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2 他人

 ヘッダには昨日の日付、六月二十七日と、ファイラ上で新規作成すると自動入力されるファイル名。著者名も見当たらない。表題無しの匿名作品、「無題.txt」を、何度も読み返していた。

 思い付きで書かれた色合いが強い。その場の感情に任せて、キーボードを叩く指に全てを委ねて、感性の赴くままに書き綴った印象がある。その点では詩に近い。何より、繰り返される「愛して欲しい」の言葉は、作者の心の叫び以外の、何ものでもない様に思われた。

 佐藤がこれを読むと、腕組みをして「悪くない」と唸った。

「青春の痛みがよく出てる。冷たい世間に抗って、リストカットの風潮にまで逆らっているけど、代わりに自身を嫌悪している。そういう痛々しさが良く伝わる」けれど、と付け加える。「感情的になりすぎて、一文一文の繋がりが弱くなっているのが残念ね」

 私もほぼ同意見だ。次に感想を加えたのは、高橋。

「何だか鬱っぽくない? リストカットとか訳解んないもん、アタシには」

 たぶん、高橋からは縁遠いものだ。その層の読者からは支持されないだろう。次に読んだ石原は、存外に鋭い質問をした。

「イヤミとヒニクって違う事なんですか? わざわざ言い直してますけど」

 単純な質問の様でいて、作者の心情を読み解くには重要な部分だ。石原がそれを意図したとは思えないが。

 作者は外見にコンプレックスを抱えている。私や尚美と同じ。「視線が痛い」という部分で解る。たぶんそれは、例えば顔だとか背丈だとかの、腕以外のどこかだ。だから最初の「厭味」は、白い腕がコンプレックスと対照的で「綺麗」である事を言っている。そして、「皮肉」には「思いとは裏腹の事実」の意味もあるから、愛されたいと願っても愛されない事と同時に、リストカットをしないでいる作者自身とへ、自虐的な意味合いを込めた――のかも知れない。

 そうした考察を述べると、石原は今一解っていない様子ながら、「流石、次期部長」と世辞を言う。横で聞いてた佐藤も感心した様子で頷いた。高橋などは、はなから考える気が無いらしく、「へえ」と適当な相槌を打つ。

 この遣り取りの間「無題.txt」に目を通していた尚美にも、感想を求めた。尚美はプリントアウトされた明朝体を目でなぞりながら、「この人、結構冷静かも」と、意外な事を言った。

「たぶん小説を書き慣れてる人。第四段落が『だろう』で終わる似た文の繰り返しになってるけど、一回目はクエスチョンが付いてるのに、二回目は言い切りの形になってる。気付かずに読むと解らないけど、二回目は強い希望を語ってる、っていう感じがする。でも次の段落で、そういう希望を持つ事を否定しちゃう。『干渉』と『感傷』で韻を踏んでるのは、『厭味』『皮肉』にも引っかけてるのかもね」

 良くそんな所に気が付いたものだ。やっぱり尚美は凄いが、指摘された様な事を本当に狙っていたのなら、この作者も凄い。それに、と尚美は更に続けた。

「この人は嘘を吐いてる感じがする。何て言うか、取り繕ってる感じ。自分じゃない自分を演出してる、って言うのかな。『愛して欲しい』なんて感情剥き出しに書いたのも、それが嘘じゃないにしても、意図的にそうした感じがする。あと、『蟻』とか『蚤』とか『雀』とかは凄く簡単な比喩だけど、でも『雑草』で良い所を『大葉子』って書いたところも、実は物凄くよく考えてるんじゃないかな、って思った」

 もう一言足して、「この人はいつもパソコンで書いてる。変換に頼ってるみたい」とも言った。この五百文字程度からそこまで推察するなんて、まるで名探偵の推理だ。しかし私よりも突っ込んで作者像を考えるのだから、感服するしか無い。佐藤もきっとそうだった。作品に対する考察は、テキスト通りに他人のものを教えれば良いだけの教師などより、余程尚美の方が優れている。石原はぽかんとしていたが、「小栗先輩は、将来精神分析医になれますね」と、褒め言葉とも皮肉とも取れる事を呟いた。

