第20話「うたいたい」
第20話「うたいたい」
アルビノでも無事健やかに5歳の誕生日を迎えられたことをお祝いし父親とルルの一部の友人も家に招いて家族総出で盛大なパーティを開いてすぐのこと。
誰が見てもわかるほど楽器の演奏技術と歌のレベルが上がってきたルルは、本人もその実感を感じているようで密かに四度目にもなる自宅からの脱走を計画していた。
以前親にこってり怒られて懲りただろうに再び企てているその理由は、誕生日会内のイベントとして二つソファを並べただけのステージに上がったルルが自分の歌を来賓の皆様に向けて披露した時に、両親と祖父母はもちろん友達のラベッタとその母親、数人のサッカー選手たちにまでこれでもかと褒めちぎられ鳴り止まない拍手と歓声を浴びたからだった。
―なお、パーティ中にもらった様々な褒め言葉のなかでも祖父のドラントが放った"ルルの歌はもう路上で披露してもチップが貰えるくらいに上手だね"という発言が今回の作戦を考案するキッカケの大部分を占めている模様。
ただでさえ音楽に関するやる気と熱意が凄く高い子供がそんな、外で通用するだなんて言われたらそれが本当なのか試したくなるというものだ。ルルは幼いながらも泥臭く芸術が何たるかを求めてもがくミュージシャン魂をもう持っていた。
だが彼女は外で歌ってちやほや褒められたかったわけではない。
自分が実際に街の片隅に立って演奏してみたときどうなるのか、仮に通行人が誰一人立ち止まらず拍手ももらえなくても構わないからとにかくおべっかを言わない他人の反応が知りたかった。
将来もし本当にミュージシャンになれたとして、歌を売る相手はひたすらプラスの評価しかしない家族や友達ではなくそういった自分に興味を持たない人が大部分を占めるのだとルルはちゃんと理解していたのだ。
だから私は絶対に外に音楽武者修行に行くんだと覚悟を決めた、決めてしまった彼女に残された問題は肝心の脱走方法だけ。
しかしその問題は少女が想定していた当初の準備期間よりも早く、しかも割とベストアンサーに近い解決方法で見つかることとなる。
それは、太陽が沈んで天敵の日光がなくなった自宅の庭を兄二人と一緒に駆け回って遊んでいたルルが、イジワルする方の兄に渡されたサッカーボールを渋々蹴り安定の変な方向に飛ばしてしまったときに偶然発見された。
末っ子の度重なる脱走により自宅周りの防犯センサーが反応する時間帯を室内に人がいる時間でも設定しているダンパーロ家の防犯事情もあって、塀の上をある程度大きな物体が通るとその度にピーピー警戒音が鳴ってしまうのだが今回はそれが想定外の方向でいい仕事をしたのだった。
「ディアロそこでシュートッ!」
「ちょ今タイミングが合わっ…あちゃーまた出ちゃった父さーん」
「またぁ?!お前たちあのなぁサッカーは野球じゃないんだぞもっとリラックスしてしっかりゴールを狙いなさい。ボール取って来るからもーそこで待ってて」
その日も父親のダンパーロは、今の通報は違うから警備員は来なくても大丈夫だと契約している警備会社にいちいち報告の電話を入れていた。
警備会社のコールセンターからするとまたコイツかとなって迷惑な話だが、ダンパーロから電話がかかってこない場合は分かりやすく泥棒なので即出動して強盗未遂犯を何度も仕留める等仕事はしっかりこなしていた。
「ほらルルもけってみろよ」
「や、やだよ……」
「ボク、ルルのかわいいシュート見てみたいなぁ」
「おにぃはつうじょううんてんだけどまさかのにぃにまで?!うー…うぅ、しょうがないなーえいやっ……あ」
「父ちゃーんボール取って!」
「ねえまたなのぉいい加減にしてくれー!!」
そんな父親と警備会社の苦労も知らずに子供たちの蹴るサッカーボールは何度も場外ホームランを決める。
