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向日葵を探しに  作者: 日南田 ウヲ
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はじまり

ーー1980年代、それは戦後日本がようやく昭和という時代の『責任と答え』を出し始めた時代。


 そして少年達誰もが、そんな時代を生きる『責任と答え』を探していた。


 それは大人になる為に。








 大阪環状線の天満駅を出て少し歩いたところに妹の入院した病院があった。三日前、妹の夫から連絡を受けた僕は週末の今日、妹を見舞うために病院にやって来た。

 早朝から降り出した激しい雨はぴたりと止み、代わりに夏の眩しい陽がアスファルトに反射して目を細めないといけないくらいの午後になった。

 横断歩道を渡り、高下沿いに進むと病院が見え、僕は中へと入った。受付で妹の入院した病室を聞くとエレベータに乗ってそのフロアで降りる。

 部屋番号を小さく口に出して部屋を探しながら廊下を歩いていると奥の部屋から男性が出て来るのが見えた。

 妹の夫だった。

「良一君!」

 僕が声をかけるとこちらを見た。両手に抱えた洗面道具が揺れて、彼は笑顔で僕に答えた。

「ああ、義兄さん。来ていただけたのですか」

 僕は頷くと、彼は笑顔を崩さずこちらに足早にやって来て、軽く会釈をした。

「すいません、お仕事で忙しいのに。唯の貧血で倒れただけなのに大騒ぎして僕が電話をしたばかりに、お義父さんやお義母さんにも心配をさせてしまって・・」

 すまなさそうに言う彼の背に僕は手をやった。

「何、良一君。気にすることは無いよ。結果としては大事にいたらなかった小さなことなのかもしれないけど、こうして連絡を頂けるということはそれだけ君が妹と僕達家族を大事にしてくれているということなのだから」

 僕はちらりと病室を見る。

「それで妹はどうだい?その後」

 ええ、と彼は言う。

「すこし仕事疲れが出たのでしょうと医者は言っています。このところ帰りが遅かったものですから」

 そう言って目線を病室へ移した。

「IT業界も忙しいのだね」

「そうですね」

「僕の働く海運業なんて全くさっぱりだというのに」

 僕は顎の少し伸びた髭を触る。

「僕の不動産業も駄目ですけど」

 そう言って二人でふと目線を合わすと何とも言えない笑みを浮かべた。

「妹には会えるかい?」

「ええ、どうぞ。今丁度、顔を洗っていたところです。それで眉毛を書く化粧道具を持って来てなかったので、今、頼子に近くのドラッグストアまで買い出しに行かされたところですよ」

