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あんな話を聞いたせいだろうか、朝食はあまり味を感じなかった。 その後は何事もなく一日を終え、私室のベットに飛び込みながら見慣れた天井をじっと眺めていた。
しかし本当に参った、あんな話を聞いてしまったらファエットのそばを離れようにも離れられないではないか。
どうにかして離宮から脱走せずに星成という娘の生まれ変わりを探す手はないだろうか? いっそのこと僕が分身できれば楽なのに。
そんな非現実的なことを考えながら、今世紀最大のため息を吐いた。
その時………
「でしたらお仲間を作って捜索にあたらせればよろしいかと?」
「何を言っている、仲間などいないしそもそも………え?」
突然響いた声に驚き、思わず素っ頓狂な声を上げながら跳ねるように状態を起こす。 ベットの弾力も相まってか、お尻が少し宙に浮いた。
「なぜお前が僕の部屋にいる?」
「お話がありましたので」
僕のベット脇に、置物のように佇んでいたのはメイドのジェイミー。 許可なく僕の部屋に侵入した上に我が物顔で突っ立っている。
「え? いや。 だったらノックしてから入ってくるべきだろう?」
「まあ、そこは置いておきましょう」
「置いておけるか! 勝手に入られたらたまったものではないぞ!」
「まあ、ストールおぼっちゃまも年頃の男児ですからね、普段から人目につかない所でよからぬこともしているとは思いますが……」
「してないし! 僕まだ十才だし! そんなこと、してないんだし!」
思わず大きな声を出してしまい、自分の声が思ったより大きくてさらに驚いてしまう。 そんな僕の間抜けな様子を見ても、ジェイミーは顔色ひとつ変えようとしない。
「とりあえず、茶番はここまでに致しましょう」
「いや、茶番ではないし誰のせいでこうなっていると思っている?」
「ストールおぼっちゃまが神経質だからではありませんか? わたくしめは空気を読んでから侵入しております。 ストールおぼっちゃまが取り込み中でしたらもちろん入る前にノックを……」
「だから! そんなことしないってば!」
完全におちょくられている気がするが、今はどうでもいい。 こいつが恐ろしいのは物音ひとつたてずに僕の部屋に入り込み、しかもベットの真横に立っているという点だ。
一体何を企んでいるのだろうか? 前々から怪しいとは思っていたが、まさか!
「ご安心を、夜這いではありませ……」
「そんな破廉恥な事微塵も疑っていない! もう、勘弁してくれよ」
脱力しながらベットに倒れ込み、四肢を投げ出してため息をつく。 ペースを乱されっぱなしだ。
「ですからお話があって参りましたと最初に申しました」
「何の話だ?」
「ここ最近、ストールおぼっちゃまの怪しい行動に興味がありまして」
ギョッとしながら再度状態を起こし、ジェイミーの人形じみた無表情を凝視する。
「な、なんの話だ? 書斎にこもっているのは、最近外の気温が上がり始めたからで……」
「それもありますが、なぜ脱走を企てているのかをお聞きしようかと」
動揺とともに息を飲み、肺の中に焦燥感が溜まっていくのを感じる。
「だ、脱走? 何のことだ?」
「惚けても無駄でございます。 セナ? と呼ばれている娘を探すために、脱走を企てておいでですよね?」
なぜジェイミーがその娘の名を知っているのか? 僕は先日の夢に出てきた星成という娘の名前は、リューズはもちろんファエットにも話していない。 もしや、無意識のうちに寝言でつぶやきでもしたか?