そのうちの一つであるルルの蹴ったボールが塀の上に植えられている四角い生垣へとずぼっと突っ込み。勢い余ったボールはまた外に出て歩道へと転がったのだが何故かその時だけは防犯ブザーが鳴らなかったのだ。
しかし草が生えている全ての場所が鳴らないわけではなくディアロの蹴りでボールが他の茂みに入ったときは普通にピーピーと鳴って知らせるセンサーが正常に作動していた。
本当の本当にまぐれでルルが見つけた警備の穴、子供一人でも通れるか通れないかな小さな隙間だけ警備会社が設置した機械の探知範囲からはみ出していた。
「……。うん、やっぱりここだけ。ふーーーん……」
「おーいルル何やってんだよもう母ちゃんがねろってー!」
「うん今行く!」
付近に塀を超えられる足場になりそうな物はないがあの生垣の下にあるプランターのでっぱりにならリビングの椅子があれば手が届きそうだ。
自分の頭上より遥か高くにある塀から生い茂る草の断崖絶壁を意味深な笑みを浮かべて見上げたルルは、そんな悪巧みをしていたもののその日の夜はきちんと母親の指示に従っていい子に眠りについた。
だがこんなものを発見してしまったらルルはもう己の脱走した未来を妄想するだけでは満足できないし止まれない。そう止まれないのだどうしても。
だから仕方がないのだ。今回も帰宅した後に両親からとんでもなく怒られるかもしれないし毎度のことで迷惑をかけて本当に申し訳ないとも思っている。思ってはいるのだ本当に。
それでも一度脱走方法を見つけてしまった以上ルルはそこから外に行くしかなくて。彼女の頭の中は次の日以降その生垣の抜け道のことでいっぱいになり…
遂には一本道になった人生の選択肢を駆け抜けるがごとく勢いで、家の中で母ルーニャが普通にテレビドラマを見ている休日のお昼に大胆にも行動を起こすのだった――
「サルファの高級住宅街はほんと人が減ったなーまあ警察の巡回も増えたし俺みたいに警察に賄賂渡せる抜け道持ってるやつも少ないしなぁ…ん?」
ガサササッ――
サッカー選手の住む豪邸の壁にもたれかかりサッカーファンのフリをしている男がぼそぼそと独り言を零していると、突然背後の塀の上にある生垣の草が一部だけ大きく音を立てて揺れた。
塀の改築により高さが増したせいで高所から撮影できる機材を持たない者から諦め、さらに警察への通報が増えたことでパトカーの巡回ルートが変わり捕まるリスクを恐れた同業者が逃げてとどんどん数を減らしている近辺のパパラッチ。
それでもまだダンパーロ家の外に張り付き一攫千金なスクープを狙っていた一人の男性は真後ろで揺れる生垣をまず携帯画面越しに見て、慌ててスマホのメインカメラをそちらに向ける。
すると、青々と茂る草は更にガサガサ揺れズッズッと土を擦るような音とともに葉を歩道に撒き散らし。
ズボッ――
草にひときわ大きな穴があいたと思えばそこからぴょこっと、真っ白な髪に大量の葉っぱを絡ませた幼女が顔を出した。
「「……。」」
彼女が両目とも真っ黒なサングラスで覆っておりそのオッドアイが確認できないことにガッカリしたパパラッチは、ひとまず正面のアングルで写真を何枚か撮っておく。
だがどれも庭先の柵の隙間に挟まって出掛ける飼い主を見送る外飼いの犬みたいな構図になっていて正直映えない。連射するまでもない凡作にハァと男はため息をはいた。
野生のカメラマンがパシャパシャと撮影に集中している間ルルは気を遣ってじっと動かず大人しく撮影されていたが、パチクリと瞬きをしたあと数秒間動かないカメラのレンズとにらめっこして撮影が終わったと知るとにっこり笑った。
しまった一番良かった今のを撮り損ねたとパパラッチは悔しそうにもう一度カメラを構えたが、しかしスマホ画面に映る少女の顔は先ほどの愛らしい笑顔から緊張感の迸る強張った表情に変わっていた。
