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帰郷の風  作者: 宮音 詩織
6/29

*6

 空はよく晴れ、風が雲を押し流しては太陽を遮り、地面にその影がまだらに広がっていた。相変わらず荒れた大地には、三人のほかに歩いている者はない。小型の肉食獣や、それに追われるトカゲやネズミが、時おり姿を見せるくらいだ。

 遠くに石垣が見えてきた。人の背丈くらいはありそうだ。左右に長く広がっている。小さな村一つを囲むように組まれたものらしい。以前には野獣対策であったろうが、今ではこうした壁のほとんどが、〈狩人〉を意識しているものだ。近づけば、その壁は整備されていることがわかった。苔がはがされ、雑草がむしられ、脆くなった石を組み直した跡がある。

 ガダックが、ふう、と力を抜くように息をついた。

「人が暮らしているな」

 声音に安堵が滲み出る。

 ローディは足を止め、老人と幼子を振り返った。

 リズはガダックの隣にぴたりと寄り添っていた。ガダックも、孫を慈しむ祖父そのものの様子でリズを気遣いながら歩いていたのだった。その二人も今は立ち止まり、ローディを見つめ返してきている。ローディは肩をすくめた。

「いや、なんで俺?」

「立ち寄るべきか否かは、わしの独断では決められん。野盗の巣であるかどうかの見極めは、このじじいよりお前のほうが得意そうだ」

 ローディは顔をしかめて見せたが、老人の考えは変わらないようだった。ローディは、仕方ねえな、と呟いて頭を掻いた。

「俺は、これは安全だと思うけどな。もし野盗どもがうようよしてたり、なんかの罠が張ってあったりしたって、責任はとらねえぞ」

「そう釘を刺さずとも、責めたりなどせん」

 ガダックは言い、リズを見下ろして同意を求めた。リズは小首を傾げ、そしてローディの目を真っ直ぐに見つめてきた。ローディは思わず身を引いた。幼子の目は、まるで何もかも見抜こうとしているかのように、ローディには感じられた。やがて幼子は老人へ視線を戻し、頷いた。

「うそ、つかない」

 その主語は、ローディは、であろう。それを察して、ローディは苦々しい顔をした。

 村の入り口は反対側にあったので、三人は石垣を大きく回り込んだ。石垣は案外大きく広がっていて、回るのにかなりの時間を要した。その間、ちらちらと様子を覗かれているのがわかった。物見の台が設置されているのだろう、石垣の向こうに、人の頭がのぞいては引っ込む。三人が村の門についたと同時に、木で造られたその門が開いた。

 村には畑があった。何かの穀物を育てているらしい。所々に木も植えられている。このあたりでは木材の調達は困難であるから、それを補てんするためのものだろう。建物は、住居に作業場や倉庫も含めて、三十棟あるかどうかだ。想像していたよりも村人の数は多かった。少なく見積もっても百人はいるだろう。体の大きな羊が一か所にまとめられて、のんびりと藁を食んでいた。

 村人たちは、どうやらリズを見て門を開いてくれたようだ。上から下まで羊毛の衣服をまとっている。豊かではないが、貧しくもなさそうな村だ。ローディらのことをかなり警戒しているらしく、農具や、申し訳程度の槍を手にしている。大人の男が十人ほど、青年と女が数人だ。

 ガダックが前に出た。右肩に右の拳を引きつけ、左の拳で覆うという姿勢をつくる。利き手を塞ぎ、害意のないことを伝えるものだ。そのまま無防備に、頭を深く下げる。村人たちは顔を見合わせた。武器を引く。ガダックは頭を下げたまま、口を開いた。

「我らに門を開いてくれたこと、深く感謝の意を示したい」

 ついては、食料の調達と、できれば一晩の宿を。ガダックが言うと、村人たちは低い声で何やら意見を交わした。一人がぱっと身をひるがえし、使いに走る。村長へ指示を仰ぎに向かったのだろう。武器を持つ人々の視線は、だいたいがローディに据えられていた。それはそうだろう、とはローディ自身も思うことだ。なにしろ、全身に武器を備えている。それも、簡単には手に入れることのできない銃を二丁も持っているのだ。〈狩人〉の死体から剥ぎ取ったものであるが、それを説明したところで、不信感を積み増すだけだろう。死体漁りをするのは野盗と決まっているからだ。

 そうだよなあ、とローディは呟いた。彼自身、野盗そのものではないか、と思い至る。と、その思考を、握る手の感触が遮った。横目で見下ろすと、リズが、ローディの指をしっかりと握っていた。緊張にこわばった表情で村人たちを見つめている。ローディはその意図を察した。この幼子は、ローディに危険がないことを村人たちに示しているのだ。ローディは内心で舌を巻いた。

