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12 虐待

 数日が過ぎても、状況に変化は無かった。状況と言うのは、右肩上がりに増加、過激化することについてだ。ついでに言えば、規模も拡大している。クラスの枠を越え、他学級の人間まで私を虐めるのを憶えた。廊下を歩いていて、知らない相手から故意に身体をぶつけられるのはしょっちゅうだ。呆れ返る事に、上履きの色の違う、三年や一年にまで目を付けられている。悪の結束は横だけでなく、縦にも繋がりを持っているらしい。裏で好き放題言っている様だ。

 この事態を助長した鈴原及び教師連中は、黙りを決め込んでいる。PTAも、母には知られていないから、無論の事。大人というのは、自分の都合の良い、好都合に都合の悪い事しか知ろうとしない生き物だから、いかんともし難い。子供は大人に頼るべきだなんて考え方も、大人達の偽善でしかない。本当は何も見えていない。

 見ているのは、清水君たった一人だ。彼はクラス連中に苦言を呈し、早々に今私が置かれている身を予期して、アドバイスをくれた。全ての人類が清水君なら、戦争なんてきっと起きないだろう。そもそも戦争という言葉自体が、無かったかも知れない。

 しかしその清水君は、未だに静観している。私から接触を図る事もしないから声を掛け合う事も無ければ、目が合う事すら無い。一体いつになれば、私は彼に認めて貰えるだろう。いや、そう思いながら約束を守り続けている間は絶対に無理か。私という人間が完成に至るまで、お預けだ。

 今日も、調理実習で捌いた魚のはらわたをぶちまけられた制服を抱え、帰路に付く。部活には出席しない。ただ早く帰ったのでは家族から妙に訝しまれるから、あちらこちら、学校の連中が出没しなさそうな場所を選び、道草を食ってから帰る様にしている。コンビニ、デパート、公園。そうした人の集まる所は危険度が高い。良く利用するのは、通学路から外れたマンション脇にあるゲートボール場。そこのベンチに腰を下ろして、曇り空の下ぼんやりと考え事をする。その時間は剰りに長い。長いけれど、静寂な時間が心地良かった。

 考え事の内容と言えば、専ら清水君の事ばかり。頭の中で物語を作るのが癖になっているから、思い付くのは酷い妄想ばかりだ。恥ずかしい話、もし褒めて貰えたらその時は頭を撫でてくれないだろうかとか、その腕と胸でギュッとされたら心停止してしまうんじゃないかとか、そうしたら唇を触れ合わせて命を吹き込んでくれるだろうかとか、柔らかいだろうかとか、どんな味がするだろうかとか、そんな事ばかりを考えている。

 出来る事ならずっと一緒に居たい。電話をしたい。笑顔が見たい。抱き締めたい抱き締められたい。キスをしたいキスをされたい。好きだと言いたい「好きだ」と言われたい。考えると止まらない。感情を湛えるダムが決壊してしまう。

 新しい小説を書きたくなった。文集に関しては、もう知らない事だ。今度は完全な趣味で良い。それこそ「小説家になろう」にも掲載しないくらいの、自己満足で良い。恋愛小説を書こう。これまで忌避してきたジャンルだ。今のこの気持ちがあれば、いくらでも書ける気がする。ドキドキしてキュンとするコレ、もやもやしてふわつくコレを、小説に書き起こしたい。

 主人公達が動き出した。ヒーローは清水君の形をした別人、ヒロインは私と似ても似つかない別人。付かず離れず、微妙な位置関係が続いて、でも最後は、手を取り合い笑い合う。黒いものは無くて、ただひたすらに純朴な現代劇。素敵だ。

 今日はもう帰ろう。帰って書いてみよう。そう思い、腰を上げた。

 周りは目に入っていなかった。頭にあるのは新しい構想ばかり。例えば、プールで溺れかけたヒロインを救うなんてシチュエーションはどうだ? ヒロインが何かのトラブルに巻き込まれ、無くしてしまった大事なものを、ヒーローが泥まみれになって探し出すなんていうのは? お互いの気持ちを知らぬままに、友情以上の感情を募らせていくのは?