「お嬢様ぁーどこですかー!?まさかまた脱走とか考えてませんよねぇー??」
「!」
二階限定でかくれんぼしようと言い出した自分を何故か庭で探しているボディガードの叫び声が背後から聞こえてきて、ビクッと体を震わせたルルは焦った様子で茂みから両腕を貫通させてぐっとプランターを掴んで押して腰まで抜ける。
そこから片足ずつ生垣をくぐったが、既に塀の数メートル下ではパパラッチが脱走犯を捕まえようと両手を広げて待ち構えているのが見えていた。
小さな葉をたくさん茂らせた生垣は小枝がチクチクとして掴みづらく、ただの草の塊のため柔らかくルルが体重を乗せようとしても沈んでしまい上に登ることもできない。
草の壁と塀の間にある僅かな足場をすり足でジリジリと横に移動しても、結局は下にいるパパラッチが追いつける速度しか出ず撒くこともできない。
そこにとうとうルルの居場所に気付いたボディガードまで来てしまい。
捕獲作戦に参戦した彼がジャンプでギリギリまで腕を伸ばして足を掴もうとしてくるのを必死に身を捩らせ躱すことで精一杯なルルは、きっとまだ方法があるはずだ打開策はどこだと必死に思考を巡らせながら何か使えるものはないかと周囲を見渡す。
まず最初に目に付いたのがすぐそばにある街路樹。既にかなり高い場所に立っているルルはあそこまでは飛べそうだった。
でもどうせ飛ぶなら結局袋の鼠になる木の上よりもその飛距離分歩道を先に進めた方がもっと人を撒いて逃げやすくていいかもと考える少女だったが、たとえ上に飛んで飛距離を稼げたとしてもその分高さが上がるため子供の身体には落下という名の着地のダメージが危険すぎる。
自分が今立っている高さより少し下の位置が一番安全に飛び移れる。やはりあの街路樹しか選択肢はないのか。
塀の上のうろちょろ逃げ回りながらサングラスの下の目をぐるぐる回す少女の姿を見てまだまだ脱走を諦めていないと察しているボディガードは警戒の手を緩めない。左右に素早くステップを決め防衛ラインを確保している。
対するパパラッチはあららもうダメそうだねーなんて笑っていて。その顔を恨めしそうに頬を膨らませて睨んだルルはツンと顔を背け……
「……あ」
思わず声を漏らした少女は道路が続く地平線の彼方に確かな光を見た。
はたから見ると絶体絶命なこの状況。
少女の足元に広がる着地可能地点は男二人に取り囲まれている上、周囲にも今回の騒ぎを聞きつけてやってきた野次馬やご近所さんが何人も集まっており逃げ場なし。ルルの脱走劇最早これまでかと思われていた次の瞬間――
「とうっ!」
「「飛んだーッ?!」」
「車がっ!ぶつかる危ないっ」
「キャーッ」
相棒のギターを背負いし少女は道路を走ってきた一台の車に狙いを定め、ヘッドライトを消し忘れている小汚いトラックの荷台に向かって全身全霊を込めた力強いジャンプで飛び込んだ。
その飛距離は目測3メートルはあっただろうか。肉眼で見なければ到底信じられない光景を前に周囲の人々は騒然としている。
民衆の中でいち早く交通事故の未来を見たパパラッチが目を閉じて怪我が全治数か月かで済むように神に祈り、普段ダンパーロの子供たちと遊んでくれているご近所マダムは絶叫しその場にへたり込む。
錯乱した女性のただならぬ悲鳴を聞いた母ルーニャも家の門から身を乗り出して、ゆっくりと車道へと落ちていく娘の姿を見ると泣きながら叫んだ。
「ナンバーはサルファのA10の09。ナンバーはサルファのA10の09……」
人々が狂乱の渦に飲まれるなかルルの実力を良くも悪くも信頼しているボディガードのみが冷静で。彼はしっかりと両目を見開き護衛対象が乗車予定のトラックのナンバーを暗記していた。