 やがて現れた体躯の良い男と、ガダックが話を始めた。おそらくこの男が村長の代理人だろう。ローディは表情に愛想を貼りつけておくことにした。唇を笑みの形に曲げて、目を細めておけばとりあえずはしのげるだろう。男は胡散臭げにローディを観察し、ガダックを見て、そしてリズへ目をやった。

「わかった、水と保存食は、わずかだが提供しよう。そちらの子供にはベッドも与えようと思う。だが、お前たちに貸せる屋根はない」

「それだけで十分、ありがたい」

 ガダックは心底から感謝の声を上げた。ローディも表情を緩めた。最悪、水さえ得られればよいと思っていたのだ。予想以上の収穫に、喜びがわき上がる。リズが彼らの表情を見上げ、事態が好転したことを知って、ほっと息をついた。

 リズは村長の家に連れていかれることになった。そこで食事を与えられ、寝床を提供されるらしい。だがリズは、ガダックにしがみついて離れようとしなかった。

「リズ、そう怯えてはいけない。この方たちは親切で、おまえに施しをくれるのだ」

 ガダックがなだめすかすが、なかなか納得しない。リズが縋るようにローディを見上げてきたので、ローディはあごをしゃくり、行っちまえ、と短く放った。それを聞き、リズは不服そうな顔をしつつ老人から離れた。不安げに、見知らぬ大人たちの導くに従って、連れられていく。それを見届け、ガダックが大きく息を吐いた。

「さて、我らは村人の望む場所で横になろう。石垣の内側で眠ることができるだけでも、ありがたいことだ」

 力を抜いている。その姿勢は隙だらけだ。ローディは、おいおい、と声をかけたが、ガダックは表情を和らげたままだ。

「疑えばきりがないのは、こちらも向こうも同じことだ。なれば、信用するしかなかろう。我らはこの村の裏をかかぬ。それと同じに、村も我らには手出しをせんだろう。向こうがリズを人質としたならば、こちらにはおまえの銃と、わしの剣がある」

 老人が村人たちと交わした取引に、ローディは関心して声を上げた。

「よくもまあ、きれいにまとめたもんだな」

「だてに年老いてはおらんよ」

 ガダックは、ふふ、と低く声を立てて笑った。ローディもそれに釣られ、口の端が上がった。村人から声がかかる。

「悪いが、お前たちはあっちだ」

 指差された先は、どう考えても廃棄物置き場だった。どうしようもなく壊れた家具や農具などが置かれた一角だ。あとは燃やすか鉄くずにするかというものばかりが雑多に積み上げられている。それでも文句は言えないだろう。小さな村にとっては全ての場所、全てのものが必要なものだ。それをわざわざ余所者の近くに置いておくほど、お人よしではいられない。安全な石垣の内側で一晩を過ごすことが許されただけでも、よほど幸運なのだ。

 村人はローディとガダックに、毛布と食事を運んできた。火を焚くことは禁止されたが、石垣の物見台に見張りが立って、近くには松明が燃えていたので、視界に問題はないだろう。

 柔らかく煮た雑穀と羊肉の粥を、ローディは冷ましもせずに掻きこもうとした。ガダックが笑う。

「そう急かずとも、ここではゆっくり食事をして構わんだろう。これほどまともなものはそうそう口にできんのだから、味わえばよい」

「据わりが悪い」

 ローディは老人のほうを見もせず返し、粥を啜り込んだ。老人は自分の言葉通りに、香草のきいた粥を味わっている。ローディはそれを横目で見つつ、粥を胃に流し終えた。

 陽はどんどん暮れてゆく。ローディもガダックも互いになにも言わず、黙って睡魔が訪れるのを待っていた。村人たちは食器を下げにきたほかには、近付いてくることはない。たまに視線は感じるが、そちらに向こうとすれば、すぐに逸らされる。村人たちが会話しているらしい声や、生活の音が絶えず聞こえる。静寂とは程遠いが、それがかえって、自分たちのあいだにある沈黙を感じさせてくる。

 暗がりの中に、人影が揺れた。ローディはナイフに手をかけ、誰何した。

「誰だ、なんの用だ?」

 物陰から顔を出したのは、うら若い乙女だった。器量はよく、着ている衣服にも趣向が凝らされているのが一見してわかる。つまり、そういう年頃の女、ということだ。彼女はローディのほうへ、熱のこもった視線を注いでいた。

「ねえ……あたしの家に来ない?」

 ローディはナイフから手を離した。乙女は物陰から声をかけてきている。その位置取りの絶妙なことに、ローディは思わず感心した。つまり、ローディからはよく見え、ガダックからは遮られ、見張りの村人たちからは全く認識されないであろう位置だ。

