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帰郷の風  作者: 宮音 詩織
28/29

*28

 休憩をとりつつ、馬を進めて二日が経過した。傷を抱えての旅路ははかどらなかったが、その分、リズが辺りを観察して、自分の村の位置を推測する時間を作ることができた。彼女を信じるならば、先の村で示されたとおり、ただひたすら真南へ進んでいけば、いずれはたどり着くことができそうだということがわかった。

 辺りの景色は変わらず、トトカの山の峰は南にあり、肥沃な大地が広がっている。東には森が広がっており、空を鳥が飛んでいる。西を見ればなだらかな丘になっており、上のほうで野牛の群れが草を食んでいた。空には雲が流れている。曇るか晴れるかは、風の気分次第といったところだ。

 正面に、村のような影が見えてきた。

「親父」

 ローディが言うまでもなく、ガダックは馬を駆けさせていた。ローディもそれに続いた。村は次第に近づいてくる。が、その様子は、遠目から見ても、人が住んでいるとはとても思えなかった。

 壊滅して久しいと一見してわかる、村の跡だった。建物は、頑丈なものだけが土台や柱を残すのみで、あとは徹底的に破壊されていた。人も獣も、死体すら残っていなかった。代わりに、その屍肉を貪ったのであろう鳥や獣の、足跡や糞が散らばっていた。耳障りな風が、絶えず吹いている。それが雲を散らしたのか、空は皮肉なほど爽やかに晴れわたっていた。

 ローディは、馬から降りることができなかった。ここが終着点なのか、と思うと、やりきれない思いが湧いてくる。この地を踏んでしまうことに、抵抗があった。リズの様子を伺うために、身を乗り出して顔を覗き込む。彼女は遺骨の箱を抱きしめ、表情を失っていた。

「リズ、大丈夫か?」

「おとなり」

 リズが唐突に発した言葉に、ローディは戸惑った。先に呑みこんだのはガダックだった。

「隣の村か、交流があったのか?」

「たいようのねむる、ふたごの村。リズのおうち、たいようのめざめる、村」

 リズの声は震えていた。乱暴に目をこする。涙を流すまいとしているのだ。ローディはリズの頭をぽんと叩いた。

「我慢すんな、怒らねえから」

 だが、リズは首を横に振った。

 ガダックは、ふむ、と唸った。

「では、進路を東に変えねばな」

 ローディが怪訝な顔をすると、ガダックはリズに案じるような視線を注ぎながらも、言葉を続けた。

「リズが言ったろう、太陽の目覚める村だと。この村とリズの故郷は、西と東の位置関係にあるのだ」

 ローディは納得し、馬首を巡らせた。今までは正面に据えていたトトカ山脈を、右に置く。しかし、馬を前に進めることが、できなかった。

 リズの目的は、もうじき果たされる。そのあとのことは、リズならばいくらでも選びようがあるだろう。もし奇跡があるとすれば、故郷の生き残りと共に暮らしていく道もある。それができなければ、先の村へ戻って、一員に加えてもらうことができる。

 だが、ガダックはどうするのだろう。そして自分は、どうするべきなのだろうか。それが、ローディにはわからなかった。

 リズに出会う前の、ガダックの目的を思う。眠る場所を求めて、遺骨と共に再び彷徨いゆくのだろうか。そして、自分の過去をもまた、思う。ただ生きるために生き、それだけが故郷を奪われた復讐だと思い定めてきた日々。それは享楽的ではあったが、それで何が満たされていたというのか。

 ローディの背筋が震えた。

「なあ親父」

 出た声は、自分でも情けないと思うほど、不安に覆われていた。

「リズを届けた後っていうのは、どうすりゃいいんだろうな?」

「ローディ?」

 ガダックが眉根を寄せる。心配すると同時に、強い懐疑の念が含まれている声だった。

「……なんでもねえ。ここまで来ちまったなあ、って、今さら感慨にふけってただけだ」

 ローディは髪を乱すように頭を掻いた。そうして、余計な考えを追い払おうとした。パパ、と不安げな声を出すリズの頭も、ついでに撫でてやった。風の音は、いつの間にか止んでいた。

