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11 疎外

「お前、良く来る気になるよ」

 私に次いで二番手で教室に現れたふとっちょの滝田が、私を見るなりそんな事を言った。ぶ厚い唇を突き出した喋り方は、もごもごとして聞き取りづらい。

「おれなら二度と来る気がしないね」

 意志の弱そうなお前なら、そうだろう。でも私は違う。私は負けないんだ。あんな魔女狩りの様な目に遭っても、欠席なんていう敗北宣言は、絶対にしない。それが清水君との約束だ。

 ついさっき、滝田がやって来る前、「オレンジ」に最後の一文を書き足した。

<ボクは、それでもおいしいと思った。>

 誰が何と言おうと、ボクはボク、私は私。決して、誰にも、どんな罵詈雑言でも、曲げる事は出来ないし、曲がってやらない。

 上履きを履いた瞬間にチクリと痛んだ画鋲の針は、抜いてしまえば元通り。椅子につけられた靴跡の砂埃も、拭い去ってしまえば何の事や無い。綺麗さっぱり消え失せて、無かった事に出来てしまう。無力な逆襲だ。馬鹿の考えだ。

 机に油性マジックで、でかでかと「ケムシ」の文字を書かれても、それが何だ。笑いたければ笑えば良い。お前達にとって醜いものでも、清水君は綺麗だと言ってくれた。何を信じ、どう思うかは、私の自由だ。

 放課後置かれたと思われる一輪挿しで、ユリが哀れに萎びていた。誰も気が付かないのだろうか。気付いてやれる私の方が、余程出来た人間なんだろう。

 ただ、心配になるのは清水君の事だ。私を擁護して、クラス中を敵に回す様な事をして、彼にも被害が及んでしまわないだろうか。清水君を巻き添えにするのは、どうしても避けたい。

 無視は連中の常套手段だ。私を居ない事にしてぞろぞろと入ってくる群れに紛れて、清水君がやって来た。夏の暑さなど知らない様な、相変わらずの涼しい顔で、ピンと背筋を伸ばして姿勢良く、颯爽と机に向かい、鞄を下ろす。鞄の中身を机に移すまでの所作には無駄が無く、何かにためらう様子は見えない。私の杞憂だったらしい。彼はいつも通りだ。

 こんなに注視していても、清水君と目を合わせる事は無かった。彼は時計の針をチラリと気にしてから、ノートを取り出し、予習を始める。まるで昨日の事は無かったかの様。でもそれはたぶん、私に掛けた言葉によるものだろう。私に耐える事を希望し、私を貫く事を誓わせ、そして見ていると言ってくれた。きっと、これまで通りの関係、他人のまま、私がどこまで出来るかを確かめるためだ。助勢も手助けもせずに、約束を守れるか。その為に、敢えて外側に立っている。

 大丈夫。私は平気だ。頑張れる。そしていつか清水君から「よくやったね」と褒めて貰える様に、私は私の精一杯をしなくちゃいけない。

 昨日の電話口で言われた白沢の言葉を思い返した。目的が解らない。私を不快にさせたかったとは思えないが。何にせよ、清水君は白沢の様な奴が虚仮に出来る人間じゃない。白沢も所詮は、他人を屈折した目でしか見られない、群集を作る愚かしい生き物と、本質は変わらないのだろう。他人に見当違いの悪評を付ける。幻滅だ。


 既に、あの名ばかりのクラス会議の翌日から、私に対する心無い行いは、より積極性を増し、エスカレートしている様だった。謝罪をしなかった事が最たる理由だろう。しかし、そこで鬱憤を抱えたのは、そもそもの原因を作り出した沢村を筆頭とした、取るに足らない連中。そんな奴らが一丸となって、私を徹底的に排除しようと尽力した所で、吠え面を掻きながらの逆上としか感じられず、今の私にとっては痛くも痒くもない事だった。

