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3 駄目な奴

 部活は、楽園とまでいかないが、居心地の良い場所ではあった。気楽に接せられる友人が居て、少し声量の五月蠅い先輩とちょっと迷惑な後輩、そしてまとめ役として顧問が居る。平和が絶妙なバランスで形成されていた。

 ところがその均衡も、白沢という男の登場で、突如崩壊させられてしまう。いや、そんな小難しい言い方をしなくても、この場の空気を乱すには十分な小石の一投だった。

 歴代の文芸部を辿っても、男子が入部した事は無いのだと、高橋から聞いた事がある。その高橋が一番に、この珍奇な存在に食い付いた。まず「どうして入ったの?」と入部の理由を尋ねる。白沢は「さあ」と首を傾げてから「先生に誘われて」と曖昧な答えを返した。それだけで納得がいく訳も無く、しつこく食い下がられてから漸く、

「俺、帰宅部だったから」

 と、完全とは言い難い補足を加えた。推測を交えてまとめると、部活動に入っていなかった白沢は、佐藤の引き抜きにあったらしい。恐らくは国語の成績が良かったか、或いは作文の出来が良かったか、というところだろう。余計な事をしてくれるものだと、胸の中で舌打ちした。高橋も白沢の要領を得ない言葉に苛ついたものか、呆れたものか、浮かし気味だった腰を、椅子に沈めた。

「それじゃあ白沢先輩も小説を書くんですか?」

 石原の問いには、「まあね」と割合ちゃんとした回答を出す。しかし、重ねて「どういうのを書くんですか?」と尋ねられると、「さあ」と、またちぐはぐな事を言う。

 コミュニケーション能力に欠陥があるか、もしくは何かの障害を持っているのかも知れない。そう願いたい。だとしたら、いきなり「ムカつく」と言われた事にも納得がいくから。石原も、邪険にされたものと思った様で、落書きノートに視線を落とした。

「白沢君、文集の話は聞いた?」

 案の定と言うべきか、恐れていた事態と言うべきか、尚美まで、白沢に声を掛けてしまった。白沢は、今度は声を出さずに頷くだけ。

「それじゃあ、作品が足りない事も?」

「まあね」

 どうもこの男、イエスかノーかでは答えられないらしい。苛々が募る。けれど尚美は私と違って、普段通りのおっとりとした優しい口調を変えないまま、

「わたしね、文芸部で良い作品が発表出来たら、投稿も増えてくれると思うの。だから白沢君も、手伝ってくれないかな」

 頼み事を言った。大人よりも余程に大人らしい態度だ。こいつに質問を投げ掛けても意味がないと、賢明さから早々に見極めたのかも知れない。入部しては部活の一員。こんなに譲られたものの頼まれ様をしては、白沢も首を縦に振るしかあるまい。と、思いきや、

「興味無い」

 思慮の欠けた一言で、即座に切り捨てる。そう答えられた尚美は、悲しげに眉を下げて、「そう」と嘆息混じりの呟きを漏らした。これには流石の私も頭に血が上る。もし気の短い性格だったら、今頃殴り掛かっている。

 でも、そうしなかった。もうこの男の事など知るものかと、構ってやる気力も失った。

 すっかり無視を決め込んで、空気の様な扱いに徹しようと努力するが、しかし、気になってどうしようも無い。部室に横たわる、重たい沈黙がそうさせる。小説の構想など考えただけ頭の中から抜け落ちて行くし、思い返してみれば、昨日白沢と出会して以来、「無題.txt」に対する考察も全く手に付かなかった。

 白沢は本当に、邪魔者でしかなかった。静かな水面に飛び込んで来た異物だ。この天井を仰いでひたすらにぼんやりとしている男は、健康体に根を張ったガンだ。知りたくもないが、一体何を考えているのか解らない。

 時々前髪を弄っている。毛先を摘んだり、手櫛で伸ばしたり、やたらと気にしている。髪型に気を遣っている様にも思えない。目元を隠そうとする仕草に見えた。こんな奴でもコンプレックスはあるのかと考えたが、すぐに打ち消す。

 程度の大小はそれぞれだが、誰にでも必要以上に気にしている欠点はある。その人の性格や品格とは関係無い。この文芸部の中だけで例を挙げても、明朗快活な性格をした二人、石原は小さくて上を向いた鼻が嫌っているらしいし、高橋も発育の遅い小さな胸がどうにかならないかとよく言う。石原は愛嬌のある顔立ちをしていて、高橋はまだ中学生なのだから致し方無い。けれど、そういう他人から見た理屈なんてものは、本人には効き目の無い慰めでしかなく、意味を成さないのだと承知している。

