神社の神様
再度、社の正面に目を向ける。
「…………」
改めて見てみると、社の建物はかなり年季が入ったものだった。木造の壁や柱はいろんなところが痛んでダメになっているし、埃や屑ゴミの類が溜まって明らかに手入れもされてないよう。神様を呼ぶ役目となる鐘もすっかり錆び付いて音が鳴る気配がないし、肝心の賽銭箱も、長年風雨に晒されたせいか、もう形を保っているのがやっとと言わんばかりにボロボロだ。……限界神社とはまさにこのこと。たぶん大抵の人は、わざわざこんなさびれた神社でお参りしようなどとは思わないだろう。
「…………」
それは俺も例外ではない。
――たぶんいつもだったら、そう思った。
けれどこれも何かの縁なのだろう。
そう思って俺は、おもむろに財布の中から一枚の五十円玉を取り出し、そっともしかしたらもう使われてはいないのかもしれないそのお賽銭箱に、放り入れた。それから壊さないように慎重に神社の鐘を鳴らし(結局鳴らなかったけど)、二つ柏手を打つ。
パン、パン――
目をつむり、静かに願いを唱えようとする。
――とはいえ急なお参りだったので、すぐには願い事が思い浮かばない。でも五十円も入れちゃったしなぁ……なんて思って、俺は必死に願い事を絞り出す。すると、あ、そうだ……と一つだけお参りしたい願い事を思い出す。
「……どうか、頭が良くなりますように」
神妙に、祈りを捧げる。
それは、俺がこの先一人で生きていくために、最も必要なもの。
自慢じゃないが俺は、頭がよくない。透司郎なんて古風な名前つけられて周囲のハードルが上がってるせいもあるが、中間、期末試験はだいたい下の方にいることが多い。正直勉強は苦手だ。……けれど両親を亡くした今、俺が将来に渡って一人でちゃんとした生活を送っていくためには、良い大学に入って良い会社に就職することが、必須だ。だから俺はこれから勉強に力を入れなければいけない。別にそれをいるかどうかもわからない神様に頼るつもりはないが、あえて願い事は? と聞かれれば、今はそれが俺の願い事だろう。だから俺は、祈る。
『どうか頭が、良くなりますように』
再度頭の中だけで、願うのではなく自分自身に宣言するかのように。
俺は祈る。
――すると予想だにしないことが起きた。
「ふっふっふ……その願い、我が聞き入れてしんぜよう!」
「――――は? って、うおっ!?」
急にどこからともなく、それはそれは大胆不敵な声が聞こえてくる。加えて、社の中から突然、パ――っと、通常ではあり得ないほどの眩しい光が漏れ出てくる。その突然の事態に俺がどぎまぎしていると、やがてバンッ! と大きな音を立てて社の戸が両サイドに勢いよく開かれた。
「ぴるてん、ぴるてん、ぴぴるかまい! 彼の者に最上の頭脳を与えよ!」
「――な、なんだ!? うわぁあ!」
果てには、社の中にいた謎の人物が、不思議な呪文とともに俺に神々しい光の風を浴びせてきたので、俺は思わず両腕で顔をガードして後ずさった。けれどその光自体には全く害がないらしく、謎の人物はたっぷり光の風を俺に浴びせ終えると、唐突に質問してきた。
「では、答えよ! 1097×3753は!?」
――ていうかそれは算数の問題だった。あまりに訳のわからない状況に、俺はまだ背後の後光で顔がよく見えないその人物に、言い放つ。
「な、なんだよ急に、てめえ! つうか、わかるわけねえだろ、そんな問題ッ!! 紙か電卓でもないと無理だっつの!」
「いいから、いいから、考えてみてください、ほら」
「だからっ――ん?」
しかし言われてふと数字を思い浮かべただけで、なぜか頭の中に答えが思い浮かんでくる。
「4117041」
試しに思い浮かんだ数字をそのまま口に出してみる。
すると謎の人物が言う。
「――せいかい! では次は」
言って謎の人物が頭の中を整理するようにくるくる指を顔の前で回す。
そして間も無く次の問題を告げてくる。
「37457×91573は!?」
さっきより一個ケタ数が増えてはいたが、不思議なことに全然苦にはならない。どころか、言われた数字を頭の中に思い浮かべただけで、まるで自分の頭がそのまま電卓になってしまったみたいに、次々と示された数字を掛け合わし、足し、答えを導いていく。しかも普段だったらどんなに時間がかかっても絶対無理だろうその作業を、たった数秒の間に。
「……3430049861」
頭の中にはっきり出てきたその数字を口に出すと、再度謎の人物が笑って俺に言う。
「せいかい……! ふふ、うまくいったみたいですね、よかった!」
お、おお……! すげえ! なんだこれ。これがいわゆる天才の頭脳というやつなんだろうか? 今まではたとえ紙に書いて計算しても途中で間違えがちだったのに、今は頭の中でもとんと正確に計算することができてしまう。これは単なる計算問題に過ぎなかったが、おそらく他の教科、例えば暗記系の歴史科目や、どちらにも属さない英語なんかでも今やはるかに能力が上がってるのは確認するまでもないのだろう。それほど今の俺の頭には、不思議な高揚感というか、何に対しても研ぎ澄まされた思考能力があることをうかがわせた。
けれど……
「では、最後の問題です!」
謎の人物が指を突き立てて、さも楽しげに俺に言う。
しかし一方の俺はというと、いまいち気乗りがしない……
というのも、頭良くなったのはすごく嬉しいんだけど、なんかモヤモヤするんだよなぁ。
確かに俺は頭が良くなりたいと今しがたお参りしてお願いしてみた訳だし、頭がよくなれば俺の目標が、誰にも頼らず独力でちゃんと生きていく、っていう目標が、一気に達成に近づくのは間違いないさ。……けどそれは、あくまで自分の力で成し遂げるべきものであって、こんな風に神様から――いや目の前のこの誰かが神様と決まったわけではないけど――一方的に与えられた物に頼って達成するべきものではないと思うのだ。そんなこと龍河に言ったら『古臭い考え方だなぁ。いいじゃん使えるものは使えば。それが全力で生きる、ちゃんと生きるってことなんじゃないの?』とでも言われそうだけど、それでも俺は思うのだ。これは違う。――そう思った直後だった。