 手法はこれまでのちまちまとしたものとは打って変わり、明らかに激化している。顕著な例として、私が休み時間中にトイレで用を足している時、個室の上からホースで水を注がれたのが挙げられる。「ライフ」の読み過ぎだ。近頃の少女漫画は、こういう悪行の手解きまでしてくれるのだから、スバラシイとしか言い様が無い。

 その時のその瞬間は、私も思わず悲鳴を上げてしまったが、別段恐怖は無かった。怒りすらも無い。ただひやりとしたのが突然に頭上から降って来て、驚いた。それだけだ。

 びしょ濡れの格好でもしっかりと手を洗ってから出てみると、トイレの前でクラスの女子二人が向かい合って居た。二人共が横目に私を見ると、笑いを堪えきれないとばかりに吹き出す。指示があったかは兎も角、沢村はこういう行動派の手下も抱えている様だ。いわゆる、鉄砲玉というヤツだろう。食って掛かってくるのを期待していたのか、私が素知らぬ風で通り過ぎようとすると、周囲の目も構わずに、私を男子トイレの中に突き飛ばした。タイル地に尻餅を突くと、またゲラゲラと下卑た笑いをする。気が済んだかを尋ねると、ぴたりと笑いをやめ、舌打ちをして去って行った。

 この程度の事で私が挫けるとでも思っているのか。ちゃんちゃら可笑しい。随分と見くびられたものだ。何でも無い様な事を言い訳にして不登校になる様なのとは、モノが違うという事を少しも解っていない。

 水を滴らせながら教室に戻り、ジャージを取る。そちらまで濡らされてしまったら困るから、わざわざ柔道場近くの更衣室まで行って、着替えを済ましてから戻る。すると案の定、机の落書きが増えている。内容は安易で安直な「死ね」の文字。誰がそんな言葉で死ぬものかと、鼻で笑った。

 次の時間は国語。教壇に上がった佐藤は私の姿を見て、「どうかしたんですか」と尋ねる。すると一人の女、私に水を掛けた内の一人が、「さっきお漏らししちゃったみたいです」と答えた。クラス中から一斉に笑いが起きる。

「貴方には訊いてません」

 と佐藤は切り捨てたが、そいつは「すみませーん」と悪びれた様子も見せなかった。

 佐藤が生徒からナメられているのは知っている。何事にもキッパリと発言する性格をしているが、何分、優しそうな近所のおばさんという印象の顔立ちの所為で、威圧感に欠けていた。

 もう一度訊かれ、誰かがこの暑さから気を遣って水浴びをさせてくれたんです、という嫌味が浮かんだが、それはしてはいけない事だ。清水君が見ている。代わりに、暑いので、とだけ返した。佐藤は眉間に皺を寄せて、「そうですか」とやや残念そうに呟き、テキストを開いた。

 これで良いんでしょう? 清水君を見遣る。平然と教科書に目を落としていた。


 放課後、重い鞄と水の染み出た体操着袋とをぶら下げて、図書室に向かった。幾日ぶりかに行く、憩いの場。自然と足取りが軽くなる。

 高橋の笑い声を聞きながら、戸口のレールを跨いだ。向かいに座った石原の、「あ」と言う声で、途端に空気が凍り付くのを肌に感じた。他二人の見慣れた顔が同時にこちらを向く。その目は、どんな目をしていただろうか。まるで幽霊でも見る様な、あたかも犯罪者でも見る様な、そんな目ではなかったか。

 二度目の沈黙が訪れる。一度目は白沢がきっかけだったが、二度目はこの私。私がジャージ姿だからではないだろう。悪い噂が流れた様だ。意味も無く女を殴ったという半ばの真実か、或いは白沢と交際しているなんていう勝手な想像か、はたまた、推測も立たない程事実無根のでっち上げか。もしかすると、私と関わる事で、被害に遭うのを恐れているのかも知れない。

 いずれにせよ、彼女達は弱い。

 私の方からも進んで声を発する事はしなかった。高橋や石原に掛ける言葉が無いのは元より、尚美とさえ、口を利く気がしない。何を聞き、何を思ったかは知らないが、白沢などに電話番号を教えるなんて勝手な事をするのは許せない。もう友人と呼びたくなかった。

