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ひとつのお話をいたしましょう。
白鳩族のエセリア姫と蝙蝠族の衛兵ランスが、恋に落ちるお話です。
少しの間、耳をかたむけてみてくださいね。
ご存じのように白鳩族というのは、つややかな純白の翼を背中から伸ばした、あの美しい人々のことです。
鳩族が大半のこの国において、白く輝く両翼は王族である証し。エセリアは王家に生まれた一番下の姫君でした。
白鳩族や鳩族は日の光が大好きで、夜の闇をとても恐れています。
夜目が効かないのであたりがよく見えないし、暗くなると翼がこわばり、飾り物のように背中で動かなくなってしまうからです。
だから、みんな日暮れとともに床につき、夜明けとともに起き出す暮らしをしています。
一方、蝙蝠族は黒々とした皮膜の翼を背中に生やした人々です。
骨格に黒布を張ったみたいな翼には、ふわふわとやわらかい羽毛はありません。
彼らはもともと数が少なく、夜の暮らしを好みます。日光が強すぎて目がくらんでしまうし、素肌も痛んでしまうからです。
だから、みんな昼間に睡眠をとり、日が暮れると起き出す暮らしをしています。
お城の警備は、昼間は鳩族の兵士が、夜は蝙蝠族の兵士が担当します。蝙蝠族は、敷地内の北の塔に住んでいて、時間が来ると持ち場に行き、鳩族と交代するのです。
ですから、鳩族と蝙蝠族は接する機会があるわけですが、白鳩族がそれに立ち会うことはまずありません。
けれどこれでは、エセリア姫と衛兵ランスが出会うはずはありませんね。
それが出会ってしまったのは、夜のお城を魔物が襲ったせいでした。
この国にはあまたの魔物がいますが、その夜あらわれたのは恐ろしい夢魔です。
夢魔は不定形の身体をもっていて、石壁の隙間から城内に入り込むと、四つ足の姿に変わり人々を襲い始めました。
飛ぶことができればなんの問題もないのですが、時刻は真夜中、あわてふためきながら走って逃げるしかありません。
エセリア姫も、侍女や侍従たちとともに必死になって逃げました。
長い金髪をなびかせて、夜着の裾を乱しながら、姫は暗がりの中を走ります。
けれどそうするうちに──彼女はふいに、自分がはぐれて一人きりになってしまったことに気がついたのでした。
回廊の奥から出てきた夢魔が、うろたえたエセリア姫に迫ります。
思わず中庭にまろび出たエセリアでしたが、疲れた足が段差でもつれて、あえなく転んでしまいます。
起き上がれず、夢魔に襲われるままになろうとした、まさにそのとき。
夢魔と彼女の間にいきなり飛び込んできたのは、真っ黒なひとつの影でした。
次の瞬間、影の中から銀色の閃光がほとばしりました。
その閃光は夢魔をつらぬき、四つ足の大きな胴体を真っ二つに斬り裂きます。
断末魔の咆哮を残して、もろくも崩れ落ちていく夢魔。
あれほど恐ろしかった化け物の身体が、裂けるそばから塵となって巻き上がり、乱れ落ち、やがてかけらすら残さず消えていきました。
エセリアは知りました。光に見えたもの、それが月光を映した剣だったことを。
そして、その剣で夢魔を成敗した衛兵が、やはり月光を浴びながらエセリアを見下ろしているのでした。
エセリアは、大きな瞳をこぼれそうに見開いて、その衛兵をみつめました。
ちょうど満月の晩でしたので、彼女の目にも相手の姿が見てとれたのです。
剣の威力から考えると意外なくらいまだ若く、すっきりした細身の衛兵でした。
乱れた前髪の下の顔立ちは端正で、この場にそぐわないほど落ち着き払っています。
けれど、エセリア姫が不躾なほどにみつめてしまったのは、それらの外見のせいではありません。
目が離せなかったのは、彼の背中から突き出ている黒々とした一対の翼です。
衛兵は蝙蝠族の若者だったのです。
エセリアはもちろん、蝙蝠族の存在は知っていましたし、図版などでも見たことがありました。
けれど実は彼女は、実際に生きている人物に会ったのは、このときが生まれてはじめてだったのでした。
それに気をとられすぎてしまったせいで、怪我はないかと彼にたずねられたときも、彼女は返事をすることができませんでした。
そうするうちに、あたりが急に騒がしくなりました。
はぐれてしまった姫をようやくみつけた侍女たちが、回廊を走ってきて彼女を取りかこみます。みな姫の無事を喜び、涙ぐんでさえいました。
もちろん彼女もほっと安堵の息をつき、同じく涙ぐみながらそれに応えます。
そして。我に返って中庭を見まわしたとき、あの衛兵の姿はもうどこにもありませんでした。
──おや。
ふたりが出会ったのはいいですが、すぐに離れてしまいましたね。
でも大丈夫。数日後にエセリア姫が行動を起こしますから、もうちょっとだけお聞きください。
突然あらわれた夢魔の群れは、幸いにも一夜ですべて討ち取られ、お城は平和を取り戻しました。
ですが、エセリアはあまり平和な気分ではありませんでした。助けてもらった直後の自分の態度を、とても後悔していたのです。
なにしろ彼女は、命の恩人である衛兵にお礼のひとつも言いませんでした。
お礼どころか声さえ出さず、馬鹿みたいに彼の翼をじろじろみつめてしまいました。
もう一度会ってお礼を言いたい。そして、ちゃんとあやまりたい。
彼女は強くそう思いました。
けれど、周囲の人々はみんな、そこまでする必要はないと言うばかりでした。
白鳩族も鳩族も、蝙蝠族が衛兵として立派だったことは認めています。けれどその一方で、闇の中で平然と動く彼らのことを、なんだかこわい存在だと感じていました。
自分たちとは別の世界の住人だとも思っていました。
だから、姫君が彼と面会する場はつくることはできない──残念ながらこれがみんなの意見でした。
でもエセリアには納得できません。もともと、ほかの人にくらべてあまり暗闇を恐れない、おてんばな姫だったせいもあるでしょう。
そこで数日後の晩、彼女はその本領を発揮します。
夜中にこっそり部屋を抜け出して、ひとり中庭まで忍んでいったのです。
もう一度、衛兵ランスに会うために。