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荘厳な空気に満ちた堂内に、聖歌隊の子どもたちの美しい歌声が響いています。
歌声に合わせて丈高い扉が開かれると、女王や姉姫たちをはじめとする参列者たちが、いっせいにそちらをみつめます。
肩をならべて入ってきたのは、エセリア姫とシャイン卿。
人々の祝福に包まれながら、結婚式がついにはじまりました。
真っ白な婚礼衣装に身をつつんだエセリアは、お人形のように静かな表情で、ただ前だけをみつめています。
気持ちを殺していたからですが、少なくとも傍目には、彼女は申し分ない花嫁に見えました。
背中には、歌声と響き合うかのように清らかさをました純白の翼。
翼と同じ色の衣装には、繊細なレースとリボン。つややかな金の髪には貴石を散らした細い冠──。
かたわらのシャイン卿は鳩族でしたので、青みがかった上品な灰色の翼に紫紺の衣装を合わせています。
参列者たちはみな、ため息混じりに美しいふたりを見守ります。
大聖堂を彩るステンドグラスの窓からも、五色の光が差し込んで、ふたりを祝っているかのよう。
新郎新婦はそんな中、祭壇へと続く細長い絨毯を、しずしずと歩いていきました。
そしてほどなく、とこしえの愛を誓い合う祭壇の前にたどりつきました。
到着を待っていた司祭が、ふたりを交互にみつめます。
聖書どおりの祝詞に続き、いよいよ誓約をかわし合うときが来ました。
まずは新郎であるシャイン卿に、司祭のおごそかな問いかけが。
あなたは彼女とともに生きることを誓いますか?
シャイン卿が誓いますと即答すると、司祭はうなずきエセリアに視線をうつしました。そして同内容の言葉を問いかけましたが、そのあと少し怪訝そうな顔をしました。
なぜかといえば、新婦の返事が聞こえませんでしたから。
エセリアは、返事もせずにぼんやりと司祭をみつめていました。正確には、司祭の胸のあたりに見入っていました。
黒い祭服の胸元には、銀糸で月と星の刺繡がほどこされています。そのみごとな刺繍が彼女の視線を吸い寄せていたのでした。
月と星は大切だった夜を思わせ、大切だった人を思い起こさせました。銀の光は、はじめて出会った夜にきらめいていた剣の光を思い起こさせました。
どうしようもなく、思い起こさせました。
彼女の耳に司祭の声が聞こえてきます。二度目の問いかけです。
あなたは彼とともに生きることを誓いますか?
エセリアは、はっとまばたきして目を見開きました。それからこう口走りました。
誓うことはできません。
司祭はもちろんシャイン卿も参列者たちも、誰もが驚いてエセリアをみつめます。そんな中で彼女はさらに続けました。
できないのです。だってわたしが……わたしがともに生きたい人は──。
けれど、彼女の声は途中で断ち切られました。
断ち切ったのは何人かの人々の悲鳴です。
なんの前触れもなく、景色が大きくゆがむような恐ろしい感覚が襲ってきて、悲鳴をあげずにはいれらなかったのです。
司祭はさすがに叫びはしませんでしたが、うめき声で驚きをあらわしました。
気のせいではなく実際に、聖堂内の空間がゆがみはじめているのでした。
ゆがんでいるのは大聖堂の高い天井あたりでした。天井を支える梁が大きく揺らいで見えたとたん、そこに裂け目ができました。
梁が裂けたのではなく、空気そのものが裂けたのです。
そしてあろうことか、その裂け目から、恐ろしい怪魚が全身を押し出してきたのです。
なんという大きさでしょう。
聖なる大聖堂の内部に、巨大な魚の化け物が入り込んでくるという、それは悪夢のような光景でした。
怪魚は大きな目玉をぎょろりと剥き、エセリア姫の姿をとらえました。
──ミツ……ケタ……。
不気味な声を響かせつつ、目当ての姫君めがけて下降してこようとしました。
胴体が大きくくねると、尾びれが窓に当たり、ステンドグラスが一気に砕け散ります。
飾られていた聖画の額が落下して、激しい音に聖歌隊の子どもたちの泣き声が重なります。
堂内を守る衛兵たちが剣を構えていますが、上にいるものを斬りつけることはできません。かといって槍を投げれば、はずれたとき参列者たちに当たってしまいます。
駆け寄ってきた衛兵たちにかばわれつつ、エセリアは呆然と化け物を見上げました。
ですが──。
そのとき奇妙なことが起きました。
一瞬で降りてくると思った怪魚が、突然動きを止めたのです。
なんだか苦しげにもがいているようです。いったいどうしたのでしょうか。
下にいる人々みんながそれに気づき、固唾を飲んで様子をみつめた、その次の瞬間。
もがいている怪魚の巨体に、いきなり銀色の光の線が走りました。
光は怪魚の腹部あたりから出ているように見えました。
腹から胸へ、背中へ頭へ。枝分かれしながら稲妻のように駆け抜け、背びれや尾びれに達して、さらに光り輝きます。
直後、怪魚の全身が破裂するように裂けました。
そして、城で成敗されたあの夢魔と同じように、咆哮を残しながら崩れはじめました。
崩れた身体が真っ黒い煙のような塵になり、天井あたりで渦を巻きます。
けれど、すべてが塵になったわけではありません。
塵の中から、銀色にきらめく剣を握りしめた若者が投げ出されてきたのですから。
それは、北の地で怪魚に呑み込まれたはずのランスでした。
ランスの全身は傷だらけで、黒い翼はさらにぼろぼろでした。それでも何度かはばたくことができたので、手から離れた剣のほうが先に床に落ちました。
剣に続いて彼自身の身体が落下します。
静まり返った堂内に、エセリア姫の声が響きました。
「ランス!」
倒れていたランスが顔をあげました。駆け寄ってくるエセリアに気づくと、万感の思いをこめて名を呼びました。
「エセリア……!」
ひざまづいて彼を助け起こしながら、エセリアは彼をみつめます。
彼も必死に起き上がりながら、彼女をみつめ返します。
かたく握り合った手と手が、何よりもふたりの気持ちを物語り──。
会いたかったわと涙を浮かべてエセリアが言い、おれも会いたかったとランスが強く応じました。
そして周囲の目にかまわず、しっかりと抱き合ったのでした。