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4 スタンドアローン

 尚美に負けてばかりはいられないと、「無題.txt」をテーブルに広げる。張り合うつもりでもないが、私も私なりにこの作品の作者像を想像したかった。尚美の考察には説得力がある。でもそれが全てじゃない。真実は定かじゃない。だから、彼女を積極的に肯定する為にも、私も考えなくてはならなかった。

 この作者は嘘を吐いている。人格を偽っている。尚美はそう言った。それを思い返すと、最初から最後まで全てがフィクションに思えてくる。例えば、本当の作者は私の思い描いた姿とは真逆の人物で、内面にあるネガティブな感情を訴えたかったのかも知れない。

 ふと、清水君の顔が頭に浮かぶ。劣等感なんて有り得ない、それでいて寂しい人。だとしたらどんなに素敵だろう。誰にも聞こえない、彼の心の声に、私たった一人が耳を傾けているのだから。

 馬鹿か! ロジックが倒壊しているじゃないか。彼に何を求めていると言うのか。頭が変になっている様だ。もし清水君が「愛して欲しい」と願うなら、容易に叶うだろう。勝手に燃え上がる頭に、冷や水を打ち掛けた。

 なら、と対立候補として思い付いてしまったのは、白沢だった。我ながら笑えない冗談だ。どうして白沢が出てくる? どうやら記憶の中に居座っているらしい。殺してやりたくなった。勿論の事、比喩だが。

 神様が居るとするなら、なんて残酷な奴だ。慈悲深さなんて持ち合わせていない。自分で作った世界でなら何をしても良いとでも、思っているのではないだろうか。小説の中でやたらめったら人死にを出す作家に似ている。私を貶める事もそう。私から尚美を奪い上げる事もそう。そして何より、

「あれ。一人?」

 私と白沢とに繋がりを、無理繰り作ろうとする事がそうだ。その声を聞いて、眉間に皺が寄るのを感じた。小首を傾げる姿も憎らしく、白沢は「小栗も居ないのか」と言う。こいつ、一体尚美に何の用だ。用事があって欠席している事と、今日は私だけしか居ない事を告げると、「なんだ」と呟いた。

 なら帰れば良いのに。そう思うのに反して、当然の事の様に、隣の椅子へどっかりと腰を下ろした。私はあから様に嫌な顔を作って、敢えて態とらしく、椅子ごと白沢から離れる。こうでもして拒絶の意思を示さなければ、こいつはどこまでも馴れ馴れしくして来そうだった。白沢はこの所作を横目に見て、またも「ムカつく」と洩らした。口癖なのだろうが、どちらが悪いか解っているのか。最早手に付かず、「無題.txt」をテーブルに投げ捨てた。

「来るんじゃなかった」

 ぼやきながら頬杖を突く白沢。そう思うならとっとと失せろ、という真っ当な理屈は通用しない様子だ。意地を張るつもりか、じっとして動かない。

 酷いものだ。何の真似か知らないが、私にとっては嫌がらせ以外の何ものでもない。そもそも、無気力な癖に部活に参加するとは、どういう了見だ。時間潰しのつもりなら、ここはそんな奴の為にある場所じゃないと、教えてやらなければならないだろう。だけれど、そんな事を親切に口にしてやる気は、更々起きなかった。

 席を立つと、「帰るの?」と訊いて来る。トイレだと無愛想に答えてやった。そうして欲しいなら、そうしてやっても良い。それも癪だが。

 手を洗ってから顔を上げる。鏡を見ると、虚像がふて腐れた顔をしていた。未だに不愉快な男の影響下にあるのか。いや、これは生まれ付きだ。不意に呪いの言葉が口を突いて出る。白沢に向けて言ったつもりでも、自分に向けているかの様だった。

 戻れば、白沢は背もたれを軋ませながら「無題.txt」を読み耽っていた。いや、眺めているだけかも知れない。掲げる様に持って、ぼんやりと見上げている。「おかえり」と言う声は無視した。

「これ書いたの、あんた?」

 何故そう思うのか、私は違うと答えた。するとまた気の無い「なんだ」。そして、つまらない、と言わんばかりに、放る。自分の事は棚に上げて、失礼な奴だと思った。白沢は深く座り直してから、何事かを思い出して「ああ、そう」と言った。

