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1 ケムシ

 黒板の日直欄に書き出された名前が「大島」になっていた。今朝はまだ良い方だ。酷い時には、わざとか何なのか知らないが、「大鳥」になる。そんなだと、オードリー・ヘップバーンという名前の女優が居たなと、何と無く思ってしまう。鞄を下ろす前に、自分の手で「大嶋」に書き直しておいた。

 教室には誰も居ない。まだ運動部が朝練を始めた頃だから、当たり前だ。私はいつもこの時間に来る様にしている。大きな理由は二つ。一つは、教室に入った時に視線を浴びるのが嫌だから。もう一方は、机に花瓶を置かれずに済むから。

 そう言えば、今日は花に元気が無い。一輪挿しのタカサゴユリが、その大きな頭を重たそうにもたげている。きっと寿命が近い。覗き込んでみると、水が少なくなっていた。意味は無いが、水を注いでやる。花は元々好きじゃないから、枯れようが散ろうが構いはしないのだけれど、でも見て見ぬふりというのは、八つ当たりをする様で気が引けた。別に、憎むべきは花なんかじゃない。

 朝のホームルームまで、あと一時間近くもある。さて、と考える間も無く、原稿用紙を広げた。暇さえあれば、私はこうして原稿と向かい合う様にしている。ペンを走らせるかどうかはさして重要じゃない。学校支給の四百字詰め原稿用紙を眺めながら、思いを巡らせる事こそが、時間の有意義な活用法だった。

 正方形のマス目に文字を当て嵌めては消す。始まりと終わりのない物語に想いを馳せる。原稿用紙の外側を漂う言葉達が、出たり入ったりを繰り返す。頭の中の住人達の、誰かが泣いて、誰かが笑う。活き活きと呼吸をする。

 幼稚な妄想。下らない幻想。端から見れば、きっとそう。けれど、私には一番大事な想像。

 クラスの男子が登校してきた所で、それは打ち切られた。原稿用紙を畳んで、机の中にしまう。時計を見遣れば、二十分程しか経っていなかった。後から来たのにも関わらず、迷惑そうな一瞥をくれるだけで挨拶も無し、席に着く。

 こいつの名前は滝田という。今にも突き出した腹がワイシャツのボタンをはち切りそうだ。同じ中学生とは思えない、中年の太り方をしている。鼻の下が長い。それに運動部でもない癖、短髪にしているのも手伝って、サルに良く似ている。厳密に言えばオランウータンか。滝田はいつもこの時間にやって来ては、私の日課の邪魔をする。特に何かをしてくる訳ではないが、同じ教室に存在するだけで障害だ。気が散る。視界に入れたくもないのに、図体の大きな所為で、望まずとも見えてしまう。

 滝田をきっかけにしたかの様に、クラスの連中がぞろぞろと現れ始めた。べちゃべちゃと聞き苦しく喋りながら、下品に笑いながら、朝から静寂を奪いながら、教室に侵入してくる。

 二人連れでやって来るなり、内一人、谷中が「おい、お前今日の日直はケムシと一緒だぜ」と耳障りな大声で言う。もう一人の方、木下は「うげ」と嘔吐する真似で答えた。

 「ケムシ」とは私の事だ。私の体毛、主にうなじや腕の毛は、人に比べると少し長くて濃い。だから毛虫だ。そう呼ばれるのが嫌で腕を剃ってみた事があるが、私の肌は存外に弱いらしく、逆に荒れ放題の酷い有様になってしまった。しかし、もう気にしていない。

 人の外見的な欠陥を、欠陥とは呼び難いものでも構わず蔑称に用いるのは、実に愚かで救いようのない事だ。内心で嘲笑されているとも知らず、私をケムシと呼んで喜んでいるのは、自分の知能が足りないのを誇示しているに等しい。馬鹿だ。だから少しも気にしていない。

 チャイムの音に合わせて、担任の鈴原が戸を開ける。木下と申し合わせなどはしていないが、先んじて日直として起立の号令を掛ける。しかし立ち上がったのは私一人だった。私の声ははっきりと教室の隅にまで聞こえたはずだが、誰も彼もが聞こえなかったふりをしている。中には、周囲に合わせているだけの奴も居るだろう。クラス全員の頭が見える。これも慣れた光景だ。代わって鈴原が言うと、今度はすんなりと起立する。鈴原だって、私の号令だから誰も聞かないのを知っているはずだが、それを悪い事だとするつもりは無いらしい。受け持ったクラスに公然と存在する暗澹部に、見て見ぬふりをする。私は消極的な事なかれ主義者の、冴えない間抜け面をしたこのおっさんを、心底嫌っている。


