5 執筆
感想を求められても、困る。無理難題をふっかけられた気分だ。
完結済み連載作品。最終回の投稿は五月の末と、最近だった。だが「スタンドアローン」は完結していない。冷ややかな温度は上がらないまま、最終回で突然に途絶えている。元から、完結させるべき本筋が無かった。だが寧ろそれが良い。
人生にはいくらかの始まりがある。誕生という生命の開始、様々なイベント、入学と卒業、恋愛と失恋、希望と絶望。挙げたらきりが無い。様々な始まりがあって、それらを切っ掛けに、ストーリーが始動する。物語には起承転結があり、開幕があり終幕がある。けれど人生の終わりは、死以外に無い。「スタンドアローン」は、誰かの人生のほんの一部分を切り取って描いただけの作品だった。左端の生と右端の死。その間のどこかを切り抜いた時、丁度良く終わりを見付ける事なんて、出来る訳が無い。人生は、物語が幕を閉じても、終わらない。死を描くのは、理不尽な世界を見据えるのとは逆の事だ。それをしない分、潔い。
お前は本当に中学生か、白沢。散文を書き散らすしか能の無い私と、同い年の男子が書いたものとは、思えなかった。
他の作品も読んでみたくなったが、生憎「スタンドアローン」以外の登録は無かった。
三件の感想が付いている。普段ひとの感想は、操作されてしまいそうで読まないのだが、この作品ばかりは、他人がどう読んだのか気にした。もしかすると、私も白沢と同種の人間だからかも知れない。私も孤独な、スタンドアローンだ。誰だってそうだろう。けれど、それに気付ける人間は少ない。世の中は、独りである事を知らない馬鹿者と、独りである自分を可哀想だと思っている自己陶酔の愚か者ばかりなんだ。だから、評価のし難い、孤独感に満ち溢れた、無情な、この作品を理解出来る人間が、他に居るのだろうか。それが気になった。
思った通りと言わざるを得ない。三件が三件とも、酷評だった。大きく共通していたのは、物語の本筋が無い事に対する不満と、残酷なまでのリアリティに対する嫌悪感。「何が言いたいのか解らない」「気持ち悪い」そう罵っている。それらに作者からの返信は無い。出しゃばり共め。俄然、怒りが込み上げた。
解らないなら、何も言わなくて良い。知ろうとしていないだけだ。
気持ち悪いと思うなら、自分がそうでないという証拠を見せてみろ。出来やしないだろう。
白沢は嫌いだ。庇ってやろうなんてつもりは無い。だけど、この作品を突き付けられて何も思わない人間は、私にとって敵でしかない。外側から世界を見る事を忘れた、糞の様な連中でしかない。
だから、批難した。作品に対する感想や考察は示さず、ただ、敵を攻撃した。
翌日――と言うか、今日なのだが、すっかり睡眠不足で座っているだけでさえ重労働で、落ちてくる瞼を擦り擦り、部活に参加していた。「大丈夫?」と尋ねてくれる尚美に申し訳無い。
白沢は居ない。学校を欠席したらしい。好都合だ。私は感想を頼まれてもそれをせず、評価欄を荒らした。読んだかどうかを訊かれた時、何も言えなくなってしまう気がする。
「あいつは何か苛々するよ」
高橋が言い、石原や尚美に同意を求めた。石原は「そうですね」と苦笑し、尚美は「何を考えてるか解りませんからね」と軽く頷く。
「そうそう。訳解んない答え方するし」
それは、たぶん、関わり合いを持ちたくないんだ。
「スタンドアローン」の主人公が白沢自身だとしたら、彼は傍観者で居たいのだと思う。存在を認められなくても良いと、開き直っている。だからきっと、好奇の目を向けられるのも嫌いだし、望まず脚光を浴びるのは快く思わない。この文芸部も、彼の目の前を通り過ぎていく世界の一片だ。
でも、仮にそうだとしたら、疑問が出る。私に作品を読めと言ったのは、何なんだろう?