「あんたの読んだよ」

 いつ、どれを、どこで、どうやって? 白沢の言葉はいつも説明不足だ。掻い摘んで、何が、と聞き返した。

「去年の文集」

 また少ない言葉だが、漸く解った。文芸部は去年の文化祭で文集を発売した。一冊百五十円。部員全員分、と言っても当時は三人しか居なかったから三作品と少ないものだが、それを全て私が活字に起こし、印刷・コピーして冊子に纏め、三十部刷った。しかし売れたのは五冊も無かったと記憶している。白沢はその奇特な購読者の一人だったのか。「買うかよ」と無礼な否定の仕方をされた。

「先生から貰った。小栗のが一番面白かった。あんたのは、まあまあ」

 つくづく礼儀に欠けた奴だ。社交辞令の一つも言えない。傍若無人とか野放図とかはこいつみたいなのの事を言うのだろう。だったら何だと問い返しつつ、白沢と一つ離れた席に着く。

「素直じゃなかった」

 私の作品が、か。黒沢と同じ事を言う。黒沢には言えなかったが、素直というのはどういう事だと訊く。白沢は「さあ」と惚けた。つまりは、何だ。私を馬鹿にしたいだけか。どこまでも腹が立つ男だ。一度痛い目を見た方が良い。

 これ程私が不機嫌にしているのに、白沢は気付いてもいない。更には、会話の前後関係など全く無視して「だからさ」と、身体をこちらに向ける。

「俺の読めよ」

 ハア? 自分でも嫌気の差す声が出た。もう意味不明も度を過ぎている。巫山戯てるのかと思ったが、白沢の顔は笑っていない。だいたいから、何故に命令口調なんだ。そんなだから、考える間も無く嫌だと返した。嫌だと言っているのに、白沢は鞄をガサゴソやって、黒くて四角い物体を取り出した。パソコンだった。近頃流行っている、UMPCというヤツだ。「アナログは苦手だから」と言う。つまりそれに書き貯めたものを読めという事だ。どうしてそうなる。

「あんたに読ませてみたい」

 巷での噂通り起動が早い。電源ボタンを押下してから数十秒後には、白沢は操作をし始めている。そして、私の方に差し出された。ファイラのウィンドウが開かれ、そこに一から二十五までナンバリングされたテキストデータが、ずらりと並んでいる。ウィンドウタイトルは「スタンドアローン」だ。

 スタンドアローン――会社や家庭、学校でもLANが普及している現代にあって、ネットワークに繋がっていない、孤立した端末。白沢にぴったりのタイトルだ。コミュニティの外側に立つ、社会的に孤独な人間。私とは違う。私にはファイアウォールが備わっていて、有害な人間をシャットアウトしているだけで、部活や家庭には、繋がっている。何にも繋がっていないだろう白沢とは、違う。

 白沢には、自分が孤立無援の存在だという認識がある様だ。ただ、そこを改善する努力をしなければ、甘えでしかない。

 読みたい気持ちになど、される訳も無かった。自分っていうのはこんなにも可哀想なんだ、と長々書き連ねられ、自意識と自己顕示欲とに充ち満ちた内容が、タイトルから予想出来た。

 こんなに長いと、今すぐには読めない。適当な理由を付けて、パソコンを白沢に押し返す。やはり白沢は人の思考を読む事が苦手な人種の様で、「じゃあいつなら良い?」などと言う。空気を読んでくれ。はっきり物申して真っ向から拒否する事も出来たが、この二人きりという状況下でそうした場合、何が起きるか解らない。私は女で、白沢は男だ。危機感は拭い去れない。そこで、尚美に見せたら良い、と答えた。友人を売る様な事をしてしまったが、尚美なら優しさから読んでくれるだろうし、私などよりもしっかりとした感想を出すだろう。丸め込むにはそう言うしかなかった。だが白沢は食い下がる。

「小栗じゃ駄目だ。あんたじゃなきゃ駄目だ」

 一々理由が無い。尚美の方が面白い作品を書くと評価したのは、どこの誰だ。私でなければならない理由なんて、全く思い付かなかった。「今が無理なら」と白沢は言った。

「パソコンあるだろ? ネットは?」

 あるけど、と暈かした回答をすると、「そりゃ良い」と白沢は膝を叩いた。口の片端を引き攣らせて、笑う。初めて見せる感情の変化だが、気持ちの良いものではなかった。やおら鞄からノートとペンを引き摺り出して、何かを認める。書いた部分だけを破って、差し出された。