 しかし、弱った。投稿小説にはクラスと名前を明記する様、掲示物に書いた。文集に掲載する事が決まった時に本人と連絡を取るのと、誤字脱字などの訂正を知らせる為に必要だ。だが「無題.txt」にはそれが無い。タイトルすら無い。折角の投稿作第一号だが、「載せられるかしら」と佐藤は首を捻った。


 六時の鐘を聞く前に、学校を後にしていた。すっかり息の長くなった斜陽が、見慣れた街並みを薄く黄色に染めている。鞄が重い。肩が外れてしまいそうだ。しかし机の中身を空にしておかないと、翌日が心配だ。今日は体育も無かったから教科書やらノートやらで鞄が満杯だ。仕方の無い事ではある。

 荷物が重いと、家が遠く感じる。やせっぽちの身体では、何も持っていなくったって歩くのがやっとだ。そこで私は、足を前に出す事や肩に食い込むショルダーストラップに意識を集中させない様に、登下校の時はいつも何事かを考える様にしている。主になるのは小説の構想だとか、たまに昨晩見た夢の回想だとか。

 しかし今日は、他人の小説の事で頭が一杯だ。無論、「無題.txt」の事。特に「愛して欲しい」というフレーズが、妙に頭に残っている。こんなのは珍しい。

 私は他人の作品に感想を付けるのが苦手だ。面白かったか否か、その程度に終始するし、言ったり書いたりしない。ペンネーム「鳥島めぐみ」で筆者としても参加している、「小説家になろう」というウェブサイトに投稿された素人作品をよく読み漁っているが、評価や感想を付けた事は一度も無い。面白くないと思ったものはあっさりと読み捨てるが、逆に面白いと思った作品は徹底的に読む。自分の読解力の限界まで、何度でも読み返す。だから思う所は沢山あるのだけれど、それを公表する事は無い。何故なら、私の解釈が作者の意図と異なっているかも知れないから。もしそうだった時が怖いからだ。だからどういった感想を付けるかなんて考えない。気に掛かる事、感じた事は胸の中にしまっておく。

 なのに今は、あの思春期丸出しの、少し恥ずかしいくらいの作品に付ける感想を考えている。あの情緒不安定な、自虐的な作品に、感情移入している。まるで自分の事の様に思っている。

 カッターナイフは、少し錆びているくらいが丁度良いと聞いた事がある。その方が痛みが増すのだと。

 毛むくじゃらの腕も、手の平を上に向ければ、白い。繊細で、滑らかで、傷一つ無い。カッターナイフで切り付ける事に、何の意味も見出せなかった。しかし、自分の腕を綺麗だと思った事も無い。

 暑い。昼間にたっぷりと太陽を浴びた道路が、私に向けて熱気を放っている。ブラウスが背中に貼り付く。額や鼻の頭に汗が滲む。ハンドタオルを取り出して、顔を拭った。

 「愛して欲しい」か――私もそういう風に思っているのだろうか。うだる様な暑さの所為か、ふと、そんな事を考えた。

 会ってみたくなった。「無題.txt」の作者に、会いたくなった。会ってどうしたいとか言うんじゃない。会った所で、私には何も言えないだろう。それでも良い。ただ、私の中で混沌と渦巻くどす黒い何かを理解してくれる人が欲しい。そう思った。

 これが、愛欲だろうか?

 不意に背後から声を掛けられて、我に返る。

「これ、あんたの?」

 前髪が長くて長身の、同じ制服を着た男子。校内で見た事がある様な、無い様な。自転車に跨ったまま右手にハンドルを握り、左手で汚いものかの様に私のハンドタオルを摘んで、差し出している。咄嗟に鞄のポケットに手を突っ込むと、確かに無い。戻したつもりが、ぼんやりしていて落としたらしい。

 すみません。受け取りながら口を突いて出たのは、そんな言葉だった。親切にされるのには慣れていない。咄嗟にお礼なんて言えなかった。すると、こう言われた。

「ムカつくな」

 そう一言だけ呟いて、その生徒は走り去ってしまった。


 家に帰ると、リビングで弟がテレビゲームをしていた。フローリングにぺたりと胡座をかいて、坊主の後頭部を見せたまま「おかえり」と挨拶。散々飽きたと言ったはずの、銃でドンパチするゲームに熱中している。小学生の内からこんな遊びをしていて大丈夫だろうかと、時折心配になる。ただいまを返してから、母親が帰宅していない事を尋ねた。