「目的は?」

「別に、なんでもいいでしょ?」

 言いつつ、彼女はスカートの裾を指先で引っかけ、揺らした。よく見れば、胸元の大きく開いた服を着ている。彼女は自分の鎖骨に、思わせぶりに指を這わせた。

「面白いお話、してくれそうだなあって」

「ガキのくせに色仕掛けか」

 ローディは、いかにも興味がないという顔で言い放つ。横にいる老人は動かない。眠っているかのように見えるが、呼吸の様子からはそうと思えなかった。成り行きを伺っているのだろう。ローディを止めたり、意見したりする様子はない。ただ静観している。

 乙女は唇を尖らせた。

「ねえ、あんた強いんでしょ、すごいんでしょ?」

 身をしならせ、ローディに歩みよる。その瞳は、妙な光を帯びている。

「村の男たちなんてつまんない……あんたなら、いいよ、あげるから、さ」

 ローディはゆっくりと立ち上がった。乙女が口元に淫靡な笑みを添え、腕を伸ばしてくる。それを、ローディは手の甲で押さえ、止めた。

「消えろ」

 乙女の足元に唾を吐く。

「てめえは、俺の一番嫌いな種類の女だ」

 乙女は、理解が追いつかないのか、呆けた顔をしていた。少しの沈黙、ややあって、彼女は怒りと羞恥に顔を赤くした。

「なにを、あたしが、誘ってやってるのに」

「いらねえっつってんだよ」

 ローディの声が、より低く重いものになる。苛立ちを通り越した、激しい怒りを無理やり抑えた声。

「失せろ」

 その眼光は、人を見るものではない。乙女の喉の奥から、ひっ、と声が漏れ出た。膝が震えている。

「失せろ!」

 一喝。それに叩かれたかのように乙女は悲鳴を上げ、きびすを返して走り去った。

 辺りに静けさが戻る。ローディは警戒した。先の悲鳴を聞きつけ、村人たちが武器を手に迫ってくる可能性もあるからだ。が、村が動いたような気配はなかった。

「……乱暴した、って嘘つかれるかもしれねえな」

「そのような狂言を真に受けるほど、愚かな者ばかりではなかろうよ」

 落ちついた声で、ガダックが返す。それよりも、と彼は続けた。

「おまえ、その若さでもう枯れているのか?」

「冗談言うなよ、商売女のほうが降参するなんてザラだ」

 あまり信じていないような声色で、老人は笑う。

「なかなか美人に迫られていたようだが?」

「ガキに手ぇ出すほど飢えちゃねえよ。それに、ああいうのには虫唾が走る」

 指先で斧の柄に触れながら、ローディは脅すように歯を見せた。

「危うく、あの顔カチ割るところだった」

「そうか」

 彼の言葉を、ガダックは穏やかな笑みをもって受け止めた。咎めることもいさめることもない。ローディは脱力し、石壁にもたれるようにして腰を下ろした。

「じいさんは、なんでそんなに余裕なんだ?」

「歳だろうよ」

 ローディは少しの間、ガダックの横顔を見つめた。村長の家の方へ目を向け、また老人へ戻す。

「チビが連れてかれてるんだぞ?」

 ガダックはローディに目を向ける。問うような眼差し。ローディは耐えられず、視線を泳がせた。その間、言葉はない。やがてガダックが小さく息を吐いた。

「もし明日、リズが手に戻らねば、そのときは報復の剣を振るうまでだ」

 思わぬ返答にローディがぎょっとして目を見開くと、ガダックは、ふっと不敵な笑みを浮かべた。

「違うか?」

 ローディはぽかんと半開きにした口を引き締め、端を吊りあげた。

「なんだ、あんたもなかなか過激じゃねえか」

「おまえさんの、若さゆえの焔の勢いには勝てん。だがな、老いのもたらす執念の火は、相手を灰にしてもなお消えんものだ」

 おお怖い、とローディは茶化したが、老人の言葉を過小に扱ったわけではない。彼はガダックと目を合わせることができなかった。ガダックは低く声を立てて笑った。

「さて、明日が楽しみじゃないか。眠ろう」

 そう言って毛布で身を包み、横になる。剣は手元に置いて、ベルトの端を握っていた。この老人は慣れている。ローディはそう悟った。村人たちが寝込みを襲ってくる可能性も視野にいれながら、それでも出された粥をすすり、身を横たえる。信頼と猜疑の綱の上を、この老人は渡ってきたのだ。

「……捨て身だからか?」

 問うたが、寝息の中に答えはなかった。


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