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ⅩⅥ

 夕方のゆるやかな風に吹かれながら、池の上を自由に漂う二隻のガレオン船をじーっと観察する。

 

 あぐらをかいて観察する僕を椅子のようにして、僕の足の上に腰を落とすリューズ。 目の前にリューズの薄瑠璃色の髪の毛が迫り、ふわりと花のような心地よい香りが漂う。

 

 なんだか心臓の辺りがむず痒くなったが、横から覗き込んだリューズのキラキラと輝く瞳を見ていたら、降りろだなんて無粋なことは言えなかった。

 

 和やかで幸せな時間が過ぎていく中、事件は突然訪れる。

 

 突然、轟音を立てながら揺れる大地。

 

「っ! いやぁ!」

 

「落ち着けリューズ! お兄ちゃんがいるから大丈夫だ!」

 

 リューズはこの揺れをものすごく嫌っている。 いつものように魔物が壁に激突してきたのだろう。

 

 僕はすぐに立ち上がって震えるリューズを抱き寄せた。 揺れと同時にファエットが残像を残してその場を去ったのだが、僕もリューズもそんなこと気にできる余裕は一切なかった。

 

 目の前に、目を疑う光景が広がったからだ。

 

 朝、壁沿いを見ていた時に気がついたヒビが、悲鳴を上げながら大きくなっていく。 すかさず二度目の揺れが発生し、とうとう壁の向こうの光景が明らかになった。

 

 爆弾で無理やり壁をこじ開けたような轟音が響き、中庭に土埃が舞う。

 

 「ちっ!」と、舌打ちしながら壁に向かって疾駆するジェイミー。 スカートの裾をおもむろに翻し、太ももに常備していた大きなダガーを二本取り出した。

 

 その光景を見て目を見開くリューズだったが、僕にとってはそんなことよりも衝撃的だったのは池の向こうに現れた揺れの犯人だ。

 

 人間など一口で噛みちぎってしまいそうな巨体で、紫紺色の毛皮を纏った巨大な猪。 血管を彷彿とさせる赤いラインが身体中に駆け巡っている。 僕がよく戯れている黒い小鳥と模様が似ている。

 

 下顎から伸びている鋭い牙は成人男性とおなじくらいの大きさだ。 物騒な牙を光らせながら僕たちを睨みつけている。 心なしか、臀部周辺に噛み傷がついているようにも見えるが、何かと戦っていたのだろうか?

 

 僕が目の前の巨大な魔獣に見入っている間に、ジェイミーが超前傾姿勢で速度を上げ、豹のような勢いで猪に突進する。

 

「ジェイミー! カリュードンじゃ! 足をつぶせい」

 

「わかっておりますファエットさん」

 

 頭上からファエットの号令がかかると、ジェイミーがカリュードンと呼称された猪の懐に滑り込んだ。

 

 一瞬ジェイミーの腕だけがぶれて視界から消え、次の瞬間腕が元の位置に戻ってきたかと思ったらカリュードンの右前足から真っ赤な血飛沫が舞う。

 

 それを合図に上空に飛び上がっていたファエットが剣先をカリュードンに向けながら隕石のような勢いで落下してくる。 どうやらファエットは揺れがあった瞬間屋根の上に飛び上がっていたらしい。 いつも屋根の上から飛び跳ねて壁を越えてたのか、もはや人間技ではない。

 

 ファエットが突き立てた刃はカリュードンの首元に深々と突き刺さったが、衝撃で数歩のけぞった程度だ。 ファエットは宙返りしながら距離をとって、ジェイミーの隣に着地する。

 

 首元に剣を突き刺したままカリュードンはまだギリギリ動く左足で、地面を抉るように掻きながら威嚇をしている。

 

「ジェイミー、武器を」

 

「投げナイフでよろしいでしょうか」

 

「構わん、目を潰すから剣を奪ってくれぬか?」

 

「容易いですね」

 

 一瞬も油断することなく段取りを確認し合う頼もしい従者たち。

 

 僕はジェイミーのおかげで二人が何者かを知っていたのだが、リューズは初めてみる従者たちの裏の顔を見て、肩を小刻みに震わせている。

 

「お兄様、一体何が?」

 

「リューズ落ち着け! あの二人がどうにかしてくれるはずだ!」

 

 リューズがパニックを起こさないよう、僕はできるだけゆっくりとした声音で声をかけた。

 

 僕の言葉を合図にでもしたのだろうか、カリュードンが咆哮を上げながら突進してきた。 同時にファエットとジェイミーも動き出す。

 

 まずファエットの右腕がぶれた直後にカリュードンの左目にナイフが深々と突き刺さった。 突進してきていたカリュードンがわずかに勢いを落として禍々しい声で唸り出す。

 

