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帰郷の風  作者: 宮音 詩織
4/29

*4

 ああ、とローディは大げさに息を吐いた。南への道のりは、なかなかに厳しい。幾日かの、ただ歩くだけの時間が過ぎていた。それがなにかの成果をもたらしたとは、とても思えなかった。景色も、風の匂いも、ほとんど変わりばえはしない。空は晴れているとも曇っているとも言い難い、あいまいな色をしていた。

「どうした、若者がそう簡単にへこたれては困るぞ」

 ガダックが後ろから声をかけてきた。ローディは舌を出して大げさに顔を歪めてから、表情を愛想笑いに変えて振り返った。

「冗談きついぜ、じいさん。俺は夜の見張りも、あんたより長い時間引き受けてんだから」

 ガダックは両目を細めていた。恩のあることなど理解している、とでも言いたげな顔である。ローディは皮肉めいた笑みを口元に浮かべ、肩をそびやかせた。

 リズは黙々と歩いていた。時々、苦しげに大きく息を吐く。そのたびにガダックが抱き上げようと手を差し出すのだが、彼女は首を横に振るばかりだった。寂しげに手を泳がせるガダックを、ローディはけらけらと笑い飛ばした。

「いかついジジイの抱っこは、信用できねえとさ」

 ガダックは反論することもせず、切なげな目でリズを見つめた。なにを言うでもなく、行き場のない手をゆっくりと降ろして、重い息を吐く。それを見、ローディは口の端を歪めた。

「なんだよ、からかいがいのねえやつだな」

 リズは幼い手足を必死に動かして歩いている。それでもローディが大股で歩けば、あっという間に差がついてしまう。そのたびに彼女は、彼に追いつこうと、必死の形相で走ってきた。ここまで、疲れた、とも、やめたい、とも言わなかった。涙のひとつもこぼさずに、ただひたすら、歩いてきた。

 ローディは歩むことをやめ、立ち止まった。リズが息を切らして追いつき、怪訝な顔で彼を見上げる。ローディは何も言わない。ゆっくりと追いついてきた老人が、しばし考えるようなようすを見せた後、ふ、と表情を緩める。

「おまえ、なかなかひねくれた男だな」

 その口調は、意趣返しの心づもりを隠す気もない。見通されている。ローディは鼻の頭が熱くなるのを感じた。ガダックは穏やかな眼差しで彼に頷いて見せ、それから幼子を見下ろした。

「さあリズ、休んで構わないそうだ」

 休憩と察して、リズの表情が和らいだ。その場でぺたりと腰を下ろし、何度も深呼吸する。瞬間、小さく腹が鳴った。リズは慌てて腹を押さえ、二人の大人を恨めしげに見上げた。ローディはにやりと歯を見せて笑った。

「おやあ、聞こえたぞ」

 意地の悪い言い方に、リズは唇を尖らせた。抗議しようと息を吸い込む。けれども、すぐにその口を固く閉じ、目を伏せ、むっつりと黙りこんでしまう。思ったような反応が得られず、ローディは肩を落とした。

「可愛げのねえガキだな」

「ローディ」

 ガダックはやや強い声で若者をたしなめた。それから乾いたパンと水袋を用意し、リズに差し出す。

「ほら、食べなさい」

 リズは戸惑ったような顔をする。ガダックの声は、哀願しているようにさえ聞こえた。

「少しはましになるだろう。遠慮することはないのだぞ」

 リズは迷うように視線をさまよわせたが、ちらりと老人を見上げ、首を横に振った。その後ろから、ローディが強く声を発した。

「食え」

 リズはびくりと身を震わせた。ローディには向かず、ガダックへ恐る恐る手を差し出し、パンと水を受け取った。少しずつ、パンをかじり始める。

 ガダックは文句の一つでも言ってやろうかという目でローディを見たが、ローディはその視線を受け流して、そっぽを向いた。リズは、まるで泥団子でも食わされているかのような顔で、パンを噛んでいる。ガダックが彼女を気遣って、手を差し出した。

「無理をして食べなくてもよいぞ、腹を壊してはどうしようもない」

 リズは目を固く閉じて、首を横に振った。まるで彼の手を拒むかのようだった。ガダックは迷い、それから心底悲しげな顔をした。手で目を押さえ、言葉を失っている。リズはガダックを、恨みがましいような目つきで見上げていた。

