第16話「ギターの先生」
第16話「ギターの先生」
「と、いうわけでギターの先生に来てもらったぞ」
月に一度、クラブ本拠地にある練習場で行っているチームバイブストレーニングキャンプが終了し。同僚の母親が経営する音楽家派遣会社からは指導経験豊富なアコースティックギターの家庭教師を無事紹介してもらえたダンパーロはお土産片手にご機嫌な笑顔をみせる。その講師が実質キャプテンからの推薦だったのもあり彼を信頼して帰宅と同時に自宅へ招き入れたのだった。
「お、おお邪魔しますっおr私は派遣会社ムジカから来ましたギター講師のテオと言いますッ」
「あららそんなかしこまらなくてもいいのよー私は妻のルーニャです。こんなナリをしているけれど、これでもホットシルバージムという会社を経営しているの。今日はうちの子をどうかよろしくお願いしますねテオさん」
「はっハハィ」
世間ではかかった建築費はおよそ1億ギルだとかそれを夫婦折半で建てたらしいとも言われているダンパーロの本宅。正門を抜けてすぐ視界いっぱいに広がる庭には天然芝のサッカーコートが公式規格のサイズで存在しており、その先にどっしり構えているおとぎ話に出てくるような洋風の煉瓦造りのお屋敷の窓一つ一つには色とりどりの花が咲き乱れていた。
ルチルゼにおける家庭教師は元より富裕層向けのサービス業ではあるものの、講師自身こんな大豪邸に派遣されたのは初めてだったようでガチガチに緊張しながらの挨拶となった。必死に笑顔を作ろうとぎこちなく口角を上げるもその下では右足と右手が同じ動きをしている彼の緊張を解そうと、妻ルーニャは柔らかい微笑みと握手で出迎える。
それでもまだ完全には肩の力が抜けず微振動で床を揺らす彼の名前はテオ。
金色の短髪と深いスカイブルーの瞳を持つ彼はその若々しい見た目とは裏腹にギタリストとしての経歴は割と長く、高校進学と同時に学生バンドを始めるとそのまま35歳まで同級生たちとバンド活動を続けていたらしい。
彼の演奏技術は他の奏者と比べても一線を画しているとその界隈では有名で、元学生バンドが解散してもなおレーベルから必要とされてきたが解散という名の友との別れをきっかけにテオ本人は表舞台から退き、現在のギター講師の道を選んだのだという。
「イェーイけつキック!」「ボクのルルにちかづくなへんたい!!」
「イタッ?!」
「こらぁー!ポアロッお客様を蹴らないッディアロこの人は不審者じゃありませんっ!」
靴も脱がずにぺこぺこと頭を下げながらテオが自己紹介をしている間、暇かつハウスキーパーでも庭師でもない珍しいお客さんに興奮したわんぱく男子たちがはしゃぎ出しついには暴走したためルーニャの両脇に抱きかかえられてそれぞれ自分の部屋へと収監されていく。
母親の腕の中でも未だにピチピチ跳ね続ける双子を地味に痛い尾てい骨をさすりながら見送ったテオは、自分の生徒であるルル個人に挨拶しようとしゃがむ。彼はうっかりサングラスをかけ忘れている少女のオッドアイを見て少し驚いたあと、再度目を合わせてにこやかに笑いかけた。
「こんにちはルルちゃん俺もギターが大好きなんだ仲良くしてね」
「あ…こん、にちは……」
しかし、話しかけるより話しかけられる方が苦手なルルが約3%という低確率で発動する"人見知りモード"を運悪く引いてしまったせいで家庭教師の挨拶の効果は半減し、彼女から握手を返してもらえず下駄箱の後ろに隠れられてしまった。
左肩しか見えなくなった生徒を前に、こりゃまた露骨に避けられたなと苦笑いしたギター講師がしゃがんだ体勢のまま頭を掻くと、娘は誰に対してもたまにこうなるから気にしないで欲しいと父親からフォローを入れられ。自宅に来るまでの車内で多少親しくなっていたダンパーロとテオは軽くルルの話題で盛り上がる。