「ストールおぼっちゃまの最近の寝言は『ピスタチオに面食らった』でございますので、寝言でセナという娘の名は出しておりません」
「なんだ? その意味のわからない寝言は」
「それはわたくしめも聞きたい謎でございます」
僕が意味不明な寝言を言っていた事実を知り、そちらに思考が引っ張られたのだが、肝心な問題はそんなくだらないことではない。
なぜ、僕の脳内でしか出していない娘の名前を、ジェイミーが知っているかだ。
「そんなことは、考えればお分かりになるでしょう?」
「は? ぼぼ、僕は何も言っていないぞ? 急に何を言い出す?」
先ほどからジェイミーが発している言葉は少しおかしい。 僕が声に出している言葉だけに反応しているのなら、話の辻褄が合っていないのだ。
僕が最後に発した言葉は「なんだその意味のわからない寝言は」だ。 寝言の話をしているのに突然「そんなことは考えればお分かりになるでしょう?」などといい出す。
普通に考えれば会話は成立しない。 僕が会話の途中に考えていた、脳内の思考を読んでいるのなら話は別だが。
「ようやくお気づきになりましたか? わたくしめの『絶眼』は看破の力を授かっております。 読心の絶眼。 この目に映る全ての人物の脳内思考を看破できるのです」
絶眼? 初めて聞く言葉に戸惑いを覚える。 だがジェイミーは、僕が思考を巡らせる前に話を続けた。
「絶眼とは、皇道十二王家の血を引き継ぐ者に受け継がれる不思議な力です。 わたくしめの国はあなた様の父、ダレオス王によって滅ぼされ、家族は皆殺しにされました。 生き残ったのは当時第一王女でわたくしめひとりです」
「ちょ! ちょっと待て、ゆっくり説明してくれ! 訳がわからない!」
「そう言われましても、あなた様は外界の知識を意図的に教わっておりませんから、話せば長くなってしまいます。 要点だけ心得て下さい。 わたくしめは絶眼という特殊な力を持っている。 あなた様の心の声がわかる。 わたくしめの家族はあなた様の父に皆殺しにされている。 そして、わたくしめはあなた様に頼みたいことがある。 これで理解しやすいでしょう?」
聞きたいことは山ほどあるが、何となくジェイミーが今このタイミングで僕の部屋に侵入した理由は把握した気がした。
僕の父に家族を皆殺しにされた恨みを、果たすためだろう。
緊張が全身を走り、生唾を飲みこむ。 僕は逃げる準備をしながら、ジェイミーを油断ない眼差しで睨め付けた。
「……はぁ。 ストールおぼっちゃまは、ド阿呆でございましたか」
「ちょ! 待て! 誰がド阿呆だ!」
氷のように冷たい視線を向けられ、僕は思わずベットを叩きながら反論してしまった。
「わたくしめが敵討ちなどという生産性もない愚かな行為をするとお思いですか? そもそも、殺すつもりならとうの昔に始末しております」
「は? だから僕は何も言っていないのに! って、そうか。 心の声が読めるのだったな?」
ようやく冷静に思考がまとまってきた。 つまりこいつは僕の脳内の声を読んでいるということだ。
だからもし僕が頭の中で『やーーやーい! ジェイミーのバーカ! おたんこなすー』なんて言えば、頬に鋭い痛みと共に皮膚が引っ張られる感じを伴って………
「ほう、いい度胸をしておいでですねストールおぼっちゃま」
「ちょっと! 痛い痛い! ごめんなさいでした! 申し訳ごめんなさいでした!」
眉間に縦ジワを入れたジェイミーに頬をつねられるというわけだ。 痛いです本当に、変な言葉遣いになってしまったじゃないか。
ようやく頬を解放され、僕は虫歯の少年のように頬を押さえていると、ジェイミーは呆れたように肩を窄ませた。
「ストールおぼっちゃまのせいで話が逸れまくっております。 わたくしめのことは後でお話ししますので今は放っておいて下さいませ。 そんなことよりもストールおぼっちゃま。 あなた様は本当にその娘、セナという少女の生まれ変わりを探すおつもりですか?」
「まあ、お前相手だと僕の思考は隠しきれないようだな。 ああ、探したい。 僕が何者なのかを知るために」
「でしたら脱走せずに、わたくしめにご命令なさればよろしいかと」
「どうしてそうなる?」
「わたくしめは毎晩情報交換のため仲間と通信をしておりますので、そやつに頼んで捜索すればよろしいかと。 ご安心を、通信している仲間は信用に足る人物でございます」
「情報交換? 何のためにそんなことを?」
「わたくしめは殺し屋でして、ストールぼっちゃまやお嬢様が脱走を図った際有無を言わさずに殺処分するようダレオス王に命じられております」
今、さらっととんでもないことを言わなかったか? ジェイミーが、殺し屋だと?
