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リズはガダックの傍を歩くようになっていた。老人もまた、幼子の歩調に合わせて歩くのに、すっかり慣れてしまったようだった。リズの歩みを見守りながら、世話をしたくてたまらないのをこらえているようだ。彼女がつんのめったりよろけたりするたびに、声をかける。幼子は頷いたり首を振ったりして、老人へ答える。
「いちど子育てを終えた身ながら、よく覚えているものだな」
その言葉に、先を歩いていたローディが振り返って、大げさに眉をひそめた。
「おいおい、息子って、俺はてっきりガキを想像してたぞ」
「親にとっては、子供はいつまでも子供なのだよ」
ガダックは目を細め、リズを見下ろした。リズも、その黒く大きな瞳でガダックを見上げた。何かを不満に思ったのか、唇を尖らせる。老人が戸惑いを見せる。しかし物問いたげなその目から逃げるように、幼子は走り出した。
「これ、転んでしまう」
ガダックが手を伸ばす。リズは走ってローディに並び、さらに先へと行こうとしたが、ローディが彼女の脇の下に素早く手を差し込み、ひょいと持ち上げた。
「ガキっつうのは、やっぱり見た目より重たいもんだな」
「やだー!」
手足を振りまわしてリズは暴れる。ローディは顔をしかめ、それから大きく息を吸い込んだ。腹に力を入れる。
「大人しくしろ、糞ガキが、ぶん殴られてえのか!」
太い声で怒鳴る。とたん、リズはびくりと大きく身を引きつらせて、動きを止めた。後ろから捕まえたのでローディにその顔は見えないが、小刻みに震えながら、しゃくりあげている。大声を上げる様子はない。ローディは満足して鼻を鳴らした。
「これでよし」
次の瞬間、ローディの後頭部に何かが衝突した。
「馬鹿もんが!」
空気を震わせるような、正真正銘の怒声を浴びて、ローディは反射的に首をすくめた。ゆっくりと振り返る。
ガダックは若者のすぐ背後にいた。なかなか迫力に満ちた顔をしている。ローディは思わず生唾を飲んだ。
「なんだよ、じいさん?」
「不必要な脅しをかけてどうするというのだ?」
ローディはリズを下におろした。そこで改めて、幼子の顔を見る。涙で顔が濡れている。奥歯を噛みしめ、しゃくりあげ、鼻をすする。声を出さないよう、必死にこらえている形相だった。生きるか死ぬかの一大事、というようすである。あまりの顔つきに、ローディは思わず吹き出した。直後、ガダックの拳が再び飛んできた。今度は、ローディは危ういところでそれをかわした。
「じいさん、案外手ぇ早いなぁ」
「幼子を脅してわからせようとするような未熟者を相手に、遠慮などせんぞ!」
ガダックの吼える声が、ローディの頭を突き破るように響いた。若者は両手を上げて苦笑した。一歩、二歩、と老人から距離をとる。
「いやぁ、手っ取り早いほうがいいだろ。ガキのワガママに付き合ってられるほど余裕のある道のりじゃねえし」
ガダックは責めるような目をローディへ向ける。リズは濡れた目を上げて、二人を交互に見つめた。
「やだ」
ぐしゃぐしゃになった顔で小さな手を伸ばす。若者と老人は幼子を見下ろした。
「けんか、やだ」
「誰のせいだ、誰の」
ローディが噛みつく。ガダックが目をむいて彼を睨んだが、彼は不遜な様子で受け流した。リズは涙の粒を落としながら、ごめんなさい、とか細い声を出した。ガダックは痛ましいというような顔でリズを見下ろし、その頭に手を置いた。
「なに、言いたいことがあれば、遠慮なく言えばいい。不満があれば聞こう」
言いつつ、老人は渋い顔をした。
「……叶えてやれるとは限らんが」
リズは彼を見上げた。不満げな顔をしている。ガダックがその表情の意図を測りかねて首を傾げると、リズもならうように首を傾げた。
小さな少女は、老人へ向けて両腕を伸ばした。ガダックがそれに導かれるようにして膝を折り、彼女の目の前に顔を寄せた。リズは老いた男の頬を、その小さな両手で挟んだ。
「あのね、いやなの。こわいお顔」
ガダックは口元を歪めた。
「怖がらせたか……しかし人相は変えられん。弱った」
にんそう、とリズが首を傾げる。老人はリズの頬に指先で触れた。
「つまり、わしがこの顔であるのは生まれつきだから、変えられないということだ」
リズは、理解できない、とでもいうかのように眉根を寄せた。両手でぺしぺしとガダックの頬を叩く。ガダックは悲しげに両目を細めた。リズはゆっくりと目を閉じ、開いた。それから彼女は賢げな顔で、ガダックをしっかりと見つめた。
「じいじ」
ガダックは目を丸くした。それから、ふと表情をほころばせて、リズの頭を撫でた。
「ふふ、そうか、そうだな。息子が嫁をもらっていれば、これくらいの孫がいてもおかしくなかった」
ローディは疑わしげな顔でガダックを見やる。
「おいおい、気に入ったのかよ、その呼び方が?」
「気に入らないではおれん」
ガダックの目じりが下がり、頬はすっかり緩んでいる。ローディは、ああそう、と呆れたような声を出した。
ガダックの笑みを受け、リズはまぶしげに目を細めた。ゆっくりと、頷く。
「じいじ、わらった」
その言葉に、ガダックは虚を突かれたような顔をした。しかしその表情はすぐにまた、優しげな笑みへと変じた。幼子を両腕で抱き上げる。
「いい子だ……いい子だ」
その瞳に、薄らとにじむものがあった。
ガダックの目を見て、ローディは喉の奥でげっと声を漏らし、顔を逸らした。頬が強張る。見てはいけないものをうっかり見てしまったような心境だった。
「ガキめ」
舌打ちとともに、忌々しげに呟いた彼の言葉は、ガダックとリズに届くことはなかった。