「極稀の人見知りに加えてうちのルルはとにかく脱走癖が凄いので教えつつ見張っておいてもらえるとその~…モゴモゴ」
「あーそれは私もニュースで見ましたよ」
「う゛っ見ちゃったんですか……」
話題の中心人物であるルルの方はというと、しばらく玄関先で自分の父と見知らぬ男性が談笑している様子をじっと見つめて縄張りに来た侵入者の人となりを観察していた。口調や笑顔や服装にと男性を総合的にみた結果彼は安全だと判断したのか、じりじりとカニ歩きで物陰から離れた彼女は今度は父親の足にしがみ付く。
そしてその長い足をゆさゆさと揺らして上目遣いで尋ねるのだった。
「ねぇねぇダディおかえり、なんだってば。だからおかえりのおみやげーっルルのがくふはちゃんと買ってきてくれた?」
「おおそうだったそうだった、もちろんちゃんとあるぞーここに!本屋さんでテオ先生と一緒に選んだんだ。楽譜というよりは教科書だしちょっと薄いけど4歳が初めて学ぶならこれくらいがちょうどいいらしい」
「わ!ダディありがとう!」
ダンパーロが無地の紙袋から引っ張り出したのは『はじめてのアコースティックギター』という一冊の本だった。だがまるで聖書のように天に掲げて見せられたそれを父の手から受け取ると、もうそのキラキラと輝く視線は大人たちに注がれることはなく。
――そう、ルルは最初からこのお土産目当てで父親を玄関で待っていたのだ。
そもそも家庭教師を雇うと決めたのはルルではなく父親のダンパーロなので、彼女はギターをお勉強しなきゃいけないなんてこれっぽっちも考えていなかった。ゆえにスルーされる家庭教師。なんなら誰だお前とすら思われている。
そうして無事目的のブツを手にしたルルはひたすら教科書をめくってはうんうん頷いている。しかし彼女はギターのイラストや部位の名称、音楽の種類などの解説をするページは全て飛ばし後ろの方にある楽譜だけを眺めていた。
「……。なぁルル、お前楽譜になんて書いてあるか分かるのか?」
「ん。わかんない」
「あんなに頷いてたのに?!」
軽く会釈だけされて以降ツッコミを入れてもなおスルーされ続けている哀しき家庭教師と、泣くほど欲しがっていた楽譜をあげたのにお礼のキスもなくありがとうの言葉だけで寂しい父親の二人は顔を見合わせる。
このままギターレッスンを始めても娘がきちんと先生の話を聞いてくれるのかじっとしていられるのか不安そうなダンパーロ。我が子を見つめながら眉を下げる父親に向け、ぽむと自分の胸を叩いて任せてくださいと言い切った家庭教師。彼のその青い瞳には今までの実績に基づく確かな自信を秘められていた。
様々な性格の子供に教え慣れているテオはこういう我が強い子供と話す時はこちらから踏み込んであげた方がいいだろうとまず考え、一通り音符を眺め終わり今度は楽譜にある五本の線を指でなぞることに集中しているルルのほっぺを思い切ってつんつんつついてみた。さらに、びっくりして丸くなる彼女の瞳の真ん中にどんと映り込んでみる。自分の世界に入り込んでしまうタイプはとにかく視界内にいて自身の存在をアピールすることが大事なのだ。
「えーっとルルちゃんは小さいし楽譜とか音符とかまだ何も分からないよね?」
「む。こどもあつかい…でも、わたし音楽にはがくふがひつようなんだってことくらいは知ってるもん。おうた歌ってるえいがで女の人がレレララ~ってうたってたし」
生徒であるルルは小さいと言われて頬を膨らませているものの普通にこっちを見て目線を合わせて会話してくれており、コミュニケーションの第一歩が成功した家庭教師はニッコリと笑う。そして後はこちらのペースに乗せることに専念することにした。
