ピンチ
「……なんでこんなことしたんだよ、急に。俺、何かしたか?」
しーんとした部屋に俺の声だけがしっとりと響く。
しかし月沙からの返事は、聞こえてこない。
どうやらもう、月沙は眠りに入り始めているらしかった。
月沙の方からはすぅ、すぅ、とわずかに寝息の音が響いてきていた。
それを確認して俺も、仕方なく眠りにつくことにした。
本当に今日はいろいろあったせいですっかり体が疲れていたし、こっそりベッドを抜け出して明日また月沙に何か言われるのも面倒くさかった。そんなわけで俺も月沙と同じように、ゆっくりと両目を閉じ、何も映らない視界の中で眠りに落ちるその時を待ったのだった。
――しかししかし。
「すう……すう……」
隣で大きく寝息を立てる月沙とは対照的に、俺の方はというと、全く眠りに入れない。
そりゃそうだ。
いつもと違って今は、俺の隣に月沙が――というより、少なくとも見た目だけはまるで同年代にしか見えない女の子が、すやすやと寝息を立てて眠っているのだ。この状態で何の気負いもなく無心で寝られる方が、おかしいというものだろう。仕方なく俺は、狭いベッドスペースで器用に体を動かして、月沙と反対の方向に寝返りを打つ。……これで少しはマシになるだろう。そう考えた俺だったが、その考えは、あまりにも浅はかで見当違いというものだった。
「すう……すう……」
――っ!?
寝返りを打って月沙の姿が完全に視界から外れたせいで、むしろ月沙の寝息が、気配が、体温が、互いの背中越しに余計鮮明に伝わってきてしまう。
背中に感じる自分のものでないほのかな熱気は、耳に届く女の子の小さな寝息は、そして今日嫌と言うほど触れた月沙の気配は、まるで甘い毒蛇のように俺の頭の中に侵入してくる。
――このままじゃ、まずいっ。
本能的にそれを悟った俺は、全身全霊で一刻も早く眠りに落ちる努力をした。
けれど言わずもがな、睡眠とは全身全霊を使って入るものでは決してなかった。
むしろ集中したせいで圧倒的に俺の目は冴え渡ってしまい、もはやすぐに寝ることなど到底不可能な状況に陥る。とはいえいつまでもこの脈打つ心臓をとどめていられる気もしない。とにかく俺はなんとかしようと、苦肉の策で今度は逆に月沙の方に寝返りを打った。――見えずに余計強く気配を感じるぐらいなら、いっそまだ見えてた方がマシだ! そう思って再度器用に寝返りを打った俺であったが、やはりそれも浅はかで見当違いな考えだったというもので……
「すう……すう……」
――っ!?
もはや月沙の方に改めて振り向いたところで、状況は何も変わらなかった。
むしろ、悪化した。
さっきまではまだ脈打つと感じる程度だった鼓動が、今は明確に、走ってる時と同じぐらい強く速くつづみを鳴らす。ドクドクドクと、全身の血流がエマージェンシーなのか、興奮なのか、よくわからない信号を全身に向けて発信する。
――これは本当にやばいっ!!
本能が俺に警告する。
いや、俺の頭が本能に飲まれる危機を感じて、緊急退避命令を出す。
――もう明日月沙に怒られることなど構うものかっ。
俺はとうとう耐え切れなくなって、この場から逃げ出すことにした。
けれど――
「――あっ」
起き上がろうとしたら誤って、俺の指が月沙の背中に触れた。
――それが最後だった。
次自我を取り戻す時、俺ははちきれんばかりの後悔に身を焦がすことになる。