 背後から、一発の銃声が響いた。馬がいなないて後足で立ち、ガダックが声を上げて落馬した。

「じいじ!」

 リズが悲鳴を上げる。ローディは振り向き、そしてその銃を構えた者を見て、目を見開いた。豊満な肉体を強調するような武装をまとい、派手な化粧をほどこした、女。

「イリーナ、なんでこんなところまで追ってきやがった?」

 およそ常人には考えられない距離から、イリーナは馬を狙い撃ってきたのだった。狩猟を生業とし銃を扱う北の民とはいえ、並みの腕ではない。ガダックの乗っていた馬は、悲痛な声を上げ、ぎこちない足取りで走り去った。

「腕上げやがって、化け物か、あいつは」

 ローディは舌打ちした。リズを残して馬から降り、ガダックに駆けよる。

「親父、大丈夫か!」

 ガダックは苦しげにうめいたが、馬の扱いに慣れているだけあって、上手い落馬の方法も知っていたらしい。すぐに身を起こし、立ち上がろうとした。が、脚の怪我は完治していない。痛みが走ったのか顔をしかめ、よろめく。

「親父、リズの後ろに乗れ。俺が時間稼ぐから先に」

 言ったローディの頭のすぐ後ろを、弾が走った。

「次は当てるよ!」

 イリーナの声。かつては自分に優しく愛を囁いた女の、冷たい嫌悪にあふれた声。

「あんたが死んでくれなきゃ、あたしの人生には、いつまでも汚いシミがついたまんまなんだから」

 イリーナは馬を駆って近づいてくる。背後には屈強な男たちを数人従えている。

「せっかく見つけたんだ、逃がしてたまるもんか!」

「そんなに俺が忘れられないのか?」

 ローディは口角を上げた。冷や汗が背に伝う。手斧を握り、彼女を睨み据える。

「パパ!」

 馬上からリズが叫ぶ。ローディはリズを見た。必死に自分を呼ぶ、小さな幼子を。かつては何も知らなかった、そして血を浴びてもなお失われない、無垢な瞳を。ただひたすら自分に向けられている、想いを。

 イリーナの目が憤怒に染まった。

「あんた、なんなの、いつの間に、子供?」

 ローディはイリーナに向いた。言葉は、自然と唇からこぼれた。

「俺の娘だ」

「……嘘よ」

 イリーナの喉から、声が絞り出された。

「あんたはあたしのおかげで、もう女には懲りてるはずだものね」

 イリーナが目を見開き、笑みを浮かべた。歪んでいる。元が美しい顔立ちであるだけに、その変化はより凶悪で凄まじい。リズがひっと息を飲む小さな音を、ローディの耳は捉えていた。

 イリーナが人差し指をローディに突きつける。

「あんたは、誰かを愛することなんてできない。あたしができなくさせてやった。あんたがあたしの期待を裏切ったからね!」

 かつて二人の故郷であった村に〈白鳥の嘴〉が訪れた時、イリーナは瞳を輝かせ、無邪気な笑顔でローディに問いかけた。一緒に戦うでしょう、と。しかし、ローディは拒んだ。イリーナが褒めて煽り、なだめすかし、泣いて訴えても、彼の気持ちは変わらなかった。それは、遥か昔の出来事だ。

 彼にとって、守るべきは正義などではなかった。それは今も変わらない。

「うるせえ。てめえこそ、俺のことなんかこれっぽっちも好いちゃあいなかったろうが。ちょっと腕の立つ男を自分がモノにしてる。そう思ってただけだったんだからな」

「黙ってよ、あたしはそんな浅い女じゃないわ。知ったような口をきかないで!」

「ああ知ってるさ。てめえは、あんな北のはずれに引きこもっていられるような女じゃなかったんだ。俺なんかで満足できるような女じゃなかった。だから忘れろ、俺みてえな、ちんけな男のことはよ!」

「あたしは、あんたが存在してることが我慢ならないのよ! 過去の自分を絞め上げてやりたいわ。よりにもよって、こんな男に」

 二人の応酬から意味を捉え、ガダックが苦笑を浮かべた。

「なるほど、一度は夫婦と誓い合い、夜に契った仲か。それは許しがたかろうな」

「さっすが親父、察しがいいねえ」

 イリーナは懐を探って、ブローチをひとつ取り出した。薄桃色の石を埋め込んだ銀細工だ。ローディには見覚えのあるもの。ガダックにもそれが何であるのか、容易に想像できるものだ。