「ええ、いちいち騒がれては面倒なのでさりげなく言ったほうがよろしかったかと思いまして」
「いや、よくないだろう! お前、殺し屋なの? は? やっぱり僕を殺すつもりだったのか!」
驚愕のあまり声を裏返らせながら後ずさる。 ベットから落ちるように駆け降りて、慌てて護身用の剣を取り出そうと、部屋に飾ってある武器に手をかけた。
「おかしな方ですね、なぜ殺し屋と分かってからはそんなにもわたくしめを怖がるのです? 心が読めると分かった時点では何も怖がる反応を見せませんでしたのに」
「心を読めるくらい、分かっていれば恐るるに足らないだろう? むしろ、相手の心が読めてしまうのなら、聞きたくもない言葉を嫌でも聞いてしまうのではないか? そんな力、悲しすぎるではないか」
僕はただ思ったことを言っただけだった。 しかしジェイミーは僕の何気ない一言を聞いて、固かった表情が驚愕に変わった。
瞳を大きく見開いて、僕を凝視している。 珍しい珍獣でも見たような顔で。
「わたくしめを、気味悪がらないのです?」
「なぜ気味悪がる必要がある。 今まで散々面倒を見てもらってたり、お前が作るうまい飯を食わせてもらっていたんだ。 感謝はしているが、拒絶などするはずもないだろう? 心が読まれて少し怖かったり、慌てはしたが気味が悪いだなんて微塵も思わなかったぞ? むしろ、その力があると分からなかったときの方が少し不気味に感じていたくらいだ。 心を読めると知って逆に納得したさ!」
ジェイミーは見開いていた瞳をゆっくりと閉じ、小さく笑いをこぼし始めた。 初期微動のような控えめな笑いを数秒間続けた後、主要動の如き大笑いを漏らし始める。
「意味がわかりません! あなた様はまともな人間ではないですね!」
「おい、それは侮辱か? ほっぺをつねり返してやるぞ?」
「いいえ。 侮辱など滅相もないです。 なぜでしょうか、こんなにも面白いお方は初めて見ましたよ。 あなた様とお嬢様は、どうしてそうもお人好しなのでしょうか。 詐欺師に騙される典型的なおバカさんですね。 それと、あなたごときがわたくしめの頬をつねるだなんて芸当は不可能かと思われます」
ほ、褒められている気がしないのだが、悪い気もしない。 むしろ、直球で誉められるよりも心地よい気がした。
赤くなった頬を誤魔化すように、口を窄めながら武器に添えていた手を離す。
「まあ、僕たちが馬鹿になってしまったのはお前たちの育て方が良かったんだろうな。 つまり僕のせいではない。 お前は殺し屋のくせに、僕たちをこんなにお人好しに育て上げたのだ。 むしろ誇りに思うがいいさ」
「ストールおぼっちゃまは意外とナルシストでございましたか」
「うるさい! そんなことより、殺し屋ってなんだ! 一番気になるからそこから教えろ! 話をするならその後だ!」
「はぁ。 でしたらかいつまんで説明いたします。 我々に家族がいないことはファエット様から聞いていましたよね? わたくしめは家族を皆殺しにされ、孤児になったところを『泡影』と呼ばれる殺し屋グループに拾われました。 その泡影で物心ついた頃から殺しや潜入などのあらゆる知識を教わりました。 現在、泡影の雇い主は貴方様の父、ダレオス王です。 わたくしめはその依頼主であるダレオス王の命令でこの離宮に潜入しているのです。 今はメイドと姿を偽っておりますが、その実裏社会では息をするように人を殺し、我が物顔で人を騙す悪の権化だったと言うことです」
「そうなのか。 まぁでも、僕はメイドのお前しか知らないから他人事だな」
「散々疑ってたくせにそんなサラッと流していいのですか? でもまぁ、その言葉を聞いて安心しました。 では殺し屋の件はこれで説明したと言うことでよろしいでしょう? 他にも聞きたいことが多数あるかと存じますがひとまず我慢していただき、一つわたくしめの愚鈍な願いをお聞き願いたいのです」
「まあ、まだ説明不足感は否めないが仕方ないか。 とは言ってもな、お前の願いを聞いたところで僕にそれを叶える権力はないぞ?」
僕は今、ジェイミーの願いなどより気になることが一気に増えすぎて頭がパンクしそうなのだ。 願いを聞いたところで耳を通過していってしまうに決まっている。
ああ、これもジェイミーに伝わってしまっていたか、まずいな!
「いえいえお気になさらず。 急に色々なことを伝えたところであなた様の頭では容量が足りないのは分かっておりますから。 半分流しながら聞いてください」
「遠回しにバカだと言いたいのか?」
「………そうとも言うかもしれませんね」
こいつ、なんて失礼なメイドなんだ。
僕の心の声を聞いていたのだろう、ジェイミーはくすくすと小さく肩を揺らしながら、年相応の可愛らしい笑みを浮かべていた。 普通に笑っているジェイミーを初めて見たが、悔しいことに少し可愛いなと思ってしまった。 って、これももろに聞かれてるのを忘れてた!
しまったと思った頃にはもう遅く。 ジェイミーは突然真顔になって、気まずそうにする僕の顔を真っ直ぐ見据えていた。
「ストールおぼっちゃま。 わたくしめを口説き落とそうだなんて三百年早いです。 なぜならわたくしめは年下の男児になど全くもって興味は………」
「やかましい! 忘れろ! っていうか、少しくらい空気を読んで知らないふりをしろ! この覗き魔が!」
油断すると胸中で本音を漏らしてしまうからな、今後も注意しないとこいつと真面目な話ができなくなってしまう。




