その15
「ヒナコ?」
ツトムが僕に言う。
「知ってるの?」
「いや、全く知らない」
ツトムが申し訳なさそうに言う。
「ガッチは?」
勝幸も首を振った。
同じように勝彦も首を振る。
「だよね・・・」
僕は手紙と向日葵の種を瓶に仕舞い込んだ。
「この瓶は上流から流れて来たんじゃろ。じゃったら、ヒナコっちゅう子はこの先に住んどるんじゃろな」
ツトムが網を肩に掛けながら日焼けした腕を叩いた。叩いた掌を見ると赤い血が見えた。
「蚊じゃ」
うへ、と勝彦が言う。
「上流か・・」
勝幸が神妙な顔をして考え込む。何かを思い出そうとしている。
「どうしたの、ガッチ?」
僕が声をかける。
「いや・・なんでもないがじゃ」
慌てて勝幸が僕の方を見て手を振った。
「そう」
僕は勝幸から目を離してツトムを見た。
「ツトムは確かこの川の上の方に親戚がいたのだよね。誰か思いつかない?」
僕はそう言って、少ししまったという顔をした。ツトムが少し渋い顔をして頷く。僕がしまったなと思ったのは、ツトムの両親は今年離婚した。今、ツトムは父の祖父母の所で生活している。
離婚後、ツトムの母親はこの川の上手にある東郷という地区に今は住んでいる。僕の母親はツトムの母親とは仲良しだ。だからその辺の事情を勝幸、勝彦兄弟よりは少し詳しい。
当然、僕がそう言った以上、母親の事を思い出したに違いない。明るくしているが、やはり子供の心は傷ついている。
僕はツトムが一人帰りながら泣いているのを何回か見たことがあった。
ちらりと伏し目でツトムの顔を見る。
渋い表情のままだった。
「で、どうすっと?」
勝幸が皆に言った。
三人が「ん?」と言う。
「その手紙の子は友達が欲しいんじゃろ。それに重い病気やと言うちょる」
「兄ちゃん、まさかその子に会いにいくと?」
勝彦が兄に言う。
僕は黙っている。
「もう、夏休みやし、自転車があるじゃろうから、ちょっとその子を探しに行ってみよう。どうじゃろう?」
僕は勝幸の顔を見ている。
「それに・・・」
勝幸が僕を見た。
「その重い病気で思い出したんじゃ。この川の上流にある鳶ケ峰を越えたところに、向日葵が沢山咲いている大きな屋敷があって、お父ぅがこの前そこに畳を持って行った時に、病弱の女の子がおった言うちょった」
「屋敷?」僕は想像した。
「どんな屋敷?」
「うん、まぁ古い屋敷かな」
勝幸の言葉で、僕は昔の庄屋が住んでいたような大きな屋敷を想像して、腕を組んだ。
(こんな田舎にある様な屋敷って、そんな感じだよね)
思いに耽っとるところに勝彦の質問が飛ぶ。
「お父ぅ、そんなこと言うちょったと?その日、確か兄ちゃんも一緒に行っちょったよね?そん時見てないの?」
勝幸が首を傾げると、顎に手を遣りまがら口をとがらせて少し目線をずらして頷く。
その顔が僕には少し惚けているように見えたが、その時僕はその勝幸の惚けた表情の意味を知らなく、それは大分たってから分かることになる。
「行こうや、皆。俺は行ってそのヒナコっちゅう子に会ってみたくなったっちゃ」
「えーやだよ、兄ちゃん。だってあそこ別名毒ケ峰って云って、毒蛇のおるところじゃろ」
「毒蛇?」
僕が目を丸くする。
ツトムが頷く。
「知ってるっちゃ。マムシとか夜になると峠道に沢山下りてくるんじゃ」
すると不意にガサッと、何かが動く音がした。
皆が一斉に凍りつく。
ゆっくりと音が鳴った方へ首を振り返ると、一羽の川鳥がそこから飛び立った。
胸をなでおろしながら、僕は言った。
「そこ、ここからどれくらいかかるの?」
「そうじゃな。車で二、三時間ぐらいかな」
ツトムが言って首を縦に振る。
「じゃ、朝早く出たら夕方には戻れるかな」
僕は勝幸に問いかけた。
「大丈夫じゃ」
勝幸が自信あるように言ったので、皆も納得した。
「ならツトムにナッちゃん、明日、家に朝九時に来てよ。お菓子とかできるだけ持って来て。地図は勝彦が用意するから」
勝幸の言葉の後に「えー」と勝彦が言う。
「毒蛇は嫌だよ」
僕も心の中でそれは嫌だなと思った。
ふとツトムの顔を見ると渋い顔をしている。
(ツトムは毒蛇より、嫌な事かも)
僕はツトムの心を推し量りながら、瓶をズボンのポケットに仕舞い込んだ。