 目にも止まらぬ速さで肉薄したジェイミーが突き刺さった剣を掴み、首を切り裂きながら抜き取ってファエットに投げる。

 

 それを受け取ったファエットが直立したまま顎を引き、剣を自分の正中線に沿わせて構えた。 ファエットが剣を持った瞬間、素人の僕にもわかるほどに戦場の空気が一変する。

 

 鋭い眼光が苦しみながら突進してくるカリュードンを捉えた瞬間、ファエットの姿が消えた。 次の瞬間、すれ違うようにカリュードンの後方を余裕そうに歩くファエット。

 

 何が起きたかわからずに目を擦っていると、カリュードンが頭から真っ二つになって地に伏せた。 一切振り返ることなく、剣に付いた血を払うように刀身が風を切る。

 

 ファエットがものすごく強いと言われていたことは知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。

 

 その姿を見ていたのは僕だけではない。 目の前の脅威が絶命したと判断し、リューズは僕の胸元から弾かれたように離れてファエットの元に向かおうとしてしまう。

 

「ファエット、ジェイミー! お怪我はありませんでしたか?」

 

「リューズお嬢様! 壁に近づいてはなりません!」

 

 ものすごい剣幕で振り返ったファエットが、普段からは想像もつかないような怒号を響かせる。 すると壁の向こうに広がっていた林から、夏場の蛍のように無数に光る真紅の灯りがぼんやりと見えた。

 

 林から出てきたのは、燃え盛るように逆立てた闇色の毛をなびかせた無数の狼。 血のような真紅の瞳を激らせながら、駆け寄って行こうとしたリューズを睨みつけている。

 

「ぬぅ……こんな時にヘルガルムの群れがくるとはのう!」

 

「おそらくカリュードンは、ヘルガルムの群れから逃げようとしていたのかと」

 

「臀部に咬み傷があるのう。 血の匂いに引かれて集まってきおったか!」

 

 ジェイミーの推測を聞き、ファエットが苦虫を噛み潰したような顔で剣を構えた。

 

 ヘルガルムと言われた狼の群れが一斉に飛びかかってくるが、ファエットが目にも止まらないスピードで剣を振る。 たった二〜三振りで十体以上の狼を切り伏せたが、襲ってくるヘルガルムの総数はそれの倍以上だった。

 

 ヘルガルムの群れは全員リューズを狙っている。 おそらく狩の習性だろう、一番弱そうなものが真っ先に狙われる。

 

 予想だにしない伏兵を前にしたリューズの足は一瞬にして硬直した。 硬直した足は無常にも池の淵で滑らせてしまい、真っ逆さまに池へ落下する。

 

 池の中で身動きを取れなくなったリューズを見て、好奇とばかりにヘルガルムの群れが飛びかかった。 流石のファエットも数の暴力には抗えない。

 

 ジェイミーも突進してくるヘルガルムを人間離れした勢いで斬り伏せていたが、距離的にも流石に間に合わない。

 

 僕の足は咄嗟に動いていた。

 

 ジェイミーやファエットが口が裂けそうなほど大口を開けて、何かをひたすらに叫んでいたが、僕の耳には届かない。

 

 僕はただ、リューズを守りたいがために池に飛び込んだ。 池に落ちたリューズはパニックで溺れかけている。 パニックを起こした人間は、足がつく深さの水でも溺れてしまうのだ。 すぐに助けなければ大量の水を飲んでしまい窒息死してしまう。

 

 この池は、落ち着いていれば足がつく程度の深さだ。 足がつかないくらい深ければ僕も水の中に引き込まれてしまうだろうが、足さえ着いていれば問題ない。 暴れるリューズを必死に抱き止めながら、僕は背後から襲い掛かるヘルガルムの群れを最後の抵抗とばかりに睨みつけた。

 

「失せろ! 僕の大切な妹に手を出すな!」

 

 腹の底から湧く殺意を込めて、冷気を帯びそうなほど低い声を上げる。

 

 動きが鈍っていくリューズを強く抱き締めながらヘルガルムの群れを睨み続けると、飛びかかっていたヘルガルムたちは突然動きを止めた。

 

「……は?」

 

「ぼっちゃま? 何をされたのです?」

 

 あっけに取られたのだろうか、目を見開いたジェイミーとファエットが棒立ちしている。 僕自身が何かしたわけではなかったが、僕の視界に映ったヘルガルムの群れはそれまでの凶暴さが嘘のように動きを止めていた。

 

 そしてヘルガルムたちは何事もなかったかのように、僕を一瞥してから森の奥へと去っていく。

 

 いつの間にか、溺れたショックで昏倒してしまっていたジェイミーは僕の胸の中で静かに息をしていた。

 

 一件落着と言っていいのかはわからなかったが、呆然とする僕たちの中で唯一動いていたのは、先ほど浮かべた二隻のガレオン船だけだった。

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