ボフンッ…――
そして無事荷台の木箱の中に落下したルルはまず背中のギターの安否を確認し、相棒が壊れていないと見るや呆然と立ち尽くしている下々の大人たちに向けて手を振りバイバーイと言いながら笑っている。
憎たらしいほどいい笑顔で元気に出荷されていく彼女は一体どこに向かうのか検討もつかない。そしてそれは運ばれていく本人でさえもだった。
【よーお俺は運ぶ運ぶよどこまで海まで森まで~♪】
今しがたその荷物が自主的に一つ増えたのだがそのことには気付かずに陽気な替え歌を歌っているトラックの運転手の方はというと、彼はよーおという合いの手を自分で挟みながらハンドルを片手で握り、余った腕を窓の外にぶらぶらと揺らしながら本日宅配するお得意先を目指して手で風を切っている。
「そこの車止まれー!」
「お嬢様ほんとバカっ!お嬢様ああ゛ーー!!」
「うちの子を返してぇーーっ」
しかし突如として辺り一体が騒がしくなり怒号のような叫び声を車体に浴びて振り向くと、10人以上もの歩行者たちが歩行を止めて各自全力疾走で車道を走って追いかけてくる光景を見た運転手は驚きのあまりバッと正面を向き直す。それは完全に見てはいけないものを見てしまった時の反応で。
それでも止まない謎のセリフの数々が気になった男がチラリとバックミラーを確認すると、まだ付いて来ようとする何人かが道路を走っているのだ。人間の走りで自動車の速度に勝てるわけがないのに特に一人の女性が一切足を止めずに髪を振り乱しながら金切り声で叫び続けている。うちの子を、うちの子をと。
あれは一体何の団体なんだ、まるで他人の子供を神の子だとして奪って洗脳しようとする某カルト宗教のようだ…通過する車に手を伸ばして乞食でもしているのか…?そう致命的な勘違いをした運転手は最大限までアクセルを踏み込み急加速でその場から逃げることにした。
積荷の母親であるルーニャが必死に叫ぶたびに何故か速度が上がってしまいみるみる小さくなる車の影。
周りはまだパニック状態だがボディガードは既にヘルメットを被っている最中ですぐ出る支度を始めている。
「トラックの番号は?!誰か見てないのっ」
「サルファのA10の09でした警察への通報お願いしますではルーニャさん俺はお嬢様を追いかけますので他をよろしくお願いします」
「あわわわわルルなんてこと…とにかく警察呼ばないとよねっ!それからそれから」
「落ち着いてルーニャさん。私たちも協力するわ」
「手が震えているじゃないの私が代わりに電話番号入力するわね」
まだトラックのライトを微かに目視できる段階で素早く自分のバイクに跨ったボディガードは急発進。
あまりの事態に動揺してしまい自分がいま何をすれば良いのか頭が真っ白になっている母親の姿を見て、自分もまだ震えているし泣きそうだが助けなくてはと近所に住む女性陣が仲間のピンチに立ち上がり。ご近所マダムが代表で警察に連絡し先程マドルクから伝えられた車のナンバーを一言一句間違えないようにハキハキと喋っている。
他の女性は泣く母ルーニャの背中をさすりながら、大丈夫よルルちゃんああ見えてすごく頑丈だし野生動物みたいに生命力も強いからさっきの笑顔のまま元気にお家に戻ってくるわと暖かい言葉をかけていた。
「……ふむ。取り敢えず俺も知り合いに車のナンバー教えてみるか…連続脱走犯ルルちゃんを無事捕獲せよ、と」
部外者であるパパラッチは奥様方から少し離れた場所に立ち、知り合いの同業者にトラックのナンバーと事情をメールで送り情報共有する。そんな何気ない彼の行動で道ゆく車を見る目の数が一気に増えたのだった。
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