 腰を据えたばかりだが、席を立つ。私は悟った。もうここは、私の居るべき場所じゃない。私を信じない人間は、私も信じない。今まで信頼し切っていた、私がいけなかったんだ。

 学校にあるたった一つの居場所も奪われてしまった。しかしそれでも、孤独は感じない。私は一人じゃないんだ。清水君が見てくれている。


 昇降口を出た辺りで、「よう」と馴れ馴れしく声を掛けられた。白沢が待ち構えていた。一体何の用だ。電話の続きなら聞きたくない。「違うけど」と白沢は言った。

「水ぶっ掛けられたんだって?」

 やはり、噂が広まるのは、この狭い学校では殊更に早い。白沢は私のズボンの辺りを指差した。

「ノーパン?」

 デリカシーや自重という言葉は、この男の辞書に無いのか。私をからかって楽しもうと言うのなら、とんだ思い違いだ。そんな挑発には乗らない。無視を決め込んで、横をすり抜ける。「ムカつく」と呟くのが聞こえたが、意味を間違えているのだろうか、白沢の側がする発言じゃない。

「待てよ」

 と後ろから呼び止めようとするが、それに従ってやる義理はどこにも無い。

「あんたを待ってたんだ」

 馬鹿にする為にか? 知った事じゃない。答えもしないのに、白沢は付いて来る。お前と一緒に帰るつもりは無いと言っても、「じゃあ付いて行く」と言う。その癖、肛門の辺りに差し掛かると「自転車取ってくるから待って」と、辻褄の合わない事を言い出す。誰が待つか。

 道路に出て引き離したが、自転車に跨った白沢に、横付けされる。全く、私に付き纏って何が楽しいのか解らない。

「今日はアレと一緒じゃないんだな」

 清水君の事なら、アレなんて呼び方をするな。それに、清水君と私とはそういう関係じゃない。同じ事を二度も言わせるな。「怒るなよ、キティちゃん」と蒸し返すが、当のキティは今、体操着袋の中だ。

 こいつには何を言い返しても無駄だ。足を速めても、白沢はそれに合わせる。走って逃げたとしても、自転車ですぐに追い付かれるだろう。今は家に辿り着くまで辛抱する他に手が無かった。

 幸いな事に、私が黙っていると白沢の方も何も言ってこない。馬鹿にするにも反撃が無いのでは詰まらないと思ったのかも知れない。しかし、暫くしてから、白沢がおもむろに口を開いた。

「あんた騙されてるよ」

 清水君にか? 一体何を根拠にそんな出任せを言えるんだ。

 ああ、解った。これは邪推だ。嫉妬だ。思えば白沢は、初めて顔を合わせて以来、執拗に私に絡んでくる。私に惚れてるのか。そう考えてみると、全てに納得がいく。原稿を直したのも、善意ではなく好意からだ。

 だとしたら、嬉しくない。そんな気持ちはいらない。私が好きなのは清水君だ。白沢なんかは、どうでも良い。

「あんたがそれで良いなら、後悔したって知らない」

 横槍を入れてきたのに、突き放す様な事を言う。追い縋るのを期待しているのだろうが、生憎思い通りにはならない。お前の考えなど、お見通しなんだ。

 どうかしている。狂っているとしか思えない。押し付けて、無理矢理に人心を操作しようとして。それが恋だと言うなら、そんな独善的な感情は、消え失せてしまえばいい。

 突然、白沢が私の腕を掴む。以前にされた様に、ぐいと引き寄せられる。そして言った。

「俺は守ってやれない」

 訳の解らない事を! 余計な世話以上、要らぬ節介の更に上。常軌を逸した戯言だ。誰も守護など求めていない。白沢には尚の事。思い上がりも甚だしい。

 白沢の手を振り解いて、睨み付けてやってから、私は歩き出した。白沢はもう追って来ない。代わりに「気を付けろよ」と言う声がした。

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