ⅡⅩⅣ
この森は巨大な壁で囲われているため、外に出るにはこの壁を越えるか関所を抜けなければならない。 離宮を隠すために徹底して誰も入れないよう、この壁の警備は厳重になっているらしい。
僕たちは襲い来る魔獣を撃退しながら、二日かけて壁の前までたどり着いた。
この二日間、魔獣の襲撃は多々あったものの、中を駆け回る騎士団とは鉢合わずにすんでいる。 ジェイミーやサリウスの徹底した警戒網のおかげである。
当初心配されていた食糧事情については、あまり思いだしたくない。 森の中に生えているキノコや野草、川を泳いでいた魚などをジェイミーたちが捕まえて食事を取っていたのだが、もちろん美味しいとは言えない物だった。 川の水を煮沸消毒して水も調達できてはいるのだが、どうも進んで飲む気にはなれない。
幸いだったのは魔獣の肉を食うハメにならなかったことだ。 聞くところによると、魔獣と動物の見分けは模様でわかるらしい。
魔獣には血管のように全身に走る真紅のラインがあるという話だ。 ということは離宮で僕がよく戯れていた黒い小鳥は魔獣の一種だったのだろう。 改めて考えると怖い。
そんなことはさておき、無闇な戦闘を避けるため襲いかかってくる魔獣は全て僕の絶眼で対応していたので、僕はこの機会を活かして絶眼の実験をしていた。 このおかげでたくさんのことがわかった。
例えば命令の仕方ひとつで魔獣の動きが変わること。 ただ『跳べ』と命令するのと、『全力で跳べ』と命令するのでは魔獣の動きは大きく変わる。 もちろん、後者の方が高く跳ぶ。
他にも魔獣の知能によって命令の質が変わることにも気がついた。 例えば『東に向かえ』と命令したとしても、東がどっちだか分からない魔獣たちは明後日の方向に向かって行ってしまうのだが、僕が指を差しながら『あっちに向かえ』と命令すれば、全ての魔獣が僕の指し示した方角に進んでいく。
つまり魔獣の知能で判断できない言語は命令しても聞いてくれない。 単純な話『三回回ってワン! と言え』と命令しても、三回回ることは可能だが、ワン! と吠えられない魔獣は各々別の吠え方をする。
他にも『跪け』などと命令しても、四足歩行の魔獣がほとんどだったから普通に伏せるだけだ。 そして何よりも心強かったのは口に出した命令以外でも聞いてくれることだ。
魔獣を睨みながら心の中で命令を唱えれば、普通に命令通りに動いてくれる。 これは僥倖だ。
一度命令を出せば、魔獣が視界から離れても命令は聞き続けるが、命令を完遂した魔獣は正気に戻ってしまう。 遠くに離れろなどの曖昧な命令はある程度時間が経つと勝手に解けてしまうらしい事も調べがついている。
こういった細かい実験を繰り返すことで、僕の絶眼は可能性が広がっていく。 当初は魔獣を操れるなど最強じゃないかと思ったが、できることが限られている以上複雑すぎる命令ができないため、相手が達人級の敵なら魔獣だけで勝つことは不可能だ。
能力の可能性を示唆しながらできる範囲で最高の策を立てる。 脱走に失敗すれば僕は殺されてしまう、こう言った時に自分の能力を把握しておくことは非常に大切だ。
「ストールぼっちゃま、もう時期日が暮れます」
ジェイミーの呼びかけを聞き、僕は軽く瞑っていた瞳を開く。 ジェイミーは突入に備えて持ち物のチェックをしていたらしい、目の前に大量のナイフやワイヤー、小型爆弾やダガーとさまざまな武器や道具が置かれている。
「騎士団の数は相変わらずか?」
「そうですね。 壁の上から油断なく見張っております」
「この前あたしが侵入してきた時の二倍はいるね〜。 ありゃあ突破するのは一苦労だわ」
現在同行しているサリウスは、ここまで来るのに騎士団の荷物に紛れ込んで入って来たらしい。 しかしこの方法は一人だったから可能な技だ。 僕たちは四人もいるから荷物に紛れ込むのは不可能だろう。
「強行突破しかないのでしょうか? わたくしも少しは剣の腕に自信がありますわ!」
「え? リューちゃんは弓習ってたんじゃなかったっけ?」
リューズはここ二日でサリウスと打ち解けており、現在はリューちゃんと呼ばれている。
「サリウス、ストールおぼっちゃまのトラウマを呼び起こしてしまうからそれ以上聞いてはいけません」
「え? トラウマ? スーくんなんかあったの?」
「おいジェイミー。 お前のその発言が一番トラウマを引き起こしているからやめろ」
頬をひくつかせながら言及してやると、サリウスは僕の肩を揺すりながら「ねーねー何があったのー? おーしーえーてーよー!」などと言い出したのだが、やかましいから唇の前で人差し指を立てて黙らせた。
落ちかけていた日が山に入っていくか行かないかの間際、僕たちは互いにアイコンタクトを交わし、小さく頷き合って森の中から駆け出そうとした瞬間。
「伏せて!」
サリウスの叫び声に反射して僕はすぐさま伏せる。 頭を低くした瞬間頭上で金属音が響いた。
「騎士団か?」
「暗器が飛んできましたわ! 騎士団は飛び道具も使いますの?」
頭を両手で抱えながら伏せていたリューズが、目の前に落ちた暗器を見て狼狽の声を上げるが……