 幼子の、ともすれば咎めるような目に見つめられながら、ガダックは少しずつ後ずさった。リズとローディに背を向ける。

「ローディ、わしは少しそのあたりを見回ってくる」

「あ、どうした?」

 ローディは困惑して彼を止めようとしたが、その背があまりにも小さく見え、ためらった。ローディは忌々しいという気持ちを込めて、リズを睨んだ。

「おいおい、年寄りをいじめるもんじゃねえぞ?」

 リズは鼻の頭を赤くして、目に涙をにじませながら、パンを噛んでいる。少ししてそれを飲み下してから、顔を上げずに言った。

「やなの。リズわかるもん」

「何が?」

 ローディはリズの正面にしゃがんで、顔を覗き込むようにした。リズの小さな手が、硬いパンの端にへこみをつくっている。

「リズ、こども、ちがうもん」

「いや、子供だろうが」

「ちがうもん、リズだもん」

 幼子の言いたいことを汲みとれず、ローディは首を傾げた。視線をガダックに向けようとして、その老人が思いのほか遠くへ足を伸ばしていたことに驚く。彼はリズの足元に荷物を放り出して言った。

「いいか、ここ動くなよ?」

 それからローディはガダックを小走りに追いかけた。

 ローディが追ってきたのを察したのか、ガダックは足を止めた。しかし、振り返りはしない。ローディはすぐに追いついて、彼の肩に手を置いた。

「おいおい、ガキに負かされてどうするんだよ?」

 ガダックは、ふう、と重い息を吐いた。

「子供だから、だろう。あの子は聡い」

 ローディは腕を組み、首をひねった。いくら賢くとも、所詮は子供だ。大人の抱える複雑な事情や心情を、理解できるはずもない。ローディは顔を天に向けた。天気は変わらず、あいまいだ。

「恩知らずなガキだ、と俺は思ったんだけどな」

「その恩が、本当にわしの真心からのものであったならば、叱る権利はあるだろう。しかしな」

 ガダックの声は、暗く淀んでいた。

「あの子は……わしが、代償を欲してあの子と接しているのを、どこかで悟っている」

 代償、とローディは呟いた。ガダックはゆっくり頷いて、振り向いた。その表情は疲れきっていた。

「我が子を慈しむように、あの子に接していた。あの子を身代りに、わしは自らを癒そうとした。その醜い下心を、あの子は汲んだに違いない」

 バカな、とローディは声を上げたが、ガダックの真剣な眼差しが、彼を萎縮させた。目の前の老人は確信をもって話をしている。ローディは頭を押さえた。

「……たとえば、あれが、その、あんたのいう下心ってやつを察してたとしてだ」

 ローディはガダックの胸のあたりを指した。

「あんたには、そうするだけの権利がある。交換条件だ」

 ガダックは、度し難い、というように目を見開いた。ローディは口角を上げた。自分のその思いつきに、いたく満足していた。

「そうだ、俺たちはあのガキを、わざわざ送ってやるんだぞ。だったら、その見返りがあってもいいだろ?」

「それでは、慰みものにするのと変わらん」

 ガダックは渋面である。

「あの幼い子には、あまりにも残酷な……」

「見殺しにされるよりゃあ、よほどマシなはずだ」

 ローディは下品な声で笑った。

「ついでに言うと、見目は悪くないんだ。それこそ、悪趣味な野郎どもに売り払わないだけでも感謝してもらわにゃあ」

 と、ガダックが視線をローディのやや後ろに向け、身を強張らせた。ローディは彼の視線の先に向いた。

 リズがすぐ傍まで来ていた。ローディは身をかがめた。

「おい、荷物見てろって言ったろうが?」

 厳しい顔で声をぶつける。リズは首をすくめ、心底不安げな顔をしていた。

「ごめん、なさい」

 今にも泣き出しそうな、くしゃくしゃに歪められた顔である。ローディはいかにも面倒くさいという様子を丸出しにして、荷物のほうへ歩いた。ちらりと振り向く。

 ガダックが、恐る恐るリズに手を伸ばす。リズは彼を見上げている。が、やがてその小さな手を、ガダックに差し出した。ガダックはその手を握った。子供は、老人に身を寄せた。彼は幼い子供の求めるものを知っているかのように、ごく自然な動作で彼女を抱き上げた。

 ローディは、ふう、とひとつ息を吐いた。それから、はっと我にかえって目をしばたかせ、自分の頬を叩いた。舌打ちする。

「この俺が」

 自嘲気味に笑う。

 リズを抱えたまま、ガダックも戻ってきた。リズは老人に体重を預けていた。

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