 悶々と思い描きながら歩いていた所を、ふと目の前を横切った人影に目を奪われて、現実に帰る。青いチェックのシャツにジーンズ。黒いキャップを目深に被り、大きなリュックを背負っている。眼鏡を掛けているから即座には解らなかったが、あれは間違い無く、清水君だ。

 清水君は私に気付かず、彼の家の方角とは真逆、下校の道筋をさかのぼる方向に早足で歩いて行く。こんな時間に、どこかへ出掛ける様だ。一体、どこへ行くんだろう。私は何の気無しに、後を追った。

 見付からない様にこっそりと続く。ストーカーまがいの行為はまるで白沢だと思い、すぐに打ち払った。

 足を止めたのは、この間子猫と遭遇した辺り、廃工場の前だった。清水君は軽く周囲を見回してから、素早く廃屋の中に消えた。意外な行動に驚いたが、私もそっと中を覗き込みつつ、足を踏み入れた。

 汚臭がする。たぶん、猫の糞尿の臭いだろう。地面は無造作に砕かれたコンクリートとガラス片、錆びた釘の様なもの、あとは不良達の溜まり場にもなっているのか、煙草の吸い殻や空き缶などのゴミが散らばっている。清水君の様なひとが、人目をはばかってまでこんな手付かずの廃墟に来るなんて、不思議でならない。

 清水君の姿が見え、慌てて柱の蔭に隠れる。そっと顔だけ出すと、斜陽の差し込むちょっと開けた場所に彼は立っていた。その足元に猫が群がって、それぞれ清水君を見上げて、何かを求める鳴き声を発している。十匹は下らない。清水君はそれらを見渡してから屈み込み、リュックサックを下ろした。中から何かを取り出すと、彼を取り巻く猫達の密度は増して、その声も大きくなる。どうやらキャットフードの缶詰らしい。「がっつくな」と言う、猫に話し掛けているとも独り言とも取れる言葉が聞こえた。

 よく見るとあの子猫も混じっていて、私は漸く理解した。清水君は彼らに食事を与えに来たんだ。今日に限った事ではないだろう。恐らく以前から何度も足を運んでいて、子猫はあの時、清水君に餌をねだっていたんだ。隠したのは、餌付けがいけない事だと承知していたからに違い無い。

 改めて、心の広い人物だと知った。野良猫を餌付けして飼ったつもりになっている、勘違いの迷惑おばさんとは訳が違う。彼は性根が優しいんだ。

 清水君の目的は解ったし、私はそろそろ帰るべきかと考える。でも、もう少しだけ彼を見ていたくなった。こちらから出て行く様な事はしないが、気付かれたところでどうという事も無かろう。

 缶を開けると、猫は一同にそちらへ集る。体格の大きいのは小さいのを押し退けて、我先にと缶の中身を貪った。あぶれた猫には別の缶を開けて、そちらを差し出す清水君。それで大体には行き届いたが、それでも一際身体の小さな黒猫の子は、大人達の後ろでミィミィと甲高い声で鳴いていた。清水君がそれを見落とす訳も無く、子猫一匹の為に新しい缶を開ける。

 子猫は尻尾をピンと立てて、身体全体で餌に飛び付き、頭を突っ込む。腰を屈めた清水君に見詰められながら餌を食べる子猫。見ているこちらまでもが幸せを感じる光景だ。

 けれど、様子は急変した。

 缶から顔を抜いた子猫が横様に歩き出した。その足つきは酔っ払った様に覚束無く、前足を挙げてはぶるぶると振る。何かを振り払うがごとくに頭を振りながら、幾度か小さく跳ねた。背中が忙しなく痙攣したかと思うと、胃の中身を絞り出す動作で嘔吐した。そして大きくよろけると、そのままぱたりと倒れ、足を伸ばしたまま、身動き一つ取らなくなった。その間も大人の猫たちは餌に夢中で、気付いていない。

 子猫が倒れるのをじっと見ていた清水君は、おもむろに手を伸ばし、子猫の足を掴み上げた。前足と首とをだらりとさせた子猫は、死んでいる。

 何が起こっているのか、私には解らなかった。私の見ているのが現実なのかさえ、判然としない。清水君は何をしているのか。子猫はどうしてしまったのか。考えれば考える程、思考が停止して行く。それはたぶん、清水君が子猫を毒殺したという、明確な事実に至るのを避けようとしているからだろう。

 ここからでは彼の表情は見えない。眼鏡が西日を反射して、妖しく光っている。子猫の死骸を放り捨てると、リュックの中に手を差し込んだ。取り出したのは、黒光りする拳銃だった。勿論、本物ではなく、エアガンの類だ。ゆっくり立ち上がると、銃口を死骸の方に向け、引き金を引いた。

