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ランスには行く当てがありました。
お城から遠く離れた北の地です。
手ごわい魔物の群れがその地にあらわれて、討伐隊が必死に闘っているという噂を聞いていました。
そこに行き、魔物狩りをして過ごそうと思ったのです。
北におもむいたランスは、衛兵ではなく隊の兵士として、日々狩りに精を出しました。
あらわれる魔物は巨大な魚のかたちをした化け物で、普段は深淵と呼ばれる魔界に棲息しています。
ところが稀に、深淵とこちらの世界をへだてる大気に裂け目ができて、怪魚がこちらに泳ぎ出てきてしまうのです。
出てきた怪魚は、水もないのに空中を泳ぎ、地表にいる人々を上から襲って捕食します。
ですから、怪魚がおりてこないよう、闘いは空でおこなわれます。
討伐隊は鳩族と蝙蝠族で編成されていて、昼は鳩族が、夜は蝙蝠族が交代で討伐にあたります。
町中ではいっしょになることのないふたつの種族ですが、こういう場所での連携はよくとれていました。
そしてランスの活躍は、その中でも群を抜くものでした。
彼の飛ぶ速さや反射神経にかなう兵士はいません。それに魔物に対する勘も大変よかったので、どんな力自慢の兵士も彼の動きには遅れをとりました。
ただ、ランスのそばで闘っている兵たちは、時おりひどくハラハラしました。なぜなら、彼が自分の身を投げ出すような闘いかたをしているように見えたからです。
それはまちがいではなく、実際ランスは、自分自身を守ろうとはほとんど思っていませんでした。
守りたいのはエセリア姫でした。
本当は彼女だけを守りたかったのです。
夢中で討伐していたのは、そうしていればほかのことを考えずにすんだからです。別れたことがつらいだなんて、思わずにすんだからなのです。
脇目もふらずに怪魚を追っているうちに、いつのまにか日が昇ってしまうことがありました。
はっとして引き返すのですが、日差しを浴びても案外平気でいることに、ランスはそのうち気がつきました。
もしかすると浴び続けても平気なのでは? いままで試しもしなかったけれど、意外とできるのかもしれない。
ランスはちらりとそう思いましたが、でもできたところで何になるでしょう。
昼間に動く価値があるのは、エセリア姫がいるからこそ。いまはその希望もありません。
こんな感じでしたので、その日、逃げようとする怪魚を彼が深追いしてしまったのも、無理なかったかもしれません。
討伐隊に手こずると、怪魚は空にできた裂け目まで逃走して、深淵に飛び込んでしまいます。
すると裂け目が閉じるので、とりあえず地表の安全は保たれます。
討たなくても、とにかく怪魚がいなくなればいいわけなので、普通の兵士はしつこく追いかけたりしません。
ところがランスは、空高くあがって剣を振り続けてしまいました。
裂け目に入るのを邪魔されて、巨大な怪魚は激怒しました。
煮えたぎる眼で彼をにらみつけたとたん、人外の声が不気味に響きわたりました。
──オマエノ一番大切ナモノヲ、喰ラッテクレル……
ランスはぎょっとしました。
恐るべきことに、化け物はランスの心の中を読み取ったのです。
一番大切なもの、それはエセリア姫にほかなりません。深淵を通って都にまでたどりつき、姫をみつけて喰らうつもりなのでしょう。
そんなことをさせてなるかと、ランスは夢中で怪魚の前に飛び出しました。
けれどそれは、相手の格好の餌となるに等しい無謀な行為でした。
化け物の巨大な顎が、みずからの頭部を裂かんばかりの勢いでひらきます。
そして無防備な若者を一瞬で丸呑みにするや否や、すばやく口をとじました。
そのまま空の裂け目に飛び込み、怪魚はたちまち姿を消したのでした。
──そのころエセリア姫はどうしていたでしょうか。
姫君はもちろん、ランスがそんな大変な目にあっているとは夢にも思いませんでした。
けれど、彼女は彼女でとても大変でした。
彼がいなくなってしまったあと、幾夜も泣き暮らして過ごしたのですから。
彼を追いかけていきたい。いっそ、お城から飛び出したい。
けれど追いかけようにも、ランスの行き先はまったくわかりません。ひとことの伝言さえ残してもらえなかったのです。
伝言がないということは、行き先を知らせたくないということかしら。追いかけてほしくないということかしら。
エセリアの心は千々に乱れ、そうするうちにも婚約へ、結婚へと話はどんどんすすみます。
女王は勅命のことを明かしませんでしたし、お相手のシャイン卿は婚約を大変喜び、結婚式を待ち望んでいるようです。
エセリアは、実は時おり、シャイン卿にわずかな引っかかりを感じていました。
たしかに良い人にはちがいないのです。でもなんだか、エセリアの人柄ではなく身分のほうを、より大事にしているような……。
けれど、きっと気のせいでしょう。
気のせいでなかったとしても、もはやどうでもいいことでしょう。
エセリアの心はすでに疲れてしまって、考える力も抗う力も失われていました。
そしてとうとう、大聖堂でシャイン卿と結婚する日を迎えてしまったのでした。