 他人の欠点をあげつらうのは、ある種の逃避だと思う。他人の短所を見付け出して、自分のものと比較した上で、「あいつよりはマシだ」と自分より下のラインを求める。相手を見下ろしたつもりになって、良い気になる。自分の方が高みにあると言い聞かせて、気休めを求める。それは、身の程を知らない愚か者のやり方だ。

 これも不当に虐げられる事から、逃れる為の理論。こんな考えさえ自慰なのかも知れないが、それでも、他人に対する考えをより良くさせるには必要なはずだ。少なくとも私は、人の欠点をそしる様な馬鹿じゃない。そう思えるだけマシな人間だ。

 だから、白沢が何を気にしていようが、どうだって良い。持論を逆説的に用いるなら、どんなコンプレックスを持っていたとしても、その品性の悪さとは結び付けられない。理由にならない。兎に角、白沢は不遜で無遠慮で、どうしようも無く変な奴で、いかんともし難く悪い奴だ。そこは変わらない。


 悪い事というのは、本当に続く。これから毎日苦痛を伴うだろう部活とは、また別の話だ。

 この日、白沢に掻き乱されて終わったその日の翌日、特別時間割で水泳の授業があった。二時間まるまる、他のクラスとの合同授業。殆どレクリエーションの時間だ。

 プールは嫌いだ。泳ぐ事自体はさほど苦ではないし、そこそこ泳げる自信はある。けれど、水着を着れば否応無しに腕を露出させなければならない。スカートやハーフパンツと違って、太腿も見せなくてはならない。更には、水泳帽を被る為に髪を挙げて、うなじを出す羽目に遭う。見せ物になってしまうから、プールは大嫌いだ。

 だが今日は、見学の公的な理由がある。女の体育教師が居る事も、不幸中の幸いだ。

 女子更衣室から溢れ出す嬌声を避けながら、デッキブラシ片手にプールサイドへ上がる。待ち構えていた体育教師の男の方、ぎょろ目の安斎が「おう」とセイウチだかオットセイだかの様に言った。

「見学の方にやる気があるってのは、どうなんだろうな」

 私にそんなつもりは無い。ただ見学の仕事を知っていて、他の生徒が支度にぐだぐだと時間を掛けているだけだ。見学は私だけだろうか。他の姿が見当たらない。安斎は仕事の指示を出してから、腕時計を気にした。

「焦って始める事もねえから、もう一人の方が来るまで待ってくれ」

 見学は二人だけらしい。同じクラスで体操着の用意をしているのは居なかった様だから、恐らくは別のクラスだろう。そう言えば、今日はどこと一緒の授業なのか知らない。安斎は舌打ちして「遅えな」とぼやく。私が早過ぎただけだ。もし私と同じ様に月のものが原因なら、可哀想だ。私は無駄な同情をした。だが、そんな哀れみは、すぐに後悔の対象となる。

 後から現れたもう一人は、そう、あの白沢だった。安斎は、白沢が手ぶらで来ようとするのを咎めて、頭ごなしに怒鳴る。その態度を見るに、安斎も白沢を快く思っていないらしい。当然だと思った。

 昨日は運命を否定したが、撤回する。不運や悪運は確かに存在した。避け得なくとも忌避したい巡り合わせというものを、実感してしまう。

 白沢はやっぱり嫌な奴だ。何度か顔を合わせて、同じ部に所属しているというだけで、一言二言言葉を交わした程度の仲でしかないのに、馴れ馴れしく「どうしたの」と尋ねてくる。体調不良だと当たり障りのない答えと共に、社交辞令的に訊き返すと、「水着を忘れた」などと、臆面も無く言い放つ。そんな会話をした後だというのに、平気な顔でサボタージュしている。私が泥を擦り落としているのに目もくれない。寧ろ、ブラシを杖代わりに突っ立って、前髪の裏から視線をはしゃぐ女子達の方へ向けているのは、私の気の所為ではないはず。教師連中も呆れているのか、白沢に何も言わない。それを良しとして、私一人に掃除をさせて、平然としている。本当にろくでなしの、酷い奴だ。

