ⅡⅩⅡ
こうして脱走計画が本格始動した。 ジェイミーとその仲間が補給物資や脱走の手立てを終えるまで、僕とリューズは毎日の生活を普段通りに行うこととなる。
壁の修復は一週間後、商人が来た際に頼むらしく、それまでにジェイミーと仲間が逃走経路の打ち合わせなどをしているらしい。 僕たちは毎夜ジェイミーから進捗状況と作戦行程のおさらいをして時間を過ごしていく。
そうしてリューズの記憶が戻ってから五日後、作戦決行日がやってきた。
ファエットとジェイミーの見張り交代の時間帯にリューズは音を立てないように移動して、僕の部屋で合流する。 離宮を抜け出すのは僕の部屋の窓から。
離宮内にあった使っていないシーツや小さくなって着られなくなった服をつなぎ合わせた縄を使い、二階の窓から下に降りる。
従者の部屋は東側にあるため、僕の部屋がある西側は目につかない上に、目の前が中庭だから時短にもなる。
屋根の上からジェイミーが終始周りを確認してくれているから、ファエットが従者の部屋に戻ったことは、窓の外から合図で知らせてくれていた。
あとは偽の遺書といつも履いている靴を離宮の裏にある崖っぷちに置いて逃げるだけ。
僕たちは破壊された壁に足速に向かい、ジェイミーが工作していた板をどかして小さな隙間を潜って外に出る。
初めての外に出た僕たちは、一瞬怯みかけたが壁を飛び越えて僕たちを追ってきたジェイミーから急かされて慌てて離宮を離れていく。
「お二方、靴と遺書はお持ちになりましたか?」
「無論だ」
「わたくしめが置きに言った方が早いでしょう、それを渡してくださいませ」
「頼んだぞ!」
僕たちの遺書と靴をジェイミーに預け、僕とリューズは替えの靴を履く。 ここ数日間、部屋の中でこの靴を履いて歩き回っていたから履き慣れていない靴ではない。 万全の状態に仕上げている。
ジェイミーが風のように離宮の裏に駆けて行き、僕たちは指定された地図のルートを進むことになる。 進行方向を間違えれば一瞬で迷子になるだろう。
灯をつけるわけにもいかないため、真っ暗な暗闇の中を二人で駆けていくしかない。
「リューズ、転ばないようにしっかり僕の手を握っていろ」
「お兄様、少し緊張しますわね」
「当たり前だ、脱走なんて初めてだからな」
僕は空を見上げながら星の位置を見て、方角が間違えていないことを確認すると、リューズの手を引いて駆け出した。
「あとはジェイミーのこのメイド服を適当な魔物に食わせるだけだ。 僕たちがいなくなればしばらくの間この森周辺を捜索隊がうろつくだろうから、その捜索隊がジェイミーの衣装を食った魔物を見てしまえば計画は完璧。 見つからなかったとしても、ジェイミーは至る所に自分の血痕を残すという話だから問題はないだろう」
「でしたらわたくしたちが指定された関所の壁まで辿り着けば完璧ですわね!」
「まあ、追いかけてくるとしてもファエット一人だろう。 僕が本当に魔物を操れるなら足止めくらいはできると思う。 見つからないに越したことはないが、見つかった場合最終的には強硬策を取るしかないからな」
「ですが、ファエットに怪我をさせるようなことはしたくないですわね」
「ああ、あいつには世話になったからな。 せめて最後の挨拶ぐらいは普通にしたかった」
僕とリューズは背後に消えていく離宮を一瞥し、暗い表情で駆け出す。
「物思いに耽るのは後にしていただきます。 わたくしめの仲間が既に森に入って野営の準備をしております。 今日のうちにそこまで逃げることができれば計画の第一段階は完璧でございます」
遅れて追ってきていたジェイミーが僕たちに追いついたようだ、並走しながら少し早口気味に急かしてくる。
「ジェイミー! すごい早いな」
「この程度の距離なら造作もありません。 それよりもストールぼっちゃま、ここは既に魔物が徘徊する森の中です、気を引き締めていただきませんと!」
「分かっている」
日々の訓練のおかげでそれなりの体力はついている。 ただ走る程度ならペースを守れば三時間はぶっ続けで走れるだろう。