 笑いながら僕は言う。

「ここは病院だろう?必要かい、化粧なんて」

「さぁ、それが何とも・・ですがね」

 彼も笑う。

「まぁそれが女ってやつなのだろうね」

 僕はそれで歩き出した。

「義兄さん、十五分ぐらいで戻ると頼子に言ってください」

 僕は頷くと奥の病室へ入った。

 病室はカーテンで間仕切られた四人部屋で奥の窓が開いていた。目を凝らすと窓向うに都会の雨上がりの午後の空が広がって見える。

 そこから風が吹くのか、間仕切りのカーテンが揺れていた。

 僕は静かに音を立てずに窓まで歩いて、立ち止まって窓の向こうの空を見た。

 カーテンの奥で影が動いた。

「兄さん?」

 立ち止まって窓の向こうの空を見ている僕に妹の声が聞こえた。

「兄さんじゃない?」

 僕はカーテンをゆっくり開けると妹の顔を見て人差し指を自分の口元に寄せた。

「静かに」

 そう言って妹のベッドの側に置かれた椅子に腰かけた。

 僕をまじまじと見ながら妹が言う。

「わざわざ、来てくれたの?」

「ああ、親父とおふくろがお前の事を心配だと言うものだからさ、ちょっと見舞いに来たよ」

「そう、それはありがとう」

 妹は額で分けた黒髪を指でなぞりながら伏し目になって言った。

「過労か?」

 うーん、と妹が言う。

「どうかな、自覚が無かったからわからなかったけど、医者は身体に大分無理が来ていたのだろうと言っていた」

「そうか」

 妹の視線を外すと窓の外から見える都会の空を見た。午後の空を雲がゆっくりと流れてゆくのが見えた。

 空を風が吹いて雲が流れていると思った時、妹が声をかけた。

「ねぇ、兄さん」

 その声に振り返る。

「子供の頃、九州に居たじゃない。私が盲腸で夏休みに入院していた頃の事、覚えている?」

 僕は妹が突然言い出した言葉に首を傾げた。妹が何故そんな話を切り出して来たのか理由が分からなかった。

「あれ、覚えてない?分らないかな。ほら、兄さん、お父さんに夏休みにこっぴどく怒られたことあったでしょう。二日ほど家から消えて」

「ああ」

 僕は思い出したように声を出した。しかし要領を得ない顔つきをしているのは自分で分かる。

「夏の失踪事件か」

 疑問が頭をもたげながらも照れるようにして笑いながら言う。

「懐かしい子供の頃の事件さ。しかしそれがどうかした?」

 妹が突然切り出した話の真意を探る様に目を細めた。

「ねぇ、私さ。その時病院に入院していてその事件の結末を知らないのよね」

「何だい、急にそんなこと言って」

 顎を摩って髭を掴むと、勢いよく抜いた。引き抜いた痛みに顔をしかめる。

 そんな僕の顔を妹がまじまじと見る。

「その時の事件、うーん、子供の頃の事件さ、兄さん・・本にしてくれない?」

「本に?」

 突拍子もない言葉に僕は細めた目を丸くして妹を見た。妹は小さく笑うと傍らに置いていた雑誌を僕に渡した。

「これね、暇だから良一さんに買って来て貰ったの。でね、これを読んでいるとその中に自費出版という記事があってね、何でも本が安くて作れるらしいのよ」

「だから?」

 僕は要領を得ないまま問いかける。

「そう、その話を本にしてみたらどうかなって。大学の頃、よく外国の作家のヘッセやカポーティとか読んで小説とか書いていたじゃない?そう、その話を本にしてみたらどうかなって」

 唐突な妹の提案だった。

 大学生の頃、僕は文学青年だった。中学生、高校の頃は医者を目指して猛勉強をしていたが、自分がそのレベルに達していないというのが分かるとそれを諦めて、大学生になるとその時間を埋める様にヘッセやカポーティ、サガンやカフカなど外国の小説を読んでは、図書館に籠っては自分で小説を書いた。

 出来れば就職も出版社に勤めたかったが残念ながらそちらには縁が無く、今は海運業界で働いている。

「それに兄さんも来年四十でしょ?おまけに結婚もせず子供もいない独身。考えてみてよ、子供もいなくちゃ自分の生きて来た証なんて誰にも伝えるのもできない。そこで私考えたのよ。じゃぁさ、せめて自分の記念事業としてそう言うことして後世に残してみたらどうかなって」

 含み笑いをして妹が言うように正直に言えばそんなことを感じないことは無い。

(成程な…確かに誰にも伝えることなんてできやしない)

 十代から二十代になった時はそれほど感じなかった年齢の重みが、四十を迎える今は良く分かる。仕事に明け暮れる日々に年齢を重ねてきただけだと言えば僕の人生はそれだけになる。

 妹の提案は開かれた窓から吹く風のようで、それが僕の心を優しく撫でるのを感じた。それでも何故か僕には釈然としないものが残った。それは妹がまだ真意を僕に伝えていないと言うことを直感的に感じていたからかもしれない。

 だから

「本当にそんな理由なのかい?僕に本を書けというのは」

 僕は疑問を正直にぶつけた。

 妹はじっと僕を見てやがて言った。

「それに…」

 妹が目を伏せる。

「私達夫婦に子供が授かったら、読み聞かせてあげたいのよ。伯父さんの子供の頃の秘密と言ってね」

「読み聞かせるだって?」

 ちょっとした僕の驚きに妹が口元を緩めて思わせぶりな表情をして言った。

「そう、子供もいなくて寂しい老後を過ごすだろう兄さんの事を、私が大層親切に子供に伝えてあげる」

「おいおい」

 なんてことを、と言う前に妹が話し出す。

「…あのね、伯父さんはねぇ、真面目そうな顔してるけど、実は子供の頃に勝手に失踪しちゃうような手のつけられない我儘腕白小僧だったのよって!!」

 最後に妹は僕の顔をまじまじと見つめて、それから指を指して大きく笑った。

(なんだ…そう言うことか)

 妹の目が輝いている。

「わかった。悪くない話だ。伯父さんの恥ずかしい思い出を甥っ子、姪っ子に伝えるのは僕の大事な仕事だ」

「でしょう?」

 また二人で笑った。

「そうだ。大事な仕事だ」

「そう、来年までに必ず…ね?」

「来年?」

「そう。私達夫婦もそれまでに…」

 そうか、と僕は鼻を拭いて無言で頷いた。

 すると夫の良一君がカーテン越しに現れた。

「あら、早いわね。三十分ぐらいかなと思っていたけど」

 少し驚いて妹が言う。

 慌てて僕が言った。

「ああ、忘れていたよ。さっき良一君に廊下で会って、十五分ぐらいで戻ると伝えてくれと言われていたんだ」

「ちょっと兄さん、ちゃんと伝えてよね。でないと私達の企みが立ち聞きされて良一さんにばれちゃうじゃない」

 妹が口元に手を寄せて笑う。それにつられて僕も笑った。

 そんな僕らの側で一人買い物袋を持って立つ夫が、妻に言った。

「頼子、企みって何だい?まさかファンデーションが足りないとか言ってまた僕に買い物に行かせて、その企みの続きを義兄さんとするんじゃないだろうね」


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