尚美を呼んだ。「どうしたの?」と心配そうな顔をこちらに向ける。「無題.txt」の作者は白沢かも知れない。思い付きでそう言うと、尚美は不思議そうにした。
家に帰ってから、パソコンの電源を入れる。習慣的な動作とは違っていた。私は明白な目的を持って、インターネットブラウザを立ち上げる。「スタンドアローン」がどうなっているか、見たかった。見なければならないという、義務感もあった。
ブックマークには登録していない。再び検索をかけた。しかし、検索結果はゼロ作品。頭にクエスチョンマークを浮かべながら検索ワードを見直してみるが、間違っていない。「佐上一郎」で検索し直しても、ヒット無し。
作者登録ごと、削除されている。どうして? 私は思わず呟いた。けれど、自分の所為だという合点と後悔は、既に訪れていた。
怪訝な目が、廊下に立った私に寄せられる。別のクラスの人間が教室の前に立ち尽くしているのだから、当然だ。二年一組に入っていく姿は、徐々に増えていく。今日も欠席だろうか。なら、また明日だ。そう思って脚を動かし掛けた時、
「何してんの?」
白沢が現れた。お前を待っていたなんて言えない。だから代わりに、いきなりで驚かれる事を予測しながらも、謝った。でも白沢は何とも無いという風に、
「あんたが悪いのか?」
と、逆に尋ねられた。私は――私は悪くない。「そうだろね」と、白沢は鞄を持ち直した。
始業のチャイムが鳴り、「じゃあ」と別れを告げて、教室に消えようとする。
「また部活で」
宣言通り、白沢は部活に出た。その姿を認めるなり、私から声を掛ける。すると「その話なら外で」と誤解を招く様な事を言う。
「何かあったの?」
私と白沢の顔を見比べながら、尚美が不安げに耳打ち。良い言い訳も思い浮かばず、私も思わず、色々ね、と更なる誤解の種を蒔いてしまった。
「前から消したかったんだよ」
理由を尋ねると、白沢はそんな回答を寄越した。相変わらず、新しい疑問を生む答え方だ。つい問い質す様な姿勢になる。迷惑そうな顔をされ、「何でもいいじゃん」と拒否感を露わにされた。
なら何故読ませたのかと、質問を変える。白沢はすぐに答えなかった。暫く私の目を見返したまま静止し、やおら「あんたなら」と口を開く。
「あんたなら解るだろ?」
そうだな。白沢が作品に込めたものを、解ってしまった。だが、読ませる以前からそれを見抜いていたとでも言うのだろうか。そんな芸当は、場の雰囲気を察するのより困難に思える。どこまでも解らない男だ。白沢はまた「ムカつく」と唐突な一言を放った。
「あんたが一番の読者だ」
褒められた。怒るか称讃するか、どちらか片方だけでないと、訳が解らない。感情の起伏が激しい様には見えないのだが。
釈然としない気持ちを噛み殺す。こちらが我慢してやらないと、会話にもならない。そうして、「無題.txt」の作者はお前かと尋ねると、心外にも「馬鹿なの?」と呆れさせた。
「俺、プリンタ持ってないし」
そんな事は知らないが、思い直してみると確かに私は馬鹿だ。あれを読んだ白沢は、私が書いたものと思っていたじゃないか。私はもう少し頭を冷やした方が良い。「無題.txt」にしろ「スタンドアローン」にしろ、私一人に訴えかけてくる様な作品を読み過ぎて、取り乱している。
軽く深呼吸をして、仕切り直した。最後に一つだけ、文集に作品を書く気があるのかどうかを訊いた。
「あんた次第だね」
言って、白沢はポケットに手を突っ込んだ。私次第とはどういう事だ。聞き返すと、
「あんたが良いモン書いたら、考える」
何の交換条件だ。それに書くと明言しない辺り、アンフェアだと思う。
もう良い。解った。書いてやる。書いてやろうじゃないか。お前に馬鹿にされないくらいの、最高傑作を書いてやる。そう言い放ってやると、「良いね」と白沢は微かに笑った。
「楽しみだ。小栗のヤツの次に」
あくまで私を馬鹿にするのか。癪だ。勘に障る。この男を見返してやりたいと思った。元から下手に出る道理など、無いのだけれど。
二人して戻ると、珍妙なものを見る様な目付きで、石原に見られた。変な疑いを掛けられる前に、違うからね、と否定する。文集の事で話があっただけだ。そう、少し嘘の混じった言い訳をすると、尚美が「書いてくれるの?」と白沢に尋ねた。「まあね」とぼけた答えをする白沢を、小突いてやりたかった。
何を書くのかもう決めた。それを教えると、尚美は自分の事の様に喜んでくれる。
「やったね。どんなの書くの?」
それはまだ秘密だ。でもこれまでとは全く違った書き方をすると思う。「そっか」と、尚美は微笑んだ。
「書けたら一番に読ませてね?」
「二番は俺」
白沢が口を挟む。尚美には勿論そうすると伝えて、白沢の事は完全に無視した。石原がニヤニヤしていた。だから、違うって言っているだろうに。
私の作品は「素直」じゃない――二人の人物から同じ事を言われた。黒沢と白沢だ。名前は正反対の癖に、口裏を合わせたかの様に、同じ感想を持たれた。今でもその意味は解らない。何をどうしたら、どう書けば、どう描き出したら、「素直」だと言えるんだろう。「無題.txt」の様に、感情を恥ずかしげも無く吐露する事なんて、出来ない。「スタンドアローン」の様に、世界のありのままを冷静に描くなんて、出来ない。尚美の様に、自分を見詰めるなんて、怖くて出来ない。私には、嘘を吐く事しか出来ない。感情を、世界を、自分を、偽る事でしか表現出来ない。
だから、決めた。また嘘を吐こう。沢山の小さな嘘はもう要らない。大きな嘘で、作品全体を包み込んでやる。この黒々とした感情を、この下らなくて救い様の無い世界を、ちっぽけな自分を、全部嘘で覆ってやろう。私にはそういうやり方しか出来ないから、それをとことん突き詰めてやろう。
原稿用紙を広げて、シャーペンを取ると、手が震えた。
書け! 心臓が吠え立てた。書け! 書いて戦え!!
私を取り巻くどうでも良い世界。人を見下して良い気になっている連中。素直さってヤツ。白沢。
書け! 書け、書け、書け! 書いて、勝て!!
絶対に負けたくないんだ、私は。文学は勝負事ではないし、優劣で競うものじゃない。だけれど、原稿とペンは、私に与えられた唯一の武器だ。たった一つの、抗う為の手段だ。
腕をカッターナイフで切り付ける様な、自己完結的な抵抗は、絶対にしたくない。毒は飲み込みたくない。外に向けて吐き散らしたい。小説を書き散らして、世界を踏み散らしたい。これが私のスタンスだ。
やるぞ、私は。
書きたいものはもう、とっくのとうに決めていたのだから。