 頭に来て、わざわざ足元をブラシ掛けしながら、邪魔だからどけと言う。普段の私なら、どんなに苛立ってもこうまではしないが、たった一人の男に連日振り回されっ放しというのが我慢ならなかった。白沢はひょいと飛び退いて道を空ける。だがそれだけだ。謝りもしないし、手伝うでも無く、ただ呆然。

 憤慨する私が、執拗にこびり付く鳥の糞を相手に、力任せ腕を前後させていると、背後から白沢がぽつりと呟く声がする。

「ムカつく」

 何を勝手な事を言うのか、気が知れない。ムカつくのは私だ。そう言い返すのも面倒だった。

 そんな調子でやっているから、腰が痛くなってしまった。元々ずしりと重いものを感じていたのに、追い討ちを加えた格好だ。

 うん、と腰を伸ばすと、思わず清水君の姿が目に入る。私の所為じゃない。目立つ容姿なのがいけない。何故だか言い訳の言葉が頭を過ぎった。

 清水彰君は、クラスメイトの一人。身長は中の上くらいなのだが、同じ中学生とは思えないくらいの美形だ。きりっとした眉、切れ長の目。鼻筋が通り、顎の線はすっきりと、顔のディティールに一切の過不足が無い。ちょっと突き出た薄紅色の上唇がチャームポイント。例えるならクリスチャン・ベールとピアース・ブロスナンを足して二で割った様な、少々日本人離れした端正な顔立ちをしている。その上、成績は常に上位で、どんな運動もそつ無くこなす、文武両道・才色兼備の天才だ。小耳に挟んだ噂では、父親が医療機器の販売をしている為に、かなり裕福な暮らしぶりなのだと言う。絵に描いた様な、少女漫画の登場人物の様な、高橋が思い描く様な、完璧超人が清水君だ。しかし、美貌や才能、それとお金持ちという要素は、一つ一つを取れば羨望の的だが、三つが揃ってしまえば、嫉妬の対象になってしまうらしい。清水君に親しくする者は無く、彼自身、人を寄せ付けさせない雰囲気を放っている。だから清水君はいつも独りぼっちにしている。今も、フェンスに軽く寄り掛かって、寂しく順番を待っていた。

 全身の白い肌が眩しい。学校指定の水着が野暮ったく感じる。睫毛に水滴が乗っている。腕組みの下から覗く脇腹が、とても綺麗だった。

 惚けている自分に気付いて清水君から視線を外すと、丁度都合悪く、白沢が欠伸をしていた。こいつはとことん、駄目な奴だ。


 悪い偶然はまだ、まるでそれが必然なんだと言わんばかりに、終わらない。

 同じ日の放課後、図書室への通り道で待っていると、尚美はすぐにやって来た。しかし、その顔に笑顔の花を咲かせる事は無く、開口一番は謝罪の言葉だった。

「ごめん、めぐちゃん。今日は部活出られないんだ」

 わざわざそれを言いに、昇降口とは真逆のこちらに足を運んでくれた様だ。どうしてかを訊いてみると、言い難そうに困り顔をする。それだけで解った。今日は礼拝だか集会だかの日なんだ。尚美自身は行きたくないらしいが、それでも家のしきたりには従わざるを得ない。尚美が部活を大事にしているのも知っている。だからそれを慮って、大変だね、と慰めてから、佐藤には私から伝えておく旨を告げた。お礼と「ごめんね」という言葉を残して、尚美は帰って行った。

 尚美が居ないのは寂しいが、仕方が無い。友達が居ないからと、駄々を捏ねて部活を欠席する程私は子供じゃないから、尚美の背中が消えない内に、残念な気持ちを振り切って、図書室へ足を向けた。

 図書室には、佐藤の姿しか無かった。石原も休みらしい。高橋については何も聞いていないそうだが、まあ、無断欠席だろう。ついでに、白沢の事も知らないみたいだ。「どうしようかしら」と佐藤は苦笑する。

「二日連続で悪いんだけれど、今日も面倒見られないのよ」

 何か別の仕事がある様だ。「今日は休止にしましょうか」という提案が為される。私は即座にそれを拒否した。一人でも平気だと言う。一人きりの方がはかどるものもある。「じゃあ終わり頃にまた顔を出すわね」と言い残して、佐藤は去って行く。こうして私は、やっと一人の開放的な時間を得た。

 そのはずだったのに。

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