「そこに載せてる」

 見ると、酷く読み難い字でURLが書かれている。見慣れた文字列だった。小説ドットコム。「小説家になろう」のサイトアドレスだ。検索をしろという事か。

「読んだら感想をくれ」

 まだ読むとも言っていないのに。

 白沢がパソコンを仕舞ってすぐ、佐藤が帰って来て今日の部活は終いだと告げた。成り行き上、昇降口までは白沢と一緒だったが、靴を履いて表に出た頃には、消え失せていた。


 深夜二時。私は勉強机に突っ伏していた。膝が微かに震えるのは、エアコンの効かせ過ぎが理由じゃない。

 誰が読んでやるか。そう思っていた。そんな義理は無いし、頼まれるでもなしに命令されたのだから、当たり前だ。馬鹿にするなと、アドレスの紙切れを破り捨てた。

 けれど、人間、暇を持て余すとろくな考えを起こさない。弟のゲームが好例だが、詰まらないとか飽きたとか言いながら、手持ち無沙汰からついコントローラーを握ってしまうらしい。私の場合も同じだった。ネットを小説を読み漁っても良い作品に巡り会わず、自作の小説を書くモチーフもモチベーションも無い。ついには、「小説家になろう」の検索ボックスに「スタンドアローン」と入力し、エンターキーを押して、意趣返しに扱き下ろしてやろう、と後付けの理由を考えていた。

 白沢のペンネームは「佐上一郎」だった。あらすじには「スタンドアローン」とタイトルが繰り返されているだけ。ジャンルは適当に選んだ様で「その他」。私は、この剰りに投げ遣りな作品を読んだ。読んでしまった。

 凄かった。兎に角、凄まじかった。

 現代劇で、主人公が生きている。いや、人物描写が優れているという意味ではなく、主人公が生きているという、たったそれだけのお話だった。物語や筋書きというものが無い。事件はあっても、全て主人公の脇を通り過ぎていく。時間や出来事の波に乗らず、流されず、主人公はただ立ち尽くし、止まっている。呼吸をして、飯を食い、ただ生きている。それだけだ。

 主人公の台詞や行動は一切無く、名前さえ無く、三人称とも一人称とも付かない淡々とした筆致で、その存在を忘れた頃に、生活の色を覗かせる。会社の同僚が鬱病を患って退職したと聞きながらコーヒーを啜り、祖父の葬式の後で夕食を摂る。殊更驚いたのは、普通なら避けるだろう排便や、マスターベーションの描写まであるという事だ。そしてそれに対する感慨も無い。

 主人公には感情が無かった。人間なのは確かだから、あるにはあるのだろうが、表現が施されない。悲しいだとか、飯が美味いだとかの感想も言わなければ、自分を卑下する事もしない。当たり前の如く、まるで空気の様に存在している。最早、主人公や語り部という認識自体が誤りなのかも知れない。

 練り込まれた物語は無く、魅力的な登場人物が居るでもない。詩の様な美しい言葉使いは用いず、文学としての凝った文章表現も用いず。こう言ってしまうと、とんでもない、でたらめな小説だ。だけど、「スタンドアローン」にはそれだけで終わらない何かがあった。知らず知らずの内に引き込まれていく。作品世界の中に飲み込まれていく。私自身が、いつの間にか主人公になっている。

 怖い。この作品に感想を付けるなら、その一言に終始する。「スタンドアローン」が、「佐上一郎」が語るのは、不条理だった。

 世界は止めどなく流れる激流だ。放っておいても流れて、目まぐるしく過ぎ去って行く。自分という個人の存在は、世界に干渉しない。しかし世界の中で人は立ち尽くしている。他人から見れば、自分自身も他人だからだ。中に居て、外から見ている矛盾。論理が衝突している。でもこの狂った感じが、世界の真相なんだ。

 白沢の、途方もない、それでいてちっぽけな哲学がここにある。世界を見詰める白沢は、達観と諦観とを持ち合わせている。そしてこの作品を読んだ私は、その視線を抱えさせられて、ただただ戦慄するしかなかった。

 ――なんて難しいものを書くんだ、白沢は。ひたすらに辛くて、まともな考察も出来ないじゃないか。

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