利はストールおぼっちゃまにあるかと存じますが?」

 

「お兄様の代わりにわたくしが断ってあげたのですわ! お兄様の腕は、わたくししか絡みついてはいけませんの!」

 

 バチバチと火花を散らしながら睨み合う二人を見て、ストールは冷や汗を垂らしていた。

 

「なんで喧嘩が始まった? ……なあサリウス。 僕は一体どうすればいいのだ?」

 

「まー、腕は二本あるからねー」

 

 呆れ顔をしていたサリウスという少女の一言に、ストールは乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。

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