 中学校二年までにしか至っていない、この短い人生とは言え、学校が楽しいと思った事なんて、一度足りとも無い。同年代の生徒達は品性の欠落した、どの点を取っても劣った人間が殆どだし、本来手本や見本となるはずの教師は、頼りにならない、無駄に歳を食った大人ばかりだ。授業は私の知識的欲求に今一踏み込んで来ないで、本当に知りたい事は家に帰ってからインターネットで調べてみるまで解らない。学ばされるのは、他人という存在から与えられる不快感と苦痛、それと学校というシステムの閉塞感だけ。

 しかし、この呪縛から卒業したところで、その事に変化があるとは思えない。どこに行ったって自由は無い。母が好きな尾崎豊の歌にある様な憧憬は、私には無い。

 本当の自由は、頭の中にしか有り得なかった。私の中で生活するキャラクター達は、私の良き理解者であり、代弁者だ。彼らの作る世界だけが、この馬鹿馬鹿しい、腐ったミカンの様な世界を否定してくれる。

 そう、世界は腐った夏ミカンだ。そして私は毛虫。ミカンは、なまじ硬い繊維としっかりした皮のある所為で、中身がどれ程ぐずぐずに崩れていようが、一見したくらいじゃ解らない。毛虫は腐った果肉を食らう事を避け、新鮮さを求めて這いずるが、隣の房に移った所で腐っているのに変わり無い。いっそ握り潰されてしまった方が良い。世の中に毒された私ごと、一度土に還ってやり直してしまったら良い。

 駄目だな。思い直した。そんな破滅願望は、やっぱり思春期のセンチメンタリズムでしかないんだ。私の嫌いな尾崎の考えだ。

 原稿用紙の上で、ああでもない、こうでもないと思い倦ねている。いくら何でも、毛虫を主人公にするのは直接的すぎた。そろそろ人間以外の生き物を主役に据えてみても良いと思うのだが、自分自身の暗喩とするには、毛虫ではいささか程度が酷い。

「進まないみたいね」と文芸部の顧問で国語教師の佐藤が言った。「インスピレーションが足りない?」

 なら本を読んでみると良いかもね、と立ち並ぶ本棚を指差す。

 私の所属する文芸部に、部室というものは無い。旧校舎の奧にある、教室に本棚を置いただけの粗末な図書室の一角を、間借りする格好で活動している。

 アイデアはあるけど纏まらなくて、どうしようか考えている所です。そう返すと、

「締め切りまでだいぶあるから、焦らなくても良いわよ」

 と、少々矛盾した事を言った。このおばさんが焦っている気持ちは理解出来る。

 文芸部は今年度末までに、一冊の文集を纏めるつもりだ。文集のタイトルは決まっていないが、文芸部員の作品を筆頭にして、有志の投稿作品を掲載する。出来上がったら、いずれは出版し、校内外で販売。その売り上げをユニセフに寄付しようという予定。

 しかし、一学期にして、計画は頓挫する気配を漂わせていた。作品が集まらない。一応、応募を呼び掛ける掲示物は全クラスに配布したし、図書室前に投書箱なるものも設置した。しかし、応募小説はまだ一作も無い。中学生連中は個性だ何だと自己主張をしたがる癖、どうもいざ機会を得ると、及び腰になる。結局主張すべき個性なんて無いのかも知れない。烏合の衆というものか。

 文芸部員は、私を含めて女子ばかりたった四人。とても四人の作品だけで文集は作れるものじゃない。それに、先導者となるはずの三年生は、ケータイ小説によくある「等身大」とやらに毒されているし、制服の可愛さだけで高校を決めてしまう様な女だ。期待の新一年生は、文を書くより絵を描く方が好きだと言う。絵と言っても漫画やイラストレーションの方で、デッサンや風景画ばかりの美術部には馴染めず、仕方なしでこちらへ入部したという手合い。二年生の私などはこの通り、原稿用紙に字を書く事よりも空想に耽るのが得意という具合。頼みの綱は、同じく二年の尚美だけか。尚美は私にとって唯一友達と呼べる相手だ。それと同時に、尊敬する作家の一人でもある。