「いいえ、騎士団はこんなもの使いません。 おそらくこういった武器を使うのは、殺し屋しかおりません」
僕とリューズは目を見開きながらジェイミーの顔を見たが、ジェイミー本人も額に汗を浮かべながら周囲に視線を巡らせている。
「この形状の暗器は『泡影』のものじゃない!」
サリウスが頭を低くしながら僕の元に近づき、太ももにセットしていた革バックの中を見せびらかしてくる。 網タイツで締め付けられた肉がぷにぷにとしているふとももに目が奪われそうになったが、小さく頭を振りながら見せびらかされた革バックに視線を送る。
「本当だな、少しというかかなり形状が違う」
「ストールおぼっちゃま、こんな時にえっちいことを考えてる暇はありません」
「え? 今のやりとりでえっちいことに連想される要素あった?」
サリウスが半ば驚きながら聞き返すが、ジェイミーの返事は二撃目の襲撃で遮られる。
全身漆黒の外套で覆った、黒ずくめの男がジェイミーに切り掛かってきた。 ジェイミーは振り下ろされた剣撃を背面で受け止めすぐに距離を取る。
「お嬢様! サリウスのすぐそばへ!」
「かしこまりましたわ! ですがその前に、えい!」
リューズが姿勢を低くしたまま僕たちの元に駆け寄ってくる最中、投げナイフをあらぬ方向に投げると、木の上からうめき声が響き、黒い影が木から木へと飛び去っていく。
「え? リューちゃん! 今の一瞬で当てたの?」
「気配がしたので、たまたま見えた人影に投げてみましたの! そしたら当たってしまいましたわ!」
「じょ、冗談だろ?」
僕とサリウスは目をまん丸に開きながら駆け寄ってくるリューズを凝視する。 それを横目に確認したジェイミーは皮肉めいた笑みを浮かべながら肩を窄めた。
「さすが、わたくしめの教えを忠実に守っていただけはありますね」
「ふふ、ジェイミーは優秀ですからね!」
ジェイミーとリューズが一瞬視線を交換すると、腰を落としてダガーを交差させて構えたジェイミーの目つきがスーッと変化する。
「では、わたくしめがお手本をお見せしましょう。 狩りの時間です。 悪を消すことに関しては、容赦致しませんので」
ジェイミーが立っていた足元にわずかな砂埃を立てたと同時に姿が消える。
瞬きの内に、樹上から小さな断末魔が上がった。 肩にナイフが刺さっている男だ、おそらくリューズのナイフを食らったやつだろう。 たった一瞬で首から上を失った男は力無く木の上から落下した。
切り口が相当綺麗だったのだろう、首が宙を舞ってから数秒後に血飛沫が上がる。
「ちっ! 一人やられた! 散らばれ!」
「さっせな〜いよーだ!」
サリウスが真っ白な歯を見せ、無邪気な笑みを浮かべながら左腕を伸ばすと、伸ばした腕の先で背中にナイフが深々と刺さった男が体をくの字に折りながら脱力する。
「背後から、心臓を一刺しか? お前らもしかしてかなりやり手なのか?」
「ふっふーん。 スーくんもしかしてお姉さんの腕に惚れちゃった?」
「何を馬鹿な。 おい、痛いぞリューズ。 無言で腕の皮を引っ張るな」
リューズが頬を膨らませながら僕の二の腕の皮を遠慮なく引っ張ってくる中、サリウスは流れるような手つきでナイフを投げる。
ジェイミーは木と木の間を縦横無尽に飛び回り、逃げ回る黒ずくめの男たちを次々切り裂いていく。
いつの間にか、僕たちの周囲には漆黒の外套が四人も横たわっていた。
一瞬で殲滅できるかと思ったが、途中からひっきりなしに金属音が響き始めた。 移動しながら何度も武器を衝突させあっているのだろう、火花が散っているのは目視できるが相手の正体もジェイミーの姿も早すぎて見えない。
「ちっ、全員雑魚とはいかないようですね」
ジェイミーが久しぶりに姿を現すと、肩を切り裂かれて衣服が赤く滲んでいる。 肩で息をしながら再度油断なくダガーを構えているため、かすり傷ではあるようだがあんなにも高速で動き回るジェイミーに怪我をさせるだなんて只者ではない。
「あっちゃー。 ジェイミーでも怪我するって事は、相手は相当手練れだね。 二人がかりで行こうか?」
「不要です、あなたがお二人のそばを離れたら騎士団に見つかった時に対応できない。 そこを動かないように手を貸しなさい!」
「飛び道具が当たるような相手じゃないよね?」
ジェイミーが苦面を浮かべながら小さく首肯する。 二人が会話している最中も、敵対している殺し屋は一言も言葉を発しない。
ジェイミーがゆっくりと深呼吸しながら忙しなく視線を泳がせ、突然反転してダガーを体の前で交差させると、ダガーの先で火花を散らしながら数歩のけぞる。
攻撃をされたのだろうが全く見えなかった。 これでは手を貸そうにも動けるわけがない。 余計なことをすれば間違いなく一瞬で首が飛ぶ。
「ストールおぼっちゃま! 余計な事は考えずじっとしていて下さいませ!」
僕に注意勧告を飛ばしながらも相手の攻撃を受け流すジェイミー。
何もできないというのは、こんなにも歯痒いのか。 そもそもなぜそんな腕利きの殺し屋がこんなタイミングで現れる?