 無音だった。清水君は黙々として、淡々として、繰り返し弾丸を発射する。親猫も混じっている群れの背後で、全く気付かれず、それを嘲うかの様に、子猫の遺骸に打ち込んでいく。その様は悪夢の様で恐ろしかった。

 これは夢なんだ。そう信じたい。そう信じなければならない。清水君が、あの清水君が、こんな事をする訳が無い。私は今、ベンチで眠りこけているのに違い無い。そう、夢なんだ、これは。

 逃げる様に、目を逸らした。その途端、何者かが私の口を塞いだ。正面から手の平を押し当てられて、私の悲鳴はその中で消えた。シ、とそいつは唇に人差し指を立てる。白沢だ。

「騒ぐと見付かる」

 白沢は横目に清水君の姿を見遣りながら、声を潜めて言った。

 どうしてこいつが、こんな所に居るのか。そんな疑問が頭をぐるりと回り、答えを見出せないまま霧散した。

「だから言ったのに」


 そこまでは憶えている。その後、家に着くまでの記憶は曖昧だ。途中で何度か吐きそうになった気がする。ベッドの上で蹲ると、顔にぐっしょりと脂汗を掻いているのを、ジャージの袖越しに感じた。

「落ち着いた?」

 白沢の尋ねる声がする。私は、大丈夫、と返した。何をもって、何が大丈夫なのか。自分でも解らない。自身に言い聞かせて、肩の震えを少しでも抑えようとしたのかも知れない。

 白沢はカーペットの上で胡座をかいている。何故そこに居るのか、何故部屋に上げてしまったのか、憶えていない。こいつの肩を借りて階段を上ったのは、辛うじて記憶に残っていた。

 またつけて来たのか。私は全く場違いの質問を口にした。そして回答を得ないまま、清水君を知っていたのか、訊ねた。たぶん、ぐらぐらと揺らぐ脳を何とか安定させようという努力なんだと思う。白沢は「まあね」と、一言で二つの事に答えた。

「小坊の頃から、ちょっと」

 はぐらかす様な口振りに、顔を上げる。今ははっきりしない話を聞きたくない。少しでも気持ちが整理出来る様なのが良い。睨み付けると白沢に伝わったものらしく、話は続けられた。

「俺、不良だからさ」

 そう言ってポケットから引き摺り出したのは、煙草の箱だった。あの廃工場で「コソコソ吸ってる」らしい。小学生から喫煙とは、なんて奴だ。親の教育がなってない。そんな風に咎める気も起きないが、良くないとは言ってみた。「ほっとけ」と白沢は苦々しく言うが、口元が少し綻んでいる。

「あれで四匹目。俺が見た限りでは」

 清水君は、彼が小学生の頃から、ああした虐待を続けているらしい。「悪質だよ」と白沢は唾を吐く様に言った。

「少しずつ手懐けて、最後はああする。気持ち悪いよ、アレは」

 そう眉間に皺を寄せる。

 白沢の話を聞いても、未だ私が見たものを信じられずにいる。あの清水君が、あんな事をする訳が無いんだ。清水君は優しくて、人の痛みが解って、誠実で、真摯で、純粋で、汚れが無くて、正しくて。あの笑顔に、嘘なんか微塵も無かった。私を励ます言葉に、偽りなんか無かった。きっとよく似た他人の仕業だ。外見以外は似ても似つかない、兄弟か何かだ。そうに決まっている。

 そうでなかったら、どうしたら良い?

「あんた、まだ好きなの?」

 不意に、白沢がそんな事を言う。馬鹿な事を言うなと即座に否定はしたが、それでもやっぱり、私はまだ好きなんだと思う。そういう気持ちは簡単に覆せない。それがどんなに愚かな事かは解っているつもりだ。けれど、信じていたいと切に願う事で、守り通したかった。

 清水君への気持ち。清水君を信じた私。今ここでそれを疑ってしまったら、壊れてしまう。

「ムカつく」

 白沢は呟き、押し黙った。私の思う以上に、考えは顔に出ているのかも知れない。ただ、それを白沢がどう読み取ったのかは知れない。

「帰るわ」

 俄然立ち上がり、それ以上の言葉を掛けずに、部屋を出て行った。

 見送りはした方が良いだろうか。そう思ったのは、玄関ドアが閉まる音を聞いた後だった。

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