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帰郷の風  作者: 宮音 詩織
8/29

*8

 リズは両手を大きく振り、一生懸命に前へ前へと歩いている。そのすぐ後ろをガダックが、彼女を気遣いながら歩いている。その二人の数歩後ろを、ローディは無気力な顔をして歩いていた。

 なぜリズを村に置いてこなかったのか、疑問が湧いて出る。悔やんでもいる。彼女さえ置いてくれば、自分はまた自由気ままに、その日を生きるためだけに生きていくことができた。だが今、この状況を受け入れている自分もいる。ローディには、それが不思議でならなかった。

 大地は相変わらず見通しがよいまま、草もまばらで精彩はない。空には雲が広がっているが、風は乾いており、雨が降る気配はない。

 ふいにリズが立ち止まった。ローディは猟銃を抜いた。辺りに注意を払いながら、リズをちらりと見やる。

「へえ、なかなかカンがいいじゃねえか、チビ」

 リズはしかし、ローディの言葉を耳に入れるほどの余裕はないようだった。すっかり怯えた顔でガダックにしがみついている。ガダックは腰に佩いた大きな剣を鞘ごと外し、引き抜いた。鞘をリズの手に持たせる。

「さあ、少し下がっていなさい」

 片手で手早く荷を下ろし、リズの傍に置く。その大きな荷は、小さなリズの防護壁のようにも見えた。リズは鞘を小さな両手で抱きかかえた。泣き出しそうな顔をしているものの、大人二人の警戒する先を、果敢にも睨みつけている。

 ガダックは前に出た。ローディが銃を構えつつ、彼の斜め後ろに立つ。ガダックは振り返らず、ローディに言った。

「弾を無駄に使うな。あの程度なら、手斧で十分渡り合えるだろう?」

「買いかぶってくれるなよ、じいさん。だいたい俺は、そこいらのゴロツキと同じ種類の男だ」

 ローディは言いながら銃を構え、狙いを定めた。二人の見据える正面から、土煙が近づいてくる。立つ旗は〈狩人〉のものに違いない。人影を見るに、それほど大人数で動いているわけではないようだった。

「こんなとこまで、ご苦労なこった」

 ローディの銃が火を噴いた。直後、〈狩人〉たちの中でざわめきが起こった。ガダックが感心するような声を上げた。

「ほう、この距離で当てたか」

「まぐれだ」

 言うが、声音はまっすぐ落ちついている。レバーを下げ、再装填。〈狩人〉がこちらに向けて発砲してきた。が、どの弾も当たらない。どころか、本当にこちらへ飛んできているのかさえ怪しい。ガダックが落ち着いた声を出す。

「ふむ、手練はいないらしい」

 ローディを横目でちらりと見やり、彼は剣を振りまわした。

「では、次はこちらの腕を見せよう」

「そんな得物でかぁ?」

 言葉だけは茶化すようだが、老人を疑う声ではない。ローディは面白がるように口の端を上げていた。火薬を手に入れることが特に難しい西方の民は、農具を鍛えるのと同じ要領で造られた鉄の剣を扱う。しかしガダックの手にあるそれは、見事に鍛え上げられた鋼の剣だった。どこぞの武器商人から買ったのか、それとも〈狩人〉から奪ったのか。少なくとも、素人が持つ護身用のなまくらとは明らかに違うものだった。

 〈狩人〉たちが近づいてくる。銃声が聞こえる。ガダックは腰を落とした。身にまとう武装が金属の音を立てる。しかしそれに慣れた老人は、まるで重さを感じさせない勢いで走りだした。

 〈狩人〉の数名が抜刀した。銃を構える者もいる。ローディがガダックの背後から銃を撃った。〈狩人〉の一人が、銃を取り落とす。レバーを下げ、もう一発。血を噴き出して、男が倒れる。