「あんたの死体に突き返して、いっしょにこの世から消してあげる。それでぜんぶ終わりにするわ」

 ローディはそれを見て、思わず空笑いをもらした。

「なんだ、同じだったのか」

 呟く。その意味を察したのはガダックだけだろう。

 リズを乗せた馬が、落ち着きなく首を振るい、脚を動かしている。リズはそれにしがみつきながらも、顔を上げていた。

「パパ、じいじ」

 イリーナがリズに銃口を向けた。

「うるさいわよ、お黙りなさい」

 瞬間、ローディの脳内で何かが爆ぜた。

「おいアバズレ!」

 手斧を構え、走り、イリーナに迫る。彼女を取り巻いていた男たちが剣を抜いた。ローディはそれらを斧で打ち払い、彼女を睨んだ。

「俺のガキに手ぇ出すんじゃねえ」

 イリーナの目を見据え、彼は言った。

「俺の子種じゃなくても、あれは俺のだ。手ぇ出しやがったらぶっ殺す!」

 腹の奥底から出た言葉を、叩きつける。イリーナが驚き戸惑い、怯む。周囲の男たちが、ほんの一瞬、惑う。その隙を、ローディは逃さなかった。手斧を振りぬき、男たちを散らす。彼らはすぐに体制を立て直してきた。ローディは怒鳴った。

「親父、リズを!」

 幼子の悲鳴が聞こえる。馬のいななき。

「じいじ!」

 遠ざかる声。イリーナが銃を構える。それを弾いたのは、白刃の一閃だった。

「手出しはさせぬぞ」

 男たちの幾人かが馬へ向けて銃を構える。その背に、ローディは斧を叩きこんだ。吹き出る血。

「パパぁ!」

「行けリズ、行け!」

 赤いしぶきと襲い来る者たちに遮られ、その姿はもう見えない。それでも届く声は、彼女が無事に遠ざかっていることを知らせる。ローディは叫んだ。

「行け!」

 剣が踊る。片足しか動かないはずの老人が、幾人もを相手に立ち回る。

 イリーナが甲高い声で叫んだ。

「あんたたち、バカなの! あんな子ども一人を逃がして。あんたたちがここで死んだら、誰も守ってくれる人はいなくなるのよ。どうせ死ぬわ!」

 イリーナの言葉に、ローディは思わず笑みをこぼした。

「俺のガキを舐めんな」

 武器を構える。手斧一本、片腕はうまく動かない。男たちは五人、どれも屈強。倒れたのは二人ほど。対峙する女は、求心力があり、銃の腕はローディにも劣らない。ローディの隣に立つのは、老いた手負いの剣士が一人。

 イリーナが、ローディの額にひたと狙いを定めた。光乱れるその目を、ローディは正面から見据えた。

「賭けるか、イリーナ」

 向けられる銃口に怯みもせず、声には一切の揺らぎもない。大地を踏む足は確かで、斧を握る手は固い。

「てめえが俺を殺せなかったら」

 イリーナの表情に寸の間、怯えにも似た影がよぎる。ローディは歯を見せて笑った。

「忘れろ、きれいさっぱり、何もかも」

「ふざけないで!」

 声を荒らげるイリーナ。ガダックが、ローディの背を守るように移動しつつ、低く笑った。

「なるほど確かに、今後に禍根を残すのは、あの子のためにもよくない」

 老人の言に、イリーナは戸惑いの色を濃くした。

「今後って、なに言ってるの、本気なの?」

「イリーナ、いいことを一つ、教えてやる」

 ローディの表情から、笑みが消える。

「俺は昔っから、嘘も冗談も大嫌いだ」

 イリーナが目を見開く。銃口が揺れた。その瞬間を、ローディは見逃さなかった。吼える。それを合図に、ガダックの剣が翻った。銃声が幾重にも響く。ローディは再び、口角を上げた。

 逃げる理由も、怖れる理由も、ない。


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