「へーそんな映画があるんだ!じゃあせっかくだしさ今日、その映画の女性みたいにルルちゃんも楽譜を読めるようになっちゃおうよ」
「よむ?見るものじゃないのこれ。まほうのじゅもんみたいにいつかわたしも音楽にめざめてとなえるときがくるのかも」
「んー確かに魔法みたいではあるけれどおしいっ。その紙にはね、音が書かれているんだよ」
「おと」
なんとも子供らしい発想で音楽は魔法だと思っている少女と、冷たいフローリングに正座をして背が低い4歳児と出来るだけ立ち位置を合わせながら説明する家庭教師。そして彼は楽譜の中でも最も目立つ、黒点に横の線が引かれた音符を指差してこれはドだよと言った。その言葉に耳を傾けてふんふんと頷くルル。
「そしてその上がレっていう音。これをちゃんと読めるようになったら楽譜は音楽の道を進むための地図になるんだ。そしたら今よりももっとギターと過ごす時間が楽しくなるよ」
「なら教えて!早く教えて今ナウで!」
彼女が通う保育所ではスモックに着替える時に必ずドレミズンドコというキッズ番組の主題歌が流れている。その歌詞に出てくるものと同じ音がこの線と丸だけの紙には書かれているのだと、自分でも知っているドレミの音が目の前にあると理解した瞬間テンションが跳ね上がった彼女は男性家庭教師の腕に突撃し離すまいとしがみ付く。
真っ白で可愛らしい幼女に手足を腕に絡められながらきゃあきゃあと喜ばれて思わず目尻が下がる男の姿を見て少しの危機感とジェラシーを感じたダンパーロは急いで娘を引っぺがした。
「スカートではしたないし飛びつかないっ!そんなハグしなくても先生ちゃんと教えてくれるから」
「あはは元気な子ですね」
「ハハハ……じゃあテオさん今から一時間よろしくお願いします。真面目な授業を受けるのは生まれて初めてなので途中で飽きてしまうかもしれませんがそこはこう、どうにかこうにかしてもらえると助かります」
「はいそれは得意分野なので任せてください。ほらルルちゃんそこのソファに座ってくれるかな」
「うんっ!」
ボフッ――
家庭教師が何気なく指定したリビングのソファに向かって少女は少し手前から飛んで勢いよく顔面からダイブし、体を左右にくねらせて体勢を戻し着席した。大切な保護対象が危うく床に叩きつけられるところだったため反射的に腹ばいにスライディングしたボディガードが彼女の足元でソファの平面と衝突事故を起こし、結構痛い…と頭部を押さえて呻き。ニュースで見たような予想外の行動をとるルルを目の前で目撃した家庭教師は女性のような内股できゃっと悲鳴を上げた。
「キャー危ないでしょルルちゃんっ」
「うわわわわほんとすみませんうちの子全員お転婆でほんと誰に似たんだかこらルルっ先生びっくりしちゃっただろ!」
「わたしジャンプ失敗しないよ。でもマドルクは……なでなで要る?」
「ありがとうございますお嬢様もうしないでください」
もうしないでと言う割には叱る声が柔らかいボディガードは頭を撫でられて嬉しそうだ。さらにご機嫌なままお嬢様は父親に似たんですよねーと言い、皮肉がしっかり耳に入っていたダンパーロに軽く頭を小突かれていた。
「ルル自身はパルクール系の運動神経が良いからそうだろうけど、事情を知らない人やお仕事で守らなきゃいけないマドルクは何事かとヒヤヒヤするんだ。それにほらルル、お前サングラスかけないと本読めないだろう」
父親から度入りの片目サングラスを受け取りドヤ顔で装備したルルの隣に、ギターケースを持ったまま座る家庭教師。先ほど咄嗟に出た自分の悲鳴が恥ずかしかったのか汗をかく顔を手で扇ぎながら、まずは教科書の1ページ目を開いて音楽の基礎を教えていくのだった。
*