 薙ぎ払われた剣が、鮮血を撒き散らしながら鈍い銀に光る。筋肉で盛り上がった老人の強靭な肩が、容赦なく剣を振りまわす。そのたびに骨が砕け、肉の潰れる耳障りな音が鳴る。悲鳴にもならぬ声が上がる。その間にも、断続的な銃声が絶えず男たちを撃ち抜いていく。

 剣を肩の後ろまで大きく振りかぶり、ガダックはそれを振り下ろした。脳天への一撃が赤いしぶきを上げさせる。銃声が一発。腹に穴の空いた男が地面に転がり、激しく身悶えする。ガダックはその男の首を一太刀で落とした。それが最後だった。

 ローディは銃を降ろした。

「おお、すげえな、こりゃ」

 辺りはまさしく血の海である。ガダックはそこで改めて自らを省み、返り血を浴びすぎたことを悟ったようだった。苦々しい顔で全身を見下ろす。しかし彼は死んだ〈狩人〉の衣服を引き裂き、剣を拭うことは忘れなかった。

 ローディは〈狩人〉たちの様子を見回した。まだ息のある者もいる。しかし、二度と起き上がることはできないに違いない。血を出しすぎている。臓物の飛び出た者さえいる始末である。よく見れば、ローディとさほど変わらないか、それより若いかもしれないという歳の若者ばかりであった。それを察し、ガダックが顔面蒼白になって、打ちひしがれたようにうなだれた。しかしすぐ顔を上げ、大ぶりのナイフを抜いた。それを握り、一人ひとりの息を確かめ、首に手をやって脈拍を確かめてから、止めを刺した。

 老人が苦しみを終わらせる傍らで、ローディは〈狩人〉の死体から銃や火薬、食料品を回収した。血に濡れて駄目になったものもあるが、使えるものをよりわけると、想像以上の収穫である。

「運が良かったな」

「全くだ」

 てっきりたしなめるかと思われた老人が、乾いた声ながら同意を示したのに、ローディは驚いた。目を見開き、少しの間、老人の横顔を観察する。そこにあったのは、ひどく疲れ、老いぼれた顔である。土気色の頬は、そのまま死んでもおかしくなさそうに思われた。

 その時、幼い声が耳に届いた。

「じいじ!」

 大きな鞘を抱え、リズが走ってくる。血の海と死体の山を目にし、さすがに怯えた様子を見せる。が、ガダックを見つめる様子は、ただ純粋に彼を心配しているものだった。

「じいじ、怪我? 痛い?」

 幼子は鞘をしっかりと抱きしめたまま、死体の転がる場に足を踏み入れた。血だまりや屍を踏まないように注意して歩きつつ、ガダックのそばまで来る。ガダックはただ戸惑った様子で彼女を見下ろすばかりだ。ローディもまた、戸惑いを隠しきれなかった。

「ガキってのは……いや、こいつが……」

 望む道を行くためには、これから先も死体を積み上げなければならない。そのことを、この幼子は理解して、受け入れているのだろう。死体の山の中で一命を取り留めた彼女にとって、生きて武器を振りかざす人間よりは、死体の方がまだ安全だと判断できる相手なのかもしれない。

 リズは鞘を地面に立てて片手で抱え、もう片手でガダックの脚にとりすがった。

「じいじ、じいじ!」

 ガダックは我に返ったように目を瞬かせた。ほお、と大きく息を吐くと、その表情はもう、静かで強かな男の顔に戻っていた。彼は目を細め、しゃがんでリズと視線を合わせた。

「大丈夫だ、じいじが悪党などに負けるものか」

 そう言って手を伸ばしかけ、べとりと赤く汚れた自分のそれを見て、引っ込める。リズは返り血も構わず、ガダックに抱きついた。放り出された鞘が倒れた。

 生暖かい風が吹いた。血の臭いが広がった。ローディは息が詰まるような気がして、顔をしかめた。リズの、じいじ、という声ばかりが耳に届く。なんとなく落ち着かず、妙な感覚が胸にあって不快ではあったが、彼は特に何をするでもなく、奪取したものを持って、荷物を置いたところへ歩いた。その背中に、幼子の声を感じながら。


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