第一幕『神社に行ったら、神様に出会った』
朝日の匂いがする。
カーテンの隙間からわずかに陽光がこぼれ、ベッドの上に眠る俺の目を柔らかにくすぐる。
「うぅ〜ん……」
でも俺はまだいまいち疲れが取れてなくて、気だるげに右に寝返りをうってその陽光をよける。
外からはかすかに鳥のさえずりなんかも聞こえてきて、もう起きる時間か……そんなことを思いながら、俺はゆっくりと目を開ける。
「午前六時半……か」
重いまぶたを押してもぞもぞと携帯を確認し、俺は仕方なく両の目に気合を入れる。
「起きない、と」
それからのそりのそりとベッドから体を出して、床に足を着地する。
着地して、さらにゆっくりと足に体重を乗せて、立ち上がる。
立ち上がったら、ふらふらとまだ寝ぼけた頭のまま俺は、部屋の外に出ていく。
バタンッ
……開けたドアを閉じる気力もない。
俺は自分の部屋のドアはそのまま放置して、とりあえず目の前のトイレの部屋へと、吸い込まれるようにしてふらふら入っていく。
バタンッ
…………ジー
キュッ、ズー、ジャーーーー
バタンッ
「ふぅ……」
そこまで来れば、ようやく少し目も覚め始めてくる。
俺はトイレに入る前よりかはずっとシャキッとした頭で、開けっ放しの自分の部屋のドアをバタンと閉じて、そのまま階段を降りて一階に出る。一階に出たら、ドアを一つ開けてリビングに入って、キッチンで蛇口をひねりコップに水道水を入れて、一気に飲みほす。
グッ、グッ、グッ……ふぅ!
「美味い……」
喉を通るひんやりした水のおかげで(実際は水道水そのままなので、そこまで冷たくないけども)すっかり頭が覚醒し、俺はリビングのレースカーテンの向こうに外の晴れやかな空気を見る。
「いい天気だ。新学期初日には相応しすぎるくらい」
それからまた一度二階に戻って、俺は学校にいく準備をする。
朝六時半は、学校を行く準備をするには少し早すぎる時間だ。
けれど今の俺にはそれぐらいがちょうどいい。
なぜなら今の俺には朝ごはんを作ってくれる両親もいなければ、俺が遅刻しそうになったら慌てて起こしに来てくれるような兄妹もいない。テレビだって朝起きて自分でつけない限り勝手についてるなんてことはないし、朝ごはんを食べたら当然洗い物だって自分でこなさなければいけない。ベッドの上の乱れた布団を直すのも自分でやらないといけないし、服だって脱いだら脱ぎ散らかしておくなんてことも、もうできない。脱ぎ散らかされた服は自分が畳まない限り、永遠にそのままなのだから。だから今は、朝六時半に起きるぐらいが、きっとちょうどいい。
制服に腕を通す。
昨晩のうちに準備完了しておい学校鞄を持ち上げる。
当然、ベッドも寝る時に来ていた服も、もう片付け済みだ。
俺は静かに再度自分の部屋のドアを開けると、また静かに部屋を出て、そのドアを後ろ手で閉める。
キー……カチャン
家にはもう、俺以外誰もいない。
けどそれももう、慣れた。
朝日だけが明るく照らす家の中を、俺は静かに玄関まで歩いて行き、学校用の外靴を履く。
いってきますも、もう言わない。
それももう、すっかり慣れた。この春休みで。
俺こと十六夜透司郎は、この春、とうとう天涯孤独の身となった。
もともと俺の家系は、親類が少なかった。
俺が物心つく前にはもう父親は亡くなっており、父方の祖父母も時を同じくしてこの世を去った。
残された母方は、もともと祖父母はすでに他界しており、両親揃って兄弟は一人もいなかったため、その時点で付き合いのある親類は完全に途絶えたと言っていい。それ以来俺と母親は、父の残した数え六部屋もある大きな二階建ての家に、二人きりで暮らしてきた。それはそれは慎ましく、けれど明るく。
『透くん、朝だよ……!』
母さんは毎朝そんな風に、親類を一切なくした寂しさなど全く感じさせない笑顔で、俺のことを起こしてくれていた。
けれどとうとうその母さんまでこの世を去ったのが、つい数週間前のことだ。
『ごめんね……透くん。私もう、ダメみたい』
つい数週間前のことなのに、母さんのその最後の笑顔を見たのが、もう随分昔のことみたく感じられる。
俺が最後に母さんの病室を訪れた時、母さんはいつもどおりの優しい笑顔で、けれどほんの少しだけ寂しそうにして、俺に言った。
『ごめんね、透くん……一人にして』
俺は母さんのその笑顔を、今でも思い出す。
それから数日後、俺は、最後の肉親たる母親を失い、中学一年生の終わりにして、とうとうあの広い家で一人きりの存在となった。