ジェイミーもサリウスもこの襲撃に動揺していた。 おそらく違う組織の殺し屋が何らかの理由でこの森に入って来ていたのだろう。 おそらく狙いは僕かリューズ。 そうなると先日ジェイミーが言っていた話しにも説得力が生まれる。
「スーくん! 余計なこと考えてるでしょ。 言っておくけどジェイミーが戦ってるやつはあたしら二人がかりでも勝てるかわかんないレベルだから。 最悪、あんたたちだけでも気合いで逃がすから覚悟決めてね」
「そんな! せっかくここまで一緒に逃げてこれたのです、あなた方だけ置いていくなんて嫌です!」
「リューちゃん? 現実ってね、そう甘くないんだわ。 あのジェイミーが苦戦する相手だよ? はっきり言うけどジェイミーは泡影の中でもトップクラスに接近戦が強いの。 そのジェイミーが押されてる相手なんだから、マジでやばいやつなわけ」
一瞬もジェイミーたちから視線を逸らさずに、玉の汗を顎から滴らせるサリウス。 先ほどまでの余裕そうな口調はかけらも感じられず、その横顔を見たリューズは唇を結びながらキュッと僕の手を握った。
何か、何かできることは、足を引っ張らずに助け出す方法は……
思考をフルで回転させている最中、視界の端に大きな影が映り込む。
「リューズ! あっちにナイフを投げろ!」
リューズは一瞬首をかしげたが、僕が指差した方向に視線を送って納得したようにナイフを投げる。
「ストールおぼっちゃま? 何を?」
目にも止まらない早さの斬撃を必死に受け止めながら、ジェイミーが狼狽の声を上げる。
「突っ込め!」
「ジェイミー! 下がって!」
一瞬早く僕の意図を汲んだサリウスが声をあげる。
ジェイミーは目を見開きながら大きく後ろに飛ぶと、ジェイミーが先ほどまで立っていた場所に巨大な猪が突っ込んだ。
「カリュードン! 絶眼ですか?」
「まだだ、ヘルガルム! 群れを率いてあの黒外套を襲え!」
カリュードンを狩るタイミングを待っていたであろう、やや後方の茂みに隠れていたヘルガルムが、リューズの投げたナイフで流血したカリュードンを見て涎を垂らしながら頭を出していた。
すかさず視界に捕らえ、即座に命令する。
僕の合図を聞いたヘルガルムがカリュードンが駆け抜けた場所に一斉に飛びかかった。 軽く二桁を超えるヘルガルムの群れが同時に飛びかかり、先ほどまで早すぎて姿を捉えられなかった黒外套がようやく姿を現す。
フードの下に見えるのは青白い肌に針のように細い瞳、苛立たしげに舌打ちしながらも、一瞬のうちに飛びかかったヘルガルムの第一陣を切り伏せた。
「カリュードン! もう一度突っ込め!」
僕の命令に従ったカリュードンが方向転換してもう一度黒外套に突っ込んでいく。 黒外套はだらりと下げていた右腕に握っていた青龍刀を高速で振り回すと、突っ込んでくるカリュードンの首を刎ねた。
しかし、血に飢えた魔獣たちは、鉄の匂いに誘われて次々と森の奥から姿を現していく。
突然の魔獣大量発生に、壁の上から見張りをしていた騎士団たちも気がついたようで、何頭もの馬が駆け寄ってくる音が遠方から響いてくる。
次々と襲い掛かるヘルガルムをテンポ良く切り払いながら、近づいてくる騎士団に視線を送った黒外套が忌々しげに歯を食いしばる。
「小賢しい」
聞き取れるか聞き取れないか、極小音で舌打ち混じりにつぶやくのが聞こえると、黒外套は僕の方に暗器を放ってきた。 だが放られた暗器はサリウスが平然と弾き返す。
ジェイミーが油断なく黒外套を睨みつけたまま僕の近くまで戻ってくると、黒外套は騎士団が突っ込んでくる前に闇の中に溶けていった。
「ストールおぼっちゃま! あの殺し屋はなんとか撃退できましたが、このままでは騎士団に見つかります!」
「ああ、僕に任せろ! なんだか今日は頭が冴えているようだからな!」
「お、お兄様? 本当に大丈夫ですの?」
不安そうな顔を向けながら、震える両手で僕の手を覆うリューズ。
「ああ、お兄ちゃんを信じろ!」