ジェイミーは時折周囲を見渡しながら僕たちのペースに合わせて並走、時たま先行して進行方向の安全を確認してくれている。 崖の淵に靴と遺書を置いてきた上に僕たちよりも数倍走り回っている。 相当体力を消費しているだろうが、顔色ひとつ変えたりしない。
きつくはないだろうか? 無理していなければいいが。
「お気遣いありがとうございます。 ですが、離宮から脱走するくらいお茶の子さいさいでございます。 問題は関所の壁を越える時です。 その時まで油断されぬよう」
「分かっているさ」
「ストールぼっちゃま、前方二時の方向にカリュードンがいます。 わたくしめの衣服を食わせるよう指示してくださいませ」
ジェイミーの指示に従い視線を動かすと、言われた通りの方向に先日壁を破って入ってきた魔獣の姿を確認した。 この前の個体より一回り小さかったが、それでも人間一人くらいは食いちぎれるだろう。
僕はカリュードンを睨みつけながらメイド服を投げた。
「これを食いちぎれ!」
僕が呟いたと同時に、カリュードンは僕が投げたメイド服に食いついた。 メイド服にはジェイミーがあらかじめ血液を付着させていたようだ、もしあのカリュードンが他の誰かに討伐されればジェイミーはこいつに食われたんだと思い込ませることができるだろう。
うまい具合にメイド服を食いちぎり、ちぎれた衣服が辺りに散らばった。 このちぎれた衣服が見つかるだけでもジェイミーは魔獣に食われたと思わせる事ができる。 問題ない。
メイド服に貪りついたカリュードンを確認して隣を駆け抜ける。 背後に遠ざかっていくカリュードンを睨んだまま僕は命令を続けた。
「そのまま離宮周辺を徘徊しろ、近づいた人間は殺さないように襲え」
僕の命令に従順に従い、カリュードンは離宮の方角へ駆けていく。
「お見事でございます、ストールぼっちゃま」
「いや、命令しただけだぞ?」
苦笑いしながらも木々の間を駆け抜けていく僕たち。
目標地点までの距離は五キロ。 走り続ければ四十分から四十五分で着くだろう。 森の中は足元が不安定だから少し長めに時間がかかってしまったが、目標地点に到達した僕たちは注意深く周囲の様子を観察する。
「この辺りのはずですわよね?」
「ええ、わたくしめにしかわからない目印があるはずなのですが」
ジェイミーが肩で息をしながら鋭い瞳で周囲を観察すると、周りよりも一回り大きめの樹木の間に植物があるのを確認できた。 ジェイミーは慌ててその植物に駆け寄り、周囲に目配せをしてから地面を手で弄った。
「見つけました、横穴でございます」
「すごいな。 掘った穴を布でカモフラージュしていたのか」
布の上に土を敷き詰めて横穴の入り口をカモフラージュしていたらしい。 徹底した隠密技術に感嘆の声を上げていると、穴の中から紫紺色の髪を赤縄で括った女性が顔を覗かせてくる。
「おお、早かったね! G7《ジーセブン》! ヘマしてないよね?」
「この私を誰だと思っているんですS19《エスナイティーン》? 全くもって問題ありません」
人一人出てくるのがやっとの大きさに掘られた穴の中から、猫のような鋭い瞳の女性が姿を現した。
口元は群青色のマフラーで隠していて、森に一体化できるように深緑の外套を着込んでいる。 外套の隙間からわずかに衣服が見えたのだが、少々身軽すぎると思ってしまいそうな軽装で、お腹には衣装を纏っておらず綺麗な形の臍と、縦に三本の筋が入った美しい形の腹筋が……
「ストールおぼっちゃまは女性の腹筋を見るのがお好きなようですね」
「え? なんか恥ずかしいから見ないでよ!」
S19と呼ばれた少女が頬を赤らめながら腹部を隠した。 いや、恥ずかしがるならそんな服着るなよ! と言いたいところだったが背後から鋭い視線を感じて僕は言葉を飲み込んだ。
「お兄様? 腹筋の割れた女の子が好きなのですか?」
「あ、いや。 どちらかというと滑らかな肩の方が好きだ」
「この変態!」
どちらにせよビンタされる運命にあったようだ。 盛大にビンタされる僕を見ながらヘラヘラと笑い出すジェイミーとS19を眺めながら、僕は涙目で紅葉マークが刻印された頬を撫でた。




