新婚転生 〜どうも神様は俺たちが結ばれるのを全力で拒みたいらしい〜
耳障りな浸水音。 命の残り香が消え行く間際、僕たちは残された二人の時間を少しでも伸ばそうと、わずかに残った空気を必死に肺へ送るため泳ぎ続ける。
何リットル海水を飲んでしまっただろうか、どれだけ助けを呼び続けたのだろうか?
新婚旅行で旅客船の旅をしている最中、事件は発生した。
貧乏な僕たちの旅行は背伸びをしても豪華客船とはいかず、お手頃のお値段で乗船できる一般旅客船に乗っていたのだが、事故で岩礁に乗り上げて転覆。
逃げ遅れてしまった僕たちは必死に助けを求めていたが、誰も駆けつけてはくれず。 こうして部屋の壁に足をつき、餌を求める鯉のように水面に顔を出し、必死に呼吸をつなげている。
震える小さな肩を抱きながら、必死に立ち泳ぎを続けていると、たまたま足元に何か硬い物が触れたことに気づいた。 棚か何かだろうか? ようやく足をついた僕たちは、水面に顔をもちあげ一呼吸つくことができるようになった。
「星成! まだ意識はあるか?」
「光輝くん、大丈夫だよ。 ごめんね、私が新婚旅行に行きたいなんてわがまま言っちゃったから」
「そんなこと言わないでくれ。 僕がついてるから大丈夫だ」
気休めだった。 もう浸水してから数時間が経過している。 このままでは沈没するのが先か、はたまた部屋に残った酸素を吸い尽くしてしまうのが先か。
星成の寂しそうな顔を見たくなくて、僕は思ってもいない事を言うことしかできない。
もはや助けは来ないだろう、来たとしても間に合わない。 死ぬのは怖いが、最後に残された時間を喚き散らして過ごすより、僕たちは二人寄り添って静かに待つことを選んだ。
僕はスーパーヒーローでも、絶対的な力があるわけでもない。 ここまで浸水してしまった旅客船から、見事に脱出できるほどのスペックは持ち合わせていない。
残された時間はわずかだ。 室内を海水が満たしていくほど、心も絶望に染まっていく。
体温を失っていくほど、生きる気力が失せていく。
浸水が進む豪流の音は、さながら絶望へのカウントダウンのようだ。
それでも、最後の最後まで僕は足掻き続ける。 たった一人愛した大切な伴侶を、少しでも幸せな気持ちにしてあげたい。 これが最後になったとしても。
「星成………愛してる」
「私もだよ。 光輝くん」
ありきたりな言葉しか浮かばなかった。 思い続けていたことをなんの飾り気もなくささやく事しかできなかった。 気が利いた言葉なんて、この土壇場では思いつかない。
それでも星成は、海水に冷やされ、今にも凍ってしまいそうな冷たい体を震わせながら、幸せそうな顔で俺に微笑みかけてくれた。
その微笑みを見て、ただ———ただただ悔しくて。 砕けそうなほど奥歯を軋らせる。
ああ、神様。 僕たちは一週間前に挙式を上げたばかりだと言うのに、この仕打ちは残酷すぎはしないか?
一体僕たちが何をしたと言うのだろうか? 理不尽にも程があるとは思はないのだろうか?
せめて、せめてもう一度チャンスをもらえるのだとしたら!
「星成、僕たちは来世でもきっと出会えるから! だって………だって一週間前に、永遠の愛を誓っただろう?」
「そうだね。 まだ結婚して一週間しか経ってないし、新婚旅行だってまだ途中だもんね。 来世でまた会えたのなら、またどこかに連れてってね」
絶望的な状況にも関わらず、星成は強がった笑顔を向けてきた。
僕は駄々をこねる子供のような戯言しか吐けなかったにも関わらず。 星成は、僕が心から大好きだった笑顔を見せてくれた。
これが僕たち、天蓋夫婦の最後の言葉となり、冷たい海の底へと意識が引き摺り込まれていった。
*
———ま!
なんだろうか、頭がガンガンする。
———っちゃま!
肩を強く揺すられているのだろうか、視界がぼやけてはっきりしない。
———ぼっちゃま! 目をお開け下さい! ぼっちゃま!
途端、脳が覚醒して勢いよく瞼を開く。
「ぼっちゃま! よかった、目を覚まされましたか!」
「ファエット? 僕は、寝ていたのか?」
見慣れた天井、よく知っている従者の声。
目の前で必死の形相を浮かべていたのは執事のファエット。 ここは僕たちが暮らす離宮だ。
なら、さっき僕が見ていた景色は一体………
「ぼっちゃまは長湯をされていて、のぼせて意識を失ってしまっていたのです! 浴室内に沈んでしまっているところを慌てて引き上げたのですが、しばらく目をお覚ましになられなくて………本当に肝が冷えましたぞ。 年寄りの心臓には少し過激すぎます」
「す、すまないファエット。 変なことを聞くが………ここは離宮で、僕の名前はストールで間違いないよな?」
僕の質問を聞き、ファエットは口をぱくぱくとさせながら冷や汗をこぼした。
「ぼっちゃま? どこか頭をぶつけましたか?」
「あ、いやすまん。 そんな大袈裟な顔をするな。 大丈夫だ、体調には問題ない。 少し頭がぼーっとするだけだ」
「動いてはいけません、今日はもうお休みになって下さいませ!」
起きあがろうとした僕を慌てて静止するファエットに苦笑しながら、僕はもう一度ベットに横になった。
それにしても、さっき見た夢はなんだったのだろうか?
まるで僕自身が見たこともない地に飛ばされて、沈没する船の中で生きようと必死にもがいている感覚。
不思議な感覚だ、あの時必死に生きようと足掻いていたのは———僕のようで僕ではない。
単純に視界が別の誰かにすり替わっていたとかいった風でもなかった。 不思議なことにはっきりとわかる。
———あれは、僕の視野だった。
天蓋光輝、その名前に懐かしさを感じていた。 この感覚は、一体なんなのだろうか? 自分で考えているにも関わらず、訳がわからない。
幼い頃の記憶は曖昧だ。 それも当然だろう。 僕は特別記憶力がいいわけではない、一番古い記憶でも五才だったか、四才だったか? それすらもはっきりとしないが、とにかく庭で育てていた花が枯れて大泣きしていた記憶しか思い出せない。
しかし不思議なことに、さっき初めて見たはずの夢に懐かしさを覚えた。
天蓋星成、僕は彼女を知っている。
昔………いや、僕が生まれる前
———伴侶として、僕が心から愛していた娘の名だ。