 どういうものを書くのか尋ねてみた。すると尚美は「自分の事」と簡素に答えてくれた。

「家庭環境とかコンプレックスとか、思う事をありのままに書こうと思って。けど、自分自分って書くのも嫌だから、キャラクターは作るつもり」

 尚美の家は割と一般的な家庭だが、他と少々違うのは、キリスト教の信者だという事だった。そしてコンプレックスというのは、背の低さに対して肩幅が広い事。どちらも気にしている様だが、表面的には何とも無い素振りをしている。

 私小説と言えば聞こえは悪いかも知れないが、自分の内面と外面とのギャップに向き合う事は、あらゆる作者の根本にあると思う。しかし大抵はアンチテーゼを含んでいたり、無い物ねだりになりがちだ。そこを、ありのままで書こうと言うのだから、その勇気に感心せざるを得ない。

 ふと思い出したのは、副顧問の言葉だった。

「大嶋はもう少し素直になった方が良い」

 黒沢という若い新任教師は、一年生当時の私の作品を読んで、そんな感想を洩らした。何が気に食わなかったのか、彼の言う「素直」とはどういう事なのか、私には理解出来ない。でもたぶん、黒沢は熱い血の通う多少面倒臭いタイプの男だから、彼には直情的でないと伝わらない、それだけの事だろう。

 やおらに「めぐり先輩は何を書くんですか」と、石原から尋ねられた。書きたいものはあるにはあるけれど、多分駄目だ。そう答えてやると、

「頑張って下さいよ。先輩の作品が出来たら、石原は挿絵を描きますから」

 と生意気な調子で言う。私は苦笑と共に、挿絵は要らないよ、と返す。小説に挿絵が入る事を否定する主義ではない。世の中には、想像力を掻き立ててくれる素敵な挿絵の入った小説もある。星新一が良い例だ。けれど、一般にライトノベルと呼ばれる様な、漫画調の媚びた絵の添えられたものは嫌いだ。人物の姿形を想像する自由を奪われる気がする。石原が描く絵を見た事があるが、明らかに後者であって、歓迎出来ない。それに、毛虫の絵など描けないだろう。

 三年の高橋が身を乗り出して、強引に割り込んでくる。「じゃあアタシのに描いてよ、緑ちゃん」と、ものを頼むのとは違った態度で言われ、石原は困った顔をする。高橋の小説は恋愛ものの現代劇で、設定はありがち。少し暗い、脚光を浴びない美少女が、ある時突然に、学校一モテる美少年から誘いを受ける。反吐が出るけれど、高橋なりにそこは強い拘りがある様で、主要人物の描写は異様に細かい。相手役は絶世の美男子でなければならないらしい。作者の意と異なる想像を許さない様な書き方をする。もし、挿絵に高橋の想像と少しでも違ったキャラクターが描かれたら、何を言われるか解ったものではない。だから石原は、困惑する。

 執拗に食い下がられ、「下手だから」とか「考えさせて下さい」とか言って何とか誤魔化そうとする石原を尻目に、私は思い出した風を装って席を立つ。投書箱の中を確認するのを忘れていたと呟く。生徒からの応募は半ば諦められていて、顧問でさえ期待を捨てた様子だったが、一応、念の為チェックしておいた方が良い。私だって、こんな頭の悪い連中ばかり揃いも揃った学校には、希望を持っていないのだが――まあ、この場を離れる言い訳だ。

 厚紙を貼り合わせ、「投書箱」と手書きされただけの箱は、図書室の受付カウンター上に設置されている。ただ乗っかっている蓋に、郵便ポストの様な長方形の口がぽっかりと空いている。こんな箱に小説を突っ込むのは、余程自信のある者か、恥を知らない者だけだ。覗き見してしまおうと思えば容易いのだから。

 あっけらかんとした中を想像して蓋を持ち上げると、意外、中に何か入っている。三つ折りにされたA4コピー用紙の様だ。以前に一度、悪戯で私に向けたものと思われる罵詈雑言が入れられていた事がある。またそうした類かと、早々に呆れ返って、開いてみた。

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