「今日は遅くなるってさ。さっきメールが来た」

 少しウザったそうに答えられる。

 母は病院で医療事務の仕事をしている。病院での勤務というのは、事務とは言っても、急に忙しくなったりする変則的なものらしい。今日も早番だと言っていたが、そう言って早く帰られる方が希だ。朝から晩まで休み無く働いて、週に一度休日があればマシ。そうやって必死に働いている。

 父は居ない。父親と呼ばなくてはならない人はいくらか居た気がするし、弟の父親も記憶にあるけれど、どの人も私の父ではない。死んだという事にはなっているけれど、真偽の程は確かじゃない。

 「男を次から次へ取っ替え引っ替え」と、悪く言う人も居るかも知れないが、私はそう思わない。母は誰よりも思い遣りのある人だ。それだけに、駄目な男の人を見ると放っておけなくなってしまうらしい。そうやって抱え込む。そして、散々振り回された挙げ句、捨てられる。別に女を作られたり、借金をこさえてきたり。薄幸の女性だけれど、母は強い人だ。挫けないし、働いている。女手一つで私達を育ててくれている。この家だって、最近になって貯金が貯まり、やっと買えた一軒家だ。

 だが、尊敬は出来ない。母の様な生き方に、憧れは覚えない。

 二階の自室。ブラウスを脱ぎながらパソコンの電源に手を伸ばしたが、やめた。代わりに下着姿のまま、布団に倒れ込む。趣味に興じる気分になれなかった。

 運命なんてものはフィクションの中にしか有り得ない。ましてや、ハンカチを拾われて――なんていう、ベタで陳腐なものは、現実じゃない。見ず知らずの他人にまで、いきなり暴言を吐かれる始末だ。期待感も皆無。

 苛々している。遣り場の無いどろどろとしたものが、私の胸に立ち込めていた。どう吐き出せば良いのやら。

 愛して欲しいのか? そんなものは要らないよ。自問自答する。そんな欲求は滑稽だ。ちゃんちゃら可笑しい。あの馬鹿げた連中に、私を顔で判断する奴に、知り合いでも無い癖に勝手に関わりを持って来て、挙げ句「ムカつく」だなんて言う奴に、そんなものを求めて何になる。

 違和感を覚えて身体を起こす。布団を見ると、赤い染みが出来ていた。ここ最近の妙な気持ちはこいつの所為かと納得しつつ、トイレに立った。


 落ち着かない。体調が悪い。予定と違うのはいつもの事だが、二日目が当たり前の様に酷いというのに、狂いは無い。馬鹿にしやがるな、という一週間遅れの不平も、毎度の事だ。いつもは我慢してやっている、些細な事が琴線に触れる。お腹が痛い。頭が痛い。

 私の体調不良やその原因に気付いてくれるのも、気遣ってくれるのも、尚美だけだ。同じ学年とは言え、クラスの違う尚美とは放課後の部活でしか顔を合わせる機会が無い。だからその日一日の終わりが近いというその時になって、やっと気が楽になる。

「大丈夫? 今日は部活休んだら?」

 尚美の優しい言葉が素直に嬉しい。でも断った。真っ直ぐ帰っても家で独りになるだけだ。そちらの方が、辛い。

 しかし、厄災というのは体調に構わずやって来るものだ。と言うよりも、そういう時に限って、狙い澄ました様に、弱みにつけ込む様に、突然現れる。

「皆さんに紹介したい人が居ます」

 少し遅れて顔を出した佐藤が、やおらにそんな事を言い出した。まるで結婚宣言だ。本当にそうだったら、笑える。「さあ、どうぞ入って」と戸口に向けて言う。呼ばれて、ぬっと出て来たのは、男子生徒だった。

 私は思わず目を見張る。のっそりと立ち尽くしたそいつが、昨日私に「ムカつく」と言い放った、あの生徒だからだ。

「二年一組の白沢君」

 佐藤の紹介に、白沢は「どうも」と無愛想な挨拶をした。前髪の隙間から、目付き悪くちろちろと部員達を眺める。視線が私に来ると、「成る程ね」と呟いた。

「今日からこの文芸部に加わってもらいます」

 職員会議がある所為か、紹介もそこそこに「仲良くして頂戴」と言い残して、佐藤は出て行った。

